あるメイドの一日
ぱちり。
鳥の鳴き声で目が覚める。空気は少し肌寒く、窓から見える外はまだ薄暗い。本当ならもっと布団の中でのんびりしていたいが、そうもいかない。
夜中の気温で冷めた水差しの水で顔を洗い、思考がはっきりとしてくる。
「よし。」
お仕着せにさっと着替えれば準備完了。
公爵家の朝が始まる。
「サラ、二階の来客用の部屋は」
「終わったよ。だけど、いくつかベッドのシーツが汚れてた」
お昼前の公爵邸では、いつにも増してメイドたちが忙しそうに動き回っていた。
ほとんど使われていなかった部屋のシーツは、うっすらと汚れがついている。注意深く見なければ分からないほどだが、公爵の屋敷に小さな汚れなどあってはならない。
だから洗濯板を使い、石鹸を握りしめ、シーツを破かないように、けれども最速で彼女たちは洗濯しているのだが・・・本来なら、今日はここまで忙しくなる予定ではなかった。公爵令嬢の誕生日会といっても、屋敷に泊まるのはほんの数人。一階の部屋だけで足りるはずだった。
しかし、嵐が近づいていることが分かり、状況は一変した。
誕生日会の最中に来るであろう嵐。来客の何人かは帰れないだろう。
今更、別日にすることも出来ず、急遽二階の使っていない部屋を使うことになったのである。
「ちょうだい、今から他のと一緒に洗うから」
「了解。どう、間に合いそう?」
来客は六時から。今から干してもギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際である。
「間に合わせるのよ!」
「シーツにしわが出来ないようにね」
そう言って走り去ったサラを横目に見ながら、もう一度力を込める。同僚がこれから掃除するのは、大広間と応接室と図書室。来客用の部屋は全て掃除してあるから、洗濯物はもう増えないはず。
これが終わったら人手の少ない所に行って・・・手と頭を自分が出来る限り早く動かし、アニーは作業を再開した。
「お、おわった」
使用人部屋のテーブルに突っ伏しているサラにココアを淹れてあげる。
「お疲れ様」
「ありが・・・」
そう言って右手でコップを受け取ろうとしながら彼女は安らかに目を閉じた。支えを失った右腕はゆっくりと落ちていき、テーブルにガンッと音を立てて着地した。
幸いにもコップはまだ私が持っているので、熱い液体が飛び散るような悲惨なことにはなっていない。
「・・・っ今、私寝てた?!」
「凄く幸せそうな表情だったよ」
天に召される直前かのような表情だったけど。
「あの一瞬で私は十分な睡眠を得た気がする」
「馬鹿言ってないで寝なさい」
疲れと寝ぼけで頭が回っていない同僚に早く寝るよう諭す。
彼女はたまに疲労が溜まりすぎると気分が高揚し、深夜でも目を輝かせながら話し続けることがある。よく通る声は更に大きくなり、いつも明るい表情はクルクル変わる。そして、徹夜して翌日に倒れる。
初めて見たときは心臓が止まるかと思った。さっきまでニコニコ笑っていた同僚が隣で倒れたのだ。急いでメイド長に報告すると、ただ寝てるだけだと言われた。その後、起きた彼女に二度とするなと柄にもなく叫んでしまった。
数年前の出来事だけど懐かしいな。
「分かった、これ飲んだら寝るね」
少し冷めて適温になったココアを渡し、自分も腰掛ける。
今日一日の疲れが癒され、うとうと眠くなってきた。自然に欠伸が出てしまい、視界がじんわりとぼやける。私も早く寝ようかな。
「お疲れのところ悪いけど。アニー、オスカーさんが呼んでる」
「後で。」
急に現れた同僚のジャックがまったりとした空気を壊す。
なんてタイミングで来るんだ。せっかくの癒された感が吹っ飛んだじゃないか。
「いいわけあるか。書斎に来いってさ」
もちろん執事長からの命令を断れるわけもなく、にべもなく却下される。
書斎?なんで、オスカーさんが私を呼んでるんだろう。
サラの眠気が私にも伝染したのか、頭が働かず疑問が解けない。
「書斎・・・書斎ね、今から行くわ」
空になったコップをジャックに押し付け、私は部屋を出た。
一階の廊下を歩き、奥へと進む。
書斎は大広間と離れていて、静かな場所にある。隣には図書室と応接室。絨毯が敷かれているおかげで、自分の足音すら聞こえない。
客人たちもほとんど寝入っており、あたりは静寂に包まれている。
コンコン。
「執事長、アニーです」
いくら上下関係にわりと緩いオスカーさんでも、上司は上司。きちんとノックをしてから入る。
直後、私は寝ぼけながらも礼節を欠かなかった自分に感謝した。
「入れ」
扉の向こうから聞こえてきたのは初老の執事長の声ではなく、まだ中年に差し掛かっていない男性の声。
何故、旦那様が・・・?
いや、むしろ旦那様の書斎に旦那様がいることのどこがおかしいというのだ。動揺が表れないように無表情のまま扉をあける。
「失礼します」
旦那様は部屋の奥にいた。隣にはオスカーさんが立っている。いつもの温和な彼にしては珍しいことに、不機嫌な顔である。気まずいな、凄く。
座っている旦那様は元々表情があまり表に出ない方なのか、顔からは感情が読み取れない。端整な顔は書類を見続けたままだし、その手元をオスカーさんは渋い顔で見ている。そして私は必死に無表情を保っていた。
逃げたい、一秒でもいいからこの場から急いで逃げ出したい。
徐々にお腹が痛み出した自分の頭には、リストラの四文字がグルグル回っていた。周囲に悟られないようなオスカーさんからの伝言。目の前にいる旦那様。
一介のメイドをやめさせるには手厚いもてなしだが、ここまで暗い雰囲気だとその結論しか導き出せない。私、何かしたか・・・
「旦那様、用件を」
いつまで経っても用件を切り出さないことに痺れを切らしたのか、オスカーさんが声をかける。
すると顔を上げた旦那様は、まるで初めて私の存在に気付いたかのような顔をした。
「旦那様、先刻の話は覚えていますか」
「・・・ああ、侍女の件か」
さっきまで無表情だった顔にはっきりと、嫌だという文字が見える。というよりも、嫌々?それとも、やりたくない?いや、これはめんどくさいかな。
リストラで正常な思考回路を切った私は呆けていた。リストラ、無職、給料なし、あと同僚との別れも辛い。一仕事終えて寝ようとしてた自分にはあんまりじゃないかな。
「君には娘の侍女となってもらう」
ああ、なんだって自分がこんなことに…
「オスカーの推薦だ」
旦那様の声がどこか遠くに聞こえる。
侍女。
お嬢様の侍女。
公爵令嬢の侍女。
そこまでいってようやく事態を呑み込めた。
なんと、リストラではなかったらしい。
「対面は早い方がいい。後で言って伝えてくれ」
手をひらひらさせて退室を促す旦那様に頭が回りだす。
「侍女、ですか」
「ああ。用件は以上だ」
ちょっと読みにくいなと思ったので編集しました。