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オールドイースト  作者: よこ
第3章
441/532

3-11 RRF-0079は壊れた過去の夢を見るか(6)

 エミリアの専門はゲノム解析にあるらしかった。


「…たんぱく質を作るのに関係していない塩基配列も生体の生成に関わってるじゃない?それで、その部分のゲノムの意味解読なんかは、もうずっと前から進められているんだけど、技研でもそれは一大プロジェクトなのよ!けど、ほら、意味不明なわけだから、もう、大変なのよ。解答用紙があるわけじゃないし、クイズのヒントもない。超人工知能が使えた時代に解析したデータをもとに、人と人以外の生物の比較をしたりして、なんとか進めているんだけど、…とにかく、今現在は、人工知能登場前のプログラムや分析手法に頼るしかなくてし…」


…プログラムと聞いてカレンは嫌な顔をした。彼女はコンピュータの類が苦手で、自分より自分が相談を受けている学校の生徒たちの方が、余程コンピュータを使いこなしているだろうと、時々こぼしているほどだ。


「…ヒエログリフの翻訳ね…」

「…は?」


ルーディアの答えにエミリアは眉間に皺を寄せた。ルーディアは呆れたように口を尖らせる。


「ロゼッタ・ストーンが必要ねって。知らないの?」


言われて数秒、エミリアの表情が空白になった。…何も考えてないな…と、傍らで二人のやりとりを見守っていたカレンはそう思った。


「!そう、そうそう!ロゼッタ・ストーンよ!!」

「…で、その話が私とどうつながるのよ」

「だって…あなたもそうじゃないの?遺伝子にはこれといって特徴はない。ホルモン分泌も正常。けど、成長が止まっている。解析されてないゲノムに謎が隠されているに違いない!でしょう?」

「…答えがないのに、それがわかるの?」

「…だから、明らかな差異があれば、働きが分かるんじゃないかって…」

「あるほど、明確な誤作動を起こしてるゲノムから正解を導こうってことね。私のゲノム上の大きな変異について調べれば、成長に関係する文章がわかるんじゃないかと…サンプルケース、ナンバー…幾つくらい?…つまり私はあなた達がかき集めているロゼッタ・ストーンのかけらの一つだと…そういう発想かぁ」

「…そんな、そこまでは言わないけど…」


ルーディアの解答に何故だかエミリアの方が傷ついた様な顔になる。


ルーディアはあきれて

「カレンもだけど、あなたも、なんなの、一体?」

「…カレンと私?何がどうってこと?」

「お人好し、全くそんなことで熾烈な発見競争を勝ち残れるの?」

「…そんな、どうせ私は巨大プロジェクトの歯車の一個で…」

「何、卑屈!私に失礼!!謝って!!」

「え…ええ~~」


ルーディアは中腰になって、勢いよくエミリアに指を突きつける。エミリアは露骨に視線を泳がせ、藁にも縋る気分になったのか、助けを求めるようにカレンに熱い視線を送る。


カレンは苦笑を浮かべるとルーディアに向かって

「そんなことを言わないで、エミリアが“熾烈な発見競争を勝ち残れる”ように、協力してあげなさいな」

と、口添えした。


「ええ~~、だって、悪い解答例扱いなのよ?そんな失礼なことはっきりしっかり言ってきて、あげくに自分は歯車でしかないって…、私のゲノムは歯車以下なのかって話よ!!」

「わ、悪い解答例って…そこまでは言ってないっ!」

「…あら、そう?」

「…そういうのとっても大事なことなの、だから、つまり…」

「はいはい、あなたに悪気がないことはよーく、わかりました」

「その言い方…不貞腐れてる…」

「不貞腐れもするわよ」


ルーディアの言葉にエミリアは真顔になった。


「ルーディア。命の価値を人が定めることは出来ないと思う。…けど、私にとっては皆、尊いの。それだけは確かよ」


エミリアの真面目な口調にルーディアは醒めた眼差しを向ける。


「…理想論ね。虫唾が走るわ…」

「理想論でも…!」

「サンプルの採取に来たあなたと、サンプル扱いの私が等価だとでも?欺瞞もいいところ。欺瞞じゃなければ、とんだ勘違い…」


エミリアは強張った表情のまま首を振った。好き勝手な方を向いている短めのポニーテールがふわふわと揺れた。


「…私、あなたと友達になれたらって…」


真顔で言われて、ルーディアは目を見開いた。その表情のまま、エミリアの正気を問う眼差しで彼女を指さし、カレンの方へと顔を向けた。


「なんか、すごい、リリカルなことを言ってるわ…」

「リリカルって…」

「マリンの方がまともだったかも、あなたの上をいくお花畑…」

「…ルーディア…」


あまりといえばあまりの言われ様に、カレンは場のフォローも忘れて、がっくりと嘆息してしまった。



 最初の衝突は小手調べだったのか、始まってみるとエミリアとルーディアの関係は良好だった。


 カレンの懸念はエミリアの目的にあった。エミリアの専門に関する話は最初に聞いた。だが、エミリアは表向きの目的とは別に、技研や育成センターの指示に従い、ルーディアを監視するために派遣されたのだろうと、カレンは思っていた。はっきりと口にはしないがルーディアの認識も自分と同じだろう。最初の衝突が、ルーディア自らが演出したものとして、技研から来た若い研究者の正体を暴こうとする意図が、少女にあったのは間違いない。


今の二人の打ち解けぶりを見ると、エミリアはルーディアの試験をパスしたのかもしれない。カレン自身、エミリアの善良さを演技と見做すことには抵抗があった。ゲノムを採取すれば終わるだけの筈が、今でも足しげく通っているところを見ると、エミリアが技研の派遣した監視役であることは確かなのだろう。だが、与えられた役割とは別の動機で、…エミリア自身の意思に従って、ルーディアと良好な関係を築こうとしているのだとカレンは思いたかったし、恐らく、そうだったのだろう。


その結論はカレンをひどく安堵させた。ルーディアを取り巻く環境は決して優しいとは言えない。信頼出来る人間は一人でも多い方がいい。カレンとしてはルーディアに、これ以上辛い思いをして欲しくなかったのだ…。


 エミリアは毎日の様にルーディアの元を訪れた。この時期のカレンは本来の仕事のひとつであった産業カウンセラーの業務を不定期に切り替え、学校でのカウンセラーの仕事の後、ルーディアの方へと顔を出すようになっていた。カレンがルーディアの部屋に行くと、大抵エミリアが先に訪れていた。


カレンが顔を見せると、エミリアは嬉しそうに水色の目を細め笑顔で迎えてくれる。その日のルーディアは、リクライニングチェアに寝そべり、タブレットで何やら読んでいた。


「…も、カレンがいない時のルーディアは、本気で悪魔じゃないかと…」

「ちょっと、何聞こえる様に悪口を言っているのよ?」

「改善して欲しいから、告げ口してるんです!」

「…学生?」


ルーディアの呆れた様な口調に、エミリアは何やら勝ち誇った笑みを浮かべる。


「…悪魔といっても小悪魔ね。小悪魔ちゃん!」

「…ムカつく…」


…同レベルだ…。


二人のやり取りを眺めながらそう、カレンは思った。


技研に就職したくらいだから、エミリアだってそれなりに高い知性を誇っている筈なのだろうが、なんだろう?この学生のじゃれあいっぽい関係は…。友達になりたい宣言にはカレンも内心かなり驚いていたのだが、嘘でも偽善でもなんでもなく、虚勢でもはったりでもなく、見事に実現させているあたり、やはりエミリアは優秀な人材なのかもしれない…と、カレンはほとんど意味不明なたわごとを心の中で呟く。


「小悪魔って魅力的って意味よ。女性に対する最大級の褒め言葉よ」

「…そうだったかしら?」


カレンは素直に首を傾げた。ルーディアは忌々し気に顔をしかめると

「私の見た目が子供だからって、バカにして…」

と、呟いた。


「えー、なんで?なんでそういう解釈になるの?ルーディアが魅力的なの、説明不要でしょう?」


エミリアは腕を組むと口を尖らせる。どこまでも本気だ。


「はいはい、あなたは私の外見が大好きなのよね。観賞用なら史上最高って…」

「ちょ、ちょっと、ルーディア!なんなの、一体?あの…カレンっ!!」

「…何?」


カレンが首を傾げると、エミリアはやけに真剣な眼差しで

「…前からちょっと疑ってたんですけど…ひょっとして、ルーディアってテレパスなんじゃ…」

「…え?」

「だって、変なんです!さっきだって私が、今日のティータイムに前に出たチョコタルトが出ないかなぁとかって考えてたら、ルーディア…なんて言ったと思います?」

「…なんて言ったの?」

「“今日のお茶請けは生チョコレート。結構いいとこついてる”…って」


無意味にひそめられたエミリアの言葉に、カレンは無言でルーディアの方を見た。ルーディアはわかりやすく横を向いていて目を合わそうとはしなかった…。


「…そうね、いいところをついているわね。同じチョコレート菓子だし…」

「そう!ここのチョコレート菓子は本当に美味しいの!お店で売ってるやったらと甘いのと違って、ほろ苦くって…。私、これでもちょっとお菓子にはうるさい…って、違います!」

「あら、そうなの?ルーディアもうるさくって、どこで鍛えたのか、無駄に舌が肥えているのか…」

「…お茶とお菓子だけよ。食事に文句を言ったことはないわ…」

「そもそも、偉そうに言うほど食べてないじゃないの」


母親のような口調でカレンは呟く。エミリアは自分の大発見…かもしれない報告に、カレンがさしたる反応を見せないことに訝しさを覚える。…いや、というよりこれは…。


「ひょっとして…気づいてました?」

「…なんのこと?」

「テレパシーです。ルーディアは時々、人の考えを読んでますよね?」

「…読まれて困るようなこと全然考えてないじゃないの…。今日のティータイムのお菓子は何かなぁ、あれがいいな、これが美味しかったな…って」


ルーディアは手にしたタブレットに視線を据えたまま、バカにしたようにそう言った。エミリアは、勢いよく少女の方へ顔を向けると

「それはっ!ここに来る時間帯が、ちょうど、一番お腹が空いている時間帯なせいであって!!」

と、言い訳をし始める。


「と言うか、やっぱり読んでる~~」

と、叫ぶといきなりその場に座り込んだ。


「…落ち着きがないわね…」


リクライニングチェアの上から呆れた様にルーディアが呟いた。


「だって、これが平気でいれますか??」

「…カレンは…平気そうだけど?」


ルーディアの言葉にエミリアは再び立ち上がった。


「やっぱり、カレン!知ってたんですね?」

「え…っと、そうね…」

「カレンは出会ってから一月経つ前には気づいてたわよ?」

「ええ?ウソ…」

「…で、気づいてからも別に確認取ったりとかしなかったし…」


言われてカレンは苦笑を浮かべる。まあ、確かにその通りなのだが、本当に筒抜けなのだと感心しないでもない。


「ええ、なんで?どうしてですか、カレン?」

「それは…」

「私が隠していることに気づいたから…じゃないの?」

「そうなんだ…なら、アデレイド…ううん、報告はしない方がいい?」


エミリアの言葉にルーディアは肩を竦めた。ためらいがちにカレンが口を開く。


「それは、あなたが決めることだわ、エミリア。私がアデレイドに言わなかったのは、それは私の仕事ではないと判断したからよ」

「仕事…?」

「ルーディアのメンタルケアが私の仕事。彼女の能力が何かを調べるのは私の仕事ではないわ…でしょ?」


カレンの優しい声音に、エミリアは肩の力を抜いた。


「…なるほど…」

「納得した?じゃあ、お待ちかねのティータイムにしましょうか?」



 エミリアは熟考の末、レポートにはしない形で、アデレイドにのみ口頭で報告することにした。アデレイドはエミリアとカレン、そしてルーディアの意向を汲んで、ルーディアの能力に関して、技研内部で開示しないことに同意してくれた。だが、運の悪いことにその事実は彼女の養子に知られるところとなってしまう。後日、アデレイドとカレンがその件で話していた時、たまたま行き合ったオーランドは、行儀の悪いことに自分の存在を宣言せぬまま、興味深いその会話の中身に聞き耳を立て、結果的にRRF-0079の隠された能力を知るに至ったのだ。



 彼の来訪はいつでも唐突だ…。


「入るぞ」


インタフォンから一方的に告げられた声に、室内の女性三名は顔を見合わせた。


「誰でしょう?」


エミリアは首を傾げた。不躾なその声に聞き覚えのあったカレンは、嫌そうに顔を顰める。


…オーランドだ。


彼が技研に就職するまで、オーランドはカレンにとって五歳下の弟のような存在であった。それが、彼が技研に就職し、新しいタイプのバイオロイドシステムの確立にスタッフの一人として熱心に取り組み、育成センターの設立に奔走し、果ては開発型の全廃を主張して、露骨にアデレイドと敵対するに至る段階まで来ると、弟分…などと、可愛らしいことは言っていられなくなる。はっきりと今のオーランドに対して、カレンは批判的だった。


そもそもアデレイドの作った人工子宮をいい様に利用し続けている時点で、カレンの中ではありえない上、彼はルーディアを含む初期のバイオロイドの全廃まで主張してはばからないのだ。


そんな彼がこの部屋を予告も無しに訪ねるなど、碌な要件であるはずがなかった…。


「入らないで下さいな」


カレンは立ち上がると、出入り口まで足を運び、インタフォンに向かってはっきりとそう告げた。だが、中から鍵など掛けられない。無情にもドアは開き、入り口のドア枠を挟む形で、カレンはオーランドと対峙する羽目に陥った。


「…入らないで下さいと言った筈です」


カレンの厳しい口調に、オーランドはバカにしたように口角を上げる。


「君の指示に従わないといけない理由がない」

「嘱託とはいえ今のこの部屋の責任者は私よ?従えないってどういうことなの?」


オーランドは首を傾げる。相変わらずバカにした様な態度だ。


「ならば質問をしてもいいかな?」

「…どうぞ」

「何故入室を拒む…」

「何をしに来たの?」

「質問に質問で返すのか?」

「あなたの方こそ、目的も言わないで…。そんな物騒な顔をした男性を部屋に入れるわけにはいきませんよ」


カレンの言葉にオーランドは笑った。


「…物騒な顔ねぇ…」

「あくまでも表情のことですよ」


オーランドは顔を上げると、真っすぐに部屋の中央に位置するルーディアへと視線を向ける。


「RRF-0079。俺を覚えているか?」


問われてルーディアは目を眇める。…忘れられるわけがなかった…。


「…ええ…」

「あの時は、そう…なんて言えばいいのかな。お互いにショッキングな出来事だった?」


ふっと、ルーディアが目を細める。が、苦し気に顔を顰めると額をおさえ、頭を振った。カレンは急いで踵を返す。


「…ルーディア…」

「ごめん、カレン…。彼はダメだわ…」

「…何が…」

が、カレンの言葉にルーディアは青ざめた顔色のまま首を振ると囁き声で呟いた。


「…見えない…」

「え?」

「あの時は特別。前から私、男の考えはよく見えない…。けど、彼は知っている、それだけは…」


カレンという盾がなくなったのに気をよくしたのか、オーランドは無造作に室内に入って来た。が、今度はその彼の行く手にエミリアが立ちふさがった。


…事情はよくわからない。だが、カレンが入るなと言ったのに勝手に入って来て、その上ルーディアが何やら辛そうだ…。エミリアからすると、それだけで、目の前の男性の前に立ちふさがるのに理由としては十分だった。



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