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オールドイースト  作者: よこ
第1章
72/532

1-9 “レィディアンドジェントルマン”(7)

仕事を終えて、アルベルトの家に帰り着くと、ダイニングキッチンから話し声がした。

「ただいま」

と言いながら覗くと、ルーディアとアルベルトが何事か話し合っている。

「あ、おかえり」

「おかえり」

アナベルに気が付くと二人とも挨拶を返した。ダイニングテーブルには、夕食の用意が出来ていた。


「夕食、アルベルトが作ってくれたんだ。ありがとう」

「いや、一日家にいたから…。その、来週は頼めるかな?」

 予定のない日の休日は、アルベルトはジム通いをしている。普段余り体を動かさないので、休みの日くらい身体を動かしたくなるのだそうだ。ナイトハルトが泊った日には、二人でするスポーツ競技をしたり、映画を見に行ったりすることもあるらしい。が、今日は外出する気にもなれないほど、落ち込んでいたのだろうか?


「いいよ。来週、何かあるの?」

「その次の日から出張になりそうだから、準備があって」

「わかった。あれ、リースは?」

普段なら自分の帰宅より早いはずのリースの姿が見えない。

「友達と食べてくるって、連絡貰ったよ」

「そうなんだ」

アナベルはリュックを下ろすと手を洗い、席についた。なんとなく、二人の様子を伺ってしまう。


「あの、なんか話してた?ひょっとして邪魔した?」

「いや、たいしたことじゃ…」

「リパウルの誕生日をどうしようかって…」

アルベルトの呟きを黙殺して、ルーディアが言葉を重ねる。

「誕生日?お祝いするの?」

「みんなでサプライズ…とかじゃなくて!」

ルーディアは妙なことを知っている。昼間にドラマでも見ているのだろうか?


「つまり、この人がね」

この人というのはアルベルトのことだろう。アナベルはなんとなくルーディアに感嘆した。彼女にかかると大家も形無しである。

「何買うかとかで悩んでるってこと?」

「まあ、そうね」

「一緒に行けばいいんじゃない?」

「一緒に?」

「うん、以前イーシャが可愛い髪飾りつけてたんで聞いたら、彼からのプレゼントだって嬉しそうにしてたよ。一緒に選んだんだって。いい考えだよね」


いい考えと言うほどでもない。交際中の男女にはありがちなことだ。が、アルベルトは感銘を受けた。


「ああ、なるほど」

「リパウルの誕生日がいつなのか知らないけど、近い時でもいいから、それに合わせて行けばいいんじゃないかな」

アルベルトは安堵したように微笑んだ。

「そうだね、その案を実行してみよう」


仕事の打ち合わせか?実験か何かか?ルーディアは心の中で突っ込みをいれてしまう。


「まあ、とにかく、あなたは少し話さなさすぎだから…少しは話してあげなさいよ。聞く方は出来てるんだから」

「そうなの?」

と、何故かアナベルが応じる。

「そうねぇ、思いやりなんだか、カッコつけなんだか、わからないけど」


たぶんカッコつけ、の方だろうな、とアルベルトは自分で思った。ルーディアの言葉に、アナベルの方が頷きながら

「そうだよ。なんか考えがあるのかもしれないけど、勝手に黙られて、それで腹とか立てられても、こっちも対処に困るというか…」

「誰の話よ?」

すかさずルーディアが突っ込みをいれる。確かに、今のところ、リパウルに腹を立てたりした事はないような、とアルベルトも考える。アナベルは、ばつの悪そうな顔になって

「そうだね、今のは関係ないね」

と、呟いた。


食事を終えて、片づけを済ませるころ、リースが戻ってきた。なんとなくみんなでリビングに移動すると、アナベルは早速、視聴用のタブレットの中身について質問し始める。と、インタフォンが鳴って、先ほどの打ち合わせの主人公の声が、来訪を告げる。待つほどもなくリパウルがリビングに顔を出し、にっこりとした。


「こんばんは」

休日だからか、珍しく少し膝丈の短いスカートだ。綺麗な脚がスカートの裾からすらりと伸びている。ここのところ見慣れた、作り笑顔ではない、自然な笑顔にアルベルトは安堵した。

 リパウルはリビングに入ってくると、二人の下宿生の背後から、タブレットを覗き込む。


「何見てるの?」

「あ、これ。リースのなんだけど『ダブル・ブッキング』。知ってる?」

「知ってるわよ。オリジナルは私たちが学生の頃放送されてたのよ。これはリメイクでしょ?今日会った友達ともその話になって…」

それで、元気な彼女に戻ってたのかと、アルベルトは思った。相手は学生の頃からの友人のマーラーだろう。とはいえ、今のこの状況、…自分はやんわりと避けられている様な気もするが…。


「今の見てる?」

というアナベルの質問にリパウルは苦笑した。

「流石に忙しくて…」

「そっかー」

「アナベルは、面白いの?」

「うーん、言えるほど見てなくて。イーシャがはまってるんだ」

「へぇ、これ女の子たちが、可愛いのよね」

「イーシャも言ってた」

「それがなんでこんなダメ男クンにはまるのか、っていうのが最大の謎なんだけど」

「ダメ男クンなんだ…」


それほど見ていないアナベルは、主人公のダメさ加減がまだいまいちわからない。

「これ、キャサリン?」

背後から画面を見ながら、リパウルが指差した。先ほどからリースは固まりっぱなしだ。こんなに近くで、自分の背後で、ドクター・ヘインズが普通に話している(主にアナベルとだけど…)。

「そう、らしいよ。リースの方が詳しい…」

「そ、そうです。これ…さっきのがキャサリン!」

リースは大真面目で説明した。画面はすでに別のシーンだ。


「私の頃のキャサリン役の女優さんと、ナイトハルトが付き合ってたことがあって」

と、唐突にリパウルが面白そうにそう言った。アナベルとリースは仰天して、二人してポカンと口を開けてしまった。


「何か、あいつの大学の方で特別番組とかあったらしくて。その時のナビゲーターがその女優さんで…名前、忘れちゃったけど。キャサリン役でブレイクはしたけど、その時はまだまだ売り出し中だった筈。大学で遭遇して、見初められたらしいわよ」

面白そうに微笑んだままリパウルが告げた。


「今は結構、売れっ子女優さんなんじゃないかな?確か、ジャネット…なんだっけ…」

口を開けたまま反応を示さない二人の様子に、リパウルの方が心配になってくる。


「あの…二人とも…」

「ナイトハルト、女優さんと付き合ってたの?」

「あの、この人じゃないのよ?」

「うん、わかってる」

「ナイトハルト、すげー」

「やっぱり、ただもんじゃなかったね」


そんなにすごいのか?リパウルは首を傾げたくなるし、何となく腹立たしい。調子に乗って余計なことを言うのではなかった。


「大学って、どんな風に知り合ったの?」

「え、それは…私は違う大学だったから…」

「アルベルト!同じ大学だったんでしょ?」


リースが半腰になって声をかけてくる。…やはり、こっちにお鉢が回ってきたな、と、半ば身構えていたアルベルトは内心で嘆息した。…そのことなら一応は覚えている。


「え、あの」

ついリパウルの方を見てしまう。予想通り彼女は顔をそむけた。

「アルベルト、ひょっとして知らないの?」

と、いうリースの言葉に、特になにも考えないまま

「ジャネット・カーバンクルのことかな?亜麻色の髪の…」

「あ、知ってる!」

「そうだよ、初代キャサリン役、ジャネットだったー」

と、二人の下宿生が盛り上がっている後ろで、目を眇めてアルベルトを見つめるルーディアと、目があった。


 …あれ?


何か失敗したらしい。懲りずにリパウルを見ると、彼女もじっとりとこちらを睨んでいる。なんなんだ一体?


「え、どんな風に付き合いだしたの?」

「いや、だいたいリパウルが言ったような感じで…」

言いながらやめた方がいいというシグナルが頭の中で点滅する。しかし、

「…で?」

という二人の下宿生の、期待に満ちたまなざしに逆らえない。


「結構たくさんの学生が、面白半分で撮影を覗いてて、中庭の通路をふさいでたんだ。ナイトハルトはああいう奴だから、半分切れてるし、迂回しようと撮影隊の方に向かったんだけど、休憩に入ったらしいジャネットが抜け出してきて、よけそこなった学生の一人に足を取られて、転びそうになったんだ」

「あ~なんかわかった」

「ナイトハルトが、手を貸したんだ」


アルベルトは苦笑した。実際には転びそうになったジャネットの腕を咄嗟に掴んだのはアルベルトの方で、側に立っていたナイトハルトは「大丈夫か?」と声をかけただけなのだが。


「まあ…そんなところかな?」

「それだけで、見初められたの?」

「見初められたというのか…」


その時は軽くお礼を言って立ち去ったジャネットが、オフを利用して大学に通いつめ、ナイトハルトを捕まえて、連絡先を交換したらしい。そのあたりは後で聞いて知ったのだが。ここでようやく、アルベルトは自分の失敗を悟った。成り行きとはいえ、その当時ナイトハルトと付き合っていたのはリパウルだ。迂闊にもほどがある。


「あの…」

リパウルはアルベルトが思い出す必要のないことを、思い出したことに、気が付いた。

「ふーん、そうだったんだ。あいつ経緯は言わなかったから、そういう感じだったのね」

「あの、リパウル…」

リパウルは盛大な作り笑顔をアルベルトの方に向けると

「いいネタ、ひとつ確保しちゃった。ありがとう、アルベルト。じゃ、もう遅いから帰るわね」

言いながら、下宿生二人に笑顔をむけると軽く手を上げ、リパウルはリビングを後にした。ルーディアがイライラしたように

「追いかけなさいよ」

と、アルベルトに向かって鋭く言った。



「リパウル」

なんとか彼女が立ち去る前に追いつけた。

「何?」

光源は駐輪スペースに設置した防犯用のライトだけだ。表情が伺えない。

「その、ごめん…」


リパウルは腕組した。今日、マーラーに忠告されたばかりだった。今の自分はアルベルトの顔色を伺いすぎている。


「…そのごめんは、何に対してなの?」

君を傷つけたから、などと言ったら、アルベルトを張り倒しそうだ。

「いや、その…」

アルベルトは口元を手で覆った。

「その、忘れてて…」

「何を?」

「つまり…」

「ジャネットのせいで私がナイトハルトに振られた…そんなこと思い出させてごめんとか、言わないでしょうね?」

「いや…」


考えてみたら、ジャネットの話題を出したのはリパウルだ。しかもどう、聞いても、面白いネタ扱いだった。それもあって、うっかりしたのだ。では、何がまずかったのだろう?

アルベルトが黙り込んだので、リパウルはため息をついて見せた。


「話がそれだけなんだったら、もう、帰るわ」

「いや、それだけじゃないけど…」

「…何?」

「その昨日の…」

「昨日?」

「君の誕生日」

言われてリパウルも黙り込む。


「君がよければなんだけど、よかったら、君の欲しいものを一緒に選べればいいのかなって、思ってるんだけど…」


彼女が黙り込んだ隙を狙うように、口早にアルベルトは言った。


「え?」

「つまり、一緒に出かけて…」

なんの反応もない。アルベルトは様子を伺うように、リパウルの方を見た。先ほどと同様、薄明かりで、表情はわからない。が、固まっている?


「その、都合が付かないようだったら…」

「何言ってるの?行くわよ!私は、休日は暇だし…いつでも、空いてるわよ。その、今日はたまたま予定があったけど…普段は空いてるし」

「あ、そうなんだ」

「いつでもいいわよ。なんなら来週だっていいわよ」

この反応はなんだろう?怒っている…わけでもなさそうだ。


「土曜日は、研究所に出るから。日曜日は…」

「わかったわ。じゃ、日曜日ね」

「あ、でも、次の日から出張で、少し地研にでないといけないから…」

「べつに、私はその後でもいいわよ」


なんだろう。昨日は浮かない感じだったのに。これは、はりきっているのだろうか、よっぽど欲しいものがあるのか?


「あ…じゃあ、来週の日曜日でいい?」

「いいわよ」

「時間は三時くらいで、どうかな?」

リパウルは無言で頷く。それから

「待ち合わせは…どうするの?」

と、自分の方から切り出した。アルベルトは考え込む。二人ともわかりそうなところというと高等校近くのカフェくらいだ。


「アナベルがバイトしてるカフェとか?」

「学校の近くの?」

なんとなく嫌そうだ。

「ダメだったら、他に…」

と、言われても思いつかない。リパウルはあきらめたようにため息をついた。


「いいわ、じゃ、三時にそこで」

「アナベルに見られたくないのか?」

「そういうんじゃないわよ。アナベルはいいの」

リパウルは慌てたように首を振った。何が嫌なんだろう?

「じゃ、来週の日曜日、カフェで三時ね」

「わかった。欲しいもの、考えといて…」

「あ、そうね」


この反応も謎だ。欲しいものがあるわけではないのか?アルベルトは首を傾げたまま、リパウルを見送った。


 アルベルトがリビングに戻ると、アナベルが気付いて、寄って来た。

「アルベルト、ちゃんとデートに誘えた?」

と、首を傾げる。

「あ、うん」


…そうか、デートに誘ったのか…。


アナベルに訊かれて、アルベルトは今更のように気が付いた。そういえば、学生時代には、デートなんてまともにした事がなかった。アルベルトはまたしても、自分の迂闊さにため息をついた。

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