1.虚無
最近浮気して書いていた作品です! よろしくどうぞ!
生肉食などの描写がありますのでご注意願います。
俺の名前はクァ。
この世界の言語で「何も無い」とか「空っぽ」といった意味の名前だ。
この世界の、なんて言うと気取ったヤツだと思われるかもしれないが、別に格好つけてそんなことを言っているわけじゃない。
「あーあ、腹いっぱい飯を食いてえなぁ…。」
俺は日本語でそう呟いた。
周りには俺と同じくらいの年のガキどもがいるのだが、そいつらは呟いた俺をちらりと見て、すぐに視線をそらす。
誰かが日本語ではない言葉で「クソ」と吐き捨てた。
ここは日本ではない。
そして、おそらくは地球でさえないところだ。
おそらく…いや、きっと、そうなのだ。
そうでなければ、俺の気が狂ってしまったんだろう。
どちらでも構わないし、どちらでも大した違いはない。
どうせ俺の命など、それほど長くはないのだから。
さて、ここは知らない国の、知らない地域の、大きな倉庫のような場所だ。
日本語でも、英語でもない、不思議な言葉を話す人間たちと、見たこともない建造物と、ガキどもと、俺。
ここにあるのはそれだけで、俺が知っているのもそれだけだ。
視界には灰色と黒しか映らない。
壁も天井もそれ以外も、影になった部分以外は全て灰色に見える。
ガキどもの肌の色だって、少し灰色っぽいのだ。
そこはかとなく灰色がかった肌をしたガキどもは不気味だが、俺自身も肌は灰色っぽいので人のことは言えない。
太陽の光を浴びないからだろうか。
それだけで、肌の色は灰色になるものなのだろうか。
分からないことだらけだ。
ほんのりと明かりの灯る天井の下、灰色のガキどもを眺める。
今よりもっと幼いころから、俺は、俺たちは、ずっとここで飼われている。
「飯の時間だ。」
ガラガラとドアが回る音が聞こえ、ガキどもが一斉にそちらを見た。
この建物のドアは円形で、取っ手を掴んで福引きのようにぐるぐると回すと、玉が出ない代わりに入り口ができる。
ドアと俺がいるところを隔てる鉄格子さえなければ、俺はきっと年相応にはしゃいでドアを回し、外の世界へ飛び出していたことだろう。
部屋の中に入ってきたのは、でかい男が二人。
一人は肩幅がでかくて少し太り気味のハゲ。
もう一人は頭でっかちのマッチ棒のようなひょろ長。
名前は知らない。
興味もない。
男らは手に持った質の悪い布袋を逆さにすると、中身を鉄格子の中へと振り落とした。
どちゃべちゃぴちゃと嫌な音がする。
床に小盛りになった生肉を見て、ガキどもはそわそわと姿勢を正した。
「今日もかわいいなあお前たちは。たんと食べろ。」
「ランムサカの、肉だ。ご馳走、だぞ。」
猫なで声でハゲが言い、几帳面に言葉を区切りながらひょろ長が続ける。
その目は人間を見る目ではなく、しかし動物園の動物を見る飼育員のように愛情がこもっていた。
優しい目をして、男らは言う。
この生肉はお前たちの食事なのだ、と。
鉄格子スレスレまで近寄ったガキどもが、次々に手を伸ばして生肉を鷲掴む。
俺もそこに混じって生肉を取るふりをして、男らから見えない角度でむさぼり食うような動作をした。
たまたま隣にいたガキにひょろ長の肌色の手が伸びて、額から頭頂部までを繰り返し撫でる。
俺は横目でそれを見ながら、唾液まみれになった手をむき出しの太ももに擦り付けた。
「いい食いっぷりだ」とハゲがにこやかに言う。
「では、また、来る、からな。」
「おとなしくしているんだぞ。ははは。」
ガラガラと音を立てて、ドアの入り口が月が欠けるように閉じていく。
満月から三日月になり、そして三日月が爪のように細くなって、ついには新月になってしまった。
鉄格子のせいでドアに近づくこともできないのに、ああ、と名残惜しい声が出る。
「クソ」
忌々しげに吐き捨てたのは、ラァフマという女のガキだった。
名前の意味は「声」や「喉」で、歌が上手くなるようにと付けられる名前のはずだ。
こいつの親も、まさか娘が鉄格子のある部屋で飼われることになろうとは思ってもいなかっただろう。
願いを込めて付けた名に逆らうように、スラングばかりを吐くことになる、とも。
「何を怒っているの?」
そう聞いたのは、「泉」という意味の名を持つサザマラ。
こいつは小さいが男のガキだ。
ここに連れて来られたのはかなり幼いころで、今の状況をおかしいとも思っていない。
「お前に言っても分かんねえだろ、白チビ! あたしはここが気に入らねえのさ。」
サザマラは髪が白いのでそう呼ばれる。
「なにが気に入らないの?」
「何もかもだ。」
「一番気に入らないのはなに?」
「お前のうるせぇ減らず口!」
サザマラはしおらしく口を閉じた。
何となしに見ていると、今度はこちらに火の粉が飛ぶ。
「おいクァ。何か文句あんのか?」
「無い。」
「ケッ、どうせお前もあたしをバカにしてんだろ!」
「微塵も。」
「ハァ、虚無野郎が。」
ニークァとは、俺のあだ名のようなもの。
この世界では人の名前に何かしら意味のある単語を使うので、名前の頭に野郎やクソを付けるだけでお手軽な侮辱になるのだ。
イライラと赤茶けた頭を掻き毟るラァフマから目を外し、俺はやれやれと蹲った。
俺がこんなところへ連れて来られたのは、たしか四歳くらいの時だ。
「クァ。ごめんね。」
「お前を満足に育てられない俺たちを許してくれ…。」
記憶にあるこの世界の両親は、俺に繰り返しそんなことを言う。
口減らしの意味も込めて、俺を出稼ぎに出すことにしたからだ。
「ごめんね。」
「ごめんな。」
それでも俺の両親は、きっと良心的なほうなのだろう。
労働奴隷や性奴隷にするほうが何倍も金になっただろうに、最低限命と食事は保証されている「実験協力体」として研究機関へ売ったのだから。
まあ、奴隷として売れば金が入るのは一度だけだが、実験協力体であれば一年ごとに少しの金が届けられる。
両親が話し合うのをこっそり聞いたところ、その研究機関では「生活環境と食生活の違いによる寿命の差」を観察するらしい。
つまりは用意された家で用意された飯を食い、寿命が尽きるまでを見られるわけだ。
率直に嫌だ。
せめて人間たちによる研究機関でさえなければ、もっとずっとマシだったのだが。
今更だが、俺は人間ではない。
ここにいるガキどもも同じくだ。
俺たちのような「特別な配色の人間に近い何か」を、人間どもは【変色亜人種】と呼ぶ。
地球ではありえなくもない、白髪や赤毛、栗毛なんかは、こちらでは人間として見られない。
また、地球では染めない限りは出てこない紫や黄色、緑っぽい髪色も存在する。
現にこの部屋にもいる。
瞳の色だって例外ではない。
こちらは青と緑と黒以外は全て【変色亜人種】となるらしい。
俺の髪色はやや透き通った薄緑で、目は黄色だ。
わずかに黄味がかった白目に同化しそうな、こちらもやや透き通った黄色である。
記憶の中や、床にこぼれた水の反射などで見たので、もしかしたら違う色かもしれないが。
四歳から鉄格子の中で飼われているのに、なぜこんな知識があるのかと問われれば、俺は「前世の記憶があるから」だと答えよう。
気が狂っていないのであればの話だが、俺は以前は人間で、地球という惑星の日本という国で生活していた。
「西村純平」という名の、しがないFラン大学生である。
20歳の誕生日にどういうわけかこの世界に転生してしまった、とてもとても哀れな男だ。