戦士の園は空の彼方に
北欧神話に、一つの伝承がある。
出陣前、戦乙女の羽を受けた戦士は必ず戦死を遂げ、その魂は最高神オーディンの宮殿ヴァルハラに送られる。金細工の施された宮殿にて神の兵に選ばれた戦士達は、戦と饗宴に明け暮れ、神々の黄昏に備えるとされている。
神々の黄昏に、備えるとされている。
「オーディン神、今期の収支報告書です。サイン願います」
「何故、今期は出費が多いのだ?」
「神の兵に与える装備の更新と、その育成費用です。向こうしばらくは、この状況が続くかと」
「やれやれ、アースガルズでの五年前にも、同じような事があったばかりではないか」
執務室にて、秘書を担当する戦乙女から渡された書類を見て、オーディンは唸り声一つと共に目頭を揉んだ。両者とも神話に語られるような装束ではなく、身体のラインに合わせて程よくフィットした防護服の上に、フォーマルスーツを着込んでいる。防護服は着用者の体温や表面温度、不快指数を測定して最も快適に過ごせるよう自動調節する機能が付いている。スーツは場の空気を律するための記号的意味合いが強い。
「そのアースガルズですが、現在はブリンドー星系の第六惑星、オコヤンドと交戦状態に入りました」
「つい先日まで同じ星系の第四惑星と戦争していたではないか。それはどうなったのだ」
「第四惑星ギュンドーとの戦闘は、第五惑星カドンセインの仲介で停戦となり、現在は共通の敵と認識したオコヤンドに対処している模様です」
「敵の敵は味方……か。しかし、戦死者の魂が途切れないという事は、ほとんど断続的に戦争が続いていると見てよいのか」
溜め息一つと共に、オーディンは執務室の窓から見える、整備ブロックに視線を移した。
秘書の言う装備の更新は、ヴァルハラに戦士の魂を集め始めてから、幾度となく行われた。銃火器が出現した時には、核となる火薬の調査から行い、二度の世界大戦の時は、人間の急激な技術革新に神が振り回され、予算の工面のために下々の神にまで頭を下げた始末だ。
そして現在、人類は宇宙にまで進出した。西暦は新たなる暦となり、さらに千年が経過している。
現状、宇宙空間での立体的な戦闘に対応出来るのは、艦艇と護衛の艦載機、切り込みのための人型機動兵器とされていた。オーディンも特注の機動兵器『グングニル』を、常に執務室から見える場所に配備している。
「申し上げにくいのですが、その『グングニル』も、一部の部品や戦闘プログラムをアップデートする必要があります」
「ちょっと待て、これ導入してからまだ二十年だぞ?」
「ブリンドー星系との戦争が始まった十五年前より、機動兵器の進歩が急速に進みました。この更新予算には、『グングニル』の分も含まれております」
さらに大きな溜め息と共に、オーディンは執務室のデスクに突っ伏す。秘書も眼鏡の位置を直すと、吊られたように溜め息を吐いた。そんな時、別の戦乙女が書類の束を手に駆け込んで来た。その束の厚みを直視した二人は、更に深い溜め息を吐く。
「失礼します!今期の戦死者のリストになります!到着はアースガルズ基準で三十六時間後から随時です!」
地球から二光年の宙域に建設された宇宙基地群『グラズヘイム』の一画に建つ、オーディンの宮殿ヴァルハラ。神の兵となる戦士の魂を集めては、今日も神々の黄昏に備えている。
その日はまだ遠い。
待てど暮らせどラグナロクが来なかったら、というお話。
この世界では北欧神話は存在していない。現在進行形で神話になっていないから。