表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オールドイースト  作者: よこ
第1章
57/532

1-7 “ボーイミーツガール”(6)

破局は突然にやってきた。春休みの後、ナイトハルトが学校に来なくなったのだ。電話も全く通じなかった。

無断欠席も四日目を迎えると、流石に心配になってくる。いくら遊び歩いてても、無断でしかも、連続で学校を休むことなど、今までなかったのだ。


ナイトハルトは高等校に進むと同時に、バイオロイド専用の施設を出て、父親―――精子提供者から出資により、単身者用の小型の戸建に住んでいる。リパウルは授業が終ってから、一人で様子を見に行った。バスを降りて少し歩くとナイトハルトの家だ。

呼び鈴を押しても返答がない。仕方なくインタフォンに向かって呼びかける。


「ナイトハルト、いるんでしょ?あなた生きてるの?開けて、リパウルよ」

すると声に反応したかのように玄関が勢いよくスライドする。

 室内は、何故か明かりが消えており、どこかでかいだような、異臭が満ちていた。リパウルは壁に手をつけ探るようにして、廊下を歩いた。と、何かに躓いてしまう。下を見ると、ナイトハルトが廊下の壁にもたれて、足を伸ばして座っている。心臓が飛び出しそうになった。


「ナイトハルト」


驚いてひざまずくと、ナイトハルトから、アルコールのすえたような匂いがした。室内に満ちている匂いはこの臭いだった。


 リパウルの呼びかけに、ナイトハルトは顔を上げた。ほっとしたのは一瞬だった。やせた頬に、無精髭。目だけが異様にぎらぎらしていた。


「…なんだ…おま…、何しに来…」


言葉と共に付きまとう異臭。呂律の回らないしわがれた声は、ナイトハルトのものとは思えなかった。


「な、何って…」

「用がない…ら、帰れ。こっちはお前…用はな…」


普段からナイトハルトはリパウルに対しては容赦のない口をきくが、今のこれは、普段のそれとは全く違っていた。不明瞭なくせにはっきりと、声には苛立ちと本物の拒絶が含まれていた。


「お…ようがあんの…ェレーン…だけ…」


呂律の回らない声で、ナイトハルトが何か呟いた。


「エレーンって…」


聞こえたまま、リパウルは呟いた。と、沈没寸前まで意識が落ちていたように見えたナイトハルトが、ものすごい勢いで顔を上げると、リパウルの襟もとを掴んで自分の方へと引き寄せる。


「おい、なんで、おま…、エレーンを知ってる…」


アルコールの嫌なにおいがリパウルの鼻を突く。何も考えられなかった。質問の意味もわからない。襟を掴むナイトハルトの腕を、無理やり引き離すと、リパウルは転がるように廊下を走る。


(違う…あんなの、ナイトハルトじゃない!!)


怒りとも悲しみとも恐怖ともつかない感情が、自分の中でごちゃ交ぜになる。逃げるように玄関から出ると、そこに意外な人物が立っていた。


「アルベルト!!」

「リパウル?」


安心して、思わずしがみついてしまう。アルベルトは困惑しながらも、彼女を受け止めた。


「どうした、何かあった?」


アルベルトの、気遣わし気な声にリパウルは首を振った。


「ちが…あんなの、あんなのナイトハルトじゃない…!」


気がつくと泣いていた。恐怖とも怒りともつかない感情に襲われて、泣くことでしかそれらを吐き出せなった。アルベルトは


「…あれも、ナイトハルトだよ」


と言いながら、彼女の髪をゆっくりとなでた。リパウルは大声で否定したかった。が、アルベルトの声音が、ひどく悲しげに聞こえて、それも出来なかった。

片手でリパウルの髪に触れながら、もう片方の手で、アルベルトがジーンズのポケットを探っているのにリパウルは気がついた。リパウルは涙を流したまま、自分のバックを探り、以前貰ったハンカチを取り出すと


「もしかして、これを探してる?」

と、言った。


リパウルのバックからでてきた、アイロンがけされた、以前自分が使っていたハンカチと、ようやく出てきた今の自分のしわだらけのハンカチとを見比べて、アルベルトは慌てたように、再びハンカチをポケットに突っ込もうとする。


おかしくなってリパウルは笑ってしまう。アルベルトは困ったように彼女を見ると、しわだらけのハンカチで、彼女の頬に残る涙を柔らかくぬぐった。それからなぜか

「ごめん…」

と呟いた。

「なんで?」

「うん…」

と呟きながら、リパウルの手の中のハンカチを見る。

「それ、使ってるんだ。ちゃんとしてると、自分のじゃないみたいだ」

「これ?施設では洗濯からアイロンがけまで自分でするのよ」

アルベルトが感心した様子なのが嬉しくて、つい自慢してしまう。


「泣き止んだね」

安堵したようにアルベルトが呟いた。そういえば、涙が止まった。

「ごめん、君に言っておくべきだったけど…」

「知ってたの?」

「うん、何か、嫌なこととか、されなかったか?」

リパウルは首を振った。

「いつからなの?」

「春休みの最後の頃かな」

「ナイトハルトの家、知ってたんだ」

「うん、日に日にひどくなる。あれじゃ、体がもたない」

言いながら、ナイトハルトの家を不安そうに見やる。


今日も様子を見に来たのだろう。が、目をそらすと、リパウルの方を向いて

「帰ろう、送るよ」

と、言った。

「いいの?」

「うん、また明日来るから」

「私のことなら気にしなくていいのよ」

「いや…本当はあいつの問題だから…でも、なんとかするよ」

「なんとかって…?」

アルベルトは答えない。


「いつから、ナイトハルトの家、知ってたの?」

「いつからかな、前からたまに行き来してたから」

知らなかった。自分が思っている以上に二人は親しいのだ。ナイトハルトのことは子供の頃から知っている。彼のことなら、たいていのことは知っているつもりだったのに。今では多分、アルベルトの方が自分より、ナイトハルトのことを知っているのだろう。なんとなく複雑だった。


「春休みからずっと来てたの」

「うん、君には言うべきだったんだけど…」

アルベルトが何故ナイトハルトの状態を口にしなかったか、わかるような気がした。無断欠席が始まってから、クラスメイトの噂にはなっていたが、誰も正確なところを知らなかった。そんな場で、噂話のように今のナイトハルトのことを話題にしたくなかったのだろう。裏庭の外れで過ごしていた頃なら、自分には伝えてくれていただろうかと、ふと思った。




 次の週から、ナイトハルトが登校し始めた。髭こそ剃っていたが、ひどくやせて、すさんでおり、人を寄せ付けない刺々しい雰囲気は、あの時のままだった。入れ替わるように、アルベルトが放課後、授業が終ると同時に姿を消すようにいなくなった。


 登校するようになってから二日後、古典の授業のあと、ナイトハルトがリパウルの席の前に来た。

「おい」

「…何よ」

あの時の記憶がまだ強烈で、どう振舞っていいかわからない。

「この前は悪かった」

「…覚えてるの?」

「いや、ただ、あいつがお前に謝れってうるさいから」

「…あいつって」

アルベルトだ。そんな風に言ってくれてのかと思うと嬉しくて照れくさい。


「茶番は終わりだ」

「え?」

「どうせ、無意味だしな」

吐き捨てるようにそう言うと、立ち去った。

無意味って…。何があったのだろう。

 ナイトハルトが登校するようになって、五日後、アルベルトが地学の授業を休んだ。リパウルが知る限り、アルベルトが授業を休んだのはこれが初めてだった。


 次の週には普段通りに登校していたが、左頬が腫れていた。

「アルベルト、あなたその顔…」

リパウルは見るなり絶句してしまう。

「ああ、まだちょっと目立つな」

やや、げんなりした様にアルベルトが応じる。

「ひょっとして、ナイトハルト?」

リパウルのその問いに、あいまいな笑みを浮かべ、アルベルトは一瞬、周囲を一瞥した。

リパウルはその視線の意味を察すると、返事を待たずに席に戻った。


 その日の放課後、久しぶりでリパウルは裏庭の外れに足を運んだ。アルベルトはまだ、ここで勉強をする習慣のままだろうかと不安になるが、ここに来なければまた別の手を考えるまでだと割り切った。そんな風に思っていると、アルベルトがやってきた。リパウルの姿を認めると、驚いたように目を見開いた。


「リパウル、君…」

「何よ、いいでしょ?ナイトハルトから、茶番は終わりだって、ちゃんと宣告されたし、つまり、その…ここに来たって、なんら問題はないわよ」

と、リパウルは早口でまくし立てた。アルベルトはあきらめたように苦笑を浮かべ、彼女の隣に座った。左頬の腫れが近くで見ると余計に痛々しく感じられた。


「ナイトハルトのこと?」

と、尋ねてくる。

「違うわあなたのことよ」

反射的に応じてしまう。


「その頬、ひどいわ。一体どうしたの?」

「そんなにひどいかな?」

面白そうに聞き返され、リパウルは目をそらす。

「痛そう…」

アルベルトは困ったように肩をすくめた。

「ちょっと、ナイトハルトと意見が食い違って…」

「意見って?」

アルベルトは困ったように首をかしげる。言えないのだ…。

リパウルは思い切って言ってみた。


「それって、エレーンって人と関係あるの?」


リパウルの言葉にアルベルトは驚いたようにリパウルの方を向くと

「知ってるのか?」

と、呟いた。リパウルは素直に首を振る。

「知らないわ。ただ、あの時、ナイトハルトがこの名前を呟いてたから」

アルベルトはため息をついた。


「エレーンって、以前話してくれた、ナイトハルトの恋人…だった人の名前でしょう?」

「まあ、そうだね…」

歯切れの悪い言い方だった。


 よくわからないが、アルベルトには言えない理由があるのだ。多分、エレーンという女性とナイトハルトは、別れた。おそらくナイトハルトの方が、振られたのだろう。それが、彼の荒れた原因なのだ。ただの自分勝手な推測に過ぎないのに、リパウルは衝撃をうけていた。あんな風になるほど、ナイトハルトがその女性を好きだったのか、それともかなりひどい振られ方をしたのか、多分、両方だろう。


 リパウルはアルベルトを問い詰めるのは、やめることにした。彼を困らせるだけだ。

彼が言わないということは、言えないという事だ。


 今まで見たことがないナイトハルトの姿を見てから、リパウルは自分が見ている世界がいかに狭く出来ているのか実感していた。ナイトハルトのことだって、何でも知っているつもりでいたのに、彼が真剣に好きだった女性がどんな人だったのかも、彼がどんなにその人のことを好きだったのかも全く知らなかったし、知ろうともしなかった。


よくよく考えてみると、アルベルトのことだって、何も知らない。そう気がつく前の自分だったら、きっとアルベルトを問い詰めて、彼が何も話してくれないことに、身勝手な怒りを覚えていただろう。


リパウルはひとつ息をつくと、座ったまま伸びをした。

「いいわ。聞かない」

アルベルトは驚いたように彼女を見た。

「いつか、アルベルトが話せる時に聞かせて」

リパウルは、彼の方へ顔を向け、そう言った。アルベルトはまぶしげに彼女を見つめ、目を細めると、不意に目をそらした。そして

「わかった…」

と、だけ呟いた。



 ナイトハルトの連続無断欠席と、アルベルトの殴られた頬の跡と、その後の二人の関係の微妙な変化は、様々な憶測を呼んだ。ナイトハルトもアルベルトも、一見そうとはわからない程度には親しげに接していたが、やはり以前とは異なる距離があった。洞察と、自身の勝手な推測とを区別できない人間は、もっともらしいストーリーをこしらえた。


「あんたを取り合って、三角関係の結果、ナイトハルトが敗れたってことになってるわよ」「そう、恋人と親友の裏切りに傷ついて、連続無断欠席ね。あいつがそんな殊勝な奴かっての」

「で、真相は?」

マーラーに聞かれて、リパウルは肩をすくめてみせた。


「ナイトハルトを裏切った大親友に聞いてみて。正確な事情を知っているのは、当人と彼だけよ。もっともアルベルトは何も言わないけどね。何も知らないくせにもっともらしい噂を吹聴するような、高等技術を彼は持ってないの」

「…あんたも結構言うわね」

「だって…」


何も知らないのに勝手なことを…以前の自分を見ているようで、腹が立ってくるのだ。

あの荒んだナイトハルトの姿を見ても、同じような無責任なことがいえるのか。ナイトハルトをあんな風に傷つける力なんて自分は持っていない。毎日のようにアルベルトが、ナイトハルト心配して、訪ねていたことも知らないくせに。馬鹿馬鹿しくて否定してまわる気にもなれなかった。


「ふーん、で、あんたの方は、どうなのよ」

「わ、わたし?」

「恋人役は放免されたんでしょ。アルベルトに申し込まないの」

「噂に便乗して?」

「いんじゃない?」


多分、マーラーは、結構本気で勧めている。リパウルもすでにごまかすための種も尽きていた。馬鹿げているのはわかっている。ただ、彼と並んで歩く時、手をつなぐ権利が欲しいだけなのだ。だが


「駄目よ…」

「何が?」

「迷惑になるだけだもの…」

マーラーは困ったように、自分の後頭部をなでた。

「…意外と、純愛路線よね、あんたって…」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ