裏事情
では、夫人が亡くなった後の、主に公爵の話をしよう。
ここまでの話で、公爵はとても冷たい人物のように思われることだろう。しかし、それを言ったら娘とほとんど関わりを持っていなかった夫人もそうなってしまう。彼女はただ自身の経験に何も参考に出来ることがなく、聞ける人もおらず、どうしようもできなかった結果ああなっていた。それを、なんて母親だの一言で片付けるのは忍びない。
どちらか一方が酷いというわけではない。むしろ両者とも似たようなことをしていたので、あえて言うとすればどちらも酷い。
まあ、それを言い始めたら終わらない。
夫人が亡くなっているのをメイドが見つけて悲鳴を上げたとき、真っ先にその場に着いたのは執事だった。彼は事態を理解して直ぐ、このことを公爵に伝えに走った。
「―失礼します、旦那様!」
書斎の扉が勢いよく開いたことに公爵はまず眉を顰め、次にその乱入者が執事であることに軽く驚いた。雇ってからこれまで焦ったところを見たことがない彼が、慌てているのである。ただ事ではないと公爵は勘付き、書類を処理する手を一旦止めて話の続きを促した。
「どうした、お前が焦るなんて珍しいな」
執事は上がっていた息を整え、急用をはっきりと正確に伝えた。
「奥様が、自室で亡くなられておりました。胸を自分で刺したようで、……恐らく自殺です」
「何?」
立ち上がったと同時にいくつかの書類が床に落ちた。椅子から腰を浮かせたまま、公爵はその事実に固まった。思わず聞き間違いかと思って聞き返してみたが、同じことしか返ってこなかった。
何も分からず、椅子に倒れ込む。何が、どうして、どうなってそうなった。何故、という二文字がぐるぐると頭の中で踊る。動機も原因も何も分からない。
もしや愛人の存在を知ったかとも考えたが、自分がどんな交友関係を持とうとも何も口出ししてこなかった彼女がショックを受けるとは想像しにくい。明るく天真爛漫な最愛の人とは違い、どことなく自分と同類のような雰囲気を持つ彼女ならきっと知ったところで興味なさげに済ませるのだろうと考えていた。
ならば他の何かと言われても、何も思い浮かばない。
「遺書の類は」
「辺りを見回してみしたが、何もございませんでした」
ますます分からなくなった。彼女は一体何をしたかったのだろうか。離縁状を叩きつけるぐらいならまだ理解できるが、死んだという事実が斜め上だったので未だに頭が混乱している。何をしたいと訊ねるべき人間は既にいない。聞いたところで意味のない問いはとりあえず保留にしよう。
意味が分からない事態に公爵はとにかくやることをやろうと切り替えた。
元々、他人に頓着しないタイプの人間だったのだ。終わったことを今更どうこう言ったって変わりやしない。なら、自分にとって不利にならないようにするのが得策だろう。
人が一人、自分の妻が亡くなったにしては余りにもあっさりとした考えだった。
方針が決まったところで、まず公爵が指示したのは夫人が病に倒れて亡くなったことを知らせろというものだった。
関係が冷めていたとはいえ、お互いに貴族の立場であったことから外聞に対する認識は共通していた。故に、表向きは穏やかな夫妻の面を演じてみせていたのだが、それが夫人の自殺で崩れてしまう可能性がある。仮面夫婦のお陰で繋がった縁もある。嘘だと分かれば最悪の場合、失脚するかもしれない。様々な考えが過り、公爵は結局一番無難な病死ということにした。
お抱えの医師を呼び、事情を把握させ、葬式の手配も終えた後公爵は深々とため息をついた。
一日考えてみても理由は分からなかった。本当に、何をしたかったのだろうか。
ぼんやりと書斎の天井を眺めていて公爵はふと自分がショックを受けていることに気が付いた。残念ながら緊急の対応で疲れていた彼には、それがなぜなのか考えられなかったし、記憶にも残らなかった。
紙一枚の繋がりしか持たない自分達に何を今更感じるのだろう。
馬鹿々々しいと結論付けた公爵だったが、思考回路が癇癪を起した子供に似ている気がする。夫人も分からない人だったが、公爵もなんやかんやで分からない。
結論から言うと、つまり、寂しくなったのだ。
何とも傲慢で遅い感情である。
まあ、もし生前の彼女に言ったところで何かが変わったとはとても思えないが、今思うぐらいなら言っておいた方がよかっただろうに。
伝えることを忘れた大人達の話であった。
人の考えを書くのって難しいですね…。
ここで、この章は終わりです。
次から新しい章になります。一応、17歳ぐらいまで書くつもりなんですけど長いですね。