第91話 深淵なる闇
今回は悪役令嬢Cことキャロル・オスーナ視点です
「アレクサンドラ、殿下の不興を買ったかもしれないというのはどういうことかしら?」
「も、申し訳ございませんルシア様……!」
まあ、恐ろしいこと。我らが派閥のトップ、ルシア・ルーノウ様はすごく恐ろしいお方だ。そんなルシア様を私――キャロル・オスーナは、我が家系に受け継がれてきた謀略の術を持ってお支えしている。
それにしてもアレクサンドラの短慮な事。あのアリシア・アップトンが腹立たしいのはわかるけれど、まさか冬休み明けて早々に実力行使にでようとするなんて。
あまつさえそれをディラン殿下に止められるとは。もともと賢くない女と思っていたけれど、まさかここまで愚かだとは思わなかった。これではルシア様がお怒りになるのも無理はない。
ルシア様と昔から付き合いのあるブリジットは、ルシア様がお怒りになる前にどこかへと行ってしまった。あの女、こういう要領だけはいいわね。
「まあいいわ。どうせもう少ししたら、全部私の物なんですもの」
「お、お許しいただきありがとうございます!」
「許したんじゃないわよ!」
「ヒ、ヒィッ!」
まあ確かに。無事に計画が進めばこのような失敗は些事だ。まだ全容を知らされているわけではないけれど、ルシア様はその為の準備を着々となさっているらしい。あのヴェロニカとかいう、何者かの使いである怪しげな紫髪の女と会っているのもその為でしょうね。
「キャロル!」
「は、はい!」
「何か動き回っているみたいだけれど、私の邪魔だけはしないでちょうだい」
「と、当然です。私の行動は全てルシア様の為です」
やはり恐ろしいお方ね。私の策謀もお見通しとは。だけどルシア様にとって、そして私にとってレイナ・レンドーンとアリシア・アップトンは排除すべき相手であることは間違いないでしょう。
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我がオスーナ家は、代々その知略と策謀をもって家名を保ってきた家系だ。その優れた知の部分に反するように、武の部分はいささか心もとない。
そこで私は、同じ年齢であったパトリック・アデルに目を付けた。彼と婚姻することにより、武門の重鎮であるアデル家の武力を吸収しようと考えたのだ。得るものは大きいし、何よりパトリック様は見た目が良い。まさに一石二鳥の作戦だった。
しかしパトリック様は女性に人気がある。彼の周囲はいつも大勢の女性がいる。中でも邪魔なのがあのレイナ・レンドーンとかいう女だ。
どう媚びを売ったのか知らないけれど、明らかに私の彼の気はレンドーンへと向いている。パトリック様親衛隊を自称する女たちも認めざるを得ないレベルでだ。
レンドーンを消さなければ私の計画は完遂しない。そしてレンドーンをどうにかするには、あのアリシア・アップトンとかいう頭のおかしい女も叩いておきたい。最初はただの調子に乗った平民と思っていたけれど、まさかこの私を脅すとはいい度胸だわ。
そこで私はルシア様の派閥の盤石化と、パトリック様とレンドーンの仲違いを狙って何度か悪評を流してみた。けれど、芳しい成果を得ることはできなかった。
「こうなったら実力行使よ」
だけど直接襲うような野蛮なまねはしない。私はアレクサンドラのように愚かじゃない。ただあいつらの弱みの一つでも握ればいい。
そう考えた私は、レンドーンらの寮の部屋へと侵入することを考えついた。けれどもレンドーンの部屋への侵入はすぐに断念することになった。
下見に訪れた際、クラリスとかいうメイドが一切の隙を見せずに守っていたからだ。さすがはレンドーン公爵家と言うべきか、あの女は護衛も兼ねているのだと思う。
「ということは、アップトンの方ね……」
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アリシア・アップトンは平民の出相応に、最下級の寮へと入っている。その寮は二人一組の部屋で、つまり部屋の鍵はルームメイトの方も持っているのだ。
「ごきげんよう、あなたがサリア・サンドバル様でしょうか?」
「ごきげんよう。ええっと、あなたは……?」
それがこの女、サリア・サンドバルだ。いかにも凡庸で、いかにも手玉に取り易そうな、パッとしない見た目だ。南部貴族のサンドバル男爵家の令嬢で、アップトンと共にレンドーンが主催するお料理研究会の部員でもある。
「私、キャロルと申しますわ。実は私も皆さんに影響されてお料理を作ってみたんです。食べてみて感想を聞かせていただきたいのだけれど?」
「ええ、ぜひ!」
私たちルーノウ派閥との対立を、レンドーンはサンドバルに伝えていない事は調べがついてある。そしてこの女は最近後輩に教える楽しみを覚えたのか、料理についての質問をすると効果的というのも想定済みだ。
「さあサンドバル様、お料理はこちらですわ」
どんなに結束を謳う盤石な組織にも、どんなに清廉を謳う聖者にも、必ず穴は存在する。我がオスーナ家が受け継いできた謀略の技を駆使すれば、落とせない砦などないということ。まあしかし、今回の砦はどうやら門が開きっぱなし。きっちり派閥を固めていないのが仇になったわね、レンドーン。
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「一番奥の部屋……、ここね」
サンドバルから手に入れた鍵を使って中へと侵入する。休日の日中とあってか寮には人が少なく、目撃されることなく侵入できた。そして派閥の人間にアップトンの足止めを命令している。ここまでは完璧だ。
「まあ、なんとみすぼらしい部屋」
想定していたよりも貧相な部屋ね。まるで労働者の部屋。ここに平民であるアップトンはともかく、端くれとは言え王国貴族であるサンドバルも住んでいるのだから驚きだ。
最も格式が低い寮とはいえ、伝統のエンゼリアに相応しくないようなみすぼらしさはどうしたものか。この寮に住んでいる人間は、今すぐ栄光あるエンゼリアからたたき出すべきね。
「さてと、何か弱みを握れそうな物は……」
物盗りではない。これはそう、立派な謀略。
我がオスーナ家が受け継いできた立派な技よ。下賤な物盗りと一緒にしないでほしいわ。
私は心の中でそう唱えながら、アップトンの荷物を漁り、引き出しの中を物色する。そして、ベッドの下に隠されるように置かれたある物を発見した。
「これは……、日記かしら?」
良いものを見つけた。この中を見ればアップトンの――もしかしたらレンドーンの弱みを握れるかもしれない。私はもう一度注意深く部屋の外を確認してから、地味な見た目の表紙をめくった。
『今日は初めてのお料理研究会の活動、アイスケーキパーティーでした。まるでおとぎ話のような、なんて素敵な体験……! そんな素晴らしい体験を与えてくれたレイナ様に感謝し、今日からあのお方を記録するために日記をつけようと思います。私が初めてレイナ様のお名前を耳にしたのは――』
当たりだ。これには二人の事が書いてある。読み進めればきっと――。
『今日はレイナ様のメイドであるクラリスさんが尋ねられ、レイナ様のご指示により私をあの有名な月下の舞踏会に参加させていただけるとのお話をしてくださいました。もちろん秘密裏に。けれどまさか、レイナ様とご一緒に踊れるなんて! これは鐘が鳴る頃に私と過ごしたいということかしら? それで準備を――』
年頃の少女相応の可愛らしい字で、夢見がちな乙女の文章がびっちりと記されている。その大半はレンドーンを褒めたたえるものだ。憧憬、尊敬、信者、崇拝者。そういったワードが頭に浮かぶ。
『嗚呼、クラリスさんが羨ましい。私も御付きのメイドになればずっとレイナ様と一緒に過ごせるのかしら? そう、死が二人を分かつまでずっと一緒に――』
『最近レイナ様が私に、「慕っている方は誰?」といった質問を頻繁になされる。私の答えは当然レイナ様だ。レイナ様もそのことはわかりきっているはず。はっ! もしかして私にレイナ様をお慕いしていると言わせて楽しんでいらっしゃる――』
『サリアちゃんから、寝ている時に「レイナ様」とぶつぶつとつぶやくのはやめてほしいと言われた。私が深層心理までレイナ様なのは仕方ない。だって私は髪の毛の先からつま先までレイナ様の物なのだ』
『今日もレイナ様は可愛らしい。今日もレイナ様はお美しい。今日もレイナ様と私の夜を考えてしまった。今日もレイナ様は素晴らしい。嗚呼、レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様――』
「ヒィィィッ! な、なによこれは……!」
私は恐ろしくなって日記を放り投げる。慌てて、思わず尻もちをついてしまう。身体中、おぞましい物を見たという震えが止まらない。なんだこの女、頭が本当に――、
「《影よ縛れ》」
――動けない!? この魔法はもしかして……!?
「勝手に人の日記を読んじゃダメじゃないですかあ」
「ヒ、ヒイッ!」
背中から聞こえてくるあまりにも冷たい声に、私は思わず怯えた声を出してしまう。冷くも甘ったるさを感じる奇妙な声音。その声の主は、ゆっくりと――私にたっぷりと恐怖を味合わせるかのように近づいてきた。この声――普段の声音とまるで違うが、間違いなくアリシア・アップトンだ。足止めをさせていたはずだけど、どうしてここに……?
「サリアちゃんをどうしたんですかあ?」
「く、薬で眠らせて……」
「ダメじゃないですかあ。彼女は私の大切なお友達なんですよ?」
首も動かせないほど魔法の影に縛られているので、こちらからアップトンの顔は見えない。後ろから淫靡さえ感じる手つきで顔を触れられるが、まるで鋭いナイフを突きつけられているように心臓がきゅっとなる。
――間違いない。今の私は、本能的に命の危険を感じている。
「私はレイナ様に手をだすなって言いましたよねえ? 知っているんですよお、あなたが酷い噂を流していたの」
「ル、ルシア様に言われたの! 私は悪くないわ!」
嘘だ。でも認めたら取り返しのつかない目に遭いそうだ。直感的にそう判断し、私は口から命乞い同然の言葉を並べる。脳みそを限界まで働かせ、とにかく舌を動かして自分の潔白を訴える。そう、命を守るために。
だが、口を開いたアップトンの口調は氷のように冷たいままだ。
「どっちでもいいです。私があなたを許すことはありませんから」
「わ、私に手を出したらどうなるか――」
「脅そうとしても無駄ですよ? 私はレイナ様の為にあなたたちを許しませんから。そして私にとってレイナ様は他の全てに優先されます。そう、私自身よりもね」
アップトンが私の正面に来たので目が合う。人を見る目じゃない。グルグルと渦巻いた目は、家畜とか何かそういうものを見る目だ。感じるのはそう――深い闇。
「知っていますかあ? 闇属性の魔法には人の頭をおかしくする効果の魔法があるって」
「や、やめてッ」
「古い本で見たんです。少しだけ味あわせてあげますね」
「ヒ、ヒィィィィィィッ――!!!」
読んでいただきありがとうございます!




