ついていない日 1
豊かな者がいれば、貧しい者もいる。
豊かといってもそれが何の豊かさなのかは個人によるものだし、貧しさも同様のことがいえる。
金か。自己満足か。物資か。友人か。知識か。愛か。線引きの種類は沢山あるが、とりあえず今回は金ということにしよう。
この国には貧民街がある。
そこには貧しい者達が住んでいる。
何の貧しさかは先程いった通り、金の貧しさなのだがこの貧しい者達も一括りでまとめるには多い。
いちいち上ていたらキリがないので、気付いたら奪われていた者と最初から何も持っていなかった者の二通りに分ける。まあ、元がどうであれ今貧しいことに変わりないので大差ない。
法という白線の向こうで暮らすしかない者達はこの豊かな国に一定数いた。
彼らは自然と集まり、街と呼ぶには余りにもお粗末なものをつくり、日々を過ごしていた。そこは、見捨てられた者達ばかりで、肩を寄せあい、裏切りあいながら生きる場所だった。
そんな薄暗い所で少年は育った。
貧民街には有名なスリが3人いる。
一人は、手下の子供達を使って路地裏に誘い込むといった人海戦術を行う少年。オーサマと呼ばれて慕われている少年だ。
もう一人、いや正確には二人は片方が目標の注意をひいて、もう片方がその隙に盗るのを常套手段とする兄弟。
最後の一人は、少し変わっている。スリではあるのだが、一般人から盗るのではない。盗んだ財布を更に盗んでいくという、スリのスリだ。
スリから奪えば憲兵に報告が上ったところで、自分が捕まるだけなので、スリを標的とするのは案外賢いのかもしれない。
だが、そうやってでしか生き抜けない人達からすれば死活問題だ。噂が広がれば当然警戒は強まるし、スリをするならされる時に気付けるもの。激昂して殺されるかもしれないと考えると、危険度は他の方法と同じくらいになる。
それに、やり過ぎると反感を買う。
故に三人目の少年、エディはスリをする上で条件をいくつか自分に課していた。
一つ、奪うのは必要な分だけ。
一つ、顔を見られてはいけない。
一つ、ヤベェ奴からは盗ってはいけない。
この三つを守って、エディは三年間上手いこと生きてきた。
しかし、今日最後の一つが守れなかったことにより彼は窮地に立たされた。
夕方、常に薄暗い貧民街はこの時間帯から次の朝まで犯罪者達の独壇場になる。人身売買、違法薬物、どれも禁止されたものだが、ここでは日常の一部だ。法は存在があやふやな自分達を守ってくれやしない。
知らぬ間に増えては減っていく彼らはこの国にいる証明ができない。産み落とされて捨てられて届けさえ出されていないのだから、国民であるかすらも怪しい。
守っても意味はなく、むしろ自分を追い詰めるだけなら守る必要はない。法律が忘れたこの場所は、裏のあることをするにはピッタリだった。
「ハァ……これだけか…」
張りぼての塀に小さな身体を隠して、エディは成果を確認していた。紙と硬貨が数枚ずつ。今日は相手が少なかったし、中身も大したものではなかったから十分な量を抜き取れなかったのだ。
一、ニ、三…と数えて、夕飯分ぐらいなら買えるか?と悩む。明日の成果を期待して今我慢すれば、より美味いものが食える。空腹を最優先して使ってしまえば、同じようなものを食うことになる。空腹は満たされるが。
贅沢は言わないが、安定して金を得られるようになったんだからもう少し美味いものを食ってみたい。以前の食べれる日が奇跡みたいな日々よりはマシとはいえ、どうしても慣れてしまうと新しいものを求めたくなる。
ぎゅるるる、と腹の音が鳴ったところで彼は考えるのをやめた。
後一人。今日は次のヤツで終わりにしよう。それでその成果でどうするか決めればいい。
「お、エドワード。また狩りかい?」
「げっ」
煙草を口に咥え、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべる男にエディは思わず顔を顰めた。
知り合いという程の仲ではないが、男はエディがスリのスリを始める前から知っている。
スリのスリ、大スリ野郎、卑怯狐。
様々な呼び名で呼ばれる彼だが、本名(?)は意外と知られていない。昔会ったことのある人間も、彼と有名人の三人目を同一人物と結びつけない。そもそも会ったかどうかも覚えていないだろう。明日生きているかも分からない子供のことよりも、如何に多く稼げるかが重要なのだ。
男は珍しいことに覚えているタイプの人間だった。
ある日、三人目としての存在がある程度認識された頃男はひょっこり現れて、随分元気そうだなといったことを言ってきた。
エディは咄嗟に脅されると考え、近くにあった酒瓶を背中に隠した。
『いくらだ』
『んー、三枚』
そう言って手をヒラヒラと振る男に、エディは多過ぎると噛みついた。
男はきょとりとした後、腹を抱えて笑った。
何がおかしい!と叫ぶ彼に、男は心底おかしそうに金でも銀でもねぇよと言った。
金貨でもなく銀貨でもなく、銅貨。しかも三枚。パンが買えるかもあやしい値段である。むしろ買えるものがあるのかと聞きたいぐらい。
脅しの交換条件としては少な過ぎる値段だった。
『毎日なんていわねぇよ。そうだなぁ…ひと月に一回ぐらいはくれ』
ハー笑った笑ったと言いながら男は去って行った。
あの日からずっと、エディは男に銅貨三枚を渡している。
相場を考えれば破格の料金に、そういえば今月はまだだったかと舌打ちした。
気乗りはしない。しかし渡さなければ大損をするのはこちらだ。せめてもの嫌がらせに、一番汚い銅貨を三枚投げてやった。
「毎度〜」
ニヤニヤとする男にエディはふと、この奇妙なやりとりを始めてからずっと気になっていることを尋ねることにした。
「なんで三枚なんだ」
「あ?もっと払いたいってか?」
聞いた直後、聞かなきゃよかったと後悔した。
「そんなわけねぇだろ、有金全部スってやろうか」
「ハハハ、冗談に決まってんじゃねぇか。コレだよ、コレ」
男は口に咥えた煙草を手に持ち二、三度振った。
銅貨三枚で買えるものはこの国にいくつかある。
果物一個、カビの生えた売れ残りのパン、粗悪品として廃棄される商品。そして、この国で最安値の煙草。
馬鹿らしすぎる理由にエディはキレた。
「聞いて損した!」
「減るもんじゃねぇだろーが」
「うるせぇ!あと、俺の名前を間違えんな!」
その辺の柔な壁を蹴り倒す勢いで走り去って行く少年を、男は笑いながら眺めていた。