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9 最後の魔法

 とうとうアリーは数時間ぶりに、このクロック王国に帰ってきました。

 この美しく不気味な場所の景色は、面白いほどにまったく変わっていませんでした。相変わらずいいお天気で空は青く、地面にはどこまでも芝生の絨毯が敷きつめられていました。そして、アリーたちのいる壊れた小屋のすぐ側にはたくさんの木が生えていました。

「ここにも森があったのね」

「この国は、周囲を森で囲まれているんだよ。知らなかったのか?」

 そう言われてはじめて、アリーはこの小屋が国のはずれにあることに気がつきました。そう、この国はアリーたちがやってきた入り口部分から、この小屋までしか続いていなかったのです。残りは全て森でした。国というには少し小さすぎるこの芝生の土地を、ドーナツ状の森がぐるりと囲んでいるのです。どうりで、どっちを向いてもうっすらと木の塊が見えるわけです。

 アリーはあんぐりと口を開けて、このやたらと見通しのよい土地のいびつな造りを観察していました。その間、ノアは難しい顔をして、じっと壊れた小屋の壁を凝視していました。

「どうかしたの?」

 アリーが問いかけると、ノアは顔をしかめたまま、こう尋ねました。

「少し気になることがあってな。この小屋、いつ壊れた?」

 そう言われてアリーは戸惑いました。自分にもわからないからです。

「さあ……私が最後に見たときは、まだ壊れていなかったわ」

 しかし、アリーには心あたりがありました。アリーが小屋で奥の扉を開けようとしたとき、外にはレイにそっくりな子供がいて、玄関の扉を破ろうとしていました。そして、確かにあのとき、小屋は大きな音をたてて揺れ、日常ではまず聞かないような轟音が室内に響いていました。

 冷静に考えれば、あんな小さな子に小屋を壊せるはずはありません。でもアリーは、あのときの音と凄まじい恐怖をしっかりと覚えていました。あのとき、間違いなく何か見えない不思議な力で、この小屋は壊されようとしていたのです。

 アリーがそのことを話すと、ノアは「そうか」とだけ言って、アリーの手から目覚まし時計をとりあげました。

「これではっきりしたな。この場所の時間は巻き戻っていない」

「えっ?」

「今は5時50分だ。アリーがうちへ来た時刻は正確にはわからないが、少なくとも6時半は過ぎていたはずだ」

「あ……」

 アリーははっとしました。そう、時間が巻き戻っていれば、まだこの小屋は壊れていないはずです。ノアはため息をつきました。

「まあ、ここの時間はもともと止まっているからな。巻き戻りようがないのかもしれない」

「じゃあ、外は?」

「さあな。行ってみないことにはわからない。こっちの日没は何時頃だろう」

「最近は日が長くなってきたから、まだ大丈夫かも。でも、6時を過ぎたら夕日が沈んでしまうと思うわ」

 すると、ノアはぎょっとしました。

「そんなに早いのか!? うちの国とたいして変わらないじゃないか!」

 アリーはびっくりしました。一体そのことに、何の問題があるというのでしょう。

「セミラ国は日の出も日の入りもうちの国より遅いはずだろ?」

「知らないわよ、そんなの。私、嘘はついていないわ」

「でも、俺はそう習ったんだよ。セミラとデルンガンの日没は1、2時間ずれているものだって!」

 ノアとアリーはしばらく押し問答を繰り返し、そしてようやく、ノアが言っているのは標高の高いセミラ大陸南西部の話であり、東部に位置するアリーの町の日没時刻はノアの国とほとんど変わらないのだという結論に辿り着きました。

 ノアは、少年のように頭を掻きむしって叫びました。

「あああ、最悪だ! それじゃ、どのみち日没にはまず間にあわない。一旦帰るぞ」

 アリーはがっかりしました。せっかく、希望が見えたのに。でも、ノアがそう言うのなら仕方がありません。

「わかったわ。ノア、ここまでありがとう。じゃあ私、ひとりで行くわ」

 それだけ言うと、アリーはノアに背を向けました。するとノアは、驚いた様子でアリーの腕を掴みました。

「おい、何言ってるんだ。お前も帰るんだよ」

「私は帰らないわ。レイを探さなきゃ」

「ここは危険だ。お前が一番知っているだろう?」

「でも、私の家や家族がめちゃくちゃになっているのを放っておけないわよ。レイだって、苦しい思いをしているはずだわ。早くなんとかしなきゃ」

 ノアはなんとかしてアリーを説得しようとしましたが、アリーは頑として引きませんでした。とうとうノアは呆れた様子で両手をあげました。

「もういい、わかった。森の外へ行こう」

「無理しないでよ。私、ひとりで大丈夫よ」

 するとノアはむっとして腕を組みました。

「馬鹿にするな。俺が帰ろうと言ったのは、怖いんじゃなくてお前が心配だからだ。アリーさえ構わないのなら、俺はどこへだって行くさ」

 アリーには、ノアの言葉の意味が今ひとつわかりませんでした。ですが、ひとりで町へ向かうのには勇気がいりましたし、ノアが来てくれるのはありがたいことでした。今にも走りだそうとするアリーに、ノアはこう言いました。

「どうせ間にあわないのなら、無駄に体力を使わない方がいい。肝心なときに疲れて歩けなくなったら、話にならないからな」

 そこてふたりは、早足で遠く見える時計塔の方角へと歩きはじめました。

 いくつか丘を越え、森とは違いまばらに生えているだけのヒッコリーの木の下をくぐって歩いていくと、やがて何か布きれのようなものが遠くに見えました。

 それを見て、アリーはひっと息を呑み、足を止めました。いえ、正確には止まってしまいました。足が鉛のように重くなって動かないのです。恐怖で動けないというのもありましたが、それとは別に、かつてのあの足の痛みが復活しかけている感覚がありました。そう、ちょうどここでレイにあったときに感じた、あの痛みと重みです。幸い、痛みはあのときほどではありませんでしたが、アリーはその場から動けなくなってしまいました。

「どうした?」

 アリーはとっさに言葉が出てこず、黙って前方を指さしました。

 ノアはその方角を見ましたが、そこにあるのが何なのか理解できていないようで、しばらく目を細め、それからようやく言いました。

「何か落ちてるな」

「バートが……バートが……」

 アリーはどうしても、その先を言うことができませんでした。というより、どう表現すればいいのかがわかりませんでした。しかしノアは、アリーが言わんとすることを察したようでした。

「まさか、あれがそうなのか? 待ってろ」

 アリーは近くにあった木の幹に背中を預け、ノアの行った方角を見ないようにしました。走っているわけでもないのに、心臓が早鐘を打っているのがわかりました。目を閉じると、バートが最後に見せた表情や言葉が次々に蘇ってきたので、アリーは思いきり首を振ってそれらを飛ばしました。

 ノアはしばらくすると、大きな麻袋を片手に帰ってきました。それはまさしく、バートが持っていたあの袋でした。ノアはそれを広げ、中を覗きこみながら不思議そうに言いました。

「軽いな。これだけの時計が入っているのに、片手で持てる」

 そして、時計をひとつひとつ取りだして観察しながら、話を続けました。

「この時計はなんなんだろうな。アルバートの持ち物なら、多分特別な意味があるんだろうが、俺にはさっぱりだ。あとは、日記帳らしきものもある。それと、懐中時計もあったぞ。なんだか、焦げたみたいになっているな。なんの金属だ?」

 そう言って彼が見せたのは、あのほとんど黒こげになった、銀の懐中時計でした。

「それは……」

 アリーはその時計がハルのものであることと、ハルが今どうなっているのかをあらためて説明しました。それを聞いたノアはひどく気の毒そうな顔をしました。

「だったら、これはお前が持っておいたほうがいい。俺はその人を知らないからな」



「時の掟は三度破られた。後継者は潰えた。時の魔法は消滅する」



 突然、背後から聞きなれないしわがれた声がしました。

「だ、誰?」

 アリーたちは振り返り、そして、困惑しました。

 そこにいたのは、全身が緑色の光に包まれた、小さな少女でした。少女は宙に浮いていて、アリーたちのいる場所とは全く違う、どこか虚空をぼんやりと見つめていました。

「あの、あなたは?」

 アリーは努めて冷静に話しかけましたが、少女はまるでこちらに気がついていない様子でこう続けました。彼女の声は、その見た目とは裏腹に、年老いた男性のような、低い声でした。

「私はクロック王国の時を司る精霊。これよりお前に審判を下す」

 そして、そのまま黙ってしまいました。アリーは困ってノアの方に視線を送りました。ノアは真剣な目で、しばらく少女を凝視していましたが、やがてぽつりと言いました。

「目線が合わない。この子供は俺たちの方を見ていないな」

 すると突然、また少女が口を開きました。

「あれは長い時を生きる中で自然発生した、無駄な人格だ。裁きの時には必要ない。よって、お前が禁忌の術を使うと同時に消滅した」

「『あれ』?」

 何の話をしているのでしょう。アリーもノアも、黙って彼女を観察しました。すると少女はしばらく間をおいて、こう言いました。

「覚えがないのか。お前はこの土地の時を、強制的に約200年進めたんだ」

「なんだかおかしいわ。誰かと話をしているみたい」

「そうだな。俺たちには見えない誰かと会話しているようだ」

 アリーは後ろを振り返りましたが、誰もいません。

「見えない誰かって?」

「さあ」

 ふたりが首を捻っていると、少女はこんなことを言いました。

「王族の魔力のことも知らんのか。レイチェル王女は自分の力を制御できなくなり、その結果、巨大なエネルギーが暴発した。その影響で、周囲の時間が強制的に進んだのだ」

「えっ?」

「レイチェルだって!?」

 ふたりは凍りつきました。今、彼女の口から、とんでもない言葉が飛びだしたような気がします。アリーとノアはお互いを見つめ、そして息を殺して少女の次の言葉を待ちました。

「人間の寿命くらいは知っているだろう。生きている人間の時間を200年進めたらどうなるか、わからないかね?」

「まさか……」

 アリーの脳裏に、思い出したくもないハルの姿が蘇りました。レイと対峙した瞬間、突然変色して、およそ人間とはいえない見た目になったハル。アリーには何が起こったのかわかりませんでした。でも、もし、この少女の言葉が本当なら。

「これは『分裂現象』と呼ばれるものだ。本人の意思とは無関係に起こりうる。だが、禁忌であることに変わりはない」

「分裂……? 禁忌……?」

「ああノア、どうしよう。レイは時間を200年も進めてしまったんだわ!」

 アリーは金切り声をあげました。ノアはただ、目を見開いて少女の顔を見つめていました。

「そんな時間はない。日没と同時に、すべてが決行される。逃れることはできない」

「『日没』……」

 ノアは軽く頭を上げて空を仰ぎました。しかし、頭上に広がっているのは、青い昼の空でした。

「ならば、好きにするがいい。何をしようと、あと数分程度で終わる」

 そう言い残すと、少女はすうっと消えてしまいました。

「あの子、誰と話していたのかしら」

「さあな。それよりも引っかかるのは、日没と同時に何かが起こるという部分だ。この場所はずっと昼だから、いつ日が落ちるのか、正確にわからない」

「ここの太陽は、いつも真上にあるわね」

「時が止まっているからな。その証拠に、空には雲がないし、雨も降らない。風も吹いていないだろう?」

「時計の針はいつだって12時だわ」

「そう。ここはそういう場所だ。だけど、アリーの話を聞く限り、この国を囲う森の外では、普通に時間が流れているらしいな」

「その通りよ。今は……森の外もおかしくなっているけど……」

 アリーは消え入りそうな声で言葉を切りました。これ以上、森の外の話はできませんでした。

 ノアはそんなアリーを見て、大げさに息を吐くと、ぽんとアリーの肩を叩きました。

「まあ、ここにいても仕方がない。ひとまず森の外へ行ってみようじゃないか」



 その時でした。



「うわっ!?」

 突然、突風がふたりを襲いました。アリーは目を開けていられず、目をつぶり、帽子を抑えて地面に蹲りました。

「なんだ、この風……!」

 吹きすさぶ風の中、困惑した様子のノアの声だけが、隣から聞こえました。



 次に目を開けたとき、目の前の景色は、灰色に染まっていました。

 空は夕日の赤と夕闇の紺が入り交じり、ちょうど赤色の部分が消えうせようとしているところでした。

「空が、暗くなってる……?」

 隣では、ノアが呆然と立ち尽くしていました。彼も、アリーと同じく現状が理解できていない様子でした。

 アリーは立ちあがり、何気なく前方の景色を見て、あっと声をあげました。

「見て、ノア。森が、ないわ……!」

 あのクロックを囲っていた黒い森が、延々と地平線の向こうへと伸びていた森が、この場所の風景に当たり前のように溶けこんでいた森が、見事に消え去っていたのです。代わりにあるのは、あのだだっ広い草原だけでした。しかし、そこに生えている草は、以前のような青い芝生ではなく、枯れてボロボロになった、まばらな雑草でした。

 その間にも、空はどんどん黒く染まっていきました。しかし、おかしいのです。これはアリーが知っている夕方の空ではありません。消えゆく夕日を追いかけるように黒い雲が現れ、あっという間に空を飲みこんでしまったのです。 その黒さは普段見かける雨雲とは比べものにならないほど恐ろしい闇色をしていました。そして、雲が空を覆いつくすと同時に空からの明かりは消滅し、あたりは真っ暗になってしまいました。ノアの姿が見えなくなったので、アリーは慌てて辺りを手で探ってみましたが、何もありません。

「ノア、いる?」

「ああ、声のおかげで方向がわかった。今そっちに行く」

 ノアがやってきて、手探りでアリーの腕を掴みました。

「手を離すなよ」

「ええ」

 やがて、トトトト、と軽く何かを打ちつけるような音が地面から聞こえてきました。それが地面に落ちる雨粒の音だと気づいたとき、既にアリーの服はずぶ濡れになっていました。雨は一気に強まり、同時に発生した暴風と絡まって、物凄い勢いでアリーたちを襲います。

 アリーは咄嗟に帽子を押さえました。風で帽子が飛んでいってしまうかもしれないからです。

 そのときでした。

 ぼうっと帽子がランプのように発光すると、ふわりと持ち上がり、器用にアリーの手をすり抜けて浮かびあがりました。

「ついてきて。案内するわ」

 帽子から声がしました。さっきの少女が発していた声ではありません。か細い、透きとおった声でした。

「誰?」

「答えている暇はないの。これは最後の手段、長くはもたないわ。さあ、早く!」

 そう言うと、帽子はふわふわと光りながら裏返り、小さな時計になりました。正確には時計ではなく、針のないただの文字盤が、ぼうっと光りながら浮かんでいました。そしてその文字盤はそのまま、どこかへと向かって飛びはじめました。アリーは急いで文字盤を追いかけました。後ろからノアが来て言いました。

「おい、あの帽子はなんなんだ?」

「わからないわ……この帽子と会ってから、不思議なことばかり」

 雨のせいで地面がぬかるんでいるのか、靴に泥のようなものがまとわりついてきます。文字盤の速度は早く、アリーが全速力で走ってなんとかついていけるくらいでした。アリーは目の前の灯を見失わないように気をつけながら、必死に後を追いました。

 やがて文字盤は、ある大きな建物の前にやってきました。弱々しい文字盤の灯では、その建物がなんなのかはよくわかりません。

「あっ」

 建物の前には、誰か人が立っていました。相手の顔はよく見えません。アリーは息を切らせながら、文字盤を追ってその人物に近づいていきました。

 文字盤はその人物のすぐ手前までやってくると元の帽子に戻り、光の粒を撒き散らしながら力尽きたように、ぽとりと地面に落ちました。アリーは帽子を拾おうとして立ちどまり、相手の顔を見て仰天しました。

「ギル!?」

「アリー!?」

 そこにいたのは、つい昨日会ったばかりのギルだったのです。

 そして、次の瞬間、バン!という音がして、ギルの背後から強い光が漏れだしました。それは建物の扉の音だったようで、建物の中は昼間のように明るくなっていました。そして、アリーはこの扉の向こうの光景に見覚えがありました。

「ここは……時計塔?」

 そう、この建物はつい数時間前に来ていた、あの時計塔だったのです。あの綺麗に並べられていた兵士たちはおらず、代わりにたくさんの軍服と、バラバラになった白い何かが散乱していました。アリーはその白い固形物の形を見てそれが何なのかを察し、ひっと息を呑みました。

「誰だ、こんなときに鬱陶しい」

 散らばった兵士たちの向こうで、誰かが腕を組んでいました。それは、ついさっきアリーたちの前に現れた、あの汚い声の少女でした。

「あなたは、さっきの!」

「フローもどき!」

 アリーとギルは同時に叫び、同時にお互いの顔を見ました。

「あの子を知っているの?」

「『さっきの』って、どういう意味だよ?」

「ところであなた、どうしてここにいるの?」

「お前の後ろにいる人、誰だよ?」

 アリーはギルに聞きたいことがたくさんありました。それはギルも同じだったようで、ふたりともだんだん、自分が何を言っていて相手が何を言っているのかわからなくなりました。

「おい、少し落ち着け」

 見かねたノアがやってきて、びしょぬれのふたりの肩を掴んで強制的に引き離しました。

「アリー、まずは状況を整理しよう。それから」

 ノアはギルを見て、しばらく黙りました。困惑しているというよりは、どう言葉を紡げばよいか考えているようでした。

「そういえば、見たことのない顔だな。名前を聞いてもいいか?」

「は、はい」

 ギルは、いつになく緊張した様子で自己紹介をしました。やたらと言葉もつっかえているし、声もいつもより少し小さいような気がします。どうしたというのでしょう。

「アリーの友達か、よろしく。俺は……」

 ノアが自分の話をしている間も、ギルは得体の知れない物体を見るかのように、ノアのことを見つめていました。その様子があまりにも不自然だったので、アリーはそっとギルに耳打ちしました。

「急にどうしたの? あなたらしくないわ」

「だってこの人、なんだかバートに似ていないか? 一瞬、バートが別人に化けたのかと思ったよ」

 そう言われたので、アリーはあらためてノアの顔を観察しました。そういえば、どことなくバートの面影があるような気もします。ですが、バートはバートだし、ノアはノアです。

「ふたりは別人よ。全く無関係というわけではないけれど。何も驚くことはないわ。それよりも私、あなたに聞きたいことが山ほどあるの」

 ようやく落ち着いたアリーは、ギルにこれまでに起こったできごとを簡潔に話し、ひとつずつ、ギルに質問をしていきました。



「じゃあ、レイは今、塔の中にいるの?」

 話を聞くと、ギルはつい数分前までレイと一緒にいたのだと言います。そして今、レイは今この塔の内部にいるようなのですが、塔の中に、彼女がいる気配はありません。アリーにはギルの話がよくわかりませんでした。

「そうだけど、ここじゃない。塔に飲みこまれてしまったんだ。塔がふたつに割れて、レイチェルさんを吸いこんだんだよ」

 ギルが必死に説明をしてくれますが、余計にわからなくなるばかりでした。しばらくしてギルは諦めたのか、ため息をつき、そして思いだしたように尋ねました。

「そうだ、バートと兄さんは今どこにいるんだよ? 俺、ふたりのことを探しに来たんだ」

「それは……」

 アリーは思わず、ギルから目をそらしました。

 しばらく、沈黙が流れました。はじめ、ギルは不思議そうにアリーの様子を伺っていましたが、何も言わずに両手を握りしめているだけのアリーの姿を見て、だんだんと表情がこわばってきました。

「フローが……あの変な精霊が俺に言ったんだ。アリーの町の人たちは、みんな時間が200年進んでしまったんだって。この国に来たのなら、無事だと思ったんだけど……」

 アリーは小さく首を振りました。言葉で伝えることはできませんでした。

「やっぱり、そうなのか」

「あなたが、予想している通りだと思うわ」

「そっか」

 ギルはそれだけ言って、黙りました。あまり落ちこんでいる風には見えません。ただただ、諦めたような表情をしていました。アリーは気まずくなり、なんとなく手をスカートのポケットに入れ、そこに何かが入っていることに気がつきました。それは数分前、ノアから受けとったものでした。

「ギル、これ」

 アリーはポケットの中身をギルに向かって差しだしました。それは、黒く焦げついた、あの懐中時計でした。

「あなたに返すわ……ごめんなさい。謝ってもどうしようもないけれど」

 ギルは無表情で時計を受けとりました。アリーは少し考えて、こう尋ねました。

「私のパパとママには会った?」

 するとギルは、ひどく困ったような顔をしました。

「俺は会っていない。けど、レイチェルさんが言ってたよ。服しか残っていなかったって。同じだと思う」

「そう」

 アリーは、できるだけ声に感情を込めないようにして答えました。とてもショックな事実を突きつけられたはずなのに、不思議と、悲しいという気持ちにはなりませんでした。少なくとも今は、悲しむべき時ではないように思われました。

 それきり、誰も何も言いませんでした。ただ、時計塔の壁越しに、嵐の轟音だけが鳴り響いていました。



「用は済んだかね」

 ハッとふたりが振り返ると、あの不気味な少女が呆れたように腕組みをして、こちらを睨んでいました。

 そうです。事件はまだ終わっていないのです。アリーは歯を食いしばって感情を切り替え、努めて冷静に尋ねました。

「あなたは誰なの?」

「時の精霊だ」

「時の……?」

「簡単に言うと、この国の歪んだ時間そのものだ。だが、私の生もじきに終わる。この国は滅びるのだからな」

 アリーはギルに目配せしました。ギルが何か知っていれば、説明してもらおうと思ったのです。しかし、ギルは黙って首を振りました。少女が言いました。

「この国と王族は、あまりにも無理をしすぎた。時を止め、結界を築き、わずかに残ったこの小さな領土だけを頼って、国の形を保っていた。だが、そんな無茶はいつまでも通用しない。いつかは終わりが来る」

「お前の言っていることは意味不明だ」

 口火を切ったのはノアでした。その表情には、怒りが[#ruby=滲_にじ#]んでいました。

「終わってどうなる。レイはどうなるんだ? この塔にはレイの父親もいる。彼らはどうするんだ」

 すると少女──時の精霊は、吹き抜けの天井を見上げて、小さく笑いました。

「王族も同じだよ、全てが終わるのさ。私もいずれ消えゆく身だ、知りたければ話してやろう」



 はるか数千年前の昔から、この土地には「時間」という概念を持ち、時間の流れを変える特殊な力を持った人々が住んでいました。しかし、長い[#ruby=時間_とき#]を経て周辺地域の民族との交配が進み、その力は徐々に廃れてゆきました。

「しかし、何世代にも渡って、強い魔力を受け継ぐ一族もいた。やがて人々は彼らを崇め、彼らを[#ruby=長_おさ#]とするようになった。時代が進み、長は国王となり、王国を設立した。それがクロック王国だ。王国の誕生とともに、『私』も誕生した。そして、この時計塔が建てられた」

 あまりにも壮大な話に、アリーは頭がついていきませんでした。アリーのすぐ隣では、ギルが呆然とした表情で突っ立っていました。どうやらギルも、精霊の話が飲みこみきれていないようです。

「お前は結局、何者なんだ?」

 ノアが訝しげに尋ねると、精霊は相変わらず冷静な様子で答えました。

「この国の『時間』だ。だが、かつては姿などなかった。この国が平和だった頃、私には自我も人格も、このような人間の姿も持っていなかった」

 そして、どこか遠くを見るような目をして、懐かしそうに語りました。

「この国は、かつては栄えていた。広大な国土と高い技術力、そして王族の持つ時を操る力は、周辺国に長年恐れられていた。国民は時を操る魔法の力を持つ王族を崇め、王族はこの国の『時』を崇拝していた。いい時代だったよ。だが、平穏というのは長くは続かないものだ。シーザー7世が王位についた頃から、この国を取り巻く環境は変わりはじめていた」

「シーザーって、どっかで聞いたな……」

 ギルが首を捻りながら悔しそうにつぶやきました。アリーもその名前には覚えがありました。そして、アリーはすぐにその人物の正体にいきあたりました。

「7世ってことは、バートのパパね!?」

「さよう。あんたは物覚えがいいな、アリー」

 アリーは仰天しました。まさか精霊に名を呼ばれるとは思ってもいなかったからです。

「どうして私の名前を?」

「言っただろう、私はこの国の時間そのものだ。この国のことならば全て把握している」

「それって、俺らのことを見てたってことか?」

 ギルがギョッとして後ずさりました。精霊が鼻で笑いました。

「お前が私を懐中時計から解放してくれたときからな。感謝しているぞ」

「なんだよ、お前やっぱりフローだったのかよ!」

「どちらとも言えんな。あれは別人格であって私ではない。だが、フローが見聞きした内容は私も共有している」

「意味わかんねえよ……」

 ギルがげっそりとした顔で肩を落としました。アリーは小声で尋ねました。

「ハルが言ってたフローっていう幽霊みたいな子って、あの子だったの?」

「あんなんじゃねえよ。生意気なのは変わらないけど、もう少し話しやすいやつだった」

 そんなふたりのやりとりを無視して、精霊は話を再開しました。

「シーザー7世は優秀な国王だった。だが臆病な性格で、新しいものをとにかく嫌悪した。そして、それこそがこの国に災いを呼ぶ原因となった。あのときの王が別の者であれば、この国の運命は変わっていたのかもしれん」



 バートの父親、シーザー7世が国王だった頃から、クロックの周辺国の技術が少しずつ発展しはじめたのです。それにより、圧倒的強さを誇っていたクロックの軍事力は、少しずつ追いつかれはじめたのです。

「お前たちがバートと呼んでいたあの人物……シーザー8世は、国のあり方を見直すべきだと主張していた。時代は変わりはじめている、周辺国の新しい技術や文化を取り入れるべきだと。そして、政治のあり方を見直し、王族の魔力のことも秘匿すべきだと。しかし、父王は頑としてそれを聞き入れなかった。国王である自分に逆らわず、古いやり方で王位を告げと命じ、王太子である彼の自由を奪い続けた。そして、国と自身の将来を悲観したシーザー王太子は国を出た」

 そして、ちらりとノアを一瞥しました。

「あとのことは知っているだろう?」

「ああ……」

 アリーとギルはノアを見上げました。

「どういうこと?」

「シーザー8世は国を出た。そのあと、彼の弟が国を継いだんだ。だけどその頃、すでに世界は荒れていた。歴史の授業で習わなかったか? 様々な分野で革命が起きたんだよ」

「革命……そっか!」

 アリーはぽんと手を打ちました。教科書の内容と、ノアの家で読んだ伝記の情報を合わせれば納得がいきます。

「シーザーが国を出たのはだいたい200年前くらいだったものね」

「そういうことさ。革命が起きて、政治も技術も経済も、何もかもが変わった」

「うっ。俺そういうの苦手……」

 ギルは苦い顔をしていました。ノアが小さく笑いました。

「大丈夫だ。俺も昔は苦手だったよ」



 革命により、人々は今まで以上に豊かになり、多くの情報を得られるようになりました。その一方で、時間を止めたり操ったりするクロックの王族は、周辺国から奇異の目で見られるようになりました。

「王族の力を調べようとした科学者もいたらしいが、王族は徹底的にそれらをはねつけ、従来通りに政治を行おうとした。近隣に共和国が誕生しているような時代にだ。そうした態度は、周辺国はもちろん、国民からも反感を買った」

 やがて人々は、クロックの王族は手品で国民を騙す詐欺師だと思いはじめるようになりました。「時」を信仰する態度も怪しいと責められました。そこに周辺国がつけこみ、とうとう人々は武器を手にとって、王族を抹殺しようと立ち上がりました。

「当時の国王は、どうしたと思う?」

 アリーとギルは顔を見合わせました。

「逃げたの?」

「戦ったんじゃないか?」

「どちらも違う。レイの父親と同じ手を使った。時を止めたんだよ」



 時を止めたことで、城が襲われることは永久になくなりました。王族を殺そうとする人々は皆、動いていたときと変わらぬ姿を保ちながら、石のように固まってしまったのです。

 しかし、この生きている「人間の時間を止める」というのは、王族の魔法の中で、最もやってはいけないこと、つまり禁忌の術でした。時を止めた国王は、自身の時も止まってしまい、目覚めることのない眠りについてしまいました。

「ただ、これは伝え聞いた話だから、この辺りは俺も詳しくない」

 ノアは精霊を睨みつけて言いました。

「どうせ、あんたの方がよく知っているんじゃないか?」

 すると精霊は、ニヤリと笑い、間髪入れずにこう続けました。

「彼の言うとおり、人間の時を止めてしまった者が目覚めることは、まずない。100年程度は身体の状態も保たれるだろうが、そのあとはいずれ朽ち果てて姿もなくなる。だが、そんな国王を不憫に思ったアールという臣下がいた。彼は城内の書物を読み漁り、ある裏技を使って国王の封印を解いた」

 彼は残っていた王族たちを集め、全員に「時を進める力」を発動させ、国王の時間を少しずつ動かそうとしました。それは、危険な賭けでした。失敗した場合、国王の身体は腐敗し、二度と元には戻らなくなるのです。

「簡単に言えば、ここにいた兵士どものようになるというわけだ。幸い、作戦は成功し、国王は眠りから覚めた」

「他の人たちはどうなったの?」

「目覚めた国王が術を解いて元に戻した。味方はそのまま迎え入れたし、敵は術を解く前に適切に処理した。それだけのことだ」

 しかし、このやり方はクロックのしきたりに逆らうものでした。そのため、代償としてアールの身体の時間は滞留し、不老不死となりました。そして、二度とこのような事件が起きないよう、クロックは最低限の国土を残し、周囲を森に似せた結界で囲んで、その存在を隠すことにしました。こうして、今の国の形ができたのです。王族や不老不死となったアールは、この隠された国でひっそりと暮らすようになりました。

「じゃあ、アールさんという人はまだ生きているの?」

 アリーが尋ねると、精霊は静かに首を振りました。

「あれは、もともと正しくない方法で行なった術だ。彼にかかった魔法もまた、穴だらけの不完全なものだった。やがて空いた穴から魔法は少しずつ解け、彼は数年前に無事死亡した」

「無事に死んだって、変な表現だな」

 ギルがぼそりとつぶやきました。ノアが苛立った様子で言いました。

「結局、レイはどうなるんだよ!」

「今言った通りだ、眠りにつくんだよ。人間の『生』の時間を奪う術が罪であり禁忌なら、人間の『生』の時間を終わらせる術もまた禁忌だ。レイチェル王女は国王と共に時計塔に封印された」

「なんだって?」

 ノアは時計塔の天井を見上げました。アリーもつられて首を上に向けました。が、吹き抜けの塔のどこにもレイは見当たりません。

「王女は、国王とは少し罰の受け方が異なる。永久に止まるのではなく、奪った時の分だけ眠りつづける。あと50年生きられたはずの人間の時間を奪ったら50年。ほかに、あと20年生きられたはずの人間がいれば、20年増えて70年。そうやって加算されていくわけだ。しかし、これだけの人々の時間を奪ってしまったのだ、永久に眠るのと対して変わらないだろうな」

「じゃあ、レイは眠っているの?」

「今はな。だが、もうじき王国と同時に消滅するだろうよ」

「消滅!?」

 3人は同時に叫びました。精霊は静かにこちらに歩いてくると、どこか遠くを見つめるようにして言いました。

「この国は長い間時間を止めすぎた。おかげで、封印がとけた瞬間に長年溜まっていた雨や風が一斉に解き放たれてしまった。当分はこうして嵐が吹き荒れるだろう。そして、嵐がおさまったそのとき、この国の魔法は完全に解ける」

「つまり?」

「この塔も、木も草も建物も、何もかもが滅びる。この場所はただの荒地になる。それだけだ。王女たちも塔とともに滅び、消えさるだろう」

「私たちにできることは?」

「このまま、この国の最期を見届けるくらいだろうな」

「そんな……」

 アリーはとっさに、握っていた帽子に目をやりました。帽子は何も言いません。

 いつの間にか、帽子あの美しい紅は抜け、どす黒い汚い色へと変色していました。まるで、あのときの輝きを最後に色素が抜けてしまったかのようでした。

 ──せめて、バートだけでもいてくれたら。

 バートなら、何かしらの解決方法を探してくれたかもしれません。しかし、もうバートはいません。レイもハルも、みんないなくなってしまいました。

 焦げついた懐中時計と、変色した帽子。それは、もはや頼れるものは何もないということの暗示のようでした。



『大丈夫だ。子供たちは終わらせない』



 突然、天井から声が降ってきました。アリーはバッと顔をあげました。しかし、上には誰もいません。

「今のは……?」

「うん?」

 精霊も、声の主が誰かはわかっていない様子で、顔をしかめていました。

 そのときでした。

「うわ!」

「地震か!?」

 急に大地が大きく揺れ、帽子と懐中時計が同時に強く輝きました。

 あまりの眩しさに、アリーは思わず帽子を手放して目を瞑りました。光が目に突き刺さり、黒かった視界は一瞬にして真っ赤になってしまいました。

 ──キリ、キリ、キリ。

 目を開けられないほどの光の中、どこからともなく、ゼンマイを巻くような鈍い音が聞こえていました。



 ようやくアリーが両目を開いたとき、嵐の音はなくなっていました。びしょ濡れだった髪も服も、驚くほど綺麗に乾いていました。

 ノアとギルは、さっきまでと同じ場所にいました。床に散らばっていた服や骨はきれいになくなっていました。

「こいつは驚いたな」

 精霊は呆れたように笑って天を仰ぎました。

「お前の仕業だな、ナサニエル」

「ちょっと、これってどういう……」

 アリーが全てを言い終える前に、ゆっくりと背後の扉が開きました。アリーは反射的に振り返り、言葉を失いました。

 そこにあったのは人工的な草原ではなく、美しい庭園でした。丁寧に手入れをされた花壇には色とりどりの花が咲き乱れ、そのすぐそばには小川がのんびりと流れていました。そして、その周囲には高い柵が張り巡らされ、門には古くさい鎧を着た兵士が直立していました。

 庭には幾人もの人々が行き来をしていましたが、そのうちの1人がこちらに気がついたのか、血相を変えて走りよってきました。

「誰ですか、あなたたちは。ここはクロックの国王がおわす城ですぞ!」

 その人は、執事らしき服装をした初老の男性でした。彼のあまりの剣幕に、アリーは何も答えられず、この人は誰なのだろう、いったいどこから来たのだろう、などと考えていました。

「問題ない、そこにいるのは俺の連れだ」

 ふと戸口の方を見ると、誰かが笑顔で立っていました。初老の男性もその声に反応して振り返り、意外そうな顔をしてそちらに向きなおりました。

「王子! 随分と探しましたよ。今までいったいどこに?」

 戸口に立っていたのは、立派な上着を着た青年でした。何が嬉しいのか、アリーの方をみては、やたらとニヤついています。アリーが気味悪く思っていると、青年はつかつかとアリーのそばまで歩みより、しゃがみこむと、物珍しそうにアリーの服を観察しました。

「やあ、アリー。いつの間にか服が変わっているな。どこで着替えたんだ?」

「だ、誰ですか?」

「悲しいことを言ってくれるなあ、アリー。もう俺のことがわからなくなっちまったのか?」

 青年はわざとらしく肩を落とし、悲しそうな表情をしてみせました。

「その喋り方……」

 アリーは青年の顔を、もう一度よく見てみました。ツヤツヤした髪に健康的な肌。アリーの知るあの人物とは似ても似つかない見た目でしたが、その声と喋り方、そして独特の表情には思いあたる節がありました。

「まさか、バートなの!?」

「ご名答。俺たちの絆は本物だったようだな」

 バートはそう言って、愉快そうに笑いました。この偉そうな笑い方も、少し耳障りな笑い声も、まさしくバートのそれでした。

「ティム、少し席を外してくれ。彼らに大事な話があるんだ」

 バートは先ほどの男性を外へ出すと、慣れた手つきで扉を閉めました。ギルがたまりかねたように叫びました。

「お前、バートなのかよ。前にあったときと別人じゃないか!」

「まあ、別人だな。ここにいるのはバートじゃない。バートになる前の俺なんだ。とにかく、ふたりとも元気そうでよかったよ」

 バートは笑いながらギルの髪を軽くかき乱すと、ノアの方を向きました。

「やあ、坊ちゃん。俺のことがわかるかい?」

 ノアは警戒しているようで、バートから少し距離をとって答えました。

「ああ。アリーから聞いてはいたが、こんな奴だとは知らなかった。本当に、あんたがあのアルバート・ペンバートンなのか?」

「その通りさ、ノア・ペンバートン。知らぬ間に随分大きくなったな」

 名前を呼ばれたことに驚いたのか、ノアはぎょっとして後ずさりました。

「どうして俺のことを?」

「家のニュースくらいはチェックしてるさ。時々、様子も見に行っていたしな。おまけに君はよく家を抜け出していただろう。何度か道端で町の子供と遊んでいるのを見かけたよ。どうやら、顔つきは幼い頃とそれほど変わっていないようだな」

「なんで知っているんだよ。気持ち悪い……」

 ノアは心底嫌そうな顔をしました。バートは焦った様子でアリーとギルに言いました。

「おい、あんな表情をされるとは思わなかったぞ。酷くないか?」

「いいえ。私もそれは気持ち悪いと思うわ」

「俺もそう思う」

「おいおい、嘘だろ!」

 ショックを受けて顔を歪ませるバートに、ふたりは思わずクスリと笑いました。

 笑うと、心の中が軽くなりました。ほんの少し前まで感じていたあの絶望感が、嘘のように消し飛んでいくのがわかりました。

「あなた、本当にバートなのね。でも、どうして?」

「ああ、俺もそれが知りたくてここへ来たんだ。目が覚めたら、昔の王国の光景が広がっていて、俺自身も昔の姿になっていた。アリーたちが何かしたんじゃないのか?」

「それは……」

 アリーは精霊のことを紹介しようとして、彼女がいないことに気がつきました。慌てて塔の中を見回すと、アリーの意図を汲んだのか、精霊はアリーの目の前にふっと現れました。

「私ではない。『彼』がやった。もう意識はないものと思っていたが、彼の意識はずっとこの時を待っていたらしい」

「彼って?」

「この塔で眠る国王だ。歪んだ形で継承された、『正しくない王』だよ」

 すると、バートがハッとした表情で吹き抜けの天井を仰ぎました。

「そうか。彼はまだ生きていたのか……」

「そういうことだな。彼のおかげで、また時間がめちゃくちゃになってしまった。歪みが元に戻るまで、私は失礼するよ」

 精霊はそう言い残すと、すうっと消えてしまいました。

「あっ。あいつ、逃げやがった!」

「いや、姿を保てなくなったのさ。あれは、この国の時間という概念が人間の形をしていただけだ。この国の時間の流れが変われば、いとも簡単に消え失せてしまう」

 バートはそれだけ言うと、時計塔のど真ん中に立ちました。

「昔は玉座や専用の道具なんかもあったんだが。まあ、仕方ないな」

 そして、アリーの方を振り返りました。

「赤い帽子は持っているか?」

「ええ。でも、なんだか色が暗くなってしまって……」

 アリーが帽子を差し出すと、バートはそれを二、三度ひっくり返して観察しました。

「随分とこの帽子を酷使したんだな。魔力が切れている。いったい誰が、何に使ったんだ? まあ、いいか」

「今から何をするんだ?」

 ノアが尋ねると、バートは上を指さしました。

「見ていればわかるさ」

 アリーがその指につられて上を見ると、塔の天井から何かが降ってくるのがわかりました。それがなんなのか理解した瞬間、アリーは反射的に叫んでいました。

「レイ! ハル!」

 ふたりは誰かに抱きかかえられているかのようにゆっくりと降りてくると、静かに床に倒れこみました。

「兄さん!?」

「レイ……!?」

 ギルとノアが駆け寄って声をかけましたが、ふたりは意識を失っているようでした。

「大丈夫。ふたりとも無事だ」

 バートがやってきて、ふたりの頭に手をかざしました。すると、はじめにハルの目が開きました。

「ギル……?」

「兄さん!」

「ハル!」

 アリーとギルは喜びいさんで、ハルを床から助け起こしました。ハルはぼんやりとギルの顔を見つめて、不思議そうに言いました。

「ギル、どうしてここに?」

「兄さんが心配だから来たんじゃないか!」

「心配? 僕のことが?」

 それから、アリーの方を見ました。

「アリー、さっきと服が違うね。いつの間に着替えたの?」

「『さっき』じゃないわ。あなたがいなくなってから、今まで大変だったのよ。でも、帰ってきてくれてよかった」

 すると、ギルが「あれ?」と大きな声をあげました。

「どうしたの?」

「ほら、この時計。黒いのが消えてる」

 見ると、あの黒く焦げついていた懐中時計が、元の綺麗な銀色に戻っていました。

「本当だわ。どうしてかしら」

 そのとき、弱々しいレイの声が聞こえました。

「……ここは……?」

「レイ、気がついたのか」

 急いでそちらへ向きなおると、ノアがレイを抱き起こしていました。

「レイ!」

 アリーが叫ぶと、レイは首をゆっくりと動かして、こちらを見ました。

「アリー……? 私は、いったい……」

 それから、ふとノアの存在に気づいて、言いました。

「あなたは?」

「俺だよ。ノア・ペンバートンだ。大丈夫か?」

「ノア……あなたが、あのノアなの? どうしてここに?」

「おいおい、なんだよそれ。こっちは必死に探していたんだぞ。まったく……」

 そう言いながらも、ノアの口元はほころんでいました。

「ようやく会えたよ、レイチェル王女」

 それまで黙っていたバートが、突然口を開きました。一同が驚いていると、バートはすっとレイの前にひざまづき、あの赤帽子をレイの前に差しだしました。

「今度こそ、王冠を受け取ってもらえるかい。俺と、この国の未来のために」

「え……」

 レイは言われていることを理解できていない様子でした。

「どういうことなの?」

 バートは帽子に目線を落としたまま、答えました。

「この国の山積みになった問題を片付けるには、国王が必要なんだ。俺の不死の呪いを解くためにも、この国を終わらせるためにも」

「本当に不老不死だったのね!?」

「いや、老いてはいるさ。他の人間よりもペースが遅かっただけの話だ。だが、死ぬことはできない。それは、俺がこの国で『本来の役目』を果たしていないからなんだ」

「本来の役目?」

 するとバートはアリーを見て、ふっと笑いました。

「俺は、この国の王になるべきだった。そして、時代遅れなこの国を変える必要があった。だが、俺はそれをせずに逃げだした。その結果、クロックという国は歴史から抹殺され、歪んだ形で残ってきた。だから俺は、この国の歪みを正すまで死ぬことを許されないんだよ」

 もともと、クロックの王位は長子が継ぐものと決まっていました。しかし、王太子であるシーザー8世が国外へ行ったことで、王位はシーザーの弟へと譲られました。しかし、それは本来の王国の姿ではありませんでした。その結果、クロックは多くの犠牲と不正確な術によって、現在の歪んだ姿へと変わり果ててしまいました。

「俺は自分にかかった呪いを解くために、世界中を当てもなく歩き、あらゆる手段でクロックに関する過去の文献を手に入れた。そして、この歪みを是正する方法を知った」

「方法って?」

「『本来の国王であるシーザー8世が次の王に位を譲る』、これだけだ。実を言うと、俺は勘当される前に、すでに戴冠式を受けていたんだ。だから今、この国には国王を名乗る者が複数いる状態になっている。俺が正式に王位を譲りさえすれば、この国も俺も歪みから解放されるというわけなんだ」

 そして、薄い古びた手帳を取り出しました。それは、アリーがあの地下室で見つけた日記帳のような本でした。

「俺はてっきり、ハロルドくんが国王なのだと思っていた。おそらく、この国に関わる者は、皆そう思っていただろう。これまで、この国には王子しかいたことがなかったのだから。王女を探したのは、戴冠式には王家の血を引く者全員が揃っている必要があったからだ。だけど、アリーが親父の手記を見つけてくれたおかげで、全てがひっくり返った。ハロルドくんに国王の証が継がれたのはあくまでも一時的な現象で、本当に国王となるべきなのは、レイチェル王女だったんだ」

「私……? でも、お父様の時計は、私には使えないわ。9年前に、お父様の時計からは力がなくなってしまったの。このメッセージを残して」

 レイはおもむろに袖をまくり、くすんだ緑色の時計を腕から外し、ひっくり返して見せました。そこには、「第十七代クロック国王第一子、第十八代クロック国王に、使用を許可する」と刻まれていました。

「それは先代の王のものだな。確かに、その時計は使えない。クロックの時の力は今、一時的にハロルドくんの時計に移っている。だが、第一子は君だろう。単に、今の君にはその時計を使えないというだけの話だ。なぜなら、君は国王ではなく、女王とならなければならないからだ」

「『女王』……?」

「女王に必要なのは、その腕時計と、王女の証であるこの王冠だ。このふたつを正式に受け継いではじめて、君は女王であることが認められる。本来ならば、君の母上から渡されるべきものだったんだがな」

 レイは黙って、俯いていました。バートが更に続けました。

「言いたいことはたくさんあるだろう。俺も、長い間この国に女王が誕生しうることは知らなかった。もっと早くこの国の真実にたどり着いていれば、もっと違った結果になっただろう。君がこの国を嫌うのもわかる」

「いいえ」

 レイはぐっと力をこめて立ち上がると、凛とした態度で言いました。

「嫌ってなどいません。その帽子が私に必要というのなら、この国に女王である私が必要というのなら、受け取ります」

 すると、帽子がぼんやりと光を放ち、元の綺麗な紅色に戻りました。

「ありがとう。では王女、こちらへ」

 バートは塔の中央に立ち、帽子を高く掲げました。

「そこに[#ruby=跪_ひざまず#]いてくれ。本来の戴冠式よりも、随分と質素になってしまって申し訳ない」

 レイは黙ってスカートの裾をひき、片足を床につけて頭を垂れました。

「よく知っているじゃないか」

「昔、父にやり方を教わりましたので」

「なるほどな」

 バートはいつもの表情で小さく笑ったあと、すっと真剣な顔になりました。

「これより、レイチェル・シースル・アワーズ=カイロス・オブ・クロックに王位を授け、第十八代クロック王国の女王とする」

 そしてバートがレイの頭に帽子を載せた瞬間、帽子はぐにゃりと変形し、大きな王冠へと姿を変えました。黄金の冠の中には幾多の宝石が埋め込まれ、黒い時計の針と12の数字が散りばめられていました。王冠からはとめどなく光のエネルギーが溢れだし、ゆっくりとレイの全身を包みこんでいきました。

 そして、彼女がゆっくりと立ち上がったとき、そこには金銀に輝く美しい衣装を身にまとった、まさしく女王と呼ぶにふさわしい女性が立っていました。

「すごい……」

「あれが、王冠なのか……」

 アリーたちはただ、呆然とその姿を見ていることしかできませんでした。そこにいるのは見知ったレイであるはずなのに、まるで遠くの世界に住む別人のようでした。

 すると突然ギギギギギ、という歯車の音が鳴り響き、塔全体が大きく揺れました。アリーはバランスを崩し、床に倒れこんでしまいました。

「な、何?!」

「また地震かよ!」

 見ると、すぐ隣でギルがへたりこんでいました。ノアもハルも、身動きが取れないようでした。ただひとり、レイだけはあの美しい姿のまま、揺れなど感じていないかのようにしっかりと立っていました。

「ど、どうかしたの?」

 どうやらレイは本当に揺れを感じていない様子で、困ったように床に伏せるアリーたちを代わる代わる見ていました。

「心配いらない。無理やり時間を巻き戻していたゼンマイに限界がきただけだ。すぐにおさまる!」

「時間を巻き戻す?」

 ハルが尋ねると、バートが大声で答えました。

「そうだ。俺を蘇らせ、君の戴冠式を行うために、君の父上が一時的に外の世界の時間を約200年巻き戻してくれたんだ。だが、いくら王族でも『巻き戻し』、それもクロック王国の時間の巻き戻しは簡単にはできない。あの数分間が限界だったんだ!」

 バートがそれを言い終えた数秒後、下から突き上げるような強い衝撃が床に走りました。アリーは悲鳴をあげてうずくまりました。

 しかし、その瞬間、揺れはぴたりとおさまりました。アリーがおそるおそる顔を上げると、いつもの少ししわの入った顔のバートが扉を開けているのが見えました。

「バート……? 元に戻ったの?」

「ああ。外の世界も元通りだ」

 見ると、外に広がっていたのは庭園などではなく、あの荒れ果てた草原でした。空も、あのときのように真っ暗ではなく、まだぼんやりと景色が見える程度の夕方の空でした。嵐のせいか、草が湿っていて、水たまりもできています。そして、あの黒い森はありませんでした。

「もう、嵐は過ぎたのね。これで終わりなの?」

「いいや、まだだ。まだ、片付けるべき問題がある」

 バートは遥か遠く、うっすらと見える大量の木々を指さしました。そう、あれは王国を囲っていた森ではなく、アリーの町を呑みこんだ大量の樹木でした。

「あれが残ったままだ。そして、あれに巻きこまれた人々も、そのままだ」

「あ……」

 アリーはふと、両親のことを思いだしました。そう、町の人は皆あの木々の中にいるのです。

 バートはすたすたと歩いてアリーの横をすり抜け、床に転がっていた赤い目覚まし時計を拾いあげました。

「ずっと持っていてくれたんだな」

「え? あっ……」

 アリーは急いでスカートに手を当てました。そういえば、目覚まし時計をポケットのスカートに押し込んだままでした。おそらく、さっきの地震の衝撃で転がり出たのでしょう。

「やっぱりな。もうほとんどエネルギーが残っていない。まあでも多分、大丈夫だ」

「その時計……」

 レイが、おずおずとバートのそばまでやってきました。バートはため息をついて笑いました。

「『ティムに似てる』って言いたいんだろう? これは、意図的にあいつに似せて作ってあるからな」

「あなたは彼を知っているの?」

「人間だったときはよく知っている。時計になってからは、あまり知らないな。すぐに国を出てしまったもんでね……さて」

 バートは、屈みこんでじっと目覚まし時計を見つめるレイの頭に手をやると、そっと指先を王冠に触れさせました。すると、王冠は金属とは思えない柔軟さで何度か伸び縮みした挙句、二つに分裂しました。片方はレイの頭上で王冠の姿を保っていましたが、もう片方はするっと長く伸びて、王冠と同じ金色の杖へと変化しました。バートは無言でそれをレイによこすと、いつになく神妙な顔をして、声を落として言いました。

「ひとつ、とても無茶な願いかもしれないが、聞いてほしい」

「『願い』?」

 そんなバートに、レイは警戒した様子で杖を握りしめました。

「どうか、この国を終わらせてくれないか」

「終わらせる?」

「この国の歴史に、終止符を打ってほしい。女王であるあなたの手で」

 そう告げるバートは、いつになく険しい顔をしていました。

「今からあなたに、俺たちの持つ、あらゆる力を託す。この時計も、俺の持つ魔力も、ハロルドくんの力も、この国に残されたエネルギーも、すべてだ。それを用いて、あの町の時間を戻してほしい」

「『時間を戻す』? 私が……?」

「バート、それってどういうこと?」

 アリーはいてもたってもいられず、ふたりの間に割りこんでしまいました。これはアリーの悪い癖でした。いつもなら急いで引きさがるところですが、今回ばかりはそうはいきません。

「町を元に戻せるの?」

「それはこれから答える」

 バートはそれだけ言うと、アリーに小さく手招きしました。アリーがそれに従ってバートの隣へ行くと、バートはあらためてレイの方に向きなおりました。つまり、バートはレイに話をするために邪魔だったアリーをどかしたのでした。

 この間、バートの顔は彫刻のように同じ表情をしていました。眉ひとつ動いていません。とても、あの表情豊かな男性と同一人物だとは思えませんでした。

「知ってのとおり、あの町の時間は200年も進んでしまっている。住んでいた人間も含めてな。だから、元に戻すためには、あの町の時間を200年巻き戻す必要があるんだ」

「そんなの、バートがやれば……」

 アリーはそこまで言いかけて、慌てて口を押さえました。これ以上彼の邪魔をしたら、この場から追いだされるかもしれません。

「いや、そうはいかないんだ」

 しかし、以外にもバートはアリーの言葉に反応してくれました。バートは赤い目覚まし時計を持ちあげて、レイに見せました。

「まず、この時計は、特別に時間を巻き戻せる時計だ。作るのには随分苦労したよ。元の時計を作ったあと、長年かけて俺の魔力を少しずつ貯蓄して、つい数ヶ月前、ようやく完成したんだ。本来なら、この時計でこの国の時間を戻そうと思っていたんだ。だが、想定外のトラブルが多すぎて、だいぶ中身がなくなってしまった」

 レイは時計に視線を向けたまま、なにか考えこんでいる様子でした。

「つまり、簡単に言うと、あなたには時間が巻き戻せないということですか?」

「完全に不可能ではないが、さすがに200年は無理だ」

「でも、さっきは時計塔の時間が巻き戻りました。あれは?」

「だが、こうして時計塔は元の時間に戻ってしまった。基本的に、巻き戻しというのは『できないこと』なんだよ、女王陛下」

「そんなに難しいことなのか?」

 ギルがこちらにやってきました。彼は、仏頂面のバートのことは特になんとも思っていないようでした。

「バートは俺たちのために、時間を巻き戻してくれたじゃないか。俺には簡単そうに見えたけど」

「それは、君たちと取引をするためさ」

 バートはふっと、自嘲気味に笑いました。

「あれくらいしないと、俺の話なんて信じてもらえないと思ってな。まあ、少々やり過ぎてしまったかもしれん」

 そして、アリーとギルの方を向いてしゃがみこむと、いつものバートの表情で、諭すように言いました。

「いいか、本来王族にできるのは、時間を『止める』ことと『進める』ことだけだ。『戻す』というのは不可能なことなんだ。もし、進んだ時間を戻そうと思ったら、ただではすまない、大きな代償が必要になる。進めたときよりもはるかに膨大なエネルギーがいるからな。俺の場合は、他の人間より長く生きていたから、巻き戻せるだけのエネルギーを貯蓄しておけたのさ。これは、例外中の例外だ」

「じゃあ、どうすればいいの?」

 アリーがそう呟くと、バートはすっと立ちあがり、ふたたびレイの方を向きました。

「ひとつ、残念なお知らせがある。この国は今、滅亡しかかっている。結界は消え、止まっていた時のエネルギーは暴走しつくした。もうじき、この国にかかった魔法は完全に解けてしまう。この時計塔の魔力もなくなるだろう」

「滅亡って?」

 レイは怯えたようにバートを見あげました。バートはレイの視線を避けるように、遠くの方を見つめて答えました。

「国ではなくなるということさ。時の力も作用しない、王族も存在しない、何もないただの土地になる。いずれ誰かに発見されて、おそらくは、セミラ共和国の国有地になるだろう。俺たちは関係なくなる」

 アリーとギルは同時に叫びました。

「そんな!」

「この国、なくなっちゃうの?」

「女王次第だ」

 バートはすっとレイを指さしました。

「この時計と女王の力があれば、もう一度この国の周囲に結界を張り、国を存続させるくらいのことはできるかもしれない。しかし、そちらを選択すれば、アリーの町は二度と元には戻せない。だが、アリーの町の時間を戻す方にエネルギーを使えば、この国は間違いなく滅びる」

「そんな、それじゃあ……!」

 さすがのアリーも、その先を言うことはできませんでした。バートはなんと恐ろしく、残酷な選択を突きつけるのでしょう。

 レイは目を伏せ、唇を噛みしめたまま、黙りこんでいました。その両手の細い指は、強く強く、杖にくいこんでいました。

 これまで、どれだけバートやノアの話を聞いても、レイがこの国と関係あるなんて、アリーには信じられませんでした。でも、女王様としての姿を見た今なら、わかります。レイは紛れもなくこの国の人なのです。この国こそが、レイが本来いるべき場所なのです。

「大丈夫か?」

 ノアがやってきて、レイの肩に手を置きました。レイは黙ったまま、一瞬だけノアのほうを振り返りました。そのときの彼女は、怒りとも悲しみとも困惑ともとれる、切羽詰まった表情をしていました。

「ええ」

 レイはぼそりと答えると、さっと顔を背けてしまいました。

 アリーはレイに声をかけようとしましたが、何を言えばいいのか、まったく頭に浮かびませんでした。それはノアも同じだったようで、ただ、そばで心配そうにレイを見つめているだけでした。

「大丈夫」

 長い沈黙のあと、レイはぽつりとそう言いました。

 それから、顔をあげて、まっすぐにバートを見つめて言いました。

「やります。それで、あの町が元に戻るのなら」

「レイ……」

 アリーは思わずレイに話しかけましたが、なんと続けてよいのかわからず、そこで言葉が途切れてしまいました。やめてほしい、という気持ちと、どうかそうしてほしい、という気持ちが胸の中でぶつかりあっていました。どうしようもない気持ちのまま、アリーはとっさにこう言いました。

「ここは、あなたの故郷なんでしょう?」

 一瞬だけ、レイの目が泳ぎました。しかし、レイはすぐにこう答えました。

「元はといえば、すべて私のせいだもの。私のせいで、あの町の人たちの時間は奪われた。なんとしてでも、あの人たちの時間を取りもどさないと」

「レイだけのせいじゃないわ。私が何も考えずに、余計なことをしたからこうなったの」

 そう、それは町がおかしくなってから、アリーがずっと後悔しつづけていたことでした。いたずらにレイに余計なことを話さなければよかったのです。そうすれば、彼女もあれほどは取り乱さなかったでしょう。

「いや、直接の原因は俺だ」

 バートがアリーの肩に手を置き、すっとレイの前に出ました。

「アリーが帽子に興味を持ったのは、俺がこの国の話をしたからだ。そして、俺はあなたの事情を知らなかった。随分と無神経なことを言ってしまったと思う。責任は俺にある」

「ありがとう。でも、いいんです」

 レイは薄く笑って、目を伏せました。

「たとえこの国や時計塔が残ったって、もう私の家族は帰ってこない。だけど、アリーの家族は帰ってくる。アリーにはまだ、故郷に帰る道がある。なら、私がすべきことは決まっている」

 そしてレイは、さっきまでとはうってかわった力強い足取りで、時計塔の中央部に立ちました。

「やりましょう。あまり時間は残されていません。こちらへ来てください。やり方は王冠が教えてくれています」

 そして、ハルに向かって呼びかけました。

「あなたもこちらへ来て、ハル」

 まるで、舞台役者のような、はきはきとした張りのある声でした。

「は、はい」

 突然「ハル」と呼ばれたことに驚いたのか、ハルは目を丸くして上半身を硬直させたまま、ぎこちない動きでやってきました。レイはバートとハルを自分の前に立たせ、堂々とした態度で命令しました。

「目を閉じて。何も考えないで。全身の力を抜いてすべてを私に委ねなさい。何があっても今の姿勢を崩さないこと。効果があるのは一度きりですから」

 そして、腕を伸ばし、持っていた金の杖を高く掲げました。

「第18代女王としてここに命ずる。あらゆる時の力を私に捧げよ」



 リィン、と、美しく細い、鈴の音のような音が聞こえました。それから間を置いて、カチ、カチという時計の秒針が時を刻む音がしました。そして最後に、ゴーンという、大地を揺るがす地鳴りのような、大きな大きな音が鳴り響きました。その音は何度も何度も、くりかえし鳴り続けました。

 アリーはこっそり、その大きな音を数えてみました。ひとつ、ふたつ……その音はしまいには十一回も鳴りました。そして、十二回目の音が鳴り、その音がゆっくりとか細くなって完全に消え去ったとき、パン! となにかが弾ける音がして、塔の最上部が真っ白に光りかがやきました。はっと顔を上げると、塔の上のほうに、真っ白い火花の塊のようなものができていました。その塊はバチバチと音をたてて少しずつ大きくなると、次の瞬間、勢いよくこちらに向かってまっすぐに落ちてきました。アリーはびっくりして、ぐっと目を閉じました。

 次に目を開けたとき、塔の中央にハルとバートの姿はありましたが、レイだけがどこにもいませんでした。その代わり、見慣れない人物がふたり、よりそうようにして、もともとレイがいた場所に立っていました。

 立っていたのは、男の人と女の人でした。金色の長い髪と、これまた長い髭をたくわえた年若い男の人と、長い黒髪をした綺麗な若い女の人です。ふたりとも、淡いクリーム色の、見たことのないデザインの服を着ています。女の人は男の人の腕を抱くようにしてぴったりとくっついていました。

 女の人の前には、先程の金色の杖と、小さな水色布の塊が落ちていました。女の人は、男の人から手を離すと、ゆっくりとかがんで、その布の塊を優しく撫で、心配そうに声をかけました。

「可哀想に、力を使いすぎたのね。大丈夫?」

 そこでアリーは初めて、その布の塊が人間の洋服であることに気がつきました。よく見ると、布からは小さな手や、靴を履いた足が飛びだしています。誰かがうつ伏せになって倒れているのです。

 女の人が声をかけると、倒れていた人物は、もぞもぞと手足を動かして、ゆっくりと起きあがりました。なめらかな黒い綺麗な髪に白い肌、そして真っ青な瞳をもった、小さな女の子でした。

 女の子は、上半身だけ起こすと、呆気にとられた様子で、女の人の顔をまっすぐに見つめました。女の人は、切なげな表情で、女の子の肩を抱きました。

「ああ、良かった。会いたかったわ。私のかわいい子」

 そして、そのまま女の子の体を抱き起こし、そのままぎゅっと抱きしめました。

「ずっとこうして抱きしめてあげたかった……今まで辛かったでしょうね、可哀想に。それなのに私は、あなたの気持ちを裏切るようなことを言ってしまって。あなたがどれほど傷ついたことか、想像するだけでも胸が苦しいわ。ごめんなさい、レイ」

 レイと呼ばれた女の子は、なおも呆けた様子で、ゆっくりと顔をあげました。

「まさか。『お母様』なの……?」

 お母様と呼ばれた女の人は、目に涙を浮かべてうなずきました。

「私は、この国を崩壊に導いた。だから、罰としてこの国の記憶も意識も、すべてあの王冠に吸いとられたの。あなたとお父様の記憶ごと、すべてね。それから、私の身体はずっと抜け殻の状態だった。かわいい娘と再会しても、私の身体はそれが誰だかわからなかったの。でも、王冠の……帽子に閉じこめられた私の意識は、ちゃんと覚えていた。私は帽子の中で、あなたの名前を叫び続けていたわ。でも、今日に至るまで、それが届くことはなかった」

「私のこと、覚えていたの?」

「もちろんよ。誰よりも愛しい娘のことを、誰が忘れるものですか。軽はずみに森の外へ出かけたことを、何度後悔したかしれないわ。ずっと心配で気が狂いそうだった。それなのに、それなのに。ああ……もう、許してもらうことなんて到底できないわ。私は最低な母親よ。ごめんね、ごめんなさい、レイ……」

 女の人は、女の子の肩に顔をうずめて、わっと泣きだしました。

 そこまできて、アリーはようやくあの女の子が、さっきまで凛として立っていた、あのレイと同じ面ざしをしていることに気がつきました。でも、今、目の前にいる女の子は、小さなアリーよりもさらに小さな体をしています。さっきまでのレイは、アリーが見上げなければまともに話もできないくらい大きな人だったはずです。どうなっているのでしょう。

 不思議に思っていると、男の人がやってきて、そっと女の人の肩に片手を置き、もう片方の手で女の子を抱きしめました。

「よく頑張ったね、レイ。何もできない父親ですまない」

 女の子は、はっと男の人を見上げ、搾り出すような声で、呻くようにして、ゆっくりと言いました。

「お父……様……」

「そうだよ、レイ。おまえの父様だよ」

 女の子は、ぐっと何かを堪えるように飲みこみ、そしてそのまま、ぐっと男の人の胸に頭を押しつけました。男の人が女の子の頭を撫でると、女の子は両肩を震わせて、男の人にぎゅっと抱きつきました。

 あの女の子がレイだとしたら、あそこにいるのはレイのパパとママなのでしょう。魔法で眠らされたという父親と、行方不明になったと聞いている母親が、あの人たちなのでしょう。でも、どうして今、この場所にレイの両親が現れたのでしょう。どうしてレイはあんなに小さいのでしょう。聞きたいことは山ほどありましたが、さすがのアリーも、再会した家族の時間を邪魔する気にはなれませんでした。

 すると、バートがつかつかとやってきて、ハルの背中を押して、レイたちの前に連れていきました。すると、真っ先に髭の男の人が立ちあがりました。

「シーザー王、まさかあなたがこの国を訪問するとは思いませんでした。おかげで、この国の歪んだ歴史も消えるでしょう。ありがとうございます」

「やはり、あんたがナサニエル王だったか。礼を言うのは俺の方だよ。おかげで助かった。まさか、まだ意識が残っていたとはね」

「ええ。本当はなんとかして身体ごと蘇り、子供たちのもとへ行こうとしていたのです。しかし、想定外の巻き戻しが発生したことで、もうそれは難しそうです」

「そうか、そいつは……すまなかった。俺が余計なことをしたばかりに」

「いいえ、これでよかったのです。あなたがいなければ、いずれ時間切れになって私の意識も消え、永遠に子供たちと再会することはなかったでしょうから」

 そして、ナサニエルと呼ばれた髭の若い男の人は、ハルの目の前まで歩いてきました。ナサニエルという人の長髪は、濃くてくすんだ金色をしていましたが、その色はハルの髪の毛と全く同じ色をしていました。向かいあった瞳もまた、全く同じ澄んだ濃い青色で、その目つきすらもそっくりでした。きっと、このナサニエルから髭をとったら、ハルと同じ顔が出てくるに違いありません。

「大きくなったね、ハロルド。君にとっては初めましてかな?」

 ハルは目の前の男性と、奥にいる女性をかわるがわる見て、一歩あとずさりました。

「それって……それじゃ、あなたは僕の……」

「ああ。最後に一目会えて嬉しいよ。本当に立派になった。私にそっくりだな。成長を見ることができなくて残念だ」

 それからナサニエルは、ハルの肩を抱いて、女性のところへ連れていきました。女性も、その腕の中にいた小さなレイも、よほどひどく泣いたのか、まぶたを真っ赤に腫らしていました。

「なんだか急に若返ったように見えるね、『母さん』」

「ハル……」

 レイと同じ、黒い髪をした女性は、涙に濡れた目を悲しげに伏せました。

「あなたにも、謝らなければね。私さえしっかりしていれば、妹にあなたの世話を押しつけるようなことにはならなかったでしょうに。おまけに、ギルをハルと間違えたりして。本当に可哀想なことをしたわ」

「いいんだ。シンシアさんとアーロンさんはとても素敵な人だよ。僕にとっての父さんと母さんはあのふたりなんだ」

 そして、ナサニエルの顔を見て微笑みました。

「でも、実の父さんに会えてよかった。ずっと、僕は誰の子供なんだろうって気になっていたから。こっちの父さんも、素敵な人なんだってわかったよ」

 すると、ナサニエルもふっと、口元をほころばせました。

「そう言ってもらえてよかった。これで、心置きなく行けるよ」

「え?」

「えっ……」

 レイとハルは同時に目を見開きました。

「行くって?」

「どこに?」

 ナサニエルは女性を立ちあがらせると、寂しげな目をしました。

「レイ、お前のおかげでこの国の魔力はすべて使い尽くされた。この塔の魔法も解けた。私を塔に縛りつける魔法も、母様を王冠に閉じこめる魔法もな。だからこうして出てこられた。だが、母様が帰る身体はない。私もついさっきの巻き戻しで力を使い果たした。もう、戻ることはできない」

「そ、そんな……」

 瞬間、レイの表情は氷のように冷たくなりました。ナサニエルはそっとレイの両肩に手を置きました。

「大丈夫だ。レイ、お前は強い子だ」

「嫌! 置いていかないで。お父様たちがいなかったら、私はもう生きていけない。ひとりになるくらいなら一緒に行くわ。連れていって」

「わがままを言うんじゃない、レイチェル・シースル・アワーズ」

 ナサニエルが低い声で叱ると、レイは静かになり、不満げに下を向きました。

「寂しいのはわかっている。これまで何もしてやれなかった上に、こうしてお前を置いていくことがどれほど酷いことかも承知している。だが、私たちはお前に生きてほしい。そして、幸せになってほしいんだよ」

「私、幸せよ。お父様とお母様がここにいるんだもの。もうひとりじゃないんだもの!」

「まだ気づかないのか。私たちがいなくても、お前はひとりではない」

「え……?」

「今、この時計塔に集まっている人たちは、どうしてここにいる? お前に関心を持ち、少なからずお前を心配している人たちではないのか?」

 レイは、ゆっくりと時計塔にいるバート、ギル、ノア、そしてアリーに目をやりました。

「お前はこれまで、本当にひとりきりで生きてきたのか? 支えてくれる人は誰もいなかったのか?」

 レイは、小さく首を横に振りました。

「これまで腕時計を通して、お前をずっと見守ってきたが、お前はすぐに人を遠ざけようとする。人に怯え、自分以外の者を信用しようとしていない。仕方のないこととはいえ、私はずっとそのことを心配していたんだ」

 そして、レイの肩に置いた手にぐっと力をこめました。

「身勝手に思うかもしれないが、どうかお前の情けない父親の、最期の言葉だと思って聞いてくれ。レイ、お前は愛されている。お前を助けてくれる人はたくさんいる。ひとりで抱えこむんじゃない。人を頼り、そして人に頼られる人間になれ。そうすれば、必ず幸せになれるはずだ」

 乾ききっていたレイの目から、再び、雫が一筋こぼれました。レイは胸の前でこれ以上ないくらい強く両手を握りしめ、聞こえるか聞こえないかの小さな声で囁くように「はい」と返事をしました。

 アリーはその光景を、どこか遠い世界の出来事であるかのように、遠巻きに眺めていました。ところが、突然その遠い世界にいたはずの黒髪の女性が振り返り、まっすぐにアリーを見据えたまま、こちらにやってきました。

「あなたがアリーね?」

 アリーは反射的にうなずきました。声をかけられたのがあまりに急だったので、驚きすぎて口がきけませんでした。

「私はサンディ。本名はアレクサンドラというの。あなたとおんなじね」

 そこでアリーはようやく思いだしました。赤いベレー帽の裏には「アレクサンドラ」という刺繍があり、それは帽子の前の持ち主の名前だったとギルのママは言っていました。

「あなたが、アレクサンドラさんだったんですね」

「ええ。あなたにこの帽子を見つけてもらえてよかった。私だけでは何もできなかったから。私の声にも耳を傾けてくれて、嬉しかったわ」

「声? それって、あのときの!?」

「ええ」

 アレクサンドラ──サンディは片目をつぶって見せました。あの大雨の中でアリーを呼んだ帽子の声の正体は、このサンディだったのです。

「それじゃあ、帽子が勝手に飛んだのも?」

「あなたとシーザー王をどうしても引きあわせたかったの。こんなチャンスはもうないと思ったから。驚かせてごめんなさいね。それと……レイのことをお願いできるかしら。あの子は、本当はとてもいい子なの」

「もちろん。私、レイのこと大好きよ。ずっと仲良くなりたいと思っていたの」

 するとサンディは心底ホッとした様子で、アリーの手を握りました。

「ありがとう」

 それから、ギルとノアの側へ行き、ふたりの手をとりました。

「あなたたちも、本当にありがとう。どうか、ハルとレイのことを支えてあげて」

 ギルとノアは、それぞれ力強くうなずきました。

「は、はい!」

「もちろん、できる限りのことをします」

 それから、ナサニエルがやってきて、3人にお辞儀をしました。

「皆さん、ありがとう。これでもう、思い残すことはありません」

 それから、バートを振り返って言いました。

「シーザー王、あなたも。あなたがいなければ、こうして子供たちと話すことはできなかったでしょうから。それと、この国の魔法に巻きこまれた気の毒な兵士たちがいたでしょう。彼らは時間を巻き戻したついでに元の場所に帰してあげましたから、ご心配なく」

 そして、ナサニエルはそっと、サンディの手をとりました。

「さあサンディ、時間だ」

 そう言うと同時に、ふたりの身体はふわりと宙に浮きました。そして、そのまま塔の吹き抜けの天井へと向かいました。

「お父様……お母様……」

 レイが力なく呟きました。サンディが目を細めて言いました。

「大丈夫よ、レイ。父様も母様も、ちゃんとあなたのことを見守っているわ」

 それが最後の言葉でした。ふたりの身体は塔の天井をすり抜け、消えてしまいました。アリーは急いで塔の外に駆けだして天を仰ぎましたが、そこにはただ、まばらに雲が浮かんだ紫とオレンジが入り混じった、夕方の空があるだけでした。

「……まだ、夕方?」

 足元の草は乾いていて、サワサワと風に吹かれて踊っていました。

 アリーは咄嗟に時計塔の大時計を見ました。時計塔はもう、あの美しいツヤツヤした大理石でできた塔ではなく、古くて壁がひび割れた、土色の塔になっていました。肝心の時計は、相変わらず12時を指していました。仕方がないので帽子で時間を確認しようと頭に手をやりましたが、帽子はありません。それもそのはず、帽子は王冠となってレイの頭に載せられたのですから。アリーは慌てて塔の中に戻りました。

 塔の内部も、いつの間にかすっかり汚くなっていました。中は埃だらけで薄暗く、あの神秘的な美しさは見る影もありません。レイは、塔の中央でひとり、王冠を手に持っていました。ところが王冠は、あっという間に元の帽子に戻ったかと思うと、そのまま火にあぶられたかのように真っ黒になり、黒い粉になって、ざらざらとレイの手からこぼれおちてしまいました。あの綺麗な杖も、どこにもありませんでした。

「レイ……」

 アリーはレイに歩みより、そこでようやく、レイが自分より小さいままだということに気がつきました。いつかは元の姿に戻ると思っていたのに、レイは相変わらず、見慣れない水色のドレスを着た、小さな子供のままなのです。

「力を使いすぎたんだな」

 いつの間にか、アリーのすぐ隣にバートがいました。バートは低い声で教えてくれました。

「町ひとつの時を進めて、それを巻き戻して元に戻したんだ。相当なエネルギーを使ったんだろう。元に戻るまでは時間がかかるだろうな」

「そんな。レイ、小さいままなの?」

 アリーがバートに元に戻す方法を聞こうとした瞬間、レイがぽつりと呟きました。

「いいの。これが私への罰なのよ。お父様が言うとおり、私は周りを見ていなかった。きっと、最初からやり直せということなのよ」

「でも……」

 アリーが言葉を紡ごうとしたとき、どこからともなく、聞き覚えのある声が飛んできました。

「アリー!」

「ギル、ハル! バートさんも、どこにいるの?」

 アリーが時計塔の戸口から外を覗くと、アリーのパパとママ、それにギルの両親が息を切らせてこちらへやってくるのが見えました。

「げえ、母さん!?」

「父さん……!」

 ギルとハルが先に外へ出ていきました。一同は塔から出てきたギルとハルに気づくと、「いたぞ!」と叫びながらこちらへ走ってきました。

「ローレンスさんまで、どうしてここに?」

 ハルが尋ねると、アリーのパパが、肩で大きく息をしながら答えました。

「なかなか君たちが来ないものだから、心配してな。アリーやレイの姿も見えないし。そうしたらアーロン……君の父さんが、もしかしたら、みんな森のほうに行ったんじゃないかと言いだして。どうやら正解だったみたいだな。なぜか森は消えていたが。どうなっているんだ?」

 パパとママの元気な姿を見て、アリーは胸がいっぱいになりました。すべて元通りです。アリーはまた、家族に会えたのです。

 アリーは今にも走りだそうとしましたが、ふと足をとめて、レイの方を振り返りました。アリーの家族はすぐそこに、目の前にいます。でも……

 しかし、アリーの視線に気がついた小さなレイは、予想に反してにこりと微笑みました。

「いいのよ。さあ、行って。ご両親を心配させてはいけないわ」

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