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オールドイースト  作者: よこ
第1章
8/532

1-2 オールドイーストに来た日(1)

とある木曜日の夕方。柔らかいグレイの壁面をした家の前で、アナベルは大きく深呼吸をした。規格製品で作られた単身者用の賃貸専用の一戸建てで、周囲には似たようなデザインの建物が、一定の間隔を保ちつつ、転々と並んでいる。ふと、何故か、郷里で見た、墓標の並ぶ景色を思い出す。


オールドイーストに来て、そろそろ三ヶ月が過ぎようとしている。この家でのバイトは実入りがいいし、引き受けた時はかなり割のいい仕事と、むしろありがたい方だったのだが…。


今では、疲れて、気力が減退気味の今日のような日には、少し気合を入れる必要があった。


(金のためだ、気合いを入れろ)


最終呪文を心で念じると、インタフォンを鳴らそうと、手を上げる。と、そのタイミングで入り口の自動ドアが、静かな音を立てて開いた。アナベルの目の前に、彼女の雇い主…正確にいうと雇い主ではないのだが…の胸板が立っていた。ハウスキーパーのバイトの雇い主…の息子で、家の住人、ウォルター・リューだ。いまどき珍しい、使用のための眼鏡をかけている。


驚いたアナベルは反射的に、ウォルターを見上げてしまう。


ウォルターの方は、アナベルを見下ろすと

「ああ、君か」

と、呟き、アナベルの脇をすり抜け、家から出てくる。アナベルは、二、三歩後ろに飛びのいた。彼女の動きにはかまわず、ウォルターは玄関ドアに鍵をかける。それから

「今日から毎週、木曜日は休んでいいから」

と、淡々と告げた。


「え?でも…」

「日給払いって訳じゃないんだし、君の手取りは減らない。休みが出来たラッキーって、素直に喜んでりゃいいんじゃないの?」


ウォルターは、ジーンズのポケットに無造作に鍵を入れながら、アナベルの方を見向きもしないでそう告げる。


「いや、仕事するつもりでいたから」


…毎週木曜日?時間が余る。


何か他にバイトを入れようか…と、反射的に考えてしまっていたアナベルを、ウォルターは一瞥すると

「勉強すりゃいいんじゃないの?君、何しにオールドイーストまで来たの?」

と、やや冷やかに告げると、返事を待たずに踵を返した。そのままバス停のある方向へ走り始める。肩には見慣れないスポーツバッグを掛けている。


(スポーツかなんか始めたのか?)


…ウォルターにスポーツ…正直、あまり似つかわしい組み合わせとは言えない。が、個人の自由なので、どうでもいい。少年の姿が見えなくなるまで見送るともなく見送って、アナベルはバイト先からレンタルしているミニバイクのハンドルに手を掛けた。


(帰るか…)


少しほっとしている自分がいた。




 暗くなり始めた帰り道、ミニバイクのライトを点灯し、気持ちだけは先を急いでいると、上着のポケットに突っ込んである携帯電話が、メッセージの着信を告げた。バイクを止めて、携帯電話を見ると、アルベルトからだった。


【バイト帰りに、ナイトハルトの所に寄り道して、書類を受け取ってもらえませんか?】


…丁寧だな。


今日はバイトもないし、ウォルターの家からナイトハルトの家は、割合近くにあった。少し遠回りになるが、門限には間に合うだろう。


【了解】


短く返事をすると、そのままナイトハルトの家へと向かう。


ナイトハルトの家には灯りがついていた。アナベルがインタフォンを押すと、玄関ドアが横滑りに開いて

「どうぞー」

と、いうナイトハルトののんきな声が、インタフォンから響いてきた。




 家に入るとリビングへ直進する。地上階の間取りはアルベルトの家とほぼ同じで、リビングに扉がないところも同じだ。


 ナイトハルトはアナベルの姿を見ると、ソファから立ち上がり

「なんだお前、早いね」

と、言いながら横をすり抜ける。こちらにも、アルベルトから連絡が入っていたようで、戸惑う風でもなく

「今、渡すもの取ってくるから、そこ座って待ってろ」

と、言いつつ姿を消した。


アナベルは、リビングの中央のテーブルの上に、白いきれいな箱と、もう一つ、見慣れぬものがあるのに気が付いた。


近くまで寄って見ると、直径十センチくらいのガラスの筒の中に、薄い水色をした球体が浮かんでいる。よく見ると、その球体は白い大気を薄っすらと纏って、自転している。大気は、球体の周りを縁取るように一緒に自転していた。


(これ…)


以前、カディナの町役場で似たようなものを見たことがある。もっとも町役場ではこんなに近くで見ることは出来なかったし、こちらの方が格段にきれいだ。


「見事だろ…」

突然声がして、アナベルは文字通り、飛び上がるほど驚いた。


「ナイトハルト…」

「それ作ったの、お前と同い年のやつだぞ」


いつの間に戻ってきたのか、リビングの入り口に立ったまま、ナイトハルトがどこか自慢するように、そう言った。


「作った?」

「ああ、課題で…ほんの、腕試しのつもりだったんだが、予想を越えてた。こんなに出来のいい人工惑星模型を素人が作れるとは思わなかった。流石に、俺も驚いたな…」


(人工惑星模型…)


「難しいの?」

「ああ、惑星の構造から大気の成分や、相当の知識と、さじ加減、技量が必要だ。アナベルはこれ、見たことあるのか?」

「うん、カディナの町役場で何度か。でも、遠かったし、もっと、黒っぽかったよ」


ナイトハルトはリビングに入ってくると

「作り手のイメージ通りに作ろうと思ってもなかなか上手くはいかないし、そもそもイメージを描けない場合もある。これは、そういう意味でもいい出来だ」


手放しで褒めている。惑星模型を見つめながら、アナベルは

「私と同い年で…」

と、声に出して呟いてしまう。


「そういえばお前、今、何歳になるんだ?」

と、改めて今更なことをナイトハルトは訊いてきた。


「ついこの前、十六歳になった」

「ついこの前?お前、誕生日いつよ?」

「今月。ほら、アルベルトの結婚騒動とかあっただろ?それでバタバタしてる間に気が付いたら過ぎてたんだよね」


とはいうものの、郷里のカイル叔父からはメッセージが届いたし、ドクター・ヘインズからも、実用的なプレゼントを貰ってはいるのだが。


何に驚いたのか、ナイトハルトはアナベルを凝視して

「おまえ、なんでもっと早く言わない」

と、呟いた。


「え?別に、訊かれなかったし」

「訊かれなかったし…って」

何にこだわっているのか、ナイトハルトは目をそらすと、テーブルの脇においてあった白い箱を手に取ると

「やるよ」

と、無造作に差し出した。


「は?」

「誕生月の女性が目の前にいるのに、手ぶらで返すわけにはいかない」

「何言ってんだよ。こんな高そうなもの、貰えるわけないだろ」

と、断るが、ナイトハルトは何をこだわっているのか

「いいから、あけてみろ」

と、譲らない。


白い箱は手のひらに収まるサイズで、白いリボンを掛けられていた。あきらかに大人向けの高価な贈り物といった雰囲気だ。


「これ、誰かから貰ったものなんじゃないの?」

「いや、俺が買った」

「…なんで?」

「んー、なんでかな、この時期には時々、そういう買い物を、したくなるんだよねぇ…」

と、言いながら資料の束らしき物をテーブルに置いて、またリビングを出て行く。


なんだろう、一体。わけがわからない。思いながら、白いリボンを引いて、箱を開く。中はグレイがかった光沢のある白い上品な布に守られた、銀色の口紅だった。蓋を外して、少し出してみると、淡い優しいピンク色をしていた。どうみても、大人の女性向けのものだ。


(貰い物…じゃないって言ってたよなぁ。誰かへのプレゼント?)


ドクター・ヘインズにも似合いそうだが、少しイメージが違うかな?


もともとファッションの類とは縁が薄い。とてもきれいでよい物なのだろうということはわかるが…。


「気に入ったか?」

と、ナイトハルトの声がする。手に、琥珀色の液体が入ったグラスを持っている。今度は、ナイトハルトが戻って来ていたことに気がついていたので、アナベルも驚かない。


「きれいだけど、やっぱり貰えないよ。第一これ、私向けじゃないだろ?」


言われて、ナイトハルトは肩を竦めた。


「どうせくれるんだったら、こっちの方がいいよ」


口紅をおさめながら、アナベルは人工惑星模型の方へ視線を向ける。ナイトハルトは器用に片眉を上げると

「何言ってんだ、それは製作者に返すんだ」

と、言いながらアナベルから口紅の箱を受け取るが、ほどかれたままの白いリボンを少し見つめて、アナベルに向かって差し出した。


「これくらいなら、いいだろ」


アナベルは首をかしげる。何をそんなにこだわっているのだろうか?なんとなく断らない方がいい気がして、アナベルは頷きながら白いリボンを受け取った。


「ありがとう…」

「…よし」


ナイトハルトも、ようやく納得したようだ。


白いリボンはきれいだし、何か使い道もあるだろう。アナベルはそう思って納得することにした。


***


 アルベルトの家に戻ると、こちらにも灯りがともっていた。


(リースかな)

と、思ったが玄関前にリパウル・ヘインズのミニバイクがある。


(ドクター・ヘインズ?)

と、思いながらリビングを覗くが誰もいない。ナイトハルトから預かった資料をガラステーブルの上に置くと、迷わず地下へ下りた。


入り口のドアを軽くノックすると

「はーい」

と、いう優しい声が聞こえた。


「ドクター・ヘインズ」

「あら、アナベル。早いのね」


タブレットを手に白衣を着たリパウル・ヘインズが振り返る。アナベルの姿を認めると、華やかに微笑んだ。金色の髪は、今日は上の方に一纏めにして結い上げており、銀縁の眼鏡をかけている。仕事モードだ。


「うん、ウォルターが今日から毎週木曜日は休んでいいって。何かきいてる?」

と、アナベルはリパウルに訊いてみる。


計器をチェックしていたリパウルは、首をかしげると

「いいえ、何も…。エナに確認をしてみるわね」

「あ、うん、すみません。なんか、出かける予定が出来たみたいだった」

言いながらアナベルは、周囲を見回す。


「今日、リースは?」

「補習。小テストでF判定だって…。いよいよ世代交代の日が近づいている感じね。そういえば、アナベル、バイトの方はどう?」

「まぁ、順調だけど…」


ハウスキーパーがやや憂鬱…とは言えない。


現在アナベルは三つのバイトを掛け持ちしている。


一つは週末のカフェのウェイトレス、一つは学校が終ってからの平日、宅配のバイト、もう一つはそれが終ってからのハウスキーパーのバイトだ。平日の仕事は短時間で、稼ぎのいいおいしいバイトだ。ふたつともリパウルが…正確に言うと少し違うが…みつけてくれた。


リパウルはタブレットに何か入力しながら、続けて

「じゃ、勉強の方は?」

と、尋ねる。


「ええっと…まぁ」

「もう、そろそろ学期末試験の準備に入る時期じゃない?」

「もう?」

「そりゃそうよ。一科目でもF判定になったら、強制送還なんでしょ?」


振り向くと、リパウルはアナベルに向かって片目をつぶる。親身になってくれているのか、面白がっているのかよくわからない。


「まぁ、アナベルは大丈夫だと思うけどね…」

リースはなぁと、ため息をつく。


「あの、ドクター・ヘインズ。ルーディアの様子…どう?」


アナベルの問いにリパウルはため息をついた。


「あれから、寝てばっかり。アナベルがいる時に起きてきたりしてる?」

「いえ…」

「そうか、リースにも訊いたんだけど。…休んでるのね」


記録用の録画データを確認しても、ルーディアに目立った動きはない。とはいえ、記録データは肝心な時に役に立たないことが証明されたので、一緒に暮らしている二人には念のため、確認しておきたい。リパウルはため息をついた。やはり、アルベルトの結婚騒ぎの時に無茶をしすぎたのだろうか。


「あの、ルーディアのことで、大変…だった?怒られたりとか…」

「ああ、うん。でも、心配されるほどでもなかったの」


リパウルの上司であるエナ・クリックは、リパウルからの報告書を読んで、ルーディアの活動ぶりに、怒るどころかむしろ静かに興奮していた様に見えた…とは言えない。


「それより、ルーディアの担当を外されるんじゃないかと、それが一番心配だったから、すっごくほっとしてるの。なんのかんの言っても、エナは寛大だわ」


「そういえば、ドクター・ヘインズっていつからルーディアの担当なの?」

「そうね…ちょうど一年前くらいかなぁ」

「ルーディアって、そのころからアルベルトの家の地下に住んでるの?というか、なんで、ルーディアは、アルベルトの家の地下に住んでるの?」

と、アナベルは初めてこの家に来た時から、不思議でならなかった疑問を口にした。


アナベルの素朴な疑問に動転して、リパウルは手にしていたタブレットを計器の上に落としてしまい、そのまま床に落ちそうになったところをかろうじて受け止めた。それから、そのままの姿勢で、顔だけアナベルの方を向けると

「…アナベル、その質問の答え、今聞きたい?」

と、尋ねた。いつものステキな笑顔が、明らかに引きつっている。


「いや、いいです」

反射的にアナベルも答えてしまう。リパウルはタブレットを手に戻し、体勢を立て直すと、軽くため息をついた。


「…実は、私たちにもよくわからないの。私が…担当になった前後くらいに、ルーディアがここに住みたいって、言い始めて。エナは外に出たくなったんだろうって。アルベルト…シュライナーが、いいですよって、引き受けてくれて」

「アルベルトって意外に間口広いよね…」


自分たち越境者のことも、無償で支援してくれている。少しおっとりしすぎている気もするが、いいやつだよなと、アナベルは改めて思った。


「そうね…」

と言うリパウルの声は、どこか温かい。が、はたと気がついたとばかりに腕時計を見て

「あ、そろそろ技研に戻らなくちゃ」

と、慌しく言うとアナベルのほうに向き直った。


「あの、アナベル、前言ったこと」

「うん、ルーディアのバイタルチェックの件だろ。夕方だけだよね?私でよければ、ぼちぼち引き継ぐよ」

「ありがとう」


言いながら、リパウルは感謝した時の癖なのか手を合わせた。


「今度リースと時間を作るから、本当にありがとう。でも、勉強の負担になるようだったらすぐに言ってね」

と、念を押す。


「うん、こっちこそありがとう」

アナベルは笑顔で頷いた。収入が増えるのは大歓迎だ。


***


 リビングに上がるが、まだ誰も戻っていないようだった。リビングのテーブルの上には先ほどアナベルが置いた、紙の束と、不似合いな白いリボンがそのままあった。


「これは?」

と、言いながらリパウルはなんとなく場違いな白いリボンを手に取った。


「あ、それ…」


説明しようとして、はっと口を噤む。あの訳あり気なプレゼントのことを、リパウルに言っていいものか。聞くところによると、リパウルはナイトハルトの本命の彼女じゃなかったろうか?


「えと、なんか、誕生日の話になって、ナイトハルトがくれた」


自分は嘘をつくのが上手くない、という自覚のあるアナベルは、言っても構わなさそうな部分のみピックアップして、説明した。


「へえ、あいつが?かわいいもの持ってたわね」

と、何か感心している。気分を害した様子はないが、アナベルにはよくわからない。


アナベルからすると、リパウルから貰った、自分名義の携帯電話の方が、よほど嬉しかった。オールドイーストに来て三ヶ月足らずだ。誕生日を祝ってもらえること自体が驚きだ。


リパウルは書類を見ていたのだろうが、ちゃんと覚えていてくれたのだ。何より、携帯電話は決して安い買い物ではない。…通話料金の支払いが、エナになっているというのには、目玉が飛び出るほど驚いてしまったのだが。…そう聞くと、無駄遣いをしにくいというものだ。


リパウルは携帯電話を渡す時、通話料金の件を通達するのとは別に

「本当はもっとこういのじゃなくて、アナベルに似合いそうな、かつ私の趣味全開の服とかアクセサリーとか、贈りたかったんだけど、今のアナベルにはこっちの方が役に立つかなって、来年は絶対趣味全開のものを贈りたいから、受け取ってね」

と、力説したのだった。


…来年、いるのかなぁ。私…


お金を稼いで、目的が達成できたら、カディナの町に帰る予定だ。けど、今はリパウルの趣味全開の贈り物を、見てみたい気もしている。


まぁ、先のことを余り考えても仕方がないし…。


「ナイトハルトのところへは、アルベルトのお使い?」

「うん、そう。きれいな人工惑星模型があったよ。ドクター・ヘインズ、知ってる?」

「ええ、何度か見たことがあるわ。どんなの?」

「水色の…カディナの町役場で見たのと全然違ってて…」


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