時のない腕
「このナイフの素材が何かわかる人はいますかー?」
わたしたちの担任でもあるイエイツ先生が小振りのナイフを鞘から抜いて両手で高く持ち上げてから質問しました。
今は基礎教養の授業です。一般教養ではなく魔術の知識の基礎を学んでいます。
生徒たちは顔を見合わせてざわざわしています。
金色のような銀色のような?輝きがゆらゆらして色が分かりにくい、真鍮とダイヤモンドが混ざればこんな感じかも、という不思議な見た目の素材ですね。多分金属かな?という感じ。先生が絹の手袋を付けて恭しく持ち上げている様子からかなり貴重、もしくは希少な素材…ということはきっとアレかアレのどちらか……
「はい、フィルドさん」
「多分…なんですけど…」
フィルドさん1人が手を挙げていました。フィルドさんが授業中に発言するのは珍しいですね。騎士の息子さんなので武器には詳しいのでしょうか?それでも自信なさそうな素振りです。
「間違っても大丈夫ですよ、答えてみましょう」
イエイツ先生が優しく微笑んでいるのでフィルドさんはほっとしたようです。
「はい、イエイツ先生。オリハルコンだと思います」
クラスが更にざわつきました。男子生徒がすげー!とかかっけー!とかわめいてます。女子は数名ポカン?としているようですね。
「フィルドさん、どうしてオリハルコンだと思いましたか?」
「真鍮のような色合いでゆらゆらと輝くのがオリハルコンの特徴だと聞いたことがあります。でも、見たことはないので…」
「正解ですよ。フィルドさんに拍手!」
全員が拍手するとフィルドさんは恥ずかしそうに後ろ頭をわしゃわしゃと掻いています。口元が弛んでいるのでにやけそうなのを抑えているのかな。目尻が下がっててなんか可愛い~。
「フィルドさんの言ったとおりこのナイフはオリハルコンで出来ています。一応規則としては手袋着用での取り扱いなんですけど…」
と言いつつイエイツ先生はオリハルコン製ナイフの刀身を下にして、柄を親指と人差し指で摘まんで見せてから、えっ?落とした!?
ちょちょーっ!?先生それって超貴重な物なのでは??
ナイフは床に刺さってます。刺さってるってゆーかめり込んでる。えっ。なにそれ。
他の生徒もポカンとしています。サクッとも言わなかったよね。ふわり、くらいのアクションでナイフが床にめり込みましたよ?
「ご覧のとおりオリハルコンには非常に軽いという特徴があります。それからとても硬いです。あと一応金属ですが錆びませんね。昔話や物語のせいで伝説の武器に使われるイメージが強いと思いますがこの素材が頻繁に利用された超古代では金よりも希少な貴金属として高値で取引されていたようです」
イエイツ先生はナイフを、消しゴムでも拾うかのように軽々と床から抜いて持ち上げると一番前の席に座っている男子生徒の手にポイっと載せ…いやだからそれ貴重ですよね?手袋着用ゆーてましたよね??床のめり込んでたところをかかとでぐりぐりしてなかったことにしてますけど。床もだけど金よりも遥かに希少な物の扱い雑過ぎません?
イエイツ先生は渋めダンディーで紳士な先生だと思ってたんですけど随分イメージと違ったようですね。
手にナイフを載せられた男子は更にぽかんとしてます。
「えっまって、なにこれ……」
「軽いでしょう?ナイフというよりまるでわたあめのような軽さです。どうぞ順番に回して全員よく見てください。あ、よく切れるので注意してくださいね」
驚き顔がどんどん増えてます。なかには感極まって泣きそうな表情のひともいます。きっと英雄伝説とか好きなんでしょうね。後ろの窓際の席のわたしはいちばん最後です。やっとわたしのところに回ってきました。わっほんと、かるーい!
「ファリスさん、ナイフを机の上に置いてください」
イエイツ先生がわたしの席まで歩いてきます。回収するのかと思いましたがナイフを小指でちょん、とつつきました。
「さぁファリスさん、もう一度持ってみてください」
「えっ?わわ、あつっ!」
さっきは冷たかったナイフがとても熱くなっています!思わず机にぺいっ!と放り出してしまいました。わぉ、超高級ナイフになんてこと…もう先生のことディスれませんねわたし…。
「言い忘れましたけどオリハルコンは表面が熱伝導性に優れています。今ナイフには火属性の魔力をほんの一瞬流しただけなんですけど焼きたてトーストくらいに熱いでしょう?」
同じ班のアデル王子やエヴァンジェリスタさんたちも触って「ほんとだあっつぅ!」と嬉しそうな顔できゃっきゃしてます。
「もしもオリハルコンでヤカンを作ったならばたった木の葉二枚の燃料で、美味しい紅茶を淹れる温度のお湯が沸くと言われています。言い伝えですから誰も試してはいませんがね。それから」
英雄伝説の武器も形無しな発言ですね…イエイツ先生が手のひらを上に向けてスイカくらいの光の玉を作りました。その中にオリハルコン製ナイフをポイっと入れます。
「ファリスさん、この光の中に手を入れて魔力を全力で注ぎ込んでください」
「はい」
言われたとおり全力で魔力を流します。全力となるとちょっと青筋たってそうでわたし凄い顔してるかもと心配です。魔力を手から出す方法は基礎魔術の授業で練習しました。
光の玉がメタリックなブロンズ色になってきました。どんどん暗い色になったと思ったら最後はガンメタルというか水銀のような玉になりました。うっすらとナイフが見えている感じです。
「このくらいでいいですかね。次は両手でナイフの端と端を持って、あ、手を切らないようにね。そうナイフの切っ先と柄を摘まんだらぐぐっと左右に引っ張ってください」
「えいっ」
お、おおーぅ??グニってした??変な感触に思わず手を離しちゃいます。先生が水銀玉を机に置くと玉は消えてオリハルコン製ナイフがあらわになりました。
「????」
あれ?なんだったの今の、と首を傾げていると侯爵令嬢カースティー様が驚き顔でふるふるとナイフを指差して固まっています。
「長くなっておりませんこと…?」
「ほんとだ伸びてる。えー?」
アデル王子がナイフを持ち上げて確認します。たしかに、先ほどよりも長いような…。
「熱伝導性はともかくとして、オリハルコンが硬く錆びないのには理由があります」
ナイフを持ち上げて生徒全員に見えるようにフリフリしながらイエイツ先生が説明します。先生すでに手袋さえしてませんね。
「オリハルコンには時間というものがないんですね」
生徒全員がぽかんとしてます。本日何度目でしょうか。
んんんん??時間がない?ってどーゆーこと?
「もっと分かりやすく言うとオリハルコンという金属はそこだけ時間が止まっているんです。硬い、のではなくて時間が止まっているせいで形が変化しようがない、というのが正しい表現でしょうかね。だから塩漬けにしても錆びもしません。オリハルコンにとっては何百年、何万年という歳月でさえ0秒なのですから」
んー…なんとなーく…う?
うぉ!?
「えっ?じゃあ今のは?」
「オリハルコンは通常の鍛冶屋のような工程では武器を作るどころか1ミリだって曲げることはできません。強制的に時間を流れさせる特殊な魔術が必要です。その魔術を扱えるオリハルコン専門の鍛冶屋は『時のない腕』と呼ばれます。逆じゃね?というツッコミは先生にされても知りません。『時のない腕』の鍛冶屋はこの国には今現在居りませんね。時間を付与するとオリハルコン本来の硬さ、私のイメージでは固めのグミくらいかなぁと思うんですけど、ファリスさん触ってみてどうでしたか?」
「たしかに、ほらあの、大きいコーラのグミをひっぱった感じに似てるような…」
ついのっかったけどもイエイツ先生、基本食べ物例えですね?
「時空間を操る魔術は無属性と思われがちですが実は光と闇の属性なんですね。今のは簡易オリハルコン高炉です。光と闇属性の人にしかできない魔術です。ファリスさんには私が作った空っぽの術式に魔力だけ注いで頂きました。時空間を操る魔術は禁忌も多いので魔術院まで行かないと学べませんが」
そう言いながら伸びたナイフを鞘にしまいました。当然鞘からはみ出たナイフがかぱかぱしてるのをイエイツ先生はにこにこと見つめています。
「これ、ずーっとやってみたかったんですよねぇ。前回学園にいた光の聖女は絶対いけません!て目くじら立ててて、ねぇ。ファリスさんのお陰で夢が叶いました。ふふ。ありがとうございます」
それ、超貴重なナイフですよね?おそらく国宝級ですよね?王立魔術学園所蔵品だからって伸ばしちゃダメだと思うんですけど…。あ、ちょ、イエイツ先生、今生徒たちに見えないようにさらっと鞘を魔術で伸ばしましたね?わたし見ましたよ??
イエイツ先生は教壇に戻ると何事もなかったように、お次はミスリル銀の鎖かたびらを取り出して授業を続けました。