3-17 卒業(3)
「なら、誘いに乗ってみればいいんじゃないのか?話したいことがあるんだろう?」
「ちょ…ナイトハルト!」
「食事に誘われたのはお前じゃない、アナベルだ。これがお前だったら俺は“止めておけ”と言うが…」
「ちょっと、どういう意味よ?」
リパウルが険しい表情でそう問うと、ナイトハルトはわかりやすくバカにした様な顔になった。
「そりゃ、お前の方が危なっかしいからに決まって…」
「…なんですって?」
言い返そうと声を上げるリパウルに、ため息交じりでアルベルトも参戦した。
「…悪いが俺もナイトハルトと同意見だ。相手が君ならば止めるな。けど、アナベル…」
「うん、私も止める気がする…」
と、何故かアナベルまでが男性陣に賛同して、うんうんと頷いた。リパウルは思わず
「…え…」
と、脱力してしまう。アナベルは慌てて
「その、危ないって言うのは、つまり、リパウルみたいな女性が相手だと、その…危ないってそういう意味で…」
「いや、どういう…?」
なんのフォローにもなっていないそのセリフに、リパウルは益々情けない表情になった。アルベルトが苦笑を浮かべると、
「アナベルが言いたいのは、君が魅力的だって、そういう意味だろう?」
と、助け船を出してくれた。アナベルは照れくさくて口に出来なかった理由をアルベルトに代弁してもらって、頷きながら便乗した。
「それで、アナベル、君がロブ・スタンリー氏と話したいことっていうのは?」
と、アルベルトが脱線しかかった話を本筋に戻した。アナベルは居住まいを正した。
「…ウォルターのこと。あの、事情とか知ってるんだよね?」
「ああ、ざっくりとはね。…結局、話し合いは成立しないままなんだろう?」
「うん…でも、あいつ…前は十八歳になったら面会やめるって言ってたのに、あれからもずっと面会を断ってないんだ…」
「そう…」
「その、口では、無理だって言ってるし、とっくに諦めてるとか言ってるけど、本心では話したいって思ってるんじゃないかって…」
「…そうだね…」
「それで、スタンリーさんがどういうつもりなのかって、訊いてみたいって…勿論、素直に話してくれるとは思ってないけど、けど…あいつが口に出来ない本心を、私なりにでも伝えられないかなって…」
「あいつ自身は?話せてないのか?」
と、ナイトハルトが静かに確認を取った。アナベルは頷くと
「その、二月の面会からずっと女性を伴ってて…そういう話が出来ない雰囲気なんだって…」
「ロブも…話し合う気はないのに面会だけはやってるのか…」
「…どういうつもりなのかな…」
「手放す気はないって意思表示だろ?黙って従えとか…」
「うわぁ…」
「ロブは、あたりこそソフトだが、ぬるい人間でもない。周りが会うなと言うのには、それなりの理由がある。会うんだったら気を緩めるな」
「そうなんだ?」
「ウォルターが反対してるのもそういう理由だろうが?危ない目にあわせたくないとか、そんなことを言ってなかったか?」
「ええ?そんなカッコいい感じのことは言ってなかったぞ。とにかく反対だって言うばっかりで、あとは、私は自分の立場をわかってないとか、危険の話と私の魅力の有無は関係ないとか…」
思い出すと腹が立って来たのか、アナベルの声はどんどん低くなっていく。聞いていた三名の大人は銘々で妙な表情になった。
「…あいつ、下手だな…」
「まあ…彼なりに心配を表現したんだろうけど。…俺もあまり人のことは言えないし…」
「いや、お前は押さえるべきところは押さえていただろう…。あいつよりはマシだ…」
「いや、どうだろうか…」
「…アナベル、意固地になってない?」
どうでもいい寸評にふけっている男たちを無視して、心配そうに尋ねたのはリパウルだ。
「…ウォルター君がそんな、心配するくらいだから、やっぱりやめておいた方が…」
「リパウル、ありがとう。けど、やっぱり会ってみる」
何やらきっぱりとアナベルは言い切った。
リパウルは尚も不安そうに口を開いたが、ナイトハルトが
「まあ、思い切ってやらなければ何も得られないって言うだろ?お前なら大丈夫だ」
と、アナベルに向かって請け負い、リパウルの懸念を遮った。
「あなた…そんないい加減な…」
「いい加減なつもりはない。それにただの杞憂の可能性だってある。ロブにだって立場があるし、意味もなく女を襲うようなことはしないだろう」
ここまでそれなりにオブラートに包んでいた懸念をナイトハルトはあっけらかんと口にして、リパウルの不安をさらりと流す。アナベルは
「だから、大丈夫だって。だって私だし」
「私だしって…」
「まあ、こいつなら大丈夫だろう」
「あんたの保証が何になるって…」
「いや、アナベルなら大丈夫だろう」
「アルベルト、あなたまで…」
不満げなリパウルの奇麗な横顔を見つめつつ、二人の大人に大丈夫と太鼓判を押されたアナベルは、自分自身もそう口にしていたのにも拘らず、少しは不安がってくれないかと、妙な不満を抱いてしまう。…女心はなかなかに複雑であった…。
リパウルは顔を顰めたまま
「アナベル、あなた、エナには内緒で会う気なの?」
と、確認をとってくる。途端アナベルは、情けなさそうに眉を下げた。
「ええっと…とりあえず、会った後で報告しようかなって…」
「事後報告?…もう、私から報告しにくいじゃない…」
「そうだよね、ごめん…」
アナベルの謝罪に、リパウルはため息をついた。
会いたい理由が好きな男の子ためだと知ってしまうと、アナベルをよく知るリパウルとしては反対し難いのだ。
「わかった。エナには言わない。けど、ウォルター君にはきちんとわかってもらうのよ?」
「ええっと…エナもだけど…あいつを言い負かす自信はないんだけど…」
「言い負かすって…」
…いや、言い負かすのではなく…
アナベルの口ぶりに、リパウルは嘆息してしまった。
***
ウォルターの理解を得る間もなく、その日の夜、アナベルが寝る準備を整えていると、携帯電話が呼び出し音を鳴らす。アナベルは、予感と共に携帯電話を手に取った。
*
アナベルの言葉を聞いたウォルターは、むっつりと顔を顰めた。セントラル高等校の図書室前の廊下で、一緒にその場に居たルカは心配そうに二人の顔を見比べる。アナベルはウォルターに負けず劣らずの厳しい表情で、彼を見上げていた。ウォルターは彼女の意固地なその顔を一瞥すると、腕を組んだままふっと息を吐いた。
「…まあ、予想は出来ていた…」
淡々としたその口調に、アナベルは咄嗟に言葉を返せない。
「…で、日時と場所は?」
「…今週末の土曜日。…駅前のグランドホテルに七時…」
アナベルの、ぶっきらぼうな言葉に、ウォルターは眉を寄せる。
「…ホテル…?」
「言うと思った…。そこのレストランでって…」
「……今からでも、断れないの?露骨すぎない?」
「だから、挑発的過ぎるから、逆にからかってるだけって気もするんだけど…。その、相手は私じゃなくて…」
「………僕か…」
二人のやり取りの中身が見えないルカは不安げに口を挟んだ。
「あの…何の話…」
ウォルターはルカを一瞥してから
「…ロブの話…。アナベルが彼から食事に誘われた」
と、簡潔に説明した。ルカは妙な表情になった。
「…あの、それで…なんで二人してそんな難しい顔…」
…そうなのだ。食事に誘われただけのことなのだ。なにも難しい顔をしなければならないような案件ではない。だが…
「僕もついて…」
「だから、あくまで私一人って…」
「趣旨から言えば、僕が一緒でもおかしくない筈だ。なのに…」
「あーなんか、それは、お前がいたんじゃ言えないだろう私の苦労話が聞きたいとかなんとか…、そんなのは別にないとは言ったんだが…」
アナベルのどうでもいい言い抜けに、目を細め、ウォルターはうんざりとした口調で
「そもそも君自身、一対一で対面したいとか、思ってそうに見えるんだけど…」
と、呟いた。図星をつかれたアナベルは、宙を見上げた。
…そうなのだ。どうせなら一対一で対決したいと思って…。
「あの、食事に行くだけなんだよね…?」
おずおずと再度確認をとったのはルカだ。
「そうだけど、なんでわざわざホテルのレストランで?それも念を押すみたいに一人だけって…」
「…そこにこだわるなよ…」
「そっか…アナベルだけなんだ…。なんか、複雑なんだけど…」
「何がだ?」
「…それは、僕は会ったことがない人なわけだから…。みんな、知ってるんだろう?」
「いや、私もほとんど会ったことはない人だけど…」
と、アナベルがルカに向かって首を傾げると、ウォルターの片眉がピクリと動いた。
「…ほとんど…?」
…あ、まずい…
と、思ったのがもろに顔に出た。
「…いつの間にロブと接触を?」
「…接触って…」
…妙な問い方をするのはやめて欲しい…。
***
…この格好で、入れるだろうか…?
指定された時間に指定された場所の入り口に立ったアナベルは、見るからにエレガントなその場所を一瞥してから、ため息をついた。それから、肩掛けにしていたリュックを下ろし、手にしていた携帯電話を投げ入れる。現状報告めいた内容のメッセージを、ウォルター宛に送ったところだった。
追い返されるかもしれないと思いながら無造作にホテルの入り口から入ろうとした彼女だったが、予想通りドアマンと思しき品の良い男性に声を掛けられる。
今日の彼女のいでたちは、普段通り。着古したTシャツに愛用のブルージンズ、古びた愛用のリュックを肩掛けにしている。どこからどうみても、お金を持っていそうでもないし、どんなシーンであろうと、カジュアルスタイルで押し通す若い億万長者として、雑誌の表紙を飾ったこともない。
呼び止められた彼女は素直に足を止め、ホテル内にあるレストランに呼び出された旨伝える。呼び出した主の名を伝えると、ドアマンは慇懃な笑みを浮かべて、アナベルを通してくれた。客の名前を一通り把握しているのか、ドアマンは終始一貫して礼儀正しく、値踏みするような視線でアナベルを上から下まで見るようなこともしなかった。
…プロだな…
と、アナベルは感心した。おそらく、彼女のスタイルに対して、言いたいことは山ほどあったことだろう。エントランスホールを行き来する人たちの、きちんとした姿を見る限り、アナベルとしては、そう思わざるを得ない…。
親切なドアマンが教えてくれた通りのルートで、アナベルはレストランを目指した。高い天井には、きらびやかな照明、大きなエントランスを突っ切り、長いエスカレーターに乗った。窓から見える外の景色は、少しずつ夜景っぽくなっていた。駅周辺を飾る照明の灯りが、その存在を主張し始める。エスカレーターを降りると、迷いのない足取りでレストランを目指した。
レストランの入り口でも、玄関でのやりとりと似たやり取りがあった。もっともこちらはアナベルだけが特別扱い…というわけでもなかった。客の格好に関わらず、レストランのスタッフはお客を案内していた。
その一人であるアナベルが案内された席には、すでに招待主の姿があった。
ロブはアナベルの姿に気がつくと、笑みを浮かべてから手にしていたグラスを上げた。
…気取った野郎だな…
いつだったかも抱いた感想を、アナベルは冷めた思考で考える。
案内してくれたスタッフは、アナベルが落ち着いて椅子に腰を下ろすところまで付き合ってくれた。なれない待遇に、居心地の悪さを覚えつつ、アナベルはスタッフに向かって小さくお礼を言った。
彼が立ち去ると、アナベルは円卓の対面に座るロブへ改めて向き直る。目が合うと、彼は笑みを深めた。アナベルが挨拶を口にするより早く、彼が口を開いた。
「…なかなか気の利いたスタイルだけど…ドレスを贈るべきだったかな?」
「…申し訳ありません。この格好はお気に召しませんでしたか?」
「いいや?言っただろう、気が利いていると…。ひょっとして誰かの入れ知恵?」
「いえ?自分で選びましたが…」
「そう、追い返されると想定していたのでは?」
「…多少の不安はありましたが…」
「そう…。連れがいることを伝えておいてよかったよ…」
にっこりと告げられて、…左様で御座いますか…と、返しそうになり、アナベルはため息をついた。…読まれているという訳だ。
「ドレスを贈るべきかと思ったのはね、君がこちらに歩いて来る姿を見て、思いついただけだよ。ドアレスアップした姿を見てみたい…ってね」
「はあ…」
「君は動いている姿の方が魅力的だ…」
そんな言葉と共に優美に微笑まれて、アナベルは思わずうなりたくなった。彼女の心境などお見通しなのか、ロブは楽し気に肩を揺らして笑った。
音もなくウェイターがやってきた。食事のコースは決まっているということで飲み物を何にするか聞かれた。ロブはアナベルを面白そうな眼差しで見つめたまま
「…君はもう、十八になってたか…。一杯だけでいいから付き合ってくれないかな?」
と、言い出したので、最初の一杯くらいは、招待主に付き合うべきかと、アナベルはロブに注文を任せた。
テーブルに置かれたグラスに、食前酒が注がれ、前菜が運ばれる。アナベルは仇敵を見るような眼差しでテーブルを睨んだ。…一応作法は、リパウルに教えてもらって一通り予習はして来た。テーブルの上の前菜は美味しそうだったし、食前酒も同様だ。
ロブは面白そうな眼差しでアナベルを観察し続けながら、笑いを含んだ声で
「乾杯しない?」
と、声をかけてきた。アナベルは顔を上げると
「…いいですけど…何に、ですか?」
と、今更な確認を取った。
「…合格祝いと、君の慰労。…最初に伝えておいたと思うけど?」
口元に笑みを浮かべてはいるが、目は笑っていない。
ここまで、アナベルが失礼な態度を取り続けていても、面白がっている風であったのが、…これ以上、無礼な態度を続けるのは、流石に許容されないか…と、思いつつもアナベルは愛想笑いの一つも浮かべずに
「ありがとうございます」
と、淡々と告げてから
「ですが、現在は休業中です…」
と、付け加える。ロブはにこやかな表情のまま
「それは、彼の側の都合だ…」
と、応じた。アナベルは無言でグラスを手に取った。
その場で互いに小さくグラスを掲げると、それぞれでグラスを口につける。食前酒の、爽やかな飲み口に、アナベルは少しだけ嬉しくなって、ゆっくりと、だが一息でグラスを空けてしまった。…言い訳させてもらえれば、喉が渇いていたのだ…。
グラスをテーブルに置くと、ロブと目が合う。彼は楽し気に笑ったままで
「…いける口だね?お代わりを頼む?」
と、訊いてきた。…是非!…と、言いたい気持ちをぐっと抑える。口うるさい周囲に、絶対に飲むなと言い含められていた。
「いえ…その、すみません。喉が渇いていたもので…」
と、謝罪した。ロブは拘った風でもなく
「ああ、そうだね。外は暑いからね。水を頼む?」
「お願いします…」
と、アナベルは素直に頼んだ。ロブが手を上げると、どこからともなくウェイターが現れた。
ロブはウェイターに向かって、「君、彼女に同じものを」と、告げた。ウェイターは一旦立ち去ると大きなディキャンターを手に再び戻って来た。そして、テーブルに置かれた大ぶりなグラスの、細い足を、優美な仕草でつまむと、そのグラスに炭酸水を注ぎ入れる。洒落たデザインのそのグラスは、アナベルの目には、水を飲むのには不似合いに見えた。
アナベルはお礼を言うと、乾杯も済ませたことだし、…と、ようやく前菜にとりかかった。
食べられるものであるならば大抵は何でもおいしいアナベルだったが、今目の前にある前菜も、やはり美味しかった。何を食べようが、なんでも美味しい彼女の舌は、当然のごとく、複雑な構造をしていない。
…美味いけど、量が少ないな…なんていう、残念な感想を抱きつつ、あっさりと目の前のお皿を空にしてしまうと、対面に座るロブと目が合った。見るとロブは何やら呆れた様な顔をして、アナベルを見ていた。…彼女の食べっぷりに呆れていたのかもしれない。アナベルは無造作に炭酸水の入ったグラスに手を伸ばし、グラスの水を口に含む。
…ふっと口内に広がる炭酸の軽い刺激とその香りに、一瞬、眉が寄った。さらりとした飲み口のその水は…柔らかいが、間違いなくアルコールを含んでいた。
…ふぅん…
そう、思ってからロブに視線を据えたまま、アナベルはその水をきれいに飲み干した。




