3-14 東海岸の海(15)
「奴はいまだにセアラにふられたことを受け入れてない。だから当然、自分が自棄になっているという自覚もない」
「…それ…」
言われて、アナベルは項垂れた。…確かにそうだ。自分は負けたのだ…。
「でも、私は…あいつに負けたんじゃないから、弱い自分に負けたんだから…」
恨めし気に負け惜しみを言い募るアナベルに、ルカばかりかサラマンダーまで目を瞠る。
「あいつははっきりセアラにふれたんだろ?でも、私は負けっぱなしじゃ絶対にいないからね!次は絶対に奴をぶちのめす!」
「…アナベル、それはどうかと…」
と、ルカが言いかけるが、サラマンダーは真面目な調子で言葉を返す。
「そう思うんなら、敗因を真摯に探れ。自己と向き合えないものはいつまでも負け続けるだけだ」
「…わかった」
アナベルは重々しく頷くと、ようやく椅子に腰下ろした。
…いや、何の話?と、傍で聞いていたルカは一人、途方に暮れてしまう。
「どちらにせよ対決は後に回せ。悪いが今はそんな場合でもない」
「なんだよ…」
「強情だな。お前に何かあったら、俺はエナやオーランドに顔向けできない」
「…エナやオーランドに、って…、そこまで義理立てすることは、ないんじゃない?それに、指示に従わないなんて、一言も言ってないだろ?」
アナベルのセリフに何を思ったのか、サラマンダーは窓の外に視線を向ける。
「……俺がこの国に来たのは約十七年前、お前は一歳、俺は十二、三歳の頃だ。もっとも俺の方は、正確な年齢は、わからない」
「…え?」
「物心ついた時には親はいなかった。俺の周りにいる仲間たちは、郷里の言葉で俺のことを“火蜥蜴”と呼んでいた。本名は知らない」
「“火蜥蜴”…」
「オーランドは自分の行方不明の父親の情報を得て、一時郷里に戻っていた。父親の消息を確認したら戻る予定になっていた。それが偶然俺のことを知って、こちらに戻るの時期を伸ばした」
「オーランドのお父さんって行方不明だったんだ…」
「父親に情は無いと言っていた。すでに生きてないだろうとも、だが、放置しておくわけにもいかなかったんだろう。結局父親の消息はわからずじまいだったようだな」
「それで、サラマンダーさんと出会って…どうしたの?」
「郷里で俺は、いわゆる“少年兵”と呼ばれる存在だった。物心ついた時には仲間と一緒に銃を手にしていた。国境を境にすぐ隣は敵だった。もっともその頃、国境線は有名無実化して久しかったのだが。俺がいた組織は、敵対する武装集団の襲撃を受けて、壊滅状態にあった。俺と、仲間たちは未成年ということで敵組織の中で一時、保護されていた。本気で言葉の通じない連中の集まりであれば、年齢などに関与せず皆殺しにされていた筈だ。俺たちは運がいい方だったのだろう。それでも、大人たちは報復のため殺されていた。…俺は最年少ということで、連中も、俺の扱いには特に困っていたようだったな。捕虜としてどこかの施設に入れるか、奴らの刑務所に入れられるか、腹いせに私刑をくらうか…そういう状態だった」
淡々と語られる内容の途方もなさに、アナベルは呆然として口を噤んでしまう。
「何がきっかけとなったのか、俺たちの問題が欧州で顕在化したらしい。色々あって、俺たちの身柄は大人たちの取引材料になった。生き残れたが、欧州の連中も俺たちをどうするか…しばらく持て余された。オーランドが欧州にいたのは丁度その頃だ。…見かねたのだろう。オーランド自身、八歳の頃、虐殺事件から一人、生き延びたと言っていた。敵だった男に、命を救われたと。だから俺を救うのも自分の義務だと」
アナベルは口を黙って男の話に聞き入った。サラマンダーはやはり淡々と言葉を続ける。
「俺を連れて出国するのに、手続きなどで予定より時間をとった。…オーランドがここに戻って来た時には、お前は実父に連れ去られていた。オーランドの一人娘が、ひどく憔悴していた…」
「……え?」
「詳しい事情を知ったのは後になってからだ。誰かが説明してくれたわけでもない。ただ、長ずるにつれ事情が見えてきた。あの時、オーランドが俺を救けようとしなければ、予定通り、ここに戻って来ていれば、お前はずっとエナの元で育っていた筈だ」
いきなり自分の話になって、アナベルは切り替えが効かず、狼狽えた。それでも、
「…えっと、つまり…オーランドがいれば、ハリーの事、止められた…ってこと?」
と、ややたどたどしい口調で問い返す。
「仮定の話だが、恐らく止められただろう」
アナベルは、視線を宙に彷徨わせ、椅子の背に体を預けると、深々と息をついた。目の前の銀髪の男が、いきなり昔話を始めた時には、その内容もあって、飲まれてしまったが、彼の話が自分に関係してくるとは全く想定していなかったのだ。
「お前には借りがある。オーランドはここで俺に自由に生きることを選ばせてくれた。あのまま郷里にいれば遠からずろくでもない死に方をしていただろう。が、俺の代わりにお前がその恩恵に預かれなかった。だから…」
「…恩恵って…それは違うでしょう?それに、私がここに居られなかったのだって、別に、サラマンダーさんのせいじゃない」
「いや、俺のせいだ」
「“俺のせいだ”、じゃないよ。…それでなの?私に何かあったらって…」
「そうだ。これ以上、オーランドやエナに顔向けできないような事態を招く訳にはいかない」
サラマンダーの頑なな物言いに、アナベルは閉口した。サラマンダーがオーランドに恩義を感じ、エナと自分に対して罪悪感を覚えているのは確かな様だが…。
「…その、サラマンダーさんがそこまで言うのって、オーランドに感謝してるからなんだろうけど…」
「当然だ」
「それなら、サラマンダーさんのためにはよかったけど」
「俺にとっては?」
「あの…私って、ひょっとしたら哀れな境遇みたいに見えるのかもしれないけど、でも、恵まれてないからって、別に、不幸なわけではないからね?」
「それはそうだろう」
サラマンダーは当然の様な顔で肯定した。
「じゃあ、なんで…」
「さっきから言っている。お前に何かあったら、傷つくのはお前だけじゃない。だから、無茶はするな」
自分など及びもつかないほど過酷な生い立ちの男に淡々と諭されて、アナベルは閉口した。確かに彼女は、ウォルターに謝罪することと、サイラスをぶちのめすことの二点に、こだわりまくっていたからだ。
「……わかったよ…」
「今度こそ、本当だな?」
「…うん」
「何も、ウォルターに会うなと言っているわけではない。何度も言うようだが…」
「…っ!だから、わかってるってば!」
「それならばいい」
「けど、仕事は…」
「気になる様ならスタンリーと話をしておこう。業務実態も無しに給料を貰うのは気が引けるのだろう?」
「そりゃ、気になるよ」
拗ねた様なアナベルの物言いに、サラマンダーは微笑を浮かべた。目の前の男が初めて見せた笑顔に、仰天したアナベルは思わず
「笑ったっ?!」
と、声を上げてしまう。……途端、せっかくのサラマンダーの笑顔が妙な具合に歪んだ。
「なんだ、その反応は?」
「えっ?だって、すごい淡々としてたから…ウォルターも真っ青だよ」
「ああ、そのようだ」
「…けど、あいつ、実は笑い上戸なんだ」
と、とっておきの秘密を大人に伝える子供の様な態度で、アナベルが告げた。
…なるほど…。
何に感銘を受けたのか、自分でも定かでない得心に、サラマンダーは一人で頷いた。図らずも、アナベルの言葉への返答に、それはなっていた。
*
…何かあった時のために、と言い残し、連絡先を交換すると、その会合はお開きとなった。サラマンダーのがっしりとした背中を見送りながら、アナベルとルカはなんとなくため息をつく。
「…さっきの話、さ…」
「うん?」
ぼんやりとアナベルが切り出すと、ルカは彼女の方へ視線を向けた。
「ルカ、知ってた?」
「サラマンダーさんの話?」
「うん、そう。…その、生い立ちとか、私のこととか…」
「いや、ここの来る前のことは僕も初めて聞いた…。君のことも…」
「あの人、何してる人?」
「…去年、おじい様が倒れてから、ずっとおじい様に付きっ切り。それまでは、軍医をしてたって…」
「軍医?」
「うん、おじい様が彼のために永住権を取得して、好きなように生きていいって言っていたらしいんだけど、士官学校に入って、メディカルスクールに通って資格を取って…。それからずっと軍医として勤務してたんだけど…」
「そうなんだ」
「いつだったかおじい様が、なんだって軍隊になんかって…言っておられたけど、そういう意味だったのかなあ…」
「そういうって?」
「うん…。好きに選んでいいのに、また、闘うための組織なのかって、おじい様なりに心配してたのかも…」
「でも、お医者さんなんだろう?」
「…うん」
「辞めちゃったのか…。なんか、もったいないな。…どうするのかなぁ」
…サイラス次第だ…
言葉に出さず、ルカは静かにそう思った。
*
翌日、アナベルは己に課せられたミッションを果たすべく、休憩時間ごとに、栗色の髪の学年一の美人の姿を捜索した。…一昨日から色々あり過ぎて、ビクトリアのことをうっかり忘れていたが、サイラスからの嫌がらせの様な依頼などなくとも、なんらかのフォローが必要な案件だったかもしれない。そう思う一方で、可能な限り関りを避けたかったのも本当だ。
これまでのビクトリアの行動パターンからすれば、彼女の方から自分を捕まえて、何か詰問されていてもおかしくない気もしたのだが、意外なことに、昨日から今まで、ビクトリアがアナベルに接触してくることはなかった。が、一昨日の様子を思い出せば、それも有りかと、思わなくもない。見てしまった場面が場面だ。流石のビクトリアも、こちらを詰問している場合でもあるまい。
そう考えると、忘れ物の紙袋を渡せば済むという話でもない気がしてきて、今更ながら憂鬱になってきた。
四時限目、政治思想の授業の終わりで、アナベルはビクトリアを捕まえることが出来た。
「ビクトリア!」
と、あえて狙って後方の席に陣取っていたアナベルは、授業が終わるなり、やはり一番後ろの出入り口付近にいたビクトリアの背中に声をかける。珍しく一人で、終業と同時に席を立っていたビクトリアの背中が、アナベルの声に反応してびくりと揺れたが、その動きは止まらない。
露骨に急いで教室から出ようとするビクトリアの態度に、アナベルは彼女が自分を避けているのだと気付く。
…全く!どいつも、こいつもっ…!!
半ば八当たりに近いが、腹が立つ。アナベルは機敏に席の並びから飛び出すと、教室を出てすぐの廊下でビクトリアを捕まえた。
「…呼んでるの、聞こえてたんだろ?」
廊下の壁際、自分の身を守る様に腕を組み、顔を横に向けるビクトリアに向かって、アナベルは容赦のない口調で問いかける。
「…あなたに用なんて…」
「そっちになくても、こっちにはある。迷惑な用件がね。放課後、時間ある?」
ビクトリアは顔を背けたまま、拗ねた様に唇を尖らせる。全身で“嫌です”アピールをしているのはわかるのだが、渡す物を渡さなければアナベルのミッションは終わらない。
…全く!どいつも、こいつも、面倒ごとをこっちに押し付けやがって…!
よく考えてみなくとも、サイラス、ウォルター、ルカ…ルートはスタンリーの息子共ではないか?オーランドではないが、碌でもない、と、言いたくなった。無論、完璧に、腹立ちまぎれの八つ当たりだ。
アナベルの問いにビクトリアは顔を背けて返事をしない。友人が来るのを待っているのかもしれないと思いついて、アナベルは内心で舌打ちする。ふっと、身を屈めると、ビクトリアの耳元まで顔を寄せた。
「一昨日のあなたの買い物を預かっているんだ。いらないんなら捨てるしかなくなるけど、人の物を勝手に捨てるわけにもいかないだろう」
アナベルのささやきに、ビクトリアははっとした様子で、顔を向けた。目が合うなり顔が赤くなっていく。少し身を引くと囁かれた耳を手で押さえ、二、三歩、後退った。
「…あ、あなたね…」
アナベルはビクトリアの反応に、眉を寄せた。…まあ、恥ずかしい気持ちは、これ以上ないほど伝わった。
「わかってくれたんだったら、放課後…」
「わかったわよ!もう、一体、何なの?…学食でいいっ?」
「うん。…ありがとう」
安堵のあまり笑顔になると、何故かビクトリアの顔色が益々赤くなった。
放課後、預かった紙袋を手に、アナベルが学食に赴くと、意外なことにビクトリアが、学食の入り口際の壁で腕組みをして待っていた。アナベルのまぬけな面を目にするなり、ビクトリアはその奇麗な眉を不快気にひそめた。そのまま壁から背中を離すと、呆気に取られてるアナベルの肘を取り、
「中庭に移動するわよ」
と、呟いた、触れられるのが苦手なアナベルは条件反射の様に、ビクトリアの腕を振りほどいてしまう。ビクトリアは一瞬、傷ついた様な顔をした。
「…えっと、ここじゃ…」
「中庭の方が、人が少ないの」
傷ついた様な表情のまま、ビクトリアは冷ややかな口調でそう言った。
微妙な距離を保ちつつ、二人並んで、校舎と校舎の間、敷地の隙間のような中庭に、無言のまま移動する。人影もまばらな寒々とした中、かすれたような芝生もどきと背の低い雑草を足元に、所々に中木が生えている。その木の中の一本の側で、ビクトリアは足を止めた。
ジロリと、ビクトリアはアナベルが手にする無地の紙袋に視線を据えた。ビクトリアの視線に気づいたアナベルが、慌てた様子で紙袋を差し出すと、ビクトリアはしかめっ面のまま、黙って紙袋を受け取った。アナベルはほっとして息をつくと「じゃあ、これで」と、言いつつ迅速に踵を返す。…が、そうは問屋が下ろさなかった。
「…待ちなさいよ…」
と、言いながら上着のコートの裾を、がっつりとビクトリアに掴まれる。
日中、あれだけあからさまに逃げ回っておきながら、こっちの用が済んだ途端、これってどうなのだ?と、アナベルはげんなりしてしまう。が、無碍にも出来ず、このまま立ち去るのを諦めて、振り返った。
「あの…何…」
「何って…何か、ないの…?」
「……は?」
何かないのと問われても、こちらの用事は既に終わったのだが…。
「…あ、あんな、脅すようなやり方で人を誘い出しておいて…」
「脅すって、え?なんで」
ビクトリアは耳に手を当て、何やら頬を赤らめながら
「…言ったじゃないの。その、私の忘れ物がどうとかって、わざと耳元で…」
「!?…え、いや、あれは、他の人に聞かれたらビクトリアが困るかなって思ったから、急いで用件を伝えようって…」
「な、なんですって?あんな意味ありげな言い方しておいて…」
…意味ありげ?どう聞いたらそうなるのだ?だが、あの時のビクトリアの妙な反応の理由がよく理解出来た。が、とにもかくにも心外だ。
「…だいたい、脅すって、なんのなの?サイラスじゃあるまいし…」
嫌そうに吐き出されたアナベルの言葉に、ビクトリアは負けず劣らずの表情になった。
「…あ…あなたねぇ…」
「……何?」
低音モードのビクトリアにつられた様に、アナベルも腕組みをして見下ろしてしまう。いつもウォルターにやられていることの仕返しを、ビクトリアにしているような気がしないでもない。
案の定、ビクトリアの麗しいかんばせが、益々嫌そうに歪んでいった。
「…一体、彼の、何なの?」
…彼って…、彼って、その言い方は、それこそ、なんなんだっ?!ちなみにこっちは、奴の異父妹だ!ド畜生!と、叫んでやりたい。が、認めたくもない。
「私が奴の何かはどうでもいい…」
…だろう、と続けるつもりがビクトリアに遮られる。
「いいわけないでしょう?!なんなの、あの…親し気な…女なら何でもいいって…ひょっとして、あなた、彼と…」
「!?…はあぁ?いや、ちょっと、待って!待って待って…!」
「何をよっ?!」
「あの…ビクトリア…」
確認するのも恐いのだが、ひょっとしなくても、学年一の美貌を誇る、このバイオロイド様は、何かとてつもなくおぞましい誤解をして、いらっしゃらないか?
…ありうるかも、ビクトリアならありうるかも…なんといっても彼女は自分とナイトハルトに何かあったのでは?と、とんでもなくぶっ飛んだ発想をしたあげく、自分のその妄想を、事実として吹聴した実績をお持ちなのだった。
「まず、最初に言っておく。奴と私とは何でもない。さらに言うと、私はあいつのことが大嫌いだ。間違っても、妙なことはない、誓って無い!だから、妙な想像をするのはマジでやめて欲しい。本気で鳥肌立つから…」
最後の方はほとんど嘆願になってしまった。けれど、何を話すにせよ、この誤解だけは解いておかないと、おぞましさのあまり思考が回らない。




