3-14 東海岸の海(16)
ビクトリアはアナベルの切々とした訴えに、流石に感じるものがあったのか、険しい表情ではあったが、腕組みをして黙ってセリフが終わるのを待った。アナベルが鳥肌云々言い出す頃には、眉間の皺が若干緩んだ。アナベルは恐る恐る彼女の表情を伺った。
「…信じてくれた?」
「まあ…そうね?考えてみたら、サイラスがあなたみたいな野蛮人、相手にするわけないわね」
…なんなの?その失礼な納得の仕方。…そう思うんなら最初から、妙な誤解などしないで欲しいのだが…。
そう思って、アナベルはがっくりと項垂れた。が、引き留められた以上、多少話を聞くべきなのだろうと、考え直す。
「…あの、私と奴のことはいいとして、ビクトリアは…その、あの…」
「…なによ?」
「いや、いつあいつと知り合ったの?」
考えてみれば知り合う機会などない筈だ。昨日知り会ったばかりのサラマンダーさんの話によれば、一週間前に勝手に戻って来てから、サイラスはずっと監視付きで、ビクトリアと知り合う機会などない筈…。
アナベルがそう思って尋ねると、ビクトリアは頬を赤らめたまま
「…日曜日よ…」
と、突慳貪な口調で答えた。
「日曜日?」
「夜に…駅向こうの公園で…」
「えっと…」
サイラスがウォルターの家に移ったのが、まさしくその日曜日の筈だ。その日のうちに夜中家を出て、ビクトリアと遊び回っていたというのか?
「…あの、こんなこというのもなんだけど、あまり知らない男と遊んだりとかしない方がいいんじゃない?ビクトリアは美人だから、声とか掛けられやすいのかもしれないけど…」
と、アナベルが百パーセントの老婆心から忠告すると、ビクトリアはやや俯いて、何やら泣きそうな顔になった。
「…違う…」
「…違う?」
「その、かけられたんじゃないくて…」
「……は?」
鈍い同級生に、苛立って、ビクトリアは顔を振り向けた。
「私の方から誘ったの!一緒に遊ばないかって!」
「…へ!…え?そうなの?え、ビクトリア、いっつも、そんな…!」
面向きとはいえお上品ぶっていたのだと思っていたが、それはあくまで学校専用で、夜には夜の顔を持つ遊び人だったのか?と、妙な感心をしていると、ビクトリアが顔を赤くして
「違うからっ!ふ、普段はそんな、だた…寂しそうだったのっ!」
「……はああ?」
「だから、彼が、あんまり、寂しそうで…放っておけなくて…それに、よく見ると、ちょっと、…ルカに似てるかなって…」
何やら恥じらいながらそう呟くビクトリアの、妙に可憐な横顔に、アナベルは白々とした気持ちになった。
…それは、似ているだろう。サイラスとルカは双子の兄弟で、それも一卵性双生児だ。今でこそ髪型が違っているから見わけもつくが、一年前は、外見だけならもっとそっくり瓜二つだったのだ。おまけにサイラスはルカの真似をしまくっていた。奴が本気で成り済ましたら、ちょっとばかり騙されてしまうほどに似ていたのだ。
「え…ええっと…、それは、あれだ。奴がルカに似てたから、ついふらふらと…」
流石にルカにふられたばかりのビクトリアにこういう言い方はどうだろうかと、アナベル自身思わなくもなかったのだが、案の定、あまりにも身も蓋もない言い様に、ビクトリアは歯噛みした。
「違う、わ、よっ!…に、似てるけど、似てないって…その、会ってるうちに…」
「んで、日曜日に会って、で、月曜日にまた会ったと…」
「よ、呼ばれたのよ?悪い?」
「悪いって…」
…悪いに決まっている。昨日今日の知り合いに呼び出されたからといって、日の高いうちからあんな…と、思い掛けて、妙なことに気付く。確か自分は六限目の授業の終業と同時にウォルターの家に駆け付けた筈だ。…で、あの状態?と、いうことは…?
「あの、つかぬこと訊くけど、その呼び出しって、月曜日の何時頃の話?」
じっとりとアナベルが問えば、ビクトリアはバツの悪そうな表情になった。
「そ、それは…その…」
「ひょっとして授業をさぼったの?こんな大事な時期に?」
「そ、それは…その…」
意外だ…。ビクトリアは、救いようのない恋愛脳で、理解し難き乙女思考だが、転落しつつも優等生面はキープしたい願望の持ち主だと思っていたのだが、昨日今日知り合った男の誘いに乗って…以下略…。
「いいでしょ?別にっ!?」
「…本気で“いい”と、思ってるんだったらむきになることないだろ?悪いことしてるって意識があるから…」
「あ、あなたには…わからないのよ…」
「……え、何が?」
「彼の、あの、寂し気な感じ…」
「…はあ…」
…それは、寂しいのかもしれないな…と、アナベルは冷めた頭で思った。なんせ奴はセアラに振られたばかりらしい。自業自得だとしか言いようがないが…。
「た、確かに最初は、その、ルカに似てるなって…気になったけど、けど、一緒に居るうちにルカとは違うって…」
それはそうだ。前々から似ているのは外面だけで、中身は真逆だと思っていたさ。…でも最近は、ルカもサイラスも女性に対するあれやらこれやらが、実は似ているなと、思っていたりもするのだが…。
「…何かきっと悲しいことがあったの…でも、そんなこと微塵も口にしないで、ずっと笑顔で付き合ってくれて、だから、側にいてあげなくちゃって…」
…はいはい、そうですか…
「その笑顔も少年みたいなの。はにかんでいて、それなのに時々すごく艶めかしくて、かと思えば寂し気で…」
…先ほどからビクトリアは誰の話をしているのだろうか?アナベルは、最低最悪色魔の悪辣屑野郎の話をしてるのだと思っていたのだが…。
「…つかみどころがないのに、時々強引で…ううん、そうじゃない。気がつくと彼のペース。けど、それが心地よくて…」
…黙って聞いているのがそろそろ苦痛になってきた。気づくと乗ってる心地の良い奴のペースって、一体何?
アナベルは意味不明な雄叫びを上げたくなった。ペースだろうが奴にだろうが、乗っている場合でもないだろう!?
「あのね!ビクトリアっ!」
「何よっ?」
いいところで語りを邪魔されてビクトリアは露骨に鼻白む。だが、アナベルも結構本気だ。
「ビクトリアが惚れっぽいのはわかったよ。ナイトハルトといいルカといい、男の趣味がどうかしてるのもわかった」
「…な、んですって?」
「けど、奴はダメだ。あの二人以上に、いや、二人を引き合いに出すのは申し訳ないくらいだ。あいつは本気で質の悪い奴なんだ。悪いことは言わないから、諦めた方がいいって!」「…諦めるって…そもそも、まだ、そんな関係じゃ…」
「言いながら頬を染めるなーー!大体、“まだ”ってなんだよ?“まだ”って?」
「え…それは、その…」
「あのさ、ビクトリア。あの時私が行かなかったら、あいつとその…そういうこと、する気だったの…?」
様子を伺いながら、訊きにくそうに、だが、しかし、訊くべきことはしっかりと、アナベルは問うた。ビクトリアの頬が益々赤くなった。
「あ…あなたね、何を訊いて…」
「見ちゃったのは悪かったよ。嫌だったと思う。謝る。悪気とか全然なかったけど、そういう問題でもないだろうし。けど、邪魔してよかったって、ちょっと思ってるんだ」
「……なんですって?」
「だって、そうだろ?あいつは、本当に碌でもない奴で…」
「ちょっと、さっきから何?ひょっとしてあなた彼にふられたの?」
「……はあああ?」
「だって、そうじゃない。ひょっとして、ふられた腹いせに…」
「誰の話だっ!あのな!さっきから言ってるけど、私はあいつのことが大嫌いで…」
「だから、ふられたか…、あ!全然相手にされなかったんでしょう?」
…こっちは異父妹だというに、遊び半分で二回も襲われかけたんだ!いや、もう、それ以前の話で、自分は奴に殺されかけたのだ!
…と、叫べたらどれほど話は早いか…。だが、物騒過ぎてとても口には出来ない。
「あのね、あいつは私の友達を襲い掛けたんだ。幸い未遂で済んだけど。つまり、そういうことを平気でやれる奴なんだ。ビクトリアにどうこう出来る相手じゃないだろ?いい様に弄ばれたいの?」
「そ…それは、何か、誤解よ!」
「はい?」
「あなたの友達の狂言なんじゃないの?」
アナベルは唖然とした。わりと真面目に心配して、自分の身に降りかかったことを大幅に改ざんして話してやったのに…狂言?いやいや、自分の事だけならまだしも、セアラに対するサイラスの振舞と異常執着。全部話したらドン引きだからね?
「あのね…」
「だとして、私には関係ないわ。それは、その人の問題でしょう?」
「その人のって…悪い奴なんだよっ?!正真正銘の悪人で…」
「だから、そういう、人の評価とかっ、どうでもいいの!私は私の感じることを信じるの!」
ビクトリアに真っすぐアナベルに視線を据えて、そう言い切った。涙をこらえているのか目頭が赤い。
「…ビクトリア…」
「もう、いいでしょう?サイラスがお遊びで相手をしてくれてたんだって、私にだってわかってたわよ。それでも、いいって…」
「プライド、ないの?ビクトリアらしくないよ…」
「だって、…好きになっちゃったんだもの…!」
…好きになったって…
見事なまでに開き直ったそのセリフに、アナベルは空を仰ぎたくなった。
…こういう時は、あれだ…昔のドラマで役者がよく口にしていたあのセリフ『おお、神様!』っていう、色々なものが詰まった例のセリフ…。
だが、アナベルはある意味便利なそのセリフを口にはしなかった。かわりに
「よくわからないんだけど、そんな投げやりにならなくても、ビクトリアがその気になれば、大抵の男性ならその気になるんじゃない?あの、変な意味じゃなくってね…」
「呆れるわね。あなたのその発想こそ、どうにかならないの?…大抵の男性って…。自分が好きになれなかったら意味がないでしょう?」
「いや、だから、その好きなる相手が碌でもないか、とんでもないから言ってるんだろ?なんなの、そのこだわり?それってあれ?例の運命の相手とか…」
アナベルが疲れた様にそう言うと、ビクトリアは不貞腐れた様に顔を背ける。
「…そんなんじゃ、ないわよ…」
「え、だって前に…」
「…もう、適性者にはなれないからっ!だったら、自分で相手を見つけるしかないでしょう?」
「…適性者?って…」
意外な人から意外な言葉が出て来て、アナベルは一瞬呆気にとられた。
「…ふぅ。ノーマルは本当、お気楽でいいわね。私はね、バイオロイドなの。次世代に優秀な遺伝子を伝える義務があるのよ」
「……え、えっと…」
「けど、一年の時から転落して…もう、適性者には絶対になれない…!だから…」
「えっと、適性者って、バイオロイドの遺伝提供者のことだよね?でも、あれって、そこそこ優秀だったら、オールAでなくても、なれるって…」
アナベルの言葉にビクトリアはきつい眼差しで睨みつける。
「なんだってあんたが、そんなこと…」
「えっと、知っている人に、適性者の人がいて…」
「……え?」
「その人は越境者で適性者になろうって学生時代頑張って、けど、蓋を開いたら、オールAでなくても選ばれてる人がいたって。学生に勉強させるための方便なんじゃないの?」
「…ちょっと、待ちなさい!」
「うん?」
「だから、なんであんたにそんな知り合いが?」
「さっきから何気に失礼だね?…私が下宿させてもらってる大家さんの話だよ」
「大家さん?男、女?」
「その人は男性だけど、けど、パートナーの人も適性者で、その話を聞いて、実例を出して…」
「えええ?何?あなたの知り合いに、適性者が二名もいるっていうの?アナベル・ヘイワードのくせに?」
「…くせにって…」
そもそも自分の親だって適性者だ。もっとも、今とは仕組みが違っていたらしいのだが。
「あのね…」
「ちょっと待ちなさい。その二人、パートナーって、じゃあバイオロイドの親ってことね?」
「いや、子供はいるけど、バイオロイドじゃ…」
「はあ、なんですって?」
「そんな驚くようなこと?」
「驚くわよ!適性者としての心得を、なんだと思ってるの?ああ、あれでしょ?恋人同士だったけど、適合率が低くてカップルになれなかったからって、逆らって…」
「なんか、ずっとお互い、一位同士だったみたい…」
今度こそビクトリアは絶句した。ぽかんと目と口を開いて、アナベルを凝視する。
「…なにそれ…」
「いや、だから、もうずっと、…八回くらい?適合率はお互い一位って…」
「ええええ?何よそれ?それで、子供はバイオロイドじゃないって…?!」
「ああ、うん。なんか、そうみたい…」
「ありえない、なんなの、その話…?あんた、デタラメ言って…」
「…あのね。だから、適性者にそんなにこだわることないって、言いたいの。そんなのあってもなくても、うまくいく人はうまくいくし、いかない人はいかない。だから、縁がなかったと思って…」
「だから、それこそ、どうしてあなたに指図されなくちゃ…。そういえば、大家さんって…ひょっとして、あそこがあなたの間借りしている家って、そういうこと?」
…しまった!その問題があった!
迂闊なアナベルは頭の中で叫んだ。
「違う!あそこは仕事先だから!言っておくけどね、ビクトリア。あの家には二度と近づいたらダメだからね。あの家は奴の家でもなんでもないんだから!」
言ったら、マズいだろうか?だが、言わないわけにもいかない。が、案の定ビクトリアは益々疑わし気な表情になった。
「…仕事って、あなた、何か、いかがわしい事…」
「ちがーーーう!だから!どうしてそうなるんだ?」
「だって、あなた、前に、ザナー先生と…」
「だから!そもそもそれが、誤解なんだってばっ!ああ、もう、マジで、勘弁して!」
が、ビクトリアは疑念に満ち満ちた眼差しでアナベルを凝視し続ける。どう言い聞かせても逆手に取ってくるビクトリアに、アナベルの堪忍袋の緒が、徐々に細くなってくる。すでに、切れる寸前だ…。
…わかった…。そこまで言うなら、こっちも奥の手だ。この手だけは使いたくなかったが…。
「ビクトリア、こんなこと言いたくないんだけど、もし、また、あの家に近づいたら、一昨日見たこと、学校で言いふらすよ?」
「…お、脅す気?」
「ああ!脅してるんだ!」
完全に居直ったアナベルの発言にビクトリアは忌々し気に顔を歪めた。
「…本性を現したわね…」
「何とでも言ってくれ。とにかくあの家はあいつの家じゃないんだ!だから、奴のことはすっぱり諦めて…」
「なんで、そんな指図…」
「…わかったよ!そこまで言うんならあいつのことはもう何も言わない。けど、あの家には行かないで欲しい。何遍も言うけど、あそこはあいつの家じゃないんだ。だから、絶対に…」
流石のビクトリアも、アナベルの物言いに切迫したものを感じたのか、腕を組み、横を向いたまま、
「わかったわよ…」
と、いかにも不承不承といった風情で、同意してくれた。
「…ありがとう。ごめん…」
アナベルのお礼と謝罪に、ビクトリアは、口を尖らせると、顔を背けた。
「…じゃあ、もういいわね?…そういえば、あなた、ちょっと、これ…」
と、ビクトリアは唐突に先ほど渡した無地の紙袋を掲げて見せた。
「…中…見たの…?」
ビクトリアの微妙な態度に、アナベルは一瞬虚を突かれた。中身は何か推察は出来ている。だが…。
「見てないよ。預かっただけ」
「…どういう…」
「さっき言っただろ?あそこは仕事先なんだ。家主さん伝えで…」
「その家主さんって…」
「ノーコメント。業務倫理だ」
アナベルはビクトリアの懸念を、あっさり流した。サイラス、ウォルター、ルカ、ルートで、奴ら全員、中身を知っております…などと、正直に伝える必要はないだろう。
アナベルの返答に、ビクトリアは顔をしかめたが、
「あ、そう。じゃあ、もういいわね」
と、言い残すと踵を返した。
一抹どころか不安しか残らない気持ちで、アナベルは彼女の後姿を見送った。
*
翌日、朝のロッカーゾーンでアナベルはルカに週末の予定を尋ねられた。
「…その、おじい様との例の賭け…」
「ああ…」
ルカの問いに、アナベルの視線は宙を彷徨う。忘れていたわけではないのだが…今週は時間がたつのが妙に遅い。
…試験の後、ウォルターと一緒の海を見に行ったのは、先週の水曜日のことだ。なのに、彼と海に行ったのが、ずいぶん昔のことのよう感じられる…。
その翌日、つまりちょうど一週間前、技研でオリエから技研でのバイトの終了を告げられて、月曜日からはまた以前のような日々に戻れるのだと、なんの疑いもなく信じていたのだ。
…それが、その頃には、すでにサイラスとウォルターの同居は決定事項で、ウォルターはサイラスのために部屋まで用意していたのだ。自分には何も告げず…。
「…アナベル?」
心配そうなルカの声で、アナベルははっと物思いから抜け出す。
「あ、うん…。行くよ。カフェのバイトが終わってから…」
「うん、マリアンヌも…その…」
…おじい様も、と、続けようとして、ルカは慎重に祖父の存在を口にせず
「君が来るのを楽しみにしているから…」
「うん…」
アナベルのどこか弱々しい微笑を見つめながらルカは
「でも、いいの?」
と、言葉を続ける。
「?何が?」
「…ウォルター。ひょっとして、カフェに来たりとか…」
が、祖父以上に、今のアナベルに“ウォルター”は禁句だったようだ。彼の名前を出した途端、見る間に彼女の表情が強張った。
「…来ないよ」
「えっと、でも…」
「来るわけがないだろう?あいつが私に来るなって言ったんだ!」
「それとこれとは…」
「なんだよ?」
「えっと、聞いてない?」
「…何が?」
「…サイラス。週末はセントラル病院で検査入院なんだ。だから…」
おずおずとしたルカの物言いにアナベルは奇妙な具合に顔を歪めた。
「聞いてない!誰に聞くって言うんだ?」
それだけ言い捨てると、顔を背け、「…ごめん!」と、短く謝ってアナベルはその場を立ち去った。
…こじれてる…。
どこからどう見て一目瞭然な様子に、ルカは慨嘆のため息をついた。
【東海岸の海;完】




