1-6 カディナに帰る(6)
アナベルはアルベルトの家に帰ると、メール便を確認する。手紙はまだ届いていないようだった。それから真っ直ぐ地下へ下りた。リパウルが来てないかと期待するが、まだ来ていない。アナベルは端末のある机の椅子に座ると、そのまま机に顔を伏せる。本当はそろそろ中期試験の勉強にとりかからないといけない。が、何もする気にならなかった。
「アナベル、アナベル」
少し気遣わし気な優しい声と共に、肩を優しくゆすられる。アナベルは覚醒し、机から顔を上げる。またしても眠っていた様だった。声の方を向くとリパウルが安堵したように、笑顔のまま息をついた。
「よかった、大丈夫?」
「リパウル…」
自分でも驚くほど、アナベルは安心した。思わず涙がこぼれそうになる。が、堪えた。
「リパウル、その、お願いしたいことがあるんだけど…」
「何?」
「カイル叔父さんから手紙が来ない。カディナと連絡をとりたいんだ…」
と、遠慮しながらも、アナベルは今、一番気にかかっていることを、リパウルに告げた。
***
火曜日も校内の雰囲気は、昨日とそれほど変わらなかった。常に人に見られているような違和感があって、アナベルは落ち着かない。ただ、一番気にかかっていることをリパウルにお願いすることが出来たので、その点を支えになんとかしのぐ。
エナが了解してくれれば、今日は学校もバイトも休んで、技研に跳んでいくつもりでいた。カディナと通信が出来て、カイルの姿を見ることが出来れば…その場面を想像すると、校内の噂など、どうでもよくなってくる。アナベルは連絡を待ち望んでいた。が、結局リパウルからは何の連絡も来なかった。エナはアナベルの要求を、一蹴したのかもしれない。
アナベルは怒りと失望をかみ殺し、なんとか普段通りに行動した。
当然のことながら、ウォルターの家にも行かなければならない。昨日のウォルターの冷淡な態度を思い出すと、正直、行きたくなかった。昨日少しだけ話した時のイーサンの態度から、アナベルはなんとなく、嫌な予感がしていたのだ。今の妙な噂のついた自分が、ウォルターの家に出入りしていると、彼の迷惑になるのではないか、ということだ。
自分とウォルターには遺伝上のつながりがある上、ウォルターの家には夜分に行くわけではない。ただ、噂を流している相手は、そのことを知らないのだろうし、そもそも、自分と全く異なる思考回路の持ち主のようで、はっきり言えば、自分の感覚では理解できない発想をしているので、どうしたらいいのかわからない。迷いながらもアナベルは、ウォルターの家へ向かった。
玄関前で来訪を告げる。今日は玄関まで出てきて、帰れと言うかもしれないと身構えた。実はそれが一番望ましい対応にも思われた。が、ウォルターは出てくる気配はなく、いつも通り玄関は無言でスライドした。アナベルは恐る恐る屋内に入った。ウォルターはキッチンテーブルの椅子に腰かけ、書籍用タブレットで本を読んでいた。アナベルにはその姿が、妙に懐かしく思われた。
ウォルターは顔を上げると、廊下に立つアナベルの方を向き、彼女が動かないのを見てため息をついた。
「なんでそんなところに突っ立ってるの?」
今日こそ普通に話すつもりだったのに、また、駄目そうだ。
ウォルターはその時点で、自分に対しても、アナベルに対しても、イライラし始めていた。アナベルはその言葉に顎を引き、こちらを睨みながらゆっくりと自分に向かってくる。
警戒し、背中を丸めてこちらを威嚇する、猫のような眼差しだった。
こんな時なのに、ウォルターはその眼差しに見とれてしまう。久しぶりに正面から彼女を見たような気がした。気がつくとすぐそばに彼女が立っていて、自分を見下ろしていた。
ウォルターは目をそらすと、タブレットを閉じた。
「座らないの?」
「座った方がいいのか?」
「いや、どちらでも」
「何か話しかよ」
「そう…」
言いながらウォルターは、眼鏡の位置を変える。
「君が悪いわけじゃないんだけど、しばらくお休みにした方がいいのかなと思って」
「なんで?しばらくって…いつまでだよ」
アナベルは上から見下ろすようにして、そう問うた。が、質問している彼女自身、本当はよくわかっていた。
…当たり前のことだ。当然の…。だから、予想はしていた。筈が…、アナベルはすでに臨戦態勢だった。
「中期試験くらいまで、それが終れば少しは落ち着くだろう」
「落ち着くって何が?」
「いろいろ…かな?」
「だから、いろいろって、なんだよ?」
ウォルターは答えない。アナベルはイライラしてきた。
「もってまわった言い方しやがって。私が来るのが迷惑なんなら、はっきりそう言えばいいだろ!?」
アナベルの怒気に触れて、ウォルターのイライラも増幅していく。それでもなんとか、穏便にすませたかった。のだが…。
「だから、君が悪いわけじゃないって最初に言っただろう?」
「じゃ、なんでそんな、よそよそしいんだ」
「またその話か…何べんもいってるけど、よそよそしくしてるつもりはないし、してもいない。君が悪いわけじゃないって、言ってるだろ?」
彼女を避けず、普段通りに振舞うのに自分がどれだけ悪戦苦闘しているのか、普段と違うことには気がつくくせに、こちらの努力には気がつかない。その上あの噂だ。ウォルターは自分が限界に近いことを自覚していた。だからこそ、今日だけは穏便にすませたかったのに、それを…。
「私が悪くないんだったら、休みにする必要なんてないだろうが」
「そうじゃなくて…」
「すました顔しやがって、本当は怒ってるし、あきれてるんだろ?」
すました顔と言うフレーズが、妙にウォルターの癇にさわった。それを維持するのに人がどれだけ苦労していると…。
「何を言わせたいんだ?怒ってるし、あきれてる。そういえば満足して、人の言うことを素直に聞いてくれるのか?」
「私がそう言えって言えば、お前はそう言うのかよ。違うだろ?」
「今はそうした方がいいって言ってるんだ」
「なんでだよ。後ろ暗いことなんて何もない」
「君は納得できないかも知れないけど、周りはそう見ない」
「おかしいだろ?そんなの」
何故こんな簡単なことがわからないのか?ウォルターはアナベルの正論に辟易した。
「おかしいのは君の方だろう」
「私?」
「元を質せば、全て君の行動が原因だ。君が妙な時間に、ザナー先生の家に居たからこんなことになったんだろ」
アナベルは咄嗟に言い返せない。…ウォルターはやっぱり知っていたんだ…。
「だけど、それは、用事で…仕事があって…」
「また、仕事か…君が何をしてお金を得ようと勝手だけど、最低限のルールくらい守れてると思ってたけど」
すっと、アナベルの心臓が冷えた。ウォルターは、何を言っているのだろうか?
「お前…まさか、あの噂、真に受けてるんじゃないだろうな?」
「真に受けるって何が?」
「だって、さっき、何をして金を得ようと勝手だって…」
噂を聞いているのだろうとは思っていた。だが、真に受けているとは思わなかった。
ウォルターは顔をそむけると早口に言い返した。
「言葉のあやだ。そいう意味で言ったんじゃない」
アナベルは急いで弁明した。
「仕事といっても、お使いみたいなもので、ナイトハルトに頼まれて資料を取りに行って…」
「僕が聞いた話だと、君はしばらくザナー先生の家から出てこなかったようだけど?」
「…それは、ついうっかり、寝ちゃっただけで…」
「つい、うっかり?君は、うっかり、ザナー先生の家で寝てしまえるんだ。随分、親しいんだね」
「いつもじゃない。あの時はたまたまで…」
「ひんぱんに出入りしていることに、違いはないわけだ」
何も言ってもまともに聞いてもらえない。アナベルは叫び声を上げたくなった。イーシャに説明した時は、もっとスムーズに理解してもらえたのに!
「資料を取りにって、言ってるだろ?付回してる奴らはお咎め無しで、なんで私ばかり責めるんだよ!」
つい、声が荒くなる。
「君が迂闊だからだろう」
「な…!」
「君が迂闊で、考えなしで、無防備だからだ」
アナベルは言い返せない。奥歯を噛み締めた。ウォルターは畳み掛けるように言葉を続ける。
「ザナー先生を付回してる連中に、僕が迷惑をこうむっているわけじゃない。こうむっているのはザナー先生だ。君がうっかりしたことも含めて、結局、先生が一番の被害者ってわけだ。…大体、仕事仕事って、どうせ、うっかり寝るのも仕事のしすぎだろう?君は一体、なんのためにオールドイーストまで来たのさ?」
「…人が…どんな理由で来ようと自由だろ?」
「イライラするんだよ…」
「な…」
「こっちは年がら年中スポンサーの顔色を伺って、馬鹿げた話に相槌打って、君はバイトバイトであちこちウロウロして、いろんなところで妙な風に見られて、僕まで巻き添えだ。馬鹿が噂に飽きるまで、ここに出入りしない方がいいと言えば、勝手に切れる、人の話は聞かない。知ったことじゃない。そんなんだったら、田舎にでもどこにでも帰ればいいだろ?」
ウォルターの言うことは一々もっともだった。久しぶりで彼の本音を聞いたような気がした。毒舌すら懐かしい。
「それで、腹立てて、最近よそよそしかったのか?」
「だから、違うって言ってるだろ?よそよそしくした覚えなんてない。君の被害妄想だ」
「嘘つくなよ。やっぱり目ざわりだったんじゃないか!」
「前から言ってるだろ?僕はどっちでもいいんだ」
「私だって、どっちでも…」
と、言いかけて躊躇う。どっちでもいい、は嘘だった。
アナベルは、今ではここでの仕事を気に入っていたし、時には楽しみですらあった。例えば、給料がよいということを差し引いたとしても。ウォルターは淡々としてるけど、実は寛大だったし、いつも課題の心配をしてくれて、それが当たり前になっていた。ずっと彼に甘えて、頼りにしていたのだ。
どっちでもいいなんて嘘は、アナベルにはつけなかった。
「…私は、最初、オールドイーストに来て、弟がいるって知って、嬉しかった。少しでも仲良くなれたらって…少しは打ち解けられたって、思ってたのに…なのに、結局お前は、私のことを拒絶するのか…」
「…拒絶した覚えはない」
…それが出来ればどんなに楽か。
「今だって、私が出入りすることで、迷惑かけてるんだってことはわかってる。けど、私とお前は姉弟で…」
アナベルの縋りつくようなその言葉に、ウォルターは唐突に立ち上がった。
……限界が、きた。
「僕は、君を姉だと思ったことは、一度もない」
ウォルターはアナベルを見下ろすと、静かな声ではっきりとそう言った。
彼の眼差しはひどく冷やかで刺々しかった。憎悪すら感じられた。
好かれている、と思ったことは確かにない。けど、憎まれているとは思わなかった。
アナベルは咄嗟に目をそらした。これ以上、彼が自分に向ける正体不明の憎悪を、見たくなかった。
「…わかった。しばらく来ない」
かろうじてそれだけ言うと、アナベルはウォルターの家を後にした。
アナベルの背中が玄関の向こうに消えるのを、ウォルターは身じろぎもせず見届けた。何かを殴りたい衝動と、一人で闘い続ける。
今、彼が一番殴りたいのは、自分自身だった。
***
アナベルは、アルベルトの家に帰宅した。メール便を確認するが、やはり自分宛の手紙は届いていない。アナベルは地下に下りた。検診からこっち、ルーディアは眠っていることが多くなった。リパウルに聞いても理由はよくわからないらしい。アナベルは机に座って、顔を伏せる。ルーディアのように自分もこのまま眠って、眠り続けてしまいたかった。
…僕は君を姉だと思ったことは一度もない。
知っていた。ウォルターが自分を姉だと思っていなかったことは。それでも彼女にとってウォルターは身内で、オールドイーストでは、同世代の人間の中で、一番頼りにしていた人物だった。わかりにくいけど、一度受け入れてくれれば、どこまでも親身になってくれる。
時々、毒は吐くけど、ちゃんと自分の考えを持っていて、それを人には押し付けない。
一度は確かに受け入れてくれていたのに、何故はじき出されてしまったのだろう。何よりそれが悲しかった。こんなことなら、ずっと関わりがないままの方がよかった。
アナベルは机に伏せて顔を隠した。今は誰も見ていない。ルーディアは自分の心は覗かない、覗けないといっていた。顔を伏せてしまえば、監視カメラからも見えない。だから今は泣いていいのだ。アナベルは一人、机に伏せて泣いた。
…涙が出なくなるまで泣き続けた。




