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オールドイースト  作者: よこ
第3章
460/532

3-13 くだけ易く繕い難い(4)

セアラの目の前で突然、呻き、頭を抑えると、サイラスはその場で膝を折り、頭を抱えたまま床に押し付けた。


「…がっ!はっ!!」


叫びはほとんど意味をなさない。突然の出来事に、セアラは半ば腰を抜かし、壁に縋ったままその場に腰を落とした。先ほどまで間違いなく一方的に自分を翻弄していた筈のサイラスが、文字通りのたうち回って、尋常ではありえないほど苦しんでいる。触れることさえためらわれ、混乱したままセアラは意味もなく周囲を見回してしまう。


「…だ、誰か…」


そうだ、サイラスは今、心臓の調子がよくないのだ。何か…何かあったら…。


 混乱したセアラの視界に、持って来たショルダーバッグがうつった。


 …そうだ!リースに!何かあったら助けるって…。


 そう思いついて、のたうち回るサイラスの横を這ったまますり抜け、セアラは震える手で自分のバッグを探る。サイドポケットから携帯電話を探り当てると、カレンからの着信があるのに気がついた。無論、今、このタイミングで折り返したり音声メッセージを聞き返している場合でもない。心の中でカレンに謝罪しながら、セアラはリースの番号をコールしようとして、指を止める。視線を下げた先に見えたのは、やや乱れた自分の着衣だ。


…しらを切れないほどの乱れではない。だが、今の自分の有様を、サイラスと二人で自室にいる自分を、リースには見られたくなかった。セアラは即座にコール先を変える。アナベルの番号を選択すると、迷うことなくコールし始めた。


***


 アナベルのランチボックスを覗き込み、ルーディアは呆れた様子でため息をついた。


「…あり得ない…」


ランチボックスにはあきらかに冷凍食材の解凍版とわかる大きなフライドチキンとフライドポテトが無造作に突っ込まれていた。そして、それ以外には何もない。


「…試験期間中に、凝ったもの作ってる暇なんてないだろ?」


ルーディアに呆れられたアナベルは、仏頂面で答えた。自分でも手抜きが過ぎると自覚しているランチボックスを、人に見せるつもりで作ったつもりもないそれを、一方的に覗き込まれて文句をつけられて、愉快な筈もない。


「凝る必要はないけど、野菜が足りてない」

「ポテトがあるじゃないか」

「あのね…。せめてパセリとかプチトマトなんかを入れてみるとか…」

「プチトマトは高いんだよ!」

「ええ~?いうほど高くはないでしょうよ」

「普通に食べるなら缶詰とか、普通のトマトの方が絶対お得なの!」

「けど、これはあまりにも彩りが…」

「ルーディアに食べろって言ってないでだろ?手っ取り早くカロリーが取れて、いいんだよ!」

「…カロリーを取りたいの…?」


まさかと思いつつルーディアが尋ねると、アナベルは目を細め

「まあね、カロリーって言うか、もう少し筋肉をつけたいというか、それには肉だろ?」

と、当然の様な顔をした。


「筋肉って…」


年頃の娘にはあるまじき発言にルーディアはげっそりと肩を落した。


 二学期、中期試験第一日目の本日、アナベルは何故か技研でルーディアと共に昼食を食べることになっていた。本来であれば、試験期間中は技研でのバイトはお休みだ。ついでに言うと、ほとんど行ってないウォルターの家でのハウスキーパーのバイトもお休みだ。


二月を迎え、育児休暇の終わったアルベルトに頼るわけにもいかなくなったミラルダのお迎えのバイトのため、アナベルは大講義室でお昼を取ろうと、ランチボックス持参で試験に臨んだのだ。授業三時間分の試験を終え、リュックを担いて大講義室の一角を一人で陣取ると、リュックの奥からランチボックスと共に、ついで携帯電話を取り出した。普段あまり見ないそれを手に取ったのはたまたまだったが、運のいいことに着信があった。見るとオリエからで、可能であれば、技研まで足を運ぶようにとあった。


【ルーディアとランチを一緒に…】


メッセージを読んでアナベルは顔をしかめた。そういうことは早く言って欲しい。知っていれば、ランチボックスなど持参しなかったのに…。心の中で愚痴をこぼしながらアナベルは了解する旨返信し、ランチボックスをリュックに戻すと、そのまま大講義室を後にした。



「ルーディアとランチって、てっきり地下かと思ってたら…」

「いいでしょ?社員食堂!行ってみたかったのよねー」

「…自由だね…」

「まあ、私とのランチは口実。オリエは話があるみたいよ」

「…って、来ないじゃん…」


アナベルは見世物にされた哀れな自分のランチボックスをリュックにしまった。彼女らは、普段からお茶をしている、地下の小さなミーティングルームのテーブルに並んで腰かけ、オリエの訪れを待っていた。


「…勝手に行っちゃう?」

「そうね…」

と、ルーディアがアナベルの提案に乗りかけた時、少女は脳内に微妙な違和感を覚えた。顔をしかめ、思わず額に手を当てる。


「…ルーディア…?」


不意に顔をしかめたルーディアに、アナベルは訝し気に少女の顔を覗き込む。と、アナベルのリュックから携帯電話の音が鳴り響いた。


「え?ええ…?」


あまり鳴らない携帯電話の音は弥が上にも、不安を盛り立てる。アナベルはリュックを探ると相手を確認した。


「セアラ?!」

「出て、急いで!」


額をおさえたまま、鋭い口調でルーディアが命じる。アナベルは一瞬で気分を切り替え、迅速に通話に応じる。


「セアラ?!」

『あっ…!アナベル…』


電話の向こうから届く、明らかに動揺した様子の友人の口調に、アナベルは鋭い目線でルーディアに合図を送る。ルーディアは顔をしかめたまま頷いた。


「どうした?何かあった?」

『あ…あ、サイラスが…』

「サイラス?!ええっ?」

『…何故だかわからない!ひどく辛そうで…あっ!!』


…誰と話している?!という、詰問の声が、電話の向こうから微かに届く。


「サイラスがセアラのところにいるの?」


落ちついた声はルーディアのものだ。違和感が去ったのか、すでに額をおさえていない。


「多分そう…!セアラっ!!」


電話の向こうの声が遠くなっていく。アナベルは必死になって携帯電話に向かって声を上げる。


「どこにいるのかしら?」


ルーディアは眉を寄せると、セアラの所在を探り始める。以前と異なりアナベルにイメージを見せてもらう必要もない。セアラの居場所はすぐにわかった。


「…ここ、どこかしら…?う…わあ、サイラス…」

「いるのっ?!」

「ええっと…」

「カレンの所?」

「いえ、違うわねぇ…。アパートメント?」


「…ひょっとして、セアラの部屋?前、私が騙されておびき寄せられた…」

「ええっと…、そうかな?そうかも…」

「…あ、んにゃろ…」

と、アナベルは携帯電話に向かって歯軋りをする。すでに通話は切られていた。アナベルは舌打ちすると、

「試験の時に限って問題起こしやがって!なんの嫌がらせだよ!」

と、訳の分からない言いがかりをつける。傍で聞いていたルーディアは流石に呆れて

「いくらなんでも、まさか…」

と、ポツリとこぼす。と、アナベルが、勢いよくルーディアの方へと顔を向けた。


「そうだ、ルーディア!私、跳ばせないかな?あの時の、ミラルダの時みたいに!」

「ええっ?!」

「だって、サイラスが側に居るんだよ?!放っておくわけにはいかない!」

「えっと、待って…」


五月に、セアラを探した時と今とでは確かに条件が違っている。あの時のルーディアはセアラとは一面識もなかった上、居場所も定かでなかった。だが、今はルーディア自身がセアラを知っており、彼女のイメージを結びやすかった。そして、アナベルの方はセアラの今の所在地を知っている様だ。それでもルーディアは躊躇った。自らが跳ぶのと、人を跳ばすのとでは勝手が違う。


「わかった、私も一緒に行くわ!」

「ええ?ルーディアも?」

「その方が確実、オリエに、いえ…」


そう言うと、ルーディアは小さなミーティングルームから飛び出して、となりの部屋へと駆け込んだ。隣もミーティングルームだ。だが、室内面積は格段に広く、通信設備も充実している。ルーディアは手近にあったティスプレイの画面を起動させた。待つほどもなく、相手が通話に応じる。


「…ルーディア?」


画面の向こうで訝し気に顔をしかめたのは、エナ・クリックだった。ランチタイムも何のその。クリック博士は、執務室で、軽食を片手にデータチェックに勤しんでいた様子だ。


「エナ!サイラスが見つかった!今からアナベルと跳ぶけどいい?」

「アナベルと…?」


画面の向こうでエナの表情が益々険しくなった。彼女はルーディアの背後に立つ娘の厳しい表情に視線を走らせた。


「アナベル、説明を」

「セアラから電話がかかった。サイラスがいるって…ルーディアが見たら、本当にそうだって…」

「それで?」

「私を跳ばして欲しいって頼んだ。そしたらルーディアも一緒に行くって」

「それが一番確実なの。システムが起動したのかも…」


ルーディアが重ねて言った。


「サイラスですか?」

「ええ、オリエは?」

「外してます。わかりました、許可します。ただし、到着はセアラ・アンダーソンには見せないようにして」

「わかった」


それだけ言うと、ルーディアはアナベルの手を取った。


「え?」


言い出しっぺのアナベルだったが、事態の展開に置いて行かれていた。


「跳ぶわよ!」


短く宣告すると、ルーディアはアナベルと共に跳んだ。


***


 苦しむサイラスに動揺し、慌ててアナベルに連絡をとったセアラだったが、電話の途中で、腹ばいで近づくサイラスに携帯電話を取り上げられた。取り上げた携帯の通話をサイラスは勝手に切り、電話を放り投げると、苦痛に顔を歪めたままで、しゃがむセアラに縋りき、彼女の体を床に押し倒した。


「いや…」


気がつくとしっかりマウントポジションだ。両手首を頭の上でまとめて抑えられたまま、セアラは首を振って静止を求めるが、サイラスは凶悪な笑みを浮かべると、空いている方の手でうっとりと、はだけたシャツの中に手を入れ込み、セアラの胸をまさぐり始める。腰から下は上から完璧に抑え込まれ、嫌でも感じとれるサイラスの高揚を下腹部に押し付けられ、嗚咽と共にセアラは喘いでしまう。


「…救けが来る頃には手遅れだ…。お前は俺のものだろう?」


掠れたその声に、セアラは泣きながら首を振り続ける。


 …やはり、ダメなのか?どうしても自分は彼には逆らえないのか…。


 泣きながらセアラが思い出していたのは、助けを呼んだアナベルでも、ずっと好きだったルカのことでもなかった。


 …僕、セアラのこと信じてる…


当たり前の様に、なんでもないことのようにそう言ってくれた。


 …リース…。


 確かにサイラスに会いたいと、会わなければならないと、そう思っていた。…けれど、こんなのは嫌だ…。きっと、自分以上にリースが傷つく…。


 そう思った時、セアラの中に力が湧いた。


「いや…!」


強く叫ぶと、抑え込まれていた腰を浮かせる。小さなその抵抗に、セアラの首筋に寄せていた顔をサイラスが上げた瞬間

「……てめぇ…ふっざけやがって…!」

と、言う地を這う様な唸り声と共に、襟首を掴まれ、サイラスの上半身は見事にセアラから引き離された。


「…アナベル…」


いきなり目の前に現れた友人の姿に、セアラは呆然と呟いた。


…確かに彼女に救けを求めた…。だが、こんなに早く来てくれるとは夢にも思っていなかった…。



 ルーディアが跳んだ先は、セアラの…いや、パトリシア・アンダーソンのアパートメントの住居の一室、リビングルームだった。


嫌な思い出…ルーディアの能力を搭載したサイラスに手も足も出なかった…まあ、一発平手は入ったが…負けた記憶満載の、その場所に忌々し気な一睨みをくれると、アナベルは迅速に動いた。


彼女はその時に、セアラが押し込まれていた部屋へ迷わず足を進めると、部屋のドアを無遠慮に開いた。開いた途端アナベルの視界に飛び込んできたのは、見慣れぬ男が女を…いや、短い金髪の男が、友達のセアラを押し倒し、泣いて嫌がる彼女の腕を掴んで、無理やり行為に及ぼうとしていた光景だった。


一目瞭然…。いくらアナベルと言えど、勘違いしようがないほどあからさまだった。…ただでさえ、苦手なそんな場面を目にしたあげく、泣きながらセアラが「いや!」と叫んだ瞬間、アナベルの堪忍袋の緒が切れた。


「……てめぇ…ふっざけやがって…!」


気がつけばそんな言葉と共に、セアラに覆いかぶさる男の襟首を引っ掴み、彼女の体から力任せに引き剥がしていた。無論アナベルとて、男がふざけてこんなことをしているなどと、本気で思っているわけではない。男の体を起こすと、アナベルは手を変えて胸倉を掴みあげる。至近で顔を突き合わせて確信を得る。


見た目は若干変わってはいるが唖然と自分を見返す男は間違いなくサイラスだった。アナベルは問答無用で腕を振り上げた。その動作に、サイラスは歪んだ笑みを浮かべた。


「…あいわからず威勢だけは一人前だ…」

「殺気をたぎらせ過ぎか?だが、お前は全然気がつかなかったな。背後ががら空きだ」


負けじとアナベルも言い返す。


「ただのお前に、私が負けると思うのか?」


振り上げた手の平を、そのままサイラスの横面に叩きこもうと、力を込めたその刹那、

「アナベルっ?!」

と、いう素っ頓狂な声が部屋の入り口から響いた。アナベルは振り上げた平手を握りこぶしに変え、その体勢のまましばらく固まった。


「…殴らなくてもいいの?アナベル…」


優しい囁きは胸倉を掴まれた当人から発せられた。アナベルは歯ぎしりすると、そのままサイラスを床へ放り投げた。相変わらず、人を舐めきった態度を崩さないサイラスだったが、その顔色が尋常ならざるほど青いことは、至近で見るまでもなくあきらかだった。


「…アナベル…」


情けない声を出しながら、名前を呼ぶだけでアナベルを止めたルーディアは、入り口でへなへなと力なく腰を下ろした。


「…殺気が、だだもれ…」


ぐったりと床に両手をつくと、ルーディアはそう呟く。かつてサイラスにも言われたそのセリフに、アナベルは憮然と口を尖らせた。


「だって…それは…」

ルーディアは顔を上げると

「…とにかく連絡を…」

と、げっそりとした口調で呟いた。まとまりも落ち着きもない光景の中、アナベルの足元から掠れた笑い声が響いた。アナベルは眉を寄せると笑い声の主、サイラスを睨みつける。


「…お前、自分の立場が分かっているのか?」


アナベルが苦々し気にそう言うと、床に腰を下ろし、片手をついた体勢で、サイラスが空いてる方の手を広げて見せた。


「いや、お姫様が直々にお出ましになっていたとは…思いもよらなかったから…」


バカにしたように目を細め、青い顔のままそんな戯言を口にする。アナベルは彼を見下ろしたまま舌打ちを返した。サイラスは異父妹の品のない態度を面白そうに一瞥して、入り口にへたり込むルーディアへと視線を向けた。


「…久しぶりだな…」

「もう少し穏やかな再会を演出したかったわねぇ。お互い…」

「いいや?これはこれで粋な計らい…じゃないか?」


サイラスの言葉にアナベルの、とてつもなく短い堪忍袋の緒が再び切れてしまう。彼女は再び問答無用でサイラスの胸倉を掴むと

「てめぇ、ふざけるのもいい加減に……」

と、顔を寄せてすごんだ。呆気に取られて床に倒されたままだったセアラと、入り口でへたばっていたルーディアが、同時に「ダメ―――っ!」と、声を上げた。


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