3-16 イカサマ賭博師の愚昧(4)
…どこかで見た顔だな…。
行き慣れた馴染みのお店で、客の一人とすれ違う。すれ違いざまロブは足を止めてその後姿を見送った。そのまま相手の男が座っている場所まで目で追った。
間違いなくどこかで見た顔だった。薄い金色の頭髪、中肉中背で、お世辞にも洗練さられている…とは、言い難い風貌の男。恐らく五十近い…あるいは、もう五十代に達しているかもしれない…。だが、どこで見かけたのだ?確かに印象的とは言い難い男だったが、何か引っかかる…。思い出せそうで思い出せないのが、もどかしい。
念のため、男の座っている場所を確認すると、ロブは自分が座る場所へと戻った。
狭すぎず広すぎない空間を、厚めのパーテーションで仕切り、その中にはソファとテーブルが置かれている。その空間は、店内を移動するための通路とはうまく導線が交わらないよう配慮されており、顧客単位のちょっとしたプライベートスペースになっているのだ。その中でお気に入りの女性スタッフの歓待を受け、お酒とおしゃべりを楽しむ。そういうお店だった。
ロブが自分のスペースに戻って、ソファに腰を下ろすと、すぐに応対の女性が肩を寄せて、ロブに新しい飲み物を作り始める。彼のお気に入りのこのお店は、良識ある御婦人方からの評判はすこぶる悪い。肌の露出した衣装を着た若い女性が、男性客のために、体を寄せて、飲み物を作り、それをどんどん勧めながら、会話を楽しむ…そういうお店だった。
まるで中世の娼館ではないか?女性は男性の道具ではない、酒くらい自分で勝手に作って飲め、などなど…。
一理はあるがそれだけだ。そもそも、応対してくれる女性に必要以上に触れてはならなかったし、金で買うなどという無粋は、法律違反なので、不可能だ。
男が喜びそうな衣装を着て、一緒に酒を飲んで、ただおしゃべりをするだけ…と、蔑まれるような、安易な仕事でもない。無論、酔った勢いでルール違反をする輩はいくらでもいたし、お店の中の会話の流れで戯れのようにベッドに誘って、彼女らの仕事が終わってから、実際にベッドにつき合わせる客もいることは知っている。
ロブ自身、幾度となくベッドに誘ったし実際に寝てもいる。無論、金で買ったことなど一度もないし、彼女らの自由意思を無視したこともない。彼女らは彼女らで、自らの利害を賢く計算し、自分の意思で選択しているのだ。そう、ロブは了解していた。
ロブは自分の応対をしてくれている馴染みの女性、ブレンダに、見覚えのあるお客について尋ねてみた。
「…あの席に…リジーが相手をしている、あの男なんだが…。どこかで見たんだが、思い出せなくて…」
「ああ?ティムのこと?」
ロブの事ならよく知っているブレンダは、見慣れた笑顔で少し首を傾げると、屈託なく教えてくれた。
「ティム?」
「ええ、そうね…。年齢が違うし、あなたとは接点がなさそうだけど?」
と、ブレンダが呟く。ブレンダが口にした名前を脳内で検索しながらロブは
「よく来るの?」
と、質問を重ねた。ブレンダは、頷くと
「ええ、そうね。よくって程、頻繁じゃないけど、お給料が入ったら来ている、そんなペースね。…リジーに入れ込んじゃって。でも、あの子は、お堅いから…」
と、肩を竦める。ロブはブレンダの作ってくれた飲み物を受けとると笑顔になった。
「いや、普通だろう。君だって最初はそんな風だった」
言いながらロブはブレンダの肩に手を回し彼女の頬に手を添える。ブレンダはうっとりとロブを見上げた。…その表情すら、客を喜ばせるための演出なのかもしれないが…。
「…久しぶり…」
「何が?」
「あなたが、こんな風なの…」
やや、恨みを込めた口調でブレンダが呟いた。ロブはブレンダにキスをしながら、太ももに手を置いて優しく撫で始める。
「…寂しくなったの?」
顔を離すと、ブレンダがそう尋ねてきた。
「…そうかな…」
…そうかもしれない。十月に双子が生まれてから、何故か女性に対する欲望が減退していた。
マチルダの様な子供っぽい女を相手にしているだけで十分なところをみると、今の自分は、自分の自覚以上に、精神的に参っているのかもしれない…。
…ふっと、ティムが誰なのか、ロブは思い出した…。
「さっきの男に、飲み物を頼んでもらえるかな?」
ブレンダの肩に手を回したまま、ロブは無造作にそう言った。
*
見慣れぬ、若い女性が、笑顔で新しいグラスをティムの前に置いた。リジーの膝に自分の膝を寄せていたティムは、その姿勢のまま訝し気に見慣れぬ女性の顔を見上げた。格好からしてお店に属する女性であることは間違いない。リジーの耳に顔を寄せると、その女性は何事か耳打ちして、笑顔で立ち去った。
「何?」
「スタンリーさんからあなたにって、知り合い?」
リジーはティムの方に顔を向けると、にっこりとそう告げた。スタンリーという名前なら、よく知っている。
「スタンリー?開発局の?」
「ええ、ロブ・スタンリー。本当に知り合いだったの…?」
リジーは少し驚いた様子で、目を見開いた。ティムの方こそ驚いた。
「まあ…知り合いって程では…。彼はよく来るの?」
「ええ、ロブはうちのお得意様よ」
と、リジーは笑顔でそう言った。リジーの馴染み切った名前の呼び方に、ティムは少し不快になった。
「ふぅん、開発局勤務は高給取りだからね」
…何をやっているんだか知らないが…と、ティムは呟いた。リジーは小さく肩を竦めた。話していると、噂の主が姿を見せた。
「スタンリーさん」
と、リジーが立ち上がった。どうやら若い身空でロブ・スタンリーは、結構な上客のようだ。
「やあ、お邪魔…だよね」
と、ロブは笑顔で応じる。が、リジーは笑顔のままで、
「ちょうどお話をしてたんです。ティムのお知り合い?」
と、彼をこの場にとどまらせる気満々の様子だ。
「まあ、ちょっとね…。隣、いいかな?」
「…ええ…ティム?」
リジーはティムに向かって首を傾げた。
…せっかく、来たのに…。センター勤務は開発局ほど高給なわけではない。せっかくリジーと二人だけなのに、なんだってこんな男に、邪魔されなければならない?だが、こんな場面で「いやだ」と言い切るだけの度胸もティムにはない。きっと、器の小さい男だと、リジーに軽蔑されるだろう。
ロブは笑顔で言葉を続けた。
「今日のこの席の分は私が持とう。どうかな?」
と、ロブはティムに向かって片目を細めた。条件反射の様にティムは顔を上げた。
…今日の分を支払ってもらえるんなら、また別の日にお店に来ることが出来る。
「え…いや…」
ティムの本心を難なく見抜くと、ロブはリジーとは反対の方へと回り込んだ。そのまま腰を下ろすと、気安くティムの肩を叩いた。
「遠慮しないでくれないか?こんなところで偶然出会ったのは奇跡に近い僥倖だ。友好を深めたまえとの啓示だろう。そうじゃないか?」
ロブの大袈裟な言葉にティムは呆れて、相手の顔を凝視してしまう。ロブは本心の定かでない、朗らかな笑みを浮かべたまま、小さく頷いた。それからティムを挟んで反対側に腰かけるリジーに向かって
「リジー、私の分の飲み物を頼めるかな?」
と、依頼した。リジーは慣れた様子で手早く新しい飲み物を作って、ロブに手渡した。
新しく作ってもらった自分の分のグラスを受け取ると、ロブはティムのグラスに軽く当て、一人で勝手に乾杯をした。
「…その後、どう?」
と、グラスを口に運びながら、ロブはティムの横顔を一瞥し曖昧な調子で切り出した。
「…その後?」
「エナだ。センターに行ってるんだろう?」
「いいや。知らないが?」
「そうなのか?」
…数日前、ロブはエナから電話を受けていた。内容は、例によって双子の件だ。双子の一人、状態が比較的軽いサイラスの心臓の手術を無事に終えた、というのがその内容だ。あくまで応急処置的な手術で、本格的な手術はまた一年後に施さなければならないが、これで発作が少しは抑えられるだろう…という説明を聞きながら、ロブは電話を切りたい衝動と戦い続けた。
『…サイラスの術後の経過が順調なようなら、ルカにも同じ手術を…』
「…双子に何かあるたび、俺は君からこんな説明を聞かなければならないわけか…」
『何か問題が?』
「大ありだ。お陰でここのところ、女性を部屋に誘うことも出来ない」
その妙な返答に、電話の向こうでエナが沈黙した。それから、大きなため息をつくと
『関連性がよく呑み込めません…』
「ああ、そうだろな。君の中にはプライベートな時間という概念が存在しない。今だって、研究室か手術室か…どうせそんなところにいるんだろう?」
『今は、自分の業務スペースで…』
「とぼけているのか?そういうことを言っているんじゃない!」
『…わかりました。あたなのプライベートな時間を煩わせるような時間帯は避けるようにしましょう。そうは言っても、それ以外だと勤務時間になってしまうけど?』
「だから、一々報告をしなくてもいいと言っているんだ!」
『…あなたは…遺伝提供者です。生育したバイオロイドに対して責任があります』
「私は最初から、処分しろと言っている!」
ロブの言葉に、エナは再び沈黙した。
『…正気ですか?彼らはまだ生きているのですよ?』
「何度も同じことを言わせるな!君が生かしているんだ。それも、無理やりな!機械で繋いで、あちこち切り刻んで…」
『あなたは…!あれ以来あの子たちを一度も見ていないくせに…よくそんなことが言えますね?』
「ああ、見る必要はない!一度見れば沢山だ!それに、君にだけはそんな理由で非難されたくはないね!」
『どういう意味です?』
「一度も男と寝たことが無いくせに、寒気がするとは…よく言えたな!」
電話の向こうでエナが呆れた様にため息をつくのが聞こえた。
『…またその話ですか…。私は、再生育について何も口にしてません』
「ああ、他の男で試してみることに決めたのか?」
『ひょっとして、一人で酔っ払っているの?品のない言い方はしないで貰える?』
「残念ながらこれ以上ないほど正気だ。第一、取引をした覚えもない」
『取引?』
「ああ、君が生育のことを言わないのなら、俺も君とセックスに関して何も言わない。そんな約束をした覚えはない」
『…嫌がらせのつもり?』
「そう、察しがいいな」
エナが再び沈黙した。
『…わかりました。では、今日はこれで…』
「俺の方は、双子の話でなければ、いつでも君と話しがしたいと…」
言葉の途中で電話が切れた。ロブは自分の手の中にある携帯電話を歯軋りしながら睨みつけたが、当然のことながら、携帯電話が恐れ入って、再度、エナとの通話を試みるようなサービスの提供はない。
…その時のやり取りを思い出して、ロブはうんざりと息をつく。ティムが何やら同情的な表情になって
「…大変そうだね、スタンリーさん…」
と、呟いた。ロブは顔を上げるとティムを見た。
「何がだ?」
「エナだ。確かに優秀な研究者なんだろうが…強情で、それに強引だ…」
「…ああ、そうだな…」
「あんたにこんなこと、言うべきじゃないんだろうが…双子の件では、俺の上司も頭を悩ませているんだ…」
ティムのうんざりとした口調に、ロブは反対側に座るリジーに目配せをした。リジーは無言で頷くと、「しばらく、席を外しますね」と、小声で囁くと、場を後にした。ティムは名残惜しそうな眼差しでリジーの背中を見送ったがあえて止めようとはしなかった。ため息をつくとグラスに残る分を一気に飲み干した。…ひょっとしたら、当人の自覚以上に酔っているのかもしれない。
「…君の上司が?」
「ああ…適合率だ。俺の上司は推進派で、地方府の役人にも導入する方向で話を進めているんだ。知ってるだろ?適合率の考え方を持ち出したのはエナの父親だ」
「じゃ、君の上司っていうのは…」
「ああ、エナの父親、ボールドウィン博士の理想に共鳴している。実際のところ、適合率算出のアルゴリズムを考えたのも、それをもとにしてプログラムを作成したのも、俺たちのチームなんだ。これまで集めた膨大な遺伝情報と受精卵の遺伝データを、コンピュータに読み込ませて、そこから法則性を導き出す。発案こそボールドウィンだが、実際に作業を進めたのはクレイドだ」
「なるほど…」
「エナは進んで協力を申し出た。あんたとの適合率は高かった。…まさか人工子宮に戻した後になって受精卵が分裂するなんて、思いもよらなかった…」
「エナが言ってた、悪い条件って言うのは…」
「ああ、自然妊娠でもまれに起こる。まあ、大抵の場合、問題はないが、時には一つの臓器を、双子で共有することだって起こるんだ。…そう思えば、あんたの双子は、健康に産まれた方だ…」
「…だが、心臓に欠陥がある」
「そうだな…通常なら、もっと早い段階で処分するんだが…」
ティムの口にした言葉にロブは一瞬眉を寄せた。だが、自分でもエナと話す時は平気でそう口にしているのだ…。
「…エナが、断固として拒否した。彼女の専門分野が分野だ。最初から実験材料にするつもりだったのかもな…」
「心臓の再生?それが目的ってことか?」
「いや…今のは冗談だ…」
流石に口が過ぎたと思ったのか、曖昧にティムは言葉を濁した。
「とにかく、どう扱うべきか、上の方でももめているらしい。推進派は隠蔽したいが、反対派は、反対材料の根拠にしようと、証拠集めにやっきだ。表向きは君らの合意によるもの…という形をとっているから。だが、事情を知っている人間は知っている…」
「そうか…」
ティムはふっと表情を緩めると
「あんたは…エナからもう一度子供を作りたいと言われているんじゃないのか?」
「…よく知っているな」
「わかるさ、同じ条件で、もう一度試して上手くいかせる。周囲を黙らせるには、それが一番手っ取り早い」
「…エナも推進派なのか…」
「さあ、聞いたことはないが。協力したんだし、それに父親の考えだ。当然そうなんじゃないのか?」
「…だが、そんなことは一言も…」
…意味があると思いたい…確か、エナが言った動機はその程度のことだったような。ロブはぼんやりと記憶を探るが、あまりはっきりと覚えてはいなかった…。
「本当にもう一体、生育する気はないのか?」
「…あんたまで、そんなことを言うのか?正直、うんざりしているんだ。エナにも双子にも…」
苦々し気に顔を背けると、ロブはグラスを口にした。その様子にティムは肩を竦めた。
「まあな…。こっちの事情はあんたには何の関係もない。うんざりしたって当然だ…」
「その問題が片付くまで、エナが何か言ってくる可能性はゼロではないと、そういうことか?」
「まあ、そうかもな…」
ティムの返事に、ロブは顔をしかめた。再生育については、何も言わないとエナは言ったし、彼女のことだ、約束は守るだろう。だが、双子に関しては、彼らが生きている限り、これから先もずっとなにがしか“報告”をし続けるのだろう。不思議なことに、それくらいだったら、エナに再生育を求められる方がまだましな気がした。何かの拍子に、どこかで彼女が気を変えて、自分に抱かれることを承諾するかもしれ…いや、それは絶対になさそうだ…。
憂鬱に不毛なことを考え続けるロブの横顔を見ながら、何を思ったのか
「…そんなに面倒なんだったら、別の女性とバイオロイドを作ればいい。前も話したが、今回の件はこちらの落ち度だ。もう一回の生育は認められている」
「なんだって、もう一回バイオロイドを作らないといけない?」
「バイオロイドは一人につき一体だ。あんたが新しく、もう一体作るんだったら、双子の義務からは解放される」
「…そうなのか?」
「もう一体作るっていうのはそういうことだ。前回の件は無かったことになるという含意だ」
…ティムのその言葉に、ロブは、先日電話で聞いたばかりのエナの言葉を、思い出した。
『…正気ですか?彼らはまだ生きているのですよ?』
…そう、生きている。あの赤い肉塊はまだ、エナの手によって生かされている…。そして、生きている限り、お前には責任があると、彼女は言うのだ。こちらの感情を無視して…。抱いてもいない女との子供に、責任を持てだと?
「…俺と違って、あんたは女にはモテそうだ。エナの代わりに、あんたの子供の母親になりたがる女なんて、いくらでもいそうだが…?」
「あんたは…いいのか?その、適合率とか…」
ロブの問いに、ティムは肩を竦めた。
「俺は理論の方には全然かかわってない。専門も生体の方だし。ボールドウィンの…エナの父親の考え方も、どうかって思ってる…」
「考え方?」
「…エナに聞いてないのか?なんだ、思ったほど親しくもないのか?」
ティム言い方にロブは若干傷ついた。
「…親しかったら、バイオロイドなんか作らない」
その返答にティムは肩を揺すって笑った。
「ああ、なるほど…。あんたみたいないい男でも、エナは落とせないのか…。少し安心したよ」
ティムは嬉しそうにそう言うと、妙に馴れ馴れしい笑みを浮かべ、空になったグラスを掲げた。ロブはそのグラスをティムの手から抜き取ると、無言で新しい飲み物を作ってしまう。
…もっと、飲ませた方が色々聞き出しやすい…。
「…それで、エナの父親の考え方っていうのは…」
「エリート層を人為的に作り出そうっていうんだ。つまり、知能の高いバイオロイドを多く作って、更に知能の高いバイオロイドを生み出す。無論そればかりだと偏りが生じるから、別の遺伝群も適宜入れていく…」
「…知能にこだわっているというのは、まあ、登録の時にも思ったが…」
「もともとはバイオロイドなんていなかったんだ。人工子宮は子供が欲しくても授からないカップルのために開発された。それが出来る前は、子供が欲しくても不可能な女性は、別の女性の胎を借りて、子供を産んでもらってたんだ。当然トラブルが絶えなかったようだが…。それで、人工子宮が開発されたんだ。その、開発の中心にいたのが、ボールドウィンの養母、アデレイド・ボールドウィン博士だって聞いている」
「養母?」
「オーランドはヨーロッパ大陸からの移民だ。子供の頃、過激派のテロで家族を失っている。唯一の生き残りだと」
「それは…」
その悲惨な事実に、流石のロブも、息をのんだ。




