3-12 熱しにくく覚めにくい(5)
ルカの問題が落ち着きを見せる頃、アナベルの技研でのお勉強が再開された。このタイミングを待っていたウォルターは、喜び勇んで図書館で落ち合う方向で話を進める。予想通りアナベルは難色を示したが、ウォルターが“君に勉強を教えて欲しいんだ”と説得すると、満更でもない表情になって結局は同意した。
これでなんとか“密室で毎日二人きり”状態からは解放されるし、余計な雑念もなく勉強に集中できる。我ながらナイスプレイだと自画自賛しているうちに、彼の誕生日が近づいていた。
*
「誕生日、何が欲しい?」
図書館を出て、すっかり暗くなった中、駐輪場に向かって並んで歩きながら、ポツリとアナベルが問いかけた。少しぼんやりしていたウォルターは“君”と、真面目に答えそうになって、慌てて正気に返る。
「え…?」
ウォルターの間の抜けた反応に、アナベルはむっつりと顔をしかめる。
「だから、誕生日プレゼントだ。もうすぐだろ?」
「えっと…でも、僕は結局何も…」
「それは、仕方がないだろ?私だって週末バイトで空いてなくて、お前に気を使わせて…」
「でも…」
「なんだよ、毎回…。迷惑なのか?」
「君だっていつも素直じゃないじゃないか…」
怒らせるかと思ったが、アナベルは俯くと
「そうだな…」
と、呟いた。
「やけに素直だね?」
「…お前に対して可愛げがないという自覚くらいはある」
「…僕限定?」
「……」
ウォルターの問いにアナベルはしばし口を噤んだ。そして
「そうかもしれない…。いや、でも、リースとかにもよく、偉そうだって言われるなぁ…」
と、答える。
「素直じゃないのと偉そうなのとは少し違わない?」
ウォルターの問いに、アナベルはふっと微笑んだ。
「相変わらず変な奴だな。なんだよ?お前にだけ素直じゃない方がいいのか?」
不意にあらわれた笑顔に、ウォルターはたじろいだ。すでに駐輪場に辿り着いて、その場を照らす仄かな照明の灯りの下、アナベルの笑顔はやはり可愛かった。
「えっと…」
特に深い意味は無かった。けれど、改めてそう問われると、そうなのかもしれない…。
自分にだけ特別に素直になれないのであれば、そこになにがしかの意味を見出したがってもいいではないか?…と、言い返せれば…。
「…そうだって言ったら、どうする…?」
ウォルターの持って回った返事にアナベルは笑った。
「なら、これから先もずっとお前に対してだけ、とことんひねくれててやろうか?」
「…いや、流石にそれは…」
「ごまかそうとしてるだろ?欲しい物、何かないのか?」
再度繰り返される問いに、ウォルターは、笑顔の残るアナベルの顔を見つめてしまう。しばらくぼんやりと見つめ合っていたが、少し経つとアナベルの動きがおかしくなった。彼女は少しずつのけぞると、いきなり顔を横に向けた。
「…お、おおおお前…変だぞ?」
「変かな?」
「変だ!!」
「欲しい物…あるけど…」
と、言いながらウォルターはのけぞるアナベルの背中に腕を伸ばした。
「おおおおいっ!」
と、真っ赤な顔で叫ばれて、ウォルターははたと動きを止めた。
「…あれ?」
「お前、今…」
ウォルターはアナベルの方に伸ばしていた腕を迅速に引っ込めた。そのまま表情を変えずに、自転車に向かって方向転換する。
…危なかった…というか、自制が効かなくなってないか?これでは一体、何のために図書館で落ち合っているのか意味が解らない…。
ウォルターは制御不能の自分の言動に怯えつつ、やや乱暴に自転車を引き出した。その様子を黙って見ていたアナベルも、疲れた様に肩で息を吐き、それから自分の自転車を引き出し始める。
「…その、なんでもいいからさ…考えといてくれよ」
…さっきの今で“何でもいいから”なんて、言わないで欲しいのだが…。
「わかった。考えとく」
「うん…」
ほっとした様に頷くアナベルの横顔が、可愛くて、妙に憎らしくなった…。
*
ウォルターが珍客の訪問を受けたのは、その週の木曜日だった。アナベルとの待ち合わせのないその日、ウォルターは久しぶりに、学校から真っすぐ家へ戻る。自転車でU字カーブを曲がり、自分の住居へと視線を上げると、家の敷地前に見慣れぬ車が停車していた。ウォルターは自転車を降り、邪魔なその車に傷をつけない様、慎重に駐輪場へ自転車を押した。と、中から人が出てきた。
「…ムラタさん?」
車から出て来たのはエナの秘書のムラタ氏だった。ムラタ氏はウォルターと目が合うと柔らかい笑みを浮かべ「お帰りなさい」と、静かな口調で告げた。
エナの秘書がこんな時間にこんなところで何の用だ?と、訝りながらウォルターは小さく頭を下げる。と、助手席からこんなところで会おうなどと、夢にも思っていなかった人物が姿を見せた。
「…オーランド…さん…」
ウォルターの驚愕の表情に、何故かオーランドは満足げに口角を上げた。
…文字通りの“招かれざる客”で、特段親しいわけでもなく、親しみを覚えているわけでもなく、さらに言えば慕っているわけでもなんでもない相手ではあったが、如何にも値の張りそうな車ごと家に来られてしまっては、気付かなかったことにしてやり過ごすことも出来ない。
ウォルターは普段通りの無表情で、
「…うちをお訪ねですか?」
と、尋ねてみた。オーランドはウォルターの慎重な物言いに、楽し気に片眉を上げ
「そう…ですなぁ。少し君に、ご相談したいことが、御座いまして…」
と、慇懃無礼と言うには何やらひょうきんな口調でそう答えた。
ウォルターは控えめに息を吐くと
「…どうぞ」
と、短く告げ、珍客を家へと招き入れた。
家に入ると荷物を自室に投げ、まっすぐにキッチンへと案内する。他に客をもてなせる場所などなかった。
「どうぞ」
と、二人の珍客に椅子を勧めると、ウォルターは真っすぐ流しへと向かう。
「…紅茶でいいですか?」
流しに背を向け、いまだキッチンの出入り口で佇んでいる、二名の客にウォルターは尋ねた。と、ムラタ氏の背後に立っていたオーランドが娘の秘書の背中を押しのけるようにして、キッチンへと入って来た。周囲をぐるりと見回す。
「きれいにしてありますな…」
「…どうも…」
週末の二日を除けば、最近はアナベルも来ていない。掃除は自分でやっているのだが、恐らくこの老人は、アナベルがこの家のハウスキーパーであることも承知しているのだろう。
キッチンの検証は済んだのか、オーランドは手前の椅子…普段ウォルターが座っている椅子…を、引くと悠然と腰を下ろした。ムラタ氏はその姿に何やら複雑そうなため息をついたが、奥へと進むと、普段、アナベルが荷物など置いている椅子へと腰を下ろす。
ウォルターは再び
「ボールドウィンさんは、紅茶でいいですか?」
と、尋ねた。オーランドはふっと笑うと「頼めますかな?」と、答えた。ウォルターはムラタ氏の方へと視線を向けると
「ムラタさんは、コーヒーになさいますか?」
と、尋ねた。ムラタ氏は一瞬ためらったが、結局頷いて「よろしくお願いします」と、答えた。ウォルターは頷くと、手際よく二種類の飲み物を淹れる準備を始める。
奇妙な沈黙がその場を覆った。会話もなく、ただ、お湯の湧く音や、ティーポットの蓋が重なり合う微かな響き、コーヒーメーカーの立てる小さな音だけが、その場を支配した。オーランドはウォルターの動きを興味深気に観察していた。
「手際がいいですな」
「…どうも…」
耐熱性ガラスのティーポットの中で舞う紅茶を見つめながら、ウォルターは簡潔に答える。ゆっくりと蓋を押し、カップの準備を始める。
「まともなカップがないんですが…」
探しながらアナベル専用の水色のカップをさりげなく脇へとよけると、センスも何もない安物の無骨なカップをテーブルに二つ並べる。
「こんなカップしかなくて…」
と、言い掛けるウォルターに、ムラタ氏が笑顔を見せる。
「構いませんよ。予定も尋ねずにいきなり来たのです。お茶を淹れて頂けるだけでも十分です」
「そうですか…」
まあ…一応はコーヒーカップだ。ムラタ氏はいいとして普段の出立から察するに、オーランドは拘るタイプに見えた。案の定しかめっ面をしてはいたが、特に文句は言わなかった。
ウォルターは空のカップをお湯で温めてから、コーヒーと紅茶を丁寧に淹れ、客人の前にゆっくりと置いた。ムラタ氏は短くお礼を言って早速コーヒーに口をつけていたが、オーランドは何やら難しい表情で紅茶を睨んでいる。が、結局カップを手に取った。少し香りを確かめてから紅茶を口に含む。
「…まあまあですかな…」
「…どうも…」
単なる家庭用の安物の茶葉だ。仰天するほど美味いお茶が淹れられる訳がない。ウォルターはそう思いながらも、チャイナティーを淹れるという妙な趣味のあった祖父のことを思い出して、亡き人に対して申し訳ないような気分になってしまった。
一時、仮初に、お茶で寛ぐと、オーランドはカップをテーブルに置いた。
「驚きませんな…」
と、流しに背を預け、立ったまま自分の淹れたコーヒーを飲んでいるウォルターに向かってそう切り出す。
「…驚いてはいますが…」
「急に訪ねたことを言っているのではなく、私がユキヤ…ムラタと一緒に居ることに、あなたは驚かなかった」
ふっと、オーランドの表情が変わる。ウォルターは顔を伏せた。観察するようなオーランドの眼差しを避け、顔を伏せたウォルターが思ったことは、ムラタ氏のファーストネームはユキヤというのか、という、どうでもいいことだった。
ウォルターは顔を上げると
「ボールドウィンさんは、一昨年まで育成センターの所長をなさっておられた。ムラタ氏と面識があってもおかしくはないと思っただけです」
「ほお、お詳しいですな?」
持って回った言い方に、ウォルターはため息をつきたくなる。…それこそ、全部知っているのだろうに…ウォルターが行った犯罪行為も、その結果、エナとオーランドの関係を知っているということも…。
「…ご不快に思われるかもしれませんが、カフェで偶然…あなたとお会いした日に、調べたのです。ネットの検索システムで。それであなたの前歴を知りました」
「何故そんなことを?」
「…そうですね…」
言ってしまえば、エナと彼の…つまり、アナベルとオーランドの関係を知った上で、彼の社会的立場を知りたかったからだ。さらに言えば、自分ばかりが一方的に尋問を受けた、ストレスからの反動もあったのかもしれない。
「普段から、そのような形で、調べものを?」
「…オーランド、さん…」
どこか咎めるような口調で掣肘を入れたのは、意外なことにムラタ氏だった。
「なんだ?」
「そう言う言い方は…」
「なら、どう訊けばいいと言うのだ?」
「お話ししたいことはそんなことではないでしょう?」
二人のやり取りに、ウォルターは顔を上げた。…娘の秘書とのやり取りにしては、砕け過ぎている気がした。
ウォルターの視線に気づいたのか、ムラタ氏がウォルターに顔を向けた。
「…相談があるのですが…」
普段穏やかな表情をしていることが多いムラタ氏だったが、何故かひどく苦しげな顔をしている。
「いい、私が話す」
ムラタ氏に向かって静かにそう告げると、オーランドはやや横柄な口調で切り出した。
「サイラスが戻って来ることは知っているな?」
高圧的な問い方に、ウォルターはすっと目を細める。…本性を現したな、一瞬、彼が思ったのはそんなことだった。
「はい…」
面向きはこれまで通り従順に…もっとも、相手の態度がどうであろうが、反抗的な態度などとれそうにもなかった。ウォルターは自分の祖父世代には、とことん弱いのだ。
「どう聞いている?」
白々とした眼差しで漠然とした問いを発する相手に対し、ウォルターはしばし口を噤んでから淡々と答えた。
「…彼の…サイラスの脳内に埋め込んだマイクロコンピュータに、ルーディアという女性の特殊能力を使えなくするプログラムをインストールして、様子を見ながら北上していると伺っております」
ウォルターの説明に、オーランドは満足げに頷くと
「使えなくするとは、具体的にどうするのかね?」
「ルーディアという女性の能力が発現する際に出現する脳波のパターンをシグナル化して、サイラスの脳内に同じパターンが現れると、彼の脳内に痛みを発生させ、それの阻害をはかるシステムだと聞いています」
「そうだ。だが、仮に彼が痛みに構わず能力を発現させたら、どうなると思う?」
「…それは…わかりません。痛みの程度によると思いますが…」
ウォルターの考え深げな、だが、あくまでも淡々とした答えに、オーランドは何故か口角を上げる。
「…君に呵責はないようだ」
「…呵責…ですか?」
言われてから訝し気に顔を上げ、オーランドの視線につられてなんとなくムラタ氏を見てしまう。見ると、彼は苦し気に顔を顰めていた。その表情に、オーランドの言わんとすることがわかってしまい、獏残とした不安を覚える。
…確かに、アナベルも…、サイラスをよく思ってないアナベルでさえ、このプログラムの説明をしている時、今のムラタ氏の様な表情をしていた。理性では納得できても、感性ではサイラスに同情してしまう…という以外に、状況そのものに抵抗を覚えているのだろう。仕方がないとはいえ、確かに人道的処置とは言い難い。
そう思ってから、ウォルターは自分の感性に、やはり不安を覚える。“仕方がないとはいえ”と、思ってしまう徹底した諦観は傍目には酷薄な感受性と捉えられるだろうし、自分自身、そう思ってしまうのだ。そして、恐らくオーランドは、ウォルターのその部分を見抜き、間違いなくマイナスポイントとして加算をしていることだろう。
…自分が不安に思っていることがその点なのだということが、自身の冷淡さを裏付けているように思われて、結局のところウォルターは、自分に対して慨嘆するしかなくなるのだ。
「…ユキヤのことは気にするな。誰に似たのかこれは気が優しすぎる。…オリエの話によるとあれの父に似てるとのことだから隔世遺伝だな」
何やら慰める様な口調で言われたセリフに、ウォルターは眉を寄せる。…随分と親し気な、この言い方はまるで…。
「これは私の息子だ」
何でもないことの様に告げられて、ウォルターは一瞬息を飲む。それから
「ムラタ博士と、ボールドウィンさんの…」
と、曖昧に語尾を濁すと、オーランドが後を継ぐように頷く。
「そうだ」
「お…オーランドさん」
「妙な呼び方は止めろ。彼にはこれから世話になるのだ。無駄な隠し事をする必要はないだろう」
無駄な隠し事、という言葉にウォルターは内心でため息をつく。ムラタ氏が彼の父であるということは、エナと彼は姉弟だということになる。が、オーランドはこの場では、今のところ自分がエナの遺伝提供者であることは明らかにしてはいない。
「…では、ムラタさんはアナベルの叔父さんということですか?」
ウォルターは開き直って何でもないことの様に、そう確認する。
「ええ…」
ウォルターの問いに、何を思ったのか、ユキヤは何やら気弱な笑みを返す。確信をもって確認しておきながら、ウォルターは本筋を一時忘れ、その事実に呆気に取られてしまう。
「あの、アナベルはそのこと…」
「いえ、まだ伝えてなくて…その、隠すつもりはないのですが、タイミングが…」
「そうでしたか…」
妙な具合にはにかみながら二人でそんなやりとりをしていると、オーランドが
「流石の君もそこまで調べてはいなかったようだな」
と、口を挟んできた。ウォルターはすっと表情を消した。
「お父さん…」
「雑談はさておき、ウォルター。話を戻すと、君は五月に育成センターの出先機関のネットワークに不正な手段を用いて侵入した。エナに問われて、君はそのことを認めている」
「…はい」
「警察に、行くかね?」
「お父さん!」
声を上げたのはムラタ氏だった。父から指摘された“妙な呼び方”は止めたらしい。
オーランドの挑発的な問いに、ウォルターは無言で通した。オーランドはくっと口角を上げると
「…行く気はないな。行く気があれば遠に、自ら出頭している筈だ。エナの言うことを聞いて、黙って待っている。少しでも自分に都合のいい“処置”が施されるよう期待してな。…つまり、君は、自分の行いを全く反省していないし、機会さえあればまた同じことをするやもしれん」
「それは不可能ですし、…そんなつもりもありません」
「ふぅむ、つまり、“あの時は魔が差しただけだ”と言いたいわけだな?軽犯罪者がよく口にする類の…それこそ典型的な弁明だな。本来の自分は法を犯すような人間ではないと。君の本音は見え透いている。君は自分の軽率なルール違反を軽く見て、公にはしたくないし、そんな程度のことで自分の経歴を汚したくもない。そう、犯罪歴でもつこうものなら…今、君が欲しているものが、全て台無しになる…」
「……」
「“ただ…見ただけだ。悪用した訳でもない。それの何が悪い?”…とね、君の本音はその辺りかな?」
「そこまで開き直っているつもりはありません。ただ…」
「ただ…?ただ、…なんだね?」
「あの時は、その…」
“魔が差した”そう口に出来たら楽だろう。実際に今振り返ってみるとそうとしか言い様がない。だが、それは“今”だからだ。つまり、自分の不正な行いが発覚してしまったからで、確かにオーランドの言う通り、見つかりさえしなければ、反省など、自分はしなかったであろう。
自分がそういう人間だということをウォルターはよくわかっていた。
…分かった上で、そうはありたくないと思っていた筈だった。それが…。
「…焦っていたのは事実です。どうしても…サイラスが何者なのか、知りたかった…」
苦し気なウォルターの弁明に、オーランドは天井を見上げた。
「…ふぅむ、まあ、それは自然な感情の動きと言えるのだろうな…」
理解を示す意外な言葉にウォルターは目を瞠る。
「…はい…?」
オーランドは視線を下ろすとウォルターの顔を正面から見据えた。
「…君は異常な体験をしたのだ。通常では決してあり得ない体験を…。そんな目に遭って、君は普段の冷静さを欠いていたのだ。自覚もないままな?」
「……」
「だから、普段の君であれば決して取らない手段をとった。“魔が差した”と言うのはあながち的外れでもないのかもしれないな。その意味で正しく、君も悪魔の能力の犠牲者だ。そして、君は納得しないだろうが、ある意味アレも、君と同じなのだ…」
“アレ”と言うのが何を指すのか、恐らくサイラスのことを言っているのだろう。だが、ただ単純に孫をかばっているというにしては、オーランドの口調はいやに苦々し気だった。
てっきり一方的に責められるのだろうと思っていた話が、妙な方向に展開し始めたように思えて、やや呆然としていたウォルターにオーランドは言葉を続ける。
「そして、焦った君がした情報収集が、エナの身上調査だ。どうして自分の書類上の母親の身元に答えがあると思ったのかね?」
「……え?」
「きっかけだ。君には見当がついていた。サイラスがエナの息子かもしれないと。何故そう思ったのかね?」
…似た主旨のことをエナにも聞かれたことを思い出した。…彼らがそれを知りたがるのは当然のことかもしれない。
「スタンリー氏が君に何か言ったのかね?」
答える様子を見せないウォルターに、オーランドは気短に言葉を重ねる。オーランドの問いに、ウォルターは無言で首を振る。
「スタンリー氏から、その事実を聞かされたのは、あの事件の後です。それ以前にそのことを思わせるようなことを彼から言われたことはありません」
「では、何故?」
あからさまな詰問に、ウォルターはすっと目を細める。
「…僕に違和感を与えたのは、サイラスの態度…や、言葉です」
「ほお?アレの何が?」
「彼と僕とは、一切面識がありませんでした。にも拘らず、会う度彼は僕を邪魔だと言い、目障りだと言いました。…最初は単純に、彼の目的を妨害する立場に、いつも立ってしまう、僕に対するシンプルな感想なのだと思っていたのですが…」
「…なるほど…」
「…その、…胃に、ガラス片を入れられたと知って…尋常でないものを感じました。目的の達成のために邪魔なのだ、という以上の…大袈裟に言えば“憎まれている”と、思ったのです。ですが、理由がわからなかった…」
「…大袈裟ではないだろう。現にアレは君を憎んでいた。君には何の咎もないことで。だが、それだけで、アレがエナとスタンリーのバイオロイドだとは気づくまい。何か他に要因があった筈だな?」
今度は内心ではなく、面だってウォルターはため息をついた。…この程度の弁明で、目の前の人物が納得しないことは、ウォルター自身よくわかっていた。
「病院で…なんということはない話をしている時です。不意に気づいたのです、エナとルカ…つまり、サイラスが似ているということに」
「…似ている…かね?」
「…サイラスとルカの卵子提供者がエナであり、何らかの理由で彼らがアンダーソン家に養子に出されていると仮定する。その現状に彼が、…サイラスが強い不満を抱いているとすれば、彼が僕とアナベルを憎む理由になる…」
「…理由にはなるな…。だが、似ているというだけでそこまで閃くものかね?確かにそう思って見れば類似点は多いだろう、だが、それはあくまで、そうと確信を持って探れば…と言った程度のことだ」
「…ですが、それが事実で…」
「君が入院中に話していた、“なんということはない話“というのは、一体なんだね?」
オーランドの追及に、ウォルターはため息をついた。
「…日記です…」




