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4 奇妙な場所

 ふたりが森に足を踏み入れると、アリーの頭とギルのズボンが、ぼうっと光りました。それは、アリーの帽子とギルのポケットに入っていた懐中時計の仕業でした。すぐにアリーは帽子を、ギルは懐中時計をそれぞれ取りだしました。

「うわっ!」

「きゃあ!」

 帽子と懐中時計の文字盤を覗き込んだふたりは、悲鳴をあげて目を閉じました。いきなり、それぞれの時計の文字盤がカッと強く光ったのです。

「びっくりした! 目が潰れるかと思ったわ」

「おい、お前の帽子、まだ光ってるぞ。あれ、俺のもだ」

 強い光はすぐに収まりましたが、どちらの時計も弱々しい電球のように、ぼんやりと光っています。

「何が起きたの?」

 アリーはただただ、驚くことしかできませんでした。一方、ギルははっとした様子でアリーに懐中時計を見せました。

「そうだ。この光りかた、フローが出てきたときとおんなじだ!」

 すると突然、このふたつの時計は、示し合わせたかのようにグルングルンと針を回し、長針、短針共に同じ方角を指して止まりました。

「どうなってんだ。時計がくるっちまったぞ」

「私のもよ。おかしいわ、ギルのはともかく、私のは刺繍のはずなのに」

 しばらくお互いの時計をくるくると回してみましたが、針の位置は変わりません。針はいずれも、何かに吸い寄せられているかのように、ある一点を指したままなのです。

「これじゃ、今何時かがわからないな。もしかしてこれ、時計じゃなくて方位磁石だったのか?」

「調べてみるわ」

 アリーはスカートのポケットから方位磁針を取り出しました。そして、「違うみたい」と呟いて、ギルに方位磁針を見せました。

「念のために持ってきたの。ほら見て。こっちは北じゃなくて西北西」

「本当だな。じゃあ、うーん……」

 ギルはしばらく考えこんだのち、何かに思いあたったのか、ぱっと頭をあげました。

「わかった。フローが俺を呼んでいるんだよ。こっちの方角に行けば、フローがいるのかもしれない!」

 そして、そちらの方向に走りだしました。それを見て、慌てたのはアリーです。なぜなら、時計が示しているのは、森の入り口とは反対方向、森の奥深くなのです。下手をすれば、迷いこんだまま、戻ってこられなくなるかもしれません。アリーは思わず叫びました。

「ちょっと、そんなこと言って、違っていたらどうするの?」

 するとギルは面倒くさそうに振り返りました。

「そのときは、また他をあたってみるさ。お前だって、そう言っていただろ」

それから、にやりと笑って続けました。

「俺もお前と同じ、『気になることは放っておけない人間』なんだよ、悪いな」

 アリーはしばらく呆気にとられていましたが、やがてギルが自分をからかっているのだと理解すると、むっとしてあとを追いかけました。

「それでうまいこと言ったつもり? 残念だけれど、私はあなたみたいに無謀な人間じゃないの」

 そして、ギルの首根っこを掴むと、こちらに引きもどしました。

「なんだよ!」

「いいから。私に考えがあるの」

 そのままアリーは、強引にギルを森の外へ連れていきました。



 数十分後、ふたりはぐったりと疲れた顔で、再び森の入り口にやってきました。入り口に着くと、ギルは持っていたものを投げ出して、べたんと地面に腰をおろしてしまいました。

「ああ、疲れた。俺、こんな重いもの引きずって、もう一回森へ入る自信ないよ。やっぱりあのまま行っておけばよかったんじゃないのか?」

 アリーも疲れてはいましたが、肝心なのはこれからです。アリーはさっとギルが放り投げたものを拾って、近くにあった大木に、それを引っ掛けました。

「へえ、だったらひとりで行けばよかったじゃない。言っとくけど、そのまま迷って帰ってこれなくなっても、私は探しにきてあげないわよ。この森には大人だって近寄らないから、下手したら、一生森の中よ。それでいいの?」

 アリーがそう言いくるめると、ギルはがっくりと肩を落としました。

「ああもう、わかったよ。で、これをどうするんだ?」

 自分の腕くらいはあるであろう太い綱の片端を持って、ギルが尋ねました。そう、ふたりはわざわざアリーの家まで、この太くて恐ろしく長い綱を取りに行っていたのでした。

「この、一番手前の木に括りつけるの。絶対にほどけないよう、厳重にね。昔、パパとキャンプに行ったときにいい縛り方を習ったから、試してみるわ」

 手際よく作業を進めるアリーを、ギルは座りこんだまま、眺めました。

「なんていうかさ……」

「なによ?」

 アリーは綱をぐいぐいと引っ張りながら振り返りました。

「俺、やっぱりお前のこと苦手だよ」

「そう、奇遇ね。私も、あなたとは合わない気がするわ」

「それなのに、ここに来たのか?」

「あなたとの相性は悪そうだけれど、私は帽子のことが知りたいの。その為には、ひとりで調べるより、ギルと組んだ方がうまくいきそうだもの」

 そして、パンパンと両手を叩いて、手のひらについた砂を落としました。

「さあ、これで大丈夫なはずよ。行きましょう」

 ふたりは木に繋いだ綱の端と、アリーが持ってきたもう一つの綱、ついでに持ってきた水筒、それに時計と方位磁石を持って、もう一度森へと入りました。森に入ると、また時計が光って、西北西を示しました。

「あれ?」

 ふと、ギルが後ろを振り返りました。

「どうかしたの?」

「いや。なんだか今、野原の方に誰かがいた気がしたから」

「まさか! ここは人喰い森よ。見間違いでしょう」

 ギルは、「そうだよな」とだけ言って、また前を向きました。

 時計と、上空から差しこむ僅かな光を頼りに、ふたりはそろそろと足を進めました。



 しばらく西北西に進むと、突然、針の向きが変わりました。

「どうしたのかしら。南西を指しているわ」

 そこで、南西にまっすぐ歩いていると、今度は東に針が切り替わりました。

「なんだこれ、でたらめじゃないか。このままじゃ、元いた場所に戻っちまう」

 ところが、そうはなりませんでした。なおも、針はくるくると向きを変え、ふたりを導きました。森は相変わらず暗く、足元は木の根ででこぼこでした。いつまでも続く険しい道に、ふたりはだんだん、不安になってきました。

「なあ、やっぱり帰ろうぜ。いい加減、疲れたよ」

「自分から言いだしたくせに、勝手な人ね。まあいいわ」

 途中で綱がなくなったので、アリーは自分の持っていた綱を結んで継ぎ足しました。

「あと少し頑張ってみない? これもなくなったら、諦めて帰りましょう」

 そうして、どのくらい歩いたでしょうか。

 やがて、木はまばらになり、だんだん明るくなってきました。そして、遠くには草原らしきものが見えました。

「なんだ、また野原だ。俺たち、結局入り口に戻ってきたんだな」

 ところが、その草原はなんだか様子が違いました。本当に入り口の草原なら、遠くに赤土の道と、朽ち果てたあばら家が見えるはずです。しかし、この場所にあったのは、細長い池のような水たまりと、白くて背の高い建物でした。

 建物はかなり遠くにあるようで、ぼんやりとしか見えません。細長い水たまりは本当に細長くて、どこまで行っても両端が見えません。池というよりは、川のような見た目をしています。しかし、水は全く流れていません。アリーは興味本位で、水たまりに手を突っ込んでみました。けれども、返ってきたのは想像していた水の感触ではなく、生暖かい、ぶにっとした物体の感覚でした。

「やだ、気持ち悪い。これ、水じゃなくてゼリーみたいよ」

「ここは、俺たちがはじめにいた場所とは違うみたいだな。どこなんだろう」

 ふたりは、綱を近くの木に縛りつけると、時計を確認しました。針は建物のある方角を指していました。

 ふたりは話しあった末、白い建物を目指してみることにしました。もしかしたら、この場所に関する手がかりがあるかもしれません。

 建物へ向かう途中、アリーはこうつぶやきました。

「できたら、誰か人に会えたらいいんだけれど。そうしたら、時計のことも聞くことができるわ」

 しかし、その願いは、とてつもなく意外な形で叶うこととなりました。



 近づいて行ってみると、白い建物は時計塔のようでした。大都会にあるような、大きくて頑丈な塔です。塔の一番上には、十二時を指した状態の、大きな文字盤が嵌め込まれています。大理石のような、つやつやした美しい石で造られていて、とても立派でした。

 近づいてみると、塔の一番下に観音開きの大きな扉が付いているのが見えたので、ふたりは扉の前に立ち、力を込めて押してみました。鍵はかかっていなかったようで、扉は簡単に開いてくれました。

 塔にはほとんど窓がありませんでしたが、なぜか中はとても明るく、あらゆる場所を隅々まで見ることができました。

 そこには大量に、ある物が置かれていました。それは扉の側から、反対側の壁に向かって、二列に並べられていました。ふたりはそれを見て、言葉を失いました。

「ひっ……」

「な、なんだよこれ。人形か?」

 そこにあったのは、おびただしい数の、成人男性の形をした人形でした。深緑色の生地に金糸の服を着て、長靴をはいています。

「きっと蝋ろう人形だわ。それにしても、よくできているわね。不気味すぎる」

 ギルはまじまじと人形が身につけている服を観察すると、嬉しそうに叫びました。

「やっぱり。これ、古い軍服だよ! 本物そっくり。かっこいいなあ」

「あら、兵隊さんって、こんな服だったかしら?」

「昔の制服だよ。10年前まではこのデザインだったんだ。今は変わって、ダサくなっちまったけどな」

 ギルは得意げに言いました。聞けば、ギルは昔から兵隊さんに憧れていて、武器や軍服のことには詳しいのだそうです。

「すごいわね。あなたに服の善し悪しがわかるなんて、意外だわ。でも、どうしてこんなにたくさん、兵隊さんの人形が?」

「展示しているんじゃないか? 何かの記念としてさ」

「だけど、だったらもっと、かっこいいポーズにするんじゃない? この人たち、みんな何かに怯えているみたいよ。走っていたり這いつくばっていたりして、気味が悪いわ」

「そうだなあ……」

 塔には床から、壁づたいに螺旋らせん階段が張り巡らされていました。ふたりはとりあえず、それを上ってみることにしました。

 階段はぐるぐると円を描きながら、塔の最上階まで一気に延びていました。不思議なことに、内部には振り子も歯車も見当たらず、ぽっかりと穴の空いた白い吹き抜けの塔は、外と同じく、しんと静まりかえっていました。また、階段のそばの壁には、3メートルごとに小さなドアが取り付けられていました。しかし、鍵がかかっているのか騙し絵なのか、どんなにふたりが力をこめても、ノブを回すことすらできませんでした。

 最上階は、文字盤の裏側でした。頭上は吹き抜けになっていて、鐘が見えます。丸い文字盤の裏側には、大小様々な歯車が仰々しく備え付けられていました。さすがに文字盤の裏側には歯車があるようです。

 ふたりは同時に最上階に辿り着くと、歯車の中を覗き込み、同時に悲鳴をあげました。

「ぎゃああああ! ひ、人がいる。死んでる!」

「嘘だわ、人形よ。人形に決まっているわ」

 アリーは自分に言い聞かせるように繰り返しました。それくらい、目の前の光景は気味の悪いものでした。

「じゃあ、なんであんなところにいるんだよ! わざわざここまで持ってきたっていうのか?」

 歯車の隙間からは、髭を生やした長髪の男性の顔が見えていました。年はまだ若く、アリーのパパよりも年下に見えます。気を失っているのか、はたまた人形なのか、目を閉じたまま文字盤の裏側に立ちつくしており、ピクリとも動きません。服装は、見たこともない衣装でした。おそらくは民族衣装でしょう。

 突然、ギルがガタガタと震えだしました。

「なあ……もしかして俺たち、見ちゃいけないものを見ちゃったんじゃないかな」

「な、何を言いだすの。やめてよ」

 つられて怯えるアリーをよそに、ギルはいつになく真剣な面持ちで語りはじめました。

「俺さ、小さい頃、道に迷ってこの森に来てしまったことがあるらしいんだ。俺は覚えてないけど兄さんが連れ戻してくれたんだって。だから、うちの両親は、事あるごとに俺に人喰い森の話をしてくれるんだ。二度と森に行こうと思わないように」

 そして、ギルは両親から聞いたという、「ある話」を教えてくれました。





 それは、今から15年前のこと。

 突然、この森に面した小さな町に、大軍がやってきました。

 森の中に、非認可の土地があったというのです。そこで、その土地を調べて開拓しようとしたのだと言います。

 元々整備もされておらず、迷いやすいこの森の危険性を案じて、国はわざわざ軍隊まで動かしたのだと、表向きには報じられていました。しかし、そのあまりの仰々しさに、町では様々な憶測が飛び交い、根も葉もない噂が流れました。裏社会の取引の摘発だの、政治家が秘密裏に会合しているのだの、軍用基地を作るだの、処刑された人を捨てているだのと、現実的なものから都市伝説じみたものまで、様々でした。

 初めのうち、町の人は面白半分にそんな噂をしていたものの、森のことは特に気に留めていませんでした。人々にとって、この森は薬草も動物もいない面倒な土地のひとつに過ぎなかったからです。調査がうまくいけば、新たに良い土地が手に入るかもしれないと喜んだ人すらいました。

 しかし、いざ調査が始まると、とてつもなくおかしなことが次々と起こりはじめました。

 まず、最初に入っていった軍隊は、半分も戻ってきませんでした。どこへ行ったのかは誰にもわかりません。戻ってきた数少ない者は、おとぎ話のような支離滅裂な話ばかりを繰り返し、気が狂っているようだったと言います。後から探しに出かけた者は、皆どうしても森の向こうに辿り着けず、最悪の場合は遺体で発見されました。

 そのうち、この森に関わると不幸になるという噂が流れ、人々は森の側から引っ越していきました。そして、誰もこの森には近づかなくなりました。

 気味の悪いことに、これだけの失踪者が出たにも関わらず、新聞やラジオは、何一つこのニュースについて報じませんでした。ごく稀に、新聞のコラムなどでこの森のことを取り上げ、「魔女の仕業」やら「あの森には悪霊がいる」などと話すジャーナリストがいましたが、信じる人はほとんどいませんでした。





「そういう話、少しだけ聞いたことがあるわ。都市伝説だと思っていたけれど」

「父さんと母さんが大真面目に話していたんだから、間違いないさ。アリーはこの町に住んでいるのに、大人からは聞かなかったのか?」

「誰も森のことなんて話さないわ。少し森のことを話題にするだけで、ものすごく叱られるんだもの。で、その話がなんだっていうの?」

「つまりさ、俺たちがさっき見たのは、15年前に失踪した兵士の人形なんじゃないかと思うんだよ」

「馬鹿なこと言わないでよ。さっきは展示品だって言っていたくせに」

「だってさ、おかしいじゃないか」

 ギルは、歯車の中に眠る人形らしきものを指さしました。

「あんなところに人形を置いたりするかよ? 悪趣味すぎるじゃないか。きっと、何かの儀式だぞ。夜になると魔女か何かがやってきて、生贄を捧げるんだ。大変だよ、俺たち見ちゃったからついでに殺されるかも……!」

 ひとりで混乱するギルをよそに、アリーは溜息をつきました。

「あなた、おとぎ話の読みすぎよ。そんなわけないでしょう」



「いいや、あながち間違っていないかもしれないぞ」



 突然背後から飛んできた低い声に、ふたりは同時に振り返りました。ギルも驚いた顔をしていましたが、それ以上にびっくりしたのはアリーでした。なぜ、この人がこんな場所にいるのでしょう。

「バート!」

「よう、お嬢さん。そっちにいるのはボーイフレンドかい?」

 バートは以前にあった時と同じ服装でした。相変わらず顔も服も汚いままです。おそらく、あれからずっと着替えていないのでしょう。

「違うよ、そんなわけないだろ」

 ギルはこの不潔な男が気に入らないようで、不快さを遠慮なく顔に出して罵りました。

「なんだよお前、汚い顔だな。おまけに泥だらけじゃねえか」

「君らの足元も大概だと思うぞ」

「うるさいな、森を歩いてきたんだからしょうがねえだろ」

「ちょ、ちょっと。やめなさいよ」

 アリーは慌ててふたりの間に割って入りました。こんなところでつまらない喧嘩をされてはたまりません。

「ねえ、バート。どうしてあなたがここに?」

「ちょいと、森に伸びていた紐を辿ってきたのさ」

 バートはなんでもなさそうに言いました。森の紐というのは、おそらくアリーたちが道しるべに使った綱のことでしょう。

「私たちをつけてきたの?」

「まあ、そうなるな。感謝しているよ。おかげでようやく、この国に辿り着けた」

「国?」

 ふたりは同時に尋ねました。バートは、歯車の中の人形を一瞥すると、それまでのおどけた表情から一転、真顔になり、担いでいた袋をどさりとおろしました。

「ここはクロック王国だ。あの森は国境の役割を果たしていたのさ」

「クロック……」

「王国?」

 ふたりはバートの言葉を理解できず、確認するように繰り返しました。

「はるか昔に『滅んだことにされた』国だ。最近まで隠れていたが、今から15年前に、とうとう見つかってしまった。この国こそ、君らの親が恐れている『謎』の正体なんだよ」

 そして、腕組みをして、歯車の中に埋まっている人形を一瞥しました。

「あの歯車の中にいるのも、下にいた兵士も、みんな本物の人間だ。恐らく、時を止められて動けなくなっているんだろう」

「なんだって! 恐ろしいことを言うのはやめてくれよ」

 ギルはまた、震えだしました。アリーが口を挟みました。

「どうして、バートがそんなことを知っているの?」

「知っている、というより調べあげたんだ。なかなかに大変だったよ。あんまりにも非現実的な話だということで、この件は国家機密にされていたからな。気づいたら15年も経っちまっていた」

「あなた、新聞記者ジャーナリストなの?」

「いや、しがない旅人だよ。ただ、この国のことだけは放っておけなくてな」

 それから、相変わらず怯えているギルを見やりました。

「えー、君……君の名前はなんといったかな」

「ギルバート・ワイズ。ギルでいいよ。おっさんは?」

「バートだ」

「本名は?」

「フルネームを言えってことか? そいつはちょいと難しいな」

 すると、ギルは震えるのをやめてバートを睨みつけました。

「なんだよそれ。本名も言えないなんて、怪しいな。さては俺たちをあざむいているんだろう。怖がって損したよ」

「そういうわけじゃないんだ。ただ、俺の名前が知れ渡っちまうと、少々面倒なことになるんだよ」

「面倒って?」

「それを言っちまうと、本名を隠した意味がなくなる」

「ははあ、わかったぞ」

 ギルは急に強気になり、からかうような口調になりました。

「さてはお前、指名手配犯なんだろ。それで、この森に逃げてきたってわけだ」

 バートはこれを侮辱されたと感じたようで、怒りを交えてこう言いました。

「馬鹿を言うな。よし、それならお前たちには俺の本名を教えてやる。だが、今はだめだ。教えるのは、俺の目的を達成してからにしよう」

「目的だって?」

「そうだ、目的だ。簡単に言おう。俺は、この国の時間を動かしたいんだ」

 アリーとギルは顔を見合わせました。この人は何を言っているのでしょう。

 バートはそんなふたりの様子を見て、さっと踵を返しました。

「説明してやる。ついてこい」



 階段を降りて外に出ると、太陽が真上から3人を照らしていました。

「今が何時だかわかるか?」

 そう言われて、ふたりはそれぞれの時計を確認してみました。

「ちょうど12時だわ」

「俺のもそうなってる」

「だろうな。だが、それは『この国の時刻』だ。その時計は今、クロックの魔力の影響をもろに受けているから、ずっと12時を指しているのさ。まあ、口で言っても理解できないだろうな。まずは、この国から出よう」



 3人は連れ立って、また森を通り抜け、元の町外れの草原へ戻りました。帰りは早足だったので、20分程度で帰ることができました。

 ところが、おかしなことに、こちらの草原は薄暗く、日も傾いていました。

「どういうこと? 時計塔にいたときは、あんなに日が高かったのに、こっちはまるで夕方みたい」

「夕方みたいなんじゃない。夕方なんだよ。君たちは森の向こうで夕方まで過ごしていたのさ」

「でも、ずっと12時だったじゃない」

「あの国は、時が止まっているんだ。何時間経とうと、何年経とうと、時計の針も太陽も動かない。そういう場所だったんだ」

 バートは肩にかけていた袋に手を突っ込むと、七角形の目覚まし時計を取り出しました。

「ちなみに、現在の時刻は夕方の4時36分だ。そろそろ帰らないと親御さんに叱られるだろうなあ」

「えっ!」

 ふたりはまた、同時に叫びました。ふたりがアリーの家に集合したのは11時です。お昼にはそれぞれの家へ帰る予定でした。

 ギルがへなへなと座りこみました。

「道理でお腹が空いていたわけだ。母さん、怒ってるだろうなあ」

「私も。パパたち、お昼ご飯の時に私がいないことに気がついているはずだわ……どうしよう」

「そういえば、お前の両親、日曜なのに仕事してるのか?」

「お店はお休みよ。でも、従業員たちの面倒を見るのも仕事のうちだといって、私には構ってくれないの。たまに、みんなで新作を試作している時もあるわ。でも、お昼ご飯の時間には必ず探しに来るもの。4時じゃ、もうダメだわ」

 バートはうなだれるふたりをジロジロと見ていましたが、急に笑顔になると、ふたりの肩に手を置きました。

「わかる、わかるぞその気持ち。親に叱られることほど面倒なことはないよなあ」

「お前に何がわかるんだよ」

 ギルがきっとバートを睨みつけましたが、バートは動じません。

「わかるとも。俺も昔は子供だったからな。ところでふたりとも、俺と取引をしないか」

「取引?」

 アリーが尋ねると、バートはさらにぐいっと顔をこちらに近づけてきました。

「特別に時間を巻き戻してやろう。1時頃でいいか? それとも12時がいいか?」

「な、なんの話?」

「君たちを助けてやると言っているんだ。俺は時間を巻き戻せる。まあ、あんまりたくさんは戻せないが、ほんの3、4時間なら訳ないさ」

「そんなこと、できるの?」

「ああ。これから俺に協力してくれると約束するなら、特別に巻き戻してやる」

 アリーが答える前に、ギルがイライラした様子で言いました。

「へえ、だったらやってみてくれよ。もしも俺たちが誰にも叱られずに済んだら、お前の言うことは何だって聞いてやる」

「おっ、言ったな? よし、それじゃ取引成立だ」

 バートはにやりと笑って、また袋に手を突っ込みました。

「俺が15年かけて開発してきたこの時計があれば……うん?」

 突然、バートの顔がこわばりました。

「どうかしたの?」

「いや、赤い目覚まし時計がこの中にあるはずなんだが……おかしいな、どこへ行ったんだ。あれがなきゃ、時間を巻き戻せない」

 それを聞いて、アリーははっとしました。きっと、この間食堂で見つけた、あの目覚まし時計のことに違いありません。

「それなら、私が持っているわ。あなた、私と出会った日に、食堂に時計を忘れていったでしょう」

 すると、バートの顔がぱあっと明るくなりました。

「そうかい、それはでかした! 返してくれ」

「でも、家に置いてあるの。家にはパパとママがいるし、どうしたらいいかしら」

「ふむ。家ってのは、あの服屋か?」

「あら、パパとママのお店を知っているの?」

「ああ、俺に住所として教えてくれただろう。早速次の日に行ってみたんだが、アリーなんて子供はいないと店の主人に突っぱねられちまった。どうなってんだ?」

「私、平日はおばさんの家に預けられているから、家にはいないことが多いの。後は……そうね、多分……これは私の推測だけれど」

 アリーはバートのどろどろの服、ぼさぼさの頭、不健康そうな土気色の顔をじっと観察しました。パパがこの人を見たらどんな反応をするか、容易に想像がつきます。

「パパは、あなたが汚いから、追い返そうとしたんだと思うわ」

 ギルが苦笑いをしながら言いました。

「そりゃあ、こんな奴が入ってきたら、誰だって嫌だろうなあ」

「そんなに汚いか? 最近の人間は潔癖症なんだな」

 バートはちょっと意外そうに自分の服を引っ張りました。自分の身なりについては、相当鈍感なようです。

「まあいい、それで、時計はその服屋にあるのか?」

「ええ、そうよ。私の部屋」

「部屋は服屋のどの辺りにあるんだ?」

「2階よ。でも、パパたちはいつも1階にいるから、気付かれずに取ってくるのは難しいわ」

「なんで気づかれないようにする必要があるんだ?」

「気づかれたら、遅く帰ってきたことがばれて、叱られるじゃない。お昼ご飯だって、すっぽかしちゃったし」

「なんだ、そんなことか」

 バートは子供のようにケラケラと笑いました。

「大丈夫、気づかれたって構わないさ。ま、この俺に任せとけ」



 アリーのパパは、お店の内装にこだわる人で、頻繁にリフォームや修理をしていました。その一方で、表からは見えない部分のことは放置していました。ですから、何年も放置されていた裏口の扉は錆びついていて、どんなにゆっくりと開けてもギィィ、という大きな音が鳴るようになっていました。

「開けたらすぐに誰かが来てしまうわよ。本当に大丈夫?」

「まあ、なんとかなるだろ。じゃ、ふたりとも、俺がさっき言った通りにするんだぞ、いいな」

 バートはなぜか、とても楽しそうでした。

「本当にうまくいくのかなあ? 何かあっても、俺たち責任取れないぞ」

 ギルは相変わらず疑わしげです。

「やると決めてしまった以上は引き返せないわ。いくわよ」

 アリーはすっと扉を引きました。案の定、扉からは大きな音が鳴り、すぐにパパが顔をしかめてやってきました。

「アリーか?お昼も食べないでどこへ行っ……」

 パパはそこまで言って、そのまま立ちすくんでしまいました。

「おっと、それ以上動くんじゃないぜ」

「な、なんだお前は!」

 バートが裏口から家へ入ると、パパは顔を真っ青にして、後ずさりました。それもそのはず、裏口にいたのはアリーではなく、アリーの肩を左手で抱いて、愉快そうに笑う怪しい男、もといバートだったのです。

 しかも、バートの右手には大きなナイフが握られていてました。物騒なことに、刃の部分はパパの方を向いています。パパはアリーが捕まっていると勘違いしたのでしょう、血相を変えて怒鳴りました。

「おい、なんなんだ、うちの娘をどうする気だ!」

「答えて欲しけりゃ階段の向こうまで下がりな」

 バートはナイフを突き出してパパを階段の側から追い払うと、声高らかに「今だ」と叫びました。

 その瞬間、裏口からギルが入ってきて、3人の側をすり抜け、2階へと駆け上がっていきました。当然、パパは驚いた様子でギルに向かって話しかけました。

「ギル、来ていたのか? どこへ行くんだ!」

 しかし、ギルは答えません。

 パパがギルに気を取られている隙に、バートはアリーから手を離しました。アリーはあらかじめ言われていた通り、全速力で階段を駆け上がり、目覚まし時計を掴むと、ギルと共に階段を駆け下りました。

「アリー、帰ってたの?パパが随分怒っていたわよ」

 2階にはママがいたようです。もう後戻りはできません。アリーたちはママに追いつかれる前に階段を下り、バートに時計を差し出しました。

「バート、これ!」

「よし、いい子だ。それじゃ、しっかり捕まってろよ」

 バートは左手で時計を受け取ると、ぽいとナイフを投げ捨てました。ふたりは慌ててバートの腰にすがりつきました。

「どうしたんですか!」

 ちょうどその時、騒ぎを聞きつけた従業員たちが何事かと集まってきました。

「ちょうどいい所に来てくれた。警察を呼んでくれ!」

 パパはそう叫ぶと、投げ捨てられたナイフを蹴り飛ばして、バートに掴みかかりました。

しかし、バートは動じることなく、悠々と時計のゼンマイを巻くと、パパの前に突きつけました。

「悪かったな。だが、ここにあった事実は今から消えてなくなる」

 刹那、時計がカッと光を放ち、家中を包み込みました。パパはギャッと叫んで尻もちをつきました。あまりの光量に、アリーたちもバートにしがみついたまま、目を瞑りました。瞑っていても、目の中に光が入りこんできて、視界は真っ赤になりました。

「目が痛い!」

「大丈夫だ、すぐに治まる!」

 何も見えない中、バートの声だけが響き渡りました。



 その言葉通り、5秒程で光はなくなり、視界も黒に戻りました。

 ゆっくりと目を開けると、パパたちはどこにも見当たりません。代わりに、店の方からパパが誰かと話す声が聞こえてきました。

「ど、どうなったの?」

「成功したよ。まあ、外へ出てみよう」

 外へ出ると、綺麗な青空が広がっていました。太陽はほほ真上にありました。バートは袋を開けて目覚まし時計をしまうと、代わりに星型の壁掛け時計を取り出しました。

「うん、なるほど。今は12時30分だ」

「ええっ!」

 ふたりは同時に時計を覗きこみました。そして、自分たちの時計も確認してみました。間違いありません、12時30分です。

「すげえ、昼に戻ってる……」

 気の抜けた声でギルが呟きました。アリーも驚いていました。叱られたくない一心でバートの言うことを聞いてみたものの、正直、本当に時間を巻き戻せるとは思っていませんでした。

「あなた、魔法使いなの?」

「いいや、旅人さ。まあ、人よりは少し時計に詳しいがね」

 バートはかがんで壁掛け時計をしまうと、さっと立ち上がりました。その横顔には、いたずらが成功した少年のような、いたずらっぽい笑みが浮かんでいました。

「さて、俺も腹が減ったからこれで失礼するよ。ところで、君らが次に森へ来られるのはいつだい?」

「他の日は学校があるし、土曜日もおばさんの家にいるから、早くて次の日曜日かしら」

「なるほど。じゃあ、次にアリーに会えるのは来週になるってことだ」

 バートは相変わらず楽しそうでした。さっきまで人にナイフを突きつけていた人間の表情とは思えません。アリーは気味悪くなって、バートから少し距離を取りました。

「あなた、切り替えが早いのね。私、まだ胸がドキドキしているわ」

 アリーが胸を押さえて見せると、バートはまた、それは楽しそうにニヤリと笑いました。

「過去のことは過去のことだ。安心しろ、時間が巻き戻ったおかげで、俺たちがさっきやったことはなかったことになった」

 そして、腰を屈めてアリーたちと目線を合わせると、ふたりの顔を交互に見つめました。

「俺は約束を守ったんだから、今度は君らの番だ。俺の言うことを何でも聞くと言ったよな。というわけで、命令だ。必ず、来週の日曜日の1時に集合すること。昼飯は済ませて来いよ。あと、遅刻は厳禁だ。もう時間は巻き戻せないからな」

「うるさいな、わかったよ。あと顔が近い」

 ギルがは鬱陶しそうにバートの顔を押しのけました。どうやらバートは、念を押すときに顔を近づけてくる癖があるようです。

「ったく、よくそんなに笑顔になれるよな。さっきは強盗みたいな真似をしてたくせに」

 ギルが呆れたようにぼやきました。アリーもギルに同意しました。どうやら、このバートという人物は相当な豪傑のようです。

「じゃあ、来週必ず来いよ。俺は待ってるからな」

 約束だぞ、と言うやいなや、バートはひらひらと右手を振って、さっさと行ってしまいました。

 残されたアリーとギルは、呆然とその後ろ姿を見送ることしかできませんでした。

 ギルが遠慮がちなアリーの方を振り返りました。

「どうするんだ、来週も行くのか?」

「ええ」

 アリーは素っ気なく答えました。すると、ギルは眉をひそめました。

「あのバートって奴、怪しいぞ。あいつの話だって、どこまでが本当なのかわからない」

「そうね。正直、バートのことは信用できないわ。でも、助けてくれたのは事実よ。それに、私たちはあの人と取引してしまったもの。行くしかないわ」

 ギルはこの返事をあらかじめ予想していたらしく、「だよな」と言って肩をすくめました。

「じゃ、また俺はここまで来ないといけないのか。次はあらかじめ母さんに言って、汽車代を貰ってくるよ。歩いて来たら森に着く前にへばっちまう」

「あら、あなたも来るの?」

「結局、フローには会えなかったからな。あのおっさん、やな奴だけど森のことには詳しそうだったし、ダメ元でもうしばらく付きあってみるよ」

 ちょうどその時、裏口の扉が開きました。

「あらアリー、おかえり。お昼の準備ができたから、呼びに行こうとしていたところだったのよ」

 出てきたのは、アリーのママでした。

「あら、あなたはもしかしてギル? 久しぶり、遊びに来たの?」

 ギルは背後からいきなり現れたママによっぽどびっくりしたのか、返事もせずに固まっていました。慌ててアリーが間に入りました。

「あたしが呼んだの。どうしても話したいことがあったから」

「そう。遠いのにひとりで来たのね。よかったらお昼食べてく?」

「えっ、いいんですか!」

 途端にギルは目を輝かせ、意気揚々と家の中へ入っていってしまいました。アリーは内心呆れつつも後を追いました。

「やあギル、大きくなったんだな。アリーも早くおいで」

 食卓にはいつもと変わらない、優しい顔をしたパパがいました。バートに脅されて顔面蒼白になっていたパパとは別人のようです。時間が巻き戻ったとはいえ、アリーたちがしたことは、アリーたちの中では事実です。

 笑顔でこちらを見つめるパパを見て、アリーはなんだか、酷く申し訳ない気持ちになりました。そして、せめて今から一週間くらいは、パパの言うことは素直に聞いて、いい子でいようと心に決めました。

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