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オールドイースト  作者: よこ
第1章
93/532

1-10 真夏の遭遇(17)

リビングを後にして客間に向かいながら、すでにアナベルは自分の言動を反省していた。


一体何をしてるんだ?ウォルターは自分とルーディアを守って、眼鏡まで壊されて、正体不明の少年に、得体の知れない目にあって…。それにさっきの場合、あきらかにおかしかったのは自分の方だ。…エナと話し終えた後の、ウォルターを思い出したら、急にいたたまれなくなって…。思い出すと頭に血が上った。一体これはなんなんだ?訳がわからなくて、またしてもイライラしてしまう。


客間に入るなり、スライドして閉じられたドアに、勢いよく背中を預けてしまう。でも、さっきの蹴りは仕方がない。ウォルターがあんな妙なことを言うから…。


…油断したら、どうなるというのだろう?


「アナベル?」

眠っていると思っていたベッドのルーディアから声がかかる。

「ごめん、起こしちゃった?」

「ううん、いいの。今日は本当にごめんね…」

「ルーディア…」

アナベルはベッドに近づいた。ルーディアが上半身を起こす。それから、ベッドの隅に自分の体を寄せた。


「狭くてごめんね」

「ううん」

客間のベッドはダブルだったので、二人で眠るのには、丁度いい。


アナベルは本当は床で寝ようと思っていたのだ。ウォルターだって、きっと床で眠るのだろうし。けれど、ルーディアの好意を無碍にしたくなくて、ベッドのルーディアが空けてくれたスペースに入り込んだ。二人で向き合って横になる。アナベルは初等校のころ、友達の家に泊ったことを思い出した。ルーディアがアナベルの顔を見て、微笑んだ。


「どうしたの?」

「うん…アナベル、ウォルター君とケンカした?」

「え?見えるの?」

「残念、推理です」

「推理?」

「うん、シャワーを浴びるって部屋を出たけど、今は髪の毛が乾いてきてる。なので、シャワーを浴びた後、少し別のところにいた。で、表情にいつもの元気がない…だから、ウォルター君とケンカでもしたのかなぁって…」


「…すごいね。正解だよ」

「そうなんだ…」

「そんなにわかりやすいかなぁ…」

「そんなこともないけど、どうしたの?」

「うん、なんでだろ?いつもそんな、大したことではないんだ。言ってるうちにケンカになってるって言うか…」

「へぇ」

「わけわかんないんだ、あいつ。やたらと優しいかと思えば、妙に意地悪くなるし…」

「ふうん」

と、なにやら意味ありげにルーディが呟いた。


「何、ルーディア?」

気になって、ついアナベルは反応してしまう。

「何が?」

「いや、なんか…ふうんとか…」

「駄目?」

「なんか、意味があるような無いような言い方って感じで、気になる…」

「そうね、ごめん」

ルーディアは素直に謝った。


「いいけど…」

自分とウォルターのことはどうでもいい。アナベルはルーディアに、どうしても確認したいことがあった。

「ねえ、ルーディア。あの時、本当に私のことが見えたの?」

「あの時って?」


アナベルのいう“あの時”が、どの時のことを言っているのかわかったが、あえてわからないふりをする。


「サイラス…、あのルカのふりした奴が、ルカじゃないってわかった時」

ルーディアはため息をついた。

「ナイトハルトが恐かったから、言い出せなかったの?あいつには言わないよ」

「そうね…」

「ルカは特別病棟にいたんじゃないの?健診で去年とかも、ルーディアはあそこに行ってたんだろ?」

アナベルの言葉にルーディアは再びため息をついた。少し考えれば、わかることだ。

「…忘れてたの」

「忘れてたの?」

「そう、それで、忘れてる予定だったの。本当は」

「予定…」

「ごめん、これ以上は言えない…」


どういう意味だ?けれど、ルーディアはルカを知っていたのだ。ならば、あの時の叫びは、ルーディア自身の叫びだ。


「わかったよ。もう聞かない。話してくれてありがとう」

「ごめんなさい」

「うん…ナイトハルト、恐かったね」

話を変えるように、アナベルが言った。声に元気が戻ってきている。


「仕方がないわ…」

「ルーディアはリパウルとアルベルトのために技研をでてきたの?」

アナベルの言葉にルーディアは苦笑した。


「正確に言うとちょっと違うけど」

「え、なんで。って…聞いちゃ駄目なのかな?」

「ううん。別に内緒ってわけじゃないの。リパウルに会って、で、私がアルベルトを見てみたいなって思って」

「アルベルトを?」

「そう、二人が出会って、またお互い、恋をしたらいいなぁって…」

「じゃ、やっぱり…」

「ううん、そう思ってはいたけど、そんな簡単じゃないわ。会わせる事が出来たから、それでいいって思ってたんだけど」

「ルーディア…」


「…今日と同じ。気がついたら、自分の意識とは関係なく、あの地下へ跳んじゃうようになっちゃって…」

「そうなんだ…」

「だからナイトハルト・ザナーになんて言われても、仕方がないの」

「ナイトハルト、そのこと知ってるの?」

「…わからないわ。見えないもの。でも、彼が言うのが本当なら、私の存在は、二人にとっては結局、ただの障害に過ぎなかったのね。今だって、きっとそう…」

「そんなことないと思うけど…」

「アナベル?」

「そりゃ、アルベルトが迎えに行ってたら、リパウルは喜んだと思うけど、でも、なんというか、二人とも好きすぎだから…ルーディアがいてよかったんだよ。今もそうだよ。ルーディアがいないとあの二人、もっとごちゃごちゃしてる気がする…あ、これ内緒ね」


ルーディアは微笑んだ。アナベルの気持ちがわかった。彼女は自分を励まそうとしているのだ。何も見えないけど、アナベルの温かい気持ちを感じて、ルーディアは安堵した。


「そうね…。へこんでいたって始まらないわよね」

今のあの二人ならば、自分の存在など必要ないだろう。いや、本当は最初から自分など必要なかったのだ。…けれど、それは決して悪いことではない。

「アナベル…本当は私、技研にもどった方がいいってわかっているの」

「ルーディア…」

「でも、もう少しだけ、外にいたいの」


みんなと一緒に…そして、もう少しだけ、彼女の側に…。


「いなよ。私が言うのも変だけど。それに、今は技研に戻る方が、危ないんだろ?」

「アナベル」

「あいつの正体がわかるまで、ルーディアはアルベルトの家にいた方が、きっと安全だよ」

そうなんだろうか?ルーディアにはわからなかった。



 翌朝、ナイトハルトが以降の方針をざっくりとまとめた。


「とりあえず、ルーディアは今日、俺がアルベルトの家に送っていく」

「ナイトハルトが?」

「他に方法がない。あいつらは午前の便で、ノースノウ空港に到着予定だ。空港に到着した時間を見計らって、連絡を入れる。アルベルトたちが家に着いた頃、こいつを送っていく」

「うん」

「二人には俺がざっくりと事情を話しておくから。悪いが二人とも、めいめいでなんとかしろ。何か異常事態に遭遇したら、俺か、お互いでもいい、とにかく連絡をとるようにするんだ」

「わかった」


「お前ら二人とも、相手に顔を知られているんだ。十分注意しろ。特にアナベル」

「うん!?」

「今日も病院か?」

「そうだよ。でも、病院で…」

「相手は正体不明の美少年なんだろ?品のいいチンピラでもいいが。とにかく気を抜くな」

「わかった」

「ウォルターは…」

「大丈夫です」

「だな。眼鏡は家にスペアがあるんだよな」

「あります…」


ナイトハルトの質問に、深い意味はないことはわかっていたが、ウォルターは何となく情けなくなった。今日は一度もアナベルと話をしてないし、顔もあわせていない。


 話が終ったと見て取ると、アナベルはダイニングキッチンのテーブルに手を突いて、立ち上がった。


「じゃ、今日はそういう感じで。後はアルベルトが戻ってから、なんだな」

「まあ、そうだな」

「わかった。一回、着替えに帰りたいから、少し早いけど、もう出ても大丈夫か?」

「ああ」

「ナイトハルト、ルーディアのことよろしくお願いします」

「わかった」


ルーディアはまだ、客間で眠っていた。アナベルはウォルターの方を向くと


「イブリンさんによろしくって…見送りにいけなくてごめんなさい、お会いできて嬉しかったですって、言ってもらって、いいかな?」

と、淡々と言った。

「あ、うん…」

「じゃ、また」

軽く手を上げると、リュックを持ってアナベルはナイトハルトの家を後にした。


「お前らケンカでもしたの?」

なんとなく悄然とした様子のウォルターを見て、ナイトハルトが確認する。

「まあ、ちょっと…」

ウォルターは曖昧な表情で、言葉を濁した。最近の彼の移動の足である、マウンテンバイクは開発局に置き去りにしてある。自分もあまりのんびりはしていられない。ウォルターも立ち上がった。


「あの、ザナー先生。本当に助かりました。姉のことですが、時間がわかったら連絡入れますので、今日はお時間が難しいと思いますけど…」

「律儀だな」

忘れていたのか、ナイトハルトは目を見開いた。

「まあ、アルベルトたちとの合流時間によるかな?あまり気にするな」

「わかりました。一度、家に戻りますので、失礼します」

「ああ、送ってやれなくて、すまない。気をつけろ」

「はい」



 ナイトハルトの家を後にしたウォルターは、自分がひどく消耗していることに気がついた。昨日のこの時間帯には、想像もしていなかった事態に巻き込まれてしまっていた。


今日の正午前後には戻ってくる予定のイブリンには、きっと想像もつかない状況だ。言うつもりはなかったが。


そうは言っても、ゆっくり散歩を楽しめるほど、時間に余裕があるわけでもない。ウォルターは一息つくと、駆け始めた。ザナーの家から自分の家はそう遠くはない。なので逆に、バスなどは通ってない。この場合、走るのが一番速い移動方法だった。


それにしても、どうして女子はアナベル一人という状態で、彼女のような保守的な気質の持ち主が、男性に混じって暮らせるのか、微妙に訝しく思っていたのだが、ルーディアの存在でその謎がとけた。聞いてもいいものなら、もう少し、あの不思議な少女について、アナベルに詳しく聞けたら、と好奇心から思いながら、昨夜のやり取りを思い出してしまった。


勢い余ってとはいえ、最後の一言は余計だった。蹴られても仕方がない。ウォルターは、今日も夕方やってくるのであろうアナベルに、どう謝るべきか、走りながら思案し始めた。


***


一人家に残ったナイトハルトは、時間までリビングで業務上必要なデータの、整理を始めた。昨日は予定より早く仕事を切り上げたので、まだ少し作業が残っていた。没頭するうち、時間は九時を回っていた。予想はしていたが、ルーディアは客間にこもったまま、出て来る気配はない。仮に出てこられても、友好的に振舞うつもりはさらさらなかったので、ナイトハルトとしては好都合だった。



ナイトハルトにはルーディアのことが全く理解できなかったし、理解するつもりもなかった。おそらく、ルーディアに罪はないのだろう。しかし、彼女の存在自体が、個人的な厭わしい記憶と直結していたので、ナイトハルトとしては可能な限りルーディアとは関りたくなかったのだ。


時計の表示が九時を超えているのを確認すると、ナイトハルトは携帯電話を取り出した。アルベルトの番号を押して、通話を試みる。待つほどもなく、通話が可能になった。


『どうした?寂しくなったのか?』


アルベルトは珍しく、挨拶も無しで冗談を言って来る。リパウルのシュライナー家デビューは、思いのほか上手くいったらしい。第一声から上機嫌な様子のアルベルトに、こんな面倒なことを、伝えなければならないのかと、ナイトハルトは早くも嫌気がさしていた。


***


 空港で荷物が出るのを待っていたアルベルトは、待ち時間にかかってきた電話を受け、しばらく話し込んでいた。横で聞いていたリパウルは、少し落ち着かない。話が進むに連れ、アルベルトの表情から休暇の雰囲気が抜けていくのがわかったからだ。リパウルはため息をついた。仕事の話だろうか…。戻ったら、少し二人でゆっくりしたかったのだが…。


相当に怯えて臨んだシュライナー家訪問だったが、思いがけず楽しい時間を過ごせた。アルベルトの父親は、話に聞いて、怯えていたほど、話のわからない人物ではなかったし、何より、アルベルトの姉の息子で、アルベルトにとっては甥に当たるオスカーが、思いのほか可愛くて…。


「リパウル」


オスカーのことを思い出して、少しぼんやりしていたリパウルの背後から、アルベルトが彼女を呼んだ。声色がやや厳しい。


「どうしたの?」

「少し急ごう。問題発生だ」

「え…?」


のんびり出てくる荷物を待って、慌しく手に取ると、アルベルトはリパウルの手を引くようにして、空港を後にした。


「何があったの?」

「ここじゃ話せない」


歩きながらリパウルが聞くと、アルベルトが短く応じた。それで、リパウルには、問題というのがルーディアのことだと察しがついた。無意識に、繋がれた手に力を込めてしまう。アルベルトの手がそれに応える。長期休暇で家を空けるたび、大なり小なり何かが起こる。急ぎ足で歩きながら、アルベルトは密かにため息をついた。



「おい」

客室のドアを無遠慮に開け、ナイトハルトは声を上げた。

「アルベルトとリパウルが戻った。家に移動する。自分で起きろ」

その言葉にルーディアはゆっくり体を起こした。まだ眠そうな顔をしているところ見ると、狸寝入りというわけではなかったのだろう。それでも、アルベルトとリパウルという言葉には反応するのか、と、ナイトハルトは少し感心した。


「今頃、リパウルは地下を確認中だろう。ここから跳ぶか、それとも俺の車で奴の家の駐車場まで移動するか…」

ナイトハルトの提案に、ルーディアは逡巡した。


「家の前まで車で行くわ。あなたがアルベルトに会ってから、状況を私に教えて」

「わかった。ならついて来い」


慎重な判断だ。そこまで投げやりになってはいないようだ。ナイトハルトは踵を返した。そのまま玄関へと向かう。ルーディアはベッドから飛び降りると、小走りで彼の後を追った。


 ナイトハルトの車の後部座席に乗り込むと、ルーディアは無言で窓の方を見た。黒遮蔽シートが貼られていて、外の景色ははっきりと見えない。それでも、アルベルトの家の近くまで来ると、見覚えのある景色になった。ルーディアは安堵した。何故だろう、技研の地下より、ここの方が守られている、そんな気がした。


 シュライナー家の駐車場に到着すると、ナイトハルトが携帯電話でアルベルトを呼び出した。玄関からアルベルトが小走りで出てくる。何も言わずに、助手席に入り込んだ。


「ナイトハルト…すまない」

「いや、こっちこそ、戻ったばかりなのに、悪いな」


アルベルトは無言で頷くと、後部座席の方へ顔を向けた。


「リパウルは地下にいるよ」

と、それだけルーディアに言った。声色は優しかった。


ルーディアは硬い表情で頷くと、そのまま、すでにすっかり居慣れた地下へと跳んだ。アルベルトは座席に頭を預ける。


「それにしても、お前…」

「なんだ?」

「ルーディアは預かってるって…誘拐犯かと思った…」


アルベルトの言葉に、ナイトハルトはにやりとした。


「嘘は言ってない」

「もっと言い方があるだろうに…」

「だいぶ手間をかけさせられたからな」

「俺にあたるなよ」

「そうか、じゃ、リパウルにあたるか」

「ナイトハルト…」


アルベルトの苦虫を噛み潰したような表情に、ナイトハルトは少しだけ、溜飲が下がる思いを味わった。


***


 ナイトハルトから、駐車場についた旨、連絡が来た。先に一回地下に下りたが、地下はアルベルトの郷里にたつ前の状態だった。アルベルトの指示は簡潔だった。ルーディアが地下に来るから彼女が来たら、地下の設備に電源を入れる。彼女は自分が帰って来た時には、元からここにいたことになっている。エナからは何の連絡もない。一体どうなっているのだろうか?


 地下に下りると天井の電灯が点灯した。が、先ほどと同じく、ルーディアはいない。と、彼女がポットの側に現れた。


「ルーディア!一体、何があったの?」

「ごめんなさい、リパウル…」

「ううん」


リパウルはルーディアに、聞いてもらいたい話がたくさんあった。けれど、そんな場合でもないようだ。


「詳しい話はまだきいてなくて…。でも、無事でよかったわ」


ほっとしたように、リパウルが言った。彼女から無数の感情が見えた。はっとするほど強烈に、乳児の姿が見える。ルーディアは思わず笑みを浮かべた。


「ほら、アルベルトの言う通り。あなたなら大丈夫だったでしょう」

「ルーディア…」


リパウルは何も言わずにルーディアを抱き寄せた。


「そうね、あなたの言う通り。とても、いい人たちだったの。行ってよかった…」

ルーディアはリパウルの背中に手を回した。

「よかったわ。話をたくさん聞きたいんだけど…」

「うん、ありがとう。でも今は…」


言いながら、少し離れる。


「あなた凄く眠そうよ」


と、にっこりとリパウルが言った。ルーディアは目をこすりながら


「そうなの、私も色々あって…ナイトハルト・ザナーに言わせると、自業自得だってことになりそうだけど」


言いながらゆらゆらと揺れ始めた。


「あら、眠るんならポットに入ってくれなくちゃ…」


リパウルは慌てた。ルーディアは無言で頷くと、至近距離なのにも関らず、ポットまで跳んだ。覗くとそのまま眠ってしまったようだ。リパウルは、室内のシステムをオンにすると、慣れた調子で早速、脳波のチェックを始めた。

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