3-13 くだけ易く繕い難い(5)
アナベルはサイラスのベルトで彼の手首を背中側で拘束すると、ジーンズのポケットに突っ込んでおいた携帯電話で、エナに連絡を入れた。エナはすぐに通話に応じ、迎えを寄こすからその場で待機するようにと、指示を出した。
通話を終えたアナベルは、とにかくセアラとサイラスを一緒に置いておくのはよくないと、ルーディアにセアラを頼んで、サイラスの肘を掴んで立ち上がらせる。彼女以外の二人は、サイラスとアナベルを二人にする方が余程不安ではあったのだが、アナベルは断固としてサイラスを引き出すと、彼を伴いリビングへ向かった。
アナベルはリビングの床にサイラスを座らせると、自分は距離を置いてソファへ腰を下ろし、油断なく彼を凝視し続ける。その視線に、サイラスは何故か顎を上げた。
「迎えが来るまで見続けるつもりか?」
「…監視だ。おかしな動きをしたら…」
アナベルの声に、サイラスは肩を揺らして笑う。
「…何がおかしい?」
アナベルの険のある声に、動じる風でもなく、サイラスは首を傾げた。
「…いや、けなげだな、と思っただけだ…」
「……はあ?」
「自覚がないのか?」
思わせぶりにそれだけ言うと、サイラスは口角を上げる。アナベルは中腰になった。
「…何が言いたい?」
「…当ててみろよ。自分のことだ…」
自分の事、と、言われて、アナベルの顔が益々歪んだ。サイラスが自分に何をいいたいのか、自分が気付いてない何かに、気づいているというその意味は?
…はったりだ。ゆさぶりをかけて、こっちが戸惑うのを見て面白がってるだけだ…。
アナベルはそう断定すると、再びソファに腰を下ろした。
「お前、何がしたかったんだ?まだ、戻る予定じゃなかったんだろうが…」
「何がしたかったって?お前、見たんじゃないのか?」
笑いながらサイラスは答えた。艶っぽい淫靡な微笑みは、アナベルの背筋に悪寒を走らせる。何か言い返したいが、何も思いつかない…。
サイラスは、反論の言葉を失い、ただ、自分を睨みつけるだけの異父妹に憐みに満ちた眼差しを向ける。
「随分派手な登場の仕方だったが、いいのか、アナベル?」
何故だろう。彼に名前を呼ばれると、いつも虫唾が走ってしまうのだが…。
アナベルは歯ぎしりすると、サイラスの質問には答えず
「名前を呼ぶな…」
と、呻いた。ふっと、サイラスが笑う。
「…アナベル」
「…だから…」
「…アナベル…」
「呼ぶなって…!」
「ア、ナ、ベ、ル」
我慢出来なくてアナベルは立ちあがってしまった。サイラスは終始一貫して優しい笑みを浮かべ、優しい口調で彼女の名前を呼び続ける。アナベルはズカズカとサイラスの方へ近づくと、前ふり無しで胸倉を掴んで持ち上げる。
「…どうしても殴られたいらしいな…」
アナベルの剣幕にサイラスはうっとりと目を細めた。
「…さあ…?」
その体勢でしばし、睨み合うが、結局彼女の方が目を逸らし、再びサイラスを床に放り投げた。床に尻餅をつかされたサイラスは、手を縛られたまま、肩を揺らし、声を殺して笑い出す。
「ねえ、これ、ほどいてよ…」
と、笑いながらサイラスが懇願した。アナベルは上からサイラスを一瞥すると、彼の嘆願を無視して再びソファの方へと戻った。
「…本当にひどい扱いだ。捕虜に対する虐待で告発されるレベルじゃない?」
「はあああぁ?」
今度こそ絶対に、何を言われても無視してやる!と、決意を固めてソファへ戻ったのに、アナベルは結局、サイラスの言葉に、いちいち素直に反応してしまう。
「誰が捕虜だ?お前、自分が何をしようとしてたのか…!ああー、もお!」
「だから…セアラを抱こうと…」
「だあああっーーー!てめぇ、それ以上言ったらっ……!!」
「…言ったら、何?」
「~~~……」
ウォルターかイーサン辺りが見ていたら、アナベルのあまりの情けなさに、これ見よがしに、呆れたため息をついていたことだろう。
腕力では今のサイラスには、絶対に負けない自信のあるアナベルだったが、それ以前に色々と負けていることに、今更ながら気がついてしまう。とにかく相性が悪いのだ。そうとしか言いようがない。
結局、余裕を持って悠然と、ソファでサイラスを監視する…という、一見簡単な業務を全う出来ず、アナベルは再び腰を浮かせてしまう。そのタイミングでインタフォンが鳴り、アナベルは思わず、玄関へと視線を向けた。対応に出ようと立ち上がると、ゆっくりとドアが開いた。
「…あら、不用心ね…」
「ミサキ?!」
ドアを開いたのはミサキだった。出迎える側のアナベルも意表を突かれたが、断りもなくドアを開いたミサキの方も、驚いている様だった。
「…あら、アナベルじゃない?」
「…迎えって、あんただったのかよ…」
苦虫を嚙みつぶした様な表情でアナベルが応じると、ミサキは一瞬目を瞬かせ、それからにっこりと首を傾げた。
「そう。おバカさんが手間取らせちゃって、悪かったわね~」
ミサキの言葉に床に座り込んだままだったサイラスが、忌々し気に舌打ちをした。
「早くこれを外せよ!」
と、サイラスはミサキに向かっていきなり怒鳴った。ミサキは目を細め、上からサイラスを見下ろすと
「あら、ステキ?新しいプレイに目覚めたの?」
と、さらりと言った。
「…バっ…!」
と、絶句したのは、問われたサイラスではなく縛ったアナベルの方だった。彼女の過剰なリアクションに、不機嫌に声を上げていたサイラスは、目を丸くしてから、我慢できないと言った風情で盛大に笑い出した。
「ああ…こいつがな、なんか、目覚めたらしくて…」
「違…!お前、この期に及んで、まだふざけやがって!」
アナベルの剣幕に、何を察したのか、ミサキは訳知り顔になって二、三度頷いた。
「ああ、なるほど~~。随分とお痛が過ぎた様ね?被害者は無事?」
「…隣にいる。一応は無事だった、と思う…」
「…ふぅーん、そ。なら、よかったわね。…じゃあ、コレ、引き取っていくわね」
にやりと笑うとミサキは、サイラスの肘をすくい上げるようにして掴み、彼を立たせる。
「とりあえず、ちゃっちゃと回収しちゃうから。久しぶりに私もじーーっくり、会いたかったんだけど、アナベルの顔を見られたし、今日のところはよしとするわ」
「…何の話だよ…」
相変わらず訳の分からない女だ…と、アナベルはすっかり毒気を抜かれてしまう。ミサキはげっそりとしたアナベルの顔に爽やかな笑顔を向けると
「じゃあ、またね、アナベル」
と、言ってサイラスと一緒に部屋から出て行った。残されたアナベルは、深々と息を吐いた。
*
パットの住居を出るなり、サイラスは肘を掴んでいたミサキの腕を振り払う様に強く振った。ミサキは逆らうでもなく素直に手を離す。
「外せよ…」
「まあ、これで表に出るのも、あれね…」
ミサキはそう呟くと、素直にサイラスの手首を拘束するベルトを外した。アナベルのきちんとした仕事ぶりに若干手間取ったが、幾ばくかの悪戦苦闘の後、ようやくベルトを外すことが出来た。
「ふう…えらく、ぎっちり締め付けて…」
縛られていた手首に残る痕にアナベルの怨念を見た気がして、ミサキは軽く肩を竦めた。
「外れたわよ…」
と、ベルトをサイラスに向けると、彼女に背中を向けていたサイラスが無言で振り返った。目が合って、あまりの真顔にミサキは一瞬仰天した。
「…え?何?」
と、のけぞると、唐突にサイラスはミサキの肩を掴み壁に押し付けると、身を屈めキスをしてくる。
「…んん、ちょ、…」
「…サラマンダーは…?」
一時の休憩か、顔を離すと妙に切迫した表情でサイラスが尋ねた。余裕のないかすれた声にミサキは片眉を上げながら
「え?下の車で待機してる…」
「…お前、部屋は?」
「ええっと…まだ、借りっぱなし…」
言葉の途中で第二波が来る。ミサキは逆らわずに受け入れる。
…いつ人が通ってもおかしくない場所で、こんな風に迫られると興奮してくるわね、…などと、ミサキらしいことを考えながら、サイラスの頭に手を回す。押し付けた体に、互いの脚を絡ませる様に密着し、ミサキは思わぬ事態に、キスをしながら混乱した。
離れてから目を瞠る。
「ちょ…あんた、反応して…」
「…部屋に連れて行け。んで、やらせろ」
「……」
ミサキは絶句し、そして事態を把握した。無言で頷きながら、ミサキは微妙な敗北感と共にセアラを称賛した。
*
廊下で展開されている事など知ろう筈もないアナベルは、疲れた顔で二人が出て行った玄関ドアをしばらく凝視し続けた。それからおもむろに立ち上がると玄関まで近づき、鍵をかけてから踵を返した。セアラの部屋のドアを軽くノックして「どうぞ…」の声に、ドアを開いた。
「…大丈夫?」
覗き込むようにして顔を入れ、アナベルは恐る恐るそう尋ねる。その言葉にルーディアとセアラが揃って苦笑した。
「…サイラスは?」
「…ミサキさんが来て連れて行ったけど…」
アナベルのなにやらぼんやりとした説明にルーディアが眉を寄せる。
「…サイラスだけ連れて行ったの?…大丈夫?」
「え?どうだろ…。いや、確かにそうだね…」
考えてみれば不自然だ。エナは迎えを寄こすとは言ったが誰を寄こすとまでは言っていなかった。時間的に考えてみると、来るのが早すぎる気もするし、そもそも自分達やセアラをここに放りっぱなしでサイラスだけ連れて行くと言うのもおかしい気もする…。
「まずかったかな…」
アナベルの不安そうな声音にルーディアは肩を竦めた。
「まあ、今更どうこうならないでしょう。それより、アナベル、あなたの方こそ大丈夫なの?」
「え、ええっと…」
アナベルは改めてルーディアとセアラに視線を向ける。…そういえば、この事態の説明は一体どのようになされたのであろうか…?エナはルーディアに、セアラの前に姿を見せると言っていた筈だが…。
「…たまたま、近くを通りがかっている時でよかったわって、今、セアラと話していたの」
…心を読んだのか、それとも察したのか、アナベルの声に出さない疑問に、ルーディアが先回りしてく答えてくれた。ルーディアの言葉にセアラは気弱な笑みを浮かべた。
「ご…ありがとう、アナベル、ルーディアも…」
セアラのおずおずとした物言いに、アナベルは勢いよく首を振る。
「セアラが謝ることなんて何もないんだよ!本当に、大丈夫だった?」
アナベルが心配そうにそう問うと、セアラは何故か固まってしまった。
…あれ?と、アナベルが首を傾げているとセアラは気まずげな眼差しでルーディアの方へ一瞬視線を向けた。それから
「…うん、あの…本当に…」
セアラの様子に、何故かルーディアの方が妙な顔になって、それからいくばくか顔を赤らめた。つられてアナベルも床に視線を落してしまう。
…いや、まるっきり無事でなかったのは、見ていたから知ってはいるのだが…。
………
この面子で、セアラから詳細を聞き出すのは無理そうであった。
何やら気まずい沈黙に覆われて、はて、これからどうしたものかとしばし三人で途方に暮れていると、再びインタフォンが鳴り響いた。顔を見合わせて、アナベルが頷いた。
チェーンを掛けてドアを開くと、地下で顔を合わせたことのある技研の美人スタッフ二名がそこに立っていた。
「アナベル?」
「…あれ?」
「所長に言われて迎えに来ました。ここ、開けてもらえる?」
…やっぱりミサキさんは別行動だったか…。
これはエナに怒られる…と、アナベルは、目を閉じて天井を仰いだ。
*
二名の美人スタッフに連れられて、三人は技研へ赴いた。セアラは技研内の医務室にスタッフと共に向かい、アナベルとルーディアは所長の執務室へと向かう。ドアを開いた先では、エナが執務机の前で、腕を組んで机に腰を預けるようにして立っていた。入って来た二人の姿を認めると、その口元が笑みを形作る。
…サイラスを伴っていないという報告は、耳に入っているのだろう。目が全く笑っていなかった。
「ご苦労様」
エナは、恐い笑顔で二人をねぎらう。
「あ…はあ…どうも…」
「アナベル…」
斜めに娘を見つつ、エナは早速切り出した。
「は、はい…」
「ジェシカから報告は受けています。サイラスをミサキ・キダに預けたと…?」
「…はい…」
「彼女は私の指示で迎えに来たと、そう言ったの?」
アナベルはしばらく記憶を辿る。迎えに来たのがミサキなのだと、勝手に決めつけたのは、間違いなく自分だ。ミサキの方からエナの名前は出ていなかった。…あの時はサイラスといることにイライラし過ぎていたので、ミサキが奴を回収してくれると言うのを、これ幸いと、とっとと引き渡してしまったのである。
「…いえ、何も…」
「初歩的ミスね。全く…信じられません…」
エナは横を向いてこれ見よがしにため息をつく。
「…逃げられたの?」
と、恐る恐るアナベルは尋ねた。エナは娘の方へ顔を向けると、苛立たし気に眉を寄せる。
「そういう問題ではありません。行くと言ったのはあなたです。捕捉したと言うので、迎えを寄こすと言いました。…なのに…」
と、言葉を切るとエナはため息をついた。
「いえ、…誰を寄こすか言っていなかった私も悪かったわ…。あなただけを責めるのは一方的過ぎるわね…」
「…は、はあ…」
エナは口元を緩めると
「最悪の事態を免れることが出来たのは、あなた達のお陰よ。先にお礼を言うべきだわね。改めて、ご苦労様でした」
と、笑顔らしきものをうかべて、アナベルとルーディアをねぎらってくれたが、笑顔が変わらず怖かったので、喜ぶどころか更なる恐怖を覚え、二人はそろって背筋を伸ばしてしまった。
「今、サイラスは、ミサキと共にいますが、この期に及んで脱走などしないでしょう。セアラの話をきいてから、彼に話を聞くことにします」
「システムが作動したということは、サイラスは能力を使おうとしたのかしら?」
やや落ち着きをとり戻したルーディアが、真面目な表情でそう問うた。
「作動したと思う?」
「セアラが私に話してくれたのは、本当に当たり障りのない範囲だったけど、突然頭を押さえて、床に倒れ込んだって。顔色も白を通り越して青かったって。セアラは、ルカが発作に襲われた時のことを思い出して、すごく怖かったって言ってたわ…」
「……何をしている最中のことですか?」
エナの問いに、ルーディアは情けなさそうに、眉を寄せ、肩を竦めた。
「…何をって、それは…。あ~、ほら、私、見た目は…少女じゃない?」
ルーディアの言葉に、エナは嫌そうに顔を顰めてから、ふっと横を向くと盛大なため息とつく。
「…つまり、そういうことですか…」
「ああっと…、ほら!オリエとかジェシカ辺りが、上手く聞き出してくれるわよ」
と、ルーディアはとってつけた様な笑顔を浮かべると、憤懣やるかたないといった雰囲気のエナに向かって、とりなす様にそう言った。
あからさまに品のない言い方をすれば…不能から一転、唐突に盛りのついた状態になったサイラスは、かつてミサキが借りていた部屋へ行って、なんでもいいから、発散したそうだったのだが、車で待機していたサラマンダーに、速攻で却下された。当然である。
万が一を考え、セアラの名誉のためと言いくるめられて、駐車車両の中で大人しく待っていたサラマンダーだったが、戻るなり意味不明なことを喚きたてる二人の男女に、咄嗟に二の句が継げない。セアラ・アンダーソンが再びサイラスの毒牙に掛からなかったのは、不幸中の幸いではあったが、その結末がこれとはお粗末にもほどがあった。
サラマンダーは、サイラスと一緒になって盛っているミサキに対して
「…お前、プライドはないのか?」
と、冷ややかな一言を浴びせ、自分の立場を自覚させた。
言われたミサキは、ぐうっと、屈辱のうめき声をあげ、唇を噛みしめた。
「…わかってる、単なる性欲処理器扱いって…」
「お…おい?」
「でも、夏からこっちずーーーーーっと、禁欲だったのよ?!この際なんでもいいから、やりたかったのよおぉ!!」
「お前…」
叫ばれてサイラスの方が、引いてしまった。確かに、セアラの代わりにやらせろと言ったも同然で、一瞬だけ、申し訳ない気持ちになったサイラスだったが、あられもないミサキの叫びに、すっかり萎えてしまった…ので、まあ、よかったのかもしれない…。




