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オールドイースト  作者: よこ
第3章
426/532

3-10 箱入り王子の悔恨と自覚(6)

ロッカーエリアにルカを置いて、アナベルは学生食堂へと足を急がせた。


ビクトリアから、“放課後、ここで待ってる”とは言われたが、“ここ”というのが、ビクトリアに捕まってしまった出入り口付近をさすのか、学食の中をさすのか判然としない。だが、目立つ出入り口付近でさらし者の様に突っ立っているビクトリアの姿…というのも想像しにくい。普通に考えて学食の中だろうと見当をつけて、アナベルは学食に入った。


コーヒーをトレイに乗せて一応学食内を見回すが、ビクトリアはまだ、来ていないようだ。適当な場所に陣取ると、タブレットを開いてさっそく見直しを始めた。オリエの話が本当なら、来週から再び怒涛の家庭教師(?)ラッシュが再開されるらしい…。

学校の教員とは比較にならないほどの恐ろしい講師陣と戦うためにも予習復習は欠かせないのだ…。


コーヒーを片手に集中していると目の前に影が差す。見上げると、自分を見下ろすビクトリアの、おどろおどろしい顔があった…。


「や、やあ…ビクトリア…」


ビクトリアのこれまで目にしたことのない雰囲気に、若干気圧される…というか、怯えながらも、アナベルは果敢に手を上げた。が、ビクトリアはアナベルの友好的挨拶に、何故か忌々し気に頬を引きつらせ「ふん!」と、呟くと、乱暴に椅子を引き、優雅さのかけらもない勢いで腰を下ろした。アナベルは呆気にとられ、横を向くとげんなりとため息をついた。


「…ランチの時、何を話してたのよ…」

開口一番、ビクトリアはそう問うた。アナベルはコーヒーを飲むと

「…話があるって、そのこと?」

と、質問に質問で返す。


ビクトリアは横向きに腰を掛け、行儀悪く頬杖をついた格好で、忌々し気に舌打ちした。…ここ…校内だよ?と、アナベルは余計な心配をしてしまう。ビクトリアは猫をかぶる努力を、完全に放棄することにしたのだろうか?


「あの…」

「話を逸らすってことは知ってるのね?」

「ええっと…まあ…」


アナベルの曖昧な答えに、ビクトリアは彼女の方へと身を乗り出してきた。そのまま声を潜めると

「…一体、ルカって…なんなの?」

「…はぁ…?」

「親しいんでしょ?」


…ああ、そう言う意味かと一応は納得する。アナベルはため息をつくと

「ビクトリアの方こそ親しんじゃないの?私はただの友達だし…というか、友達相手にこういう言い方するのもどうかって思うけど、正直、彼氏としてはあまり…」

「随分えらそうなこと言うわね」

「まあ、そうだけど…」


ノエルではないが、ビクトリアの男の趣味は本気でどうなっているのだろうか?と、話しながらもアナベルは思ってしまう。…なんというか、厄介な相手に熱烈な片思いをしている男を、発見するアンテナでもついているのではなかろうか?


…以前の自分は知らなかったが、今のアナベルは知っている。以前、ビクトリアが熱を上げていたナイトハルトも、ルカとは違った意味で、非常に厄介な相手を一途に思い続けていた奴なのだ…。


「ビクトリアってさぁ、なんか、面倒でしつこい片思いをしている男ばっかり、好きになってない?」


…まあ、ナイトハルトが片思いだったのかどうかは、判然としないところだが…。


 アナベルの呆れた様な言葉に、ビクトリアは一瞬、彼女を睨みつけた…が、強い眼差しを保てたのはその一瞬だけで、彼女の目線は見る間に力を失った。アナベルの目の前で、ビクトリアはそのまま、がっくりと項垂れてしまう。


「…やっぱり、そうなんだ…嘘じゃなくって…」

「ええっと…うん、まあ…そうだね…」

「…なんで、あんたばっかり…」


言いながらビクトリアが顔だけを上げアナベルを睨みつける。


「?!」


突拍子もない言いがかりに、まだ、その誤解は続いていたの?と、反射的に叫びそうになってしまう。が、アナベルは辛うじて声を落した。


「違うよ!てか、本気で迷惑だから、やめてくれないかな?なんで私がその相手って、思い込めるのかなぁ?どう見ても、私はそんな複雑そうなキャラじゃないだろう?!」

「…そう言われて見れば…そうね…」

「……」


自分で主張しておきながら、意外なほどあっさりとビクトリアが納得してしまったので、言ったアナベルの方が若干傷ついてしまった。


「ビクトリアも、一体、ルカのどこがいいの?」

「どこがって…あの爽やかで、頼りなさそうな笑顔を見て、あんた、なんとも思わないの?!」

「…なんともって…」


アナベルは絶句した後、呆れ切ったため息をついた。


「…特には…」

「本当に、女?」

「あのね…その理屈で言うと、女性はみんな、ルカに恋愛感情を持たなきゃいけないってことになるじゃないか」

「なんでみんなよ?あれだけ身近にいて、なんとも思わないのかって言ってるの!」

「…なんで無理やり仲間にしようとか…」


アナベルは深々とため息をつく。…もう、一体、何度ため息をついたかよくわからない…。


「だからね、さっきも言ったけど、ルカには片思いの相手がいるんだよ。もう、骨の髄まで大好きで、つけ入る隙とか全然ないんだ。ルカと一番仲の良かった女の子…私よりずっと前からルカの近くにいて、ルカの事大好きだった女子ですら敵わなかったんだよ?…諦めなよ…」


懇々と重ねられるアナベルの説明に合わせる様に、ビクトリアの表情が次第に情けないものになっていく。アナベルは哀れを覚えた。


「…何よ、それ…」

「まあ…うん、そうだね…」


呟きながらもアナベルはビクトリアがルカの“片思いの相手”に関して、詳細な説明を求めて来たら、どう対処すべきか思考を巡らせていた。…ランチタイムに押し通した作り話をここでも披露するしかない。だが、ビクトリアが納得しなかったら…?


 結論から先に言えば、アナベル懸命のシミュレーションは徒労でしかなかった。ビクトリアにとって、自分の想い人の片思いの相手が、目の前にいる粗野な同級生ではなければそれでよかったのか、特に深い事情を知りたがりもせず、一人で勝手にずんずんと落ち込んでいったからだ。


「ああ、どうして?なんで?私の運命の相手は一体どこにいるの??」


すっかり落ち込んで完璧に項垂れてしまったビクトリアの、顔を覆う栗色の髪を複雑な思いで見つめながらアナベルは、再びため息をついた。


「…運命の相手とやらを探すから、ややこしいことになるんじゃないのかなぁ…」

「はあ?」


余程心外だったのか、落ち込んでいると思ったビクトリアは勢いよく顔を上げる。そんなに激怒するほどの暴言だっただろうか?


「いや…だから…ほら、去年付き合ってた、あの…ヘンリー?だっけ?あいつ結構ビクトリアのこと、本気だったんじゃ…」

「はああ?どこがよ、あの浮気男!!」

「浮気って…別に…」

「あのバカ男!施設の下級生と出来ちゃって、口を開けばのろけ話ばっかりしやがって!あんな奴、受験に失敗すればいいのよっ!!」

「…はあ…」


そういうことかとアナベルは納得する。確かにビクトリアとヘンリー何某が、噂になって、破局を迎え(?)たのは一年も前の話だ。新しい恋も始まろうというものだ。


「それで、ビクトリア、焦ってルカに告白…」

と、うっかりアナベルは呟いてしまった。反省が言動に生きないタイプではある。


アナベルの迂闊な発言は、予想通りビクトリアの逆鱗に触れた。彼女は目を怒らせると中腰になった。


「なんで!!ヘンリーのクソ野郎に新しいガールフレンドが出来たからって、この私が、焦らなければならないのよ?!」

「…えっと、そうだよね」

「見当外れもいいところ、とんだ侮辱だわ!!」

「あー、じゃあ、勝算があったんだ?」

「……は?」

「ルカだよ?その…」


何とか話を逸らそうと、アナベルは言葉を繋げるが、中腰になっていたビクトリアは相変わらず横向きに腰を下ろすと、ふいと顔を背けた。


「…勝算なんてないわよ…ただ、アンブローゼが彼に打ち明けて、他に好きな人がいるって理由で振られたって聞いたから…」


…まさか、ルカの好きな相手とは、もしや自分のことでは?とか思ったのか?と、アナベルは口走りそうになり、かろうじて飲み込んだ。いくら彼女が、“思ったことを考えなしに口にしてしまう”という欠点保持者で反省が全く効かない人間とは言え、立て続けに失言をしまくっている場合でもあるまい。


「…あ、そうなんだ…」

「あんた、彼女とのことも知ってるみたいね…?」

「うーん、まあ、たまたま?ルカが言った訳じゃないよ」

「…そう…」

「ビクトリアこそなんで?」


アナベルが首を傾げると、ビクトリアは長い豊かな栗色の髪をゆっくりとかき上げた。物憂げなその仕草は、やけに色っぽくて、黙ってさえいれば間違いなく、ただの(?)美人なのだけど…と、アナベルは若干残念な気持ちになってしまう。


「うちの施設に彼女の友人がいるの。冬休み前にルカがアンブローゼと夜中に出かけたって聞いたから、その子に訊いたの。そしたら話してくれて…」

「…脅して聞き出したの間違いじゃ…」

と、言い掛けて、ビクトリアから再び、すごい目つきで睨まれて(当然だが)アナベルは慌てて口を噤んだ。


「あの色ボケ…ルカに無理やりキスしたって…」


アナベルを睨むのをやめると、ビクトリアはぎりぎりと歯軋りをしながらそう唸った。


 …無理やり?聞いた話と随分違う様な…ビクトリアの脳内変換ぶりも半端ではないな。


「諦めるために、言ったんでしょ?ビクトリアは…よかったの?」

と、今度は下から見上げるように睨まれる。いろんなパターンを持っているなと、アナベルはのけぞりながらも感心してしまう。


「…バカじゃないの?そんなことしたらねぇ、諦めるどころか、よけに未練が募るの!」

「…そうなの?」

「そうよっ!!!」

と、何の遠慮もなく、アナベルは真正面からビクトリアに怒られてしまった。


 …理不尽だ…


 目の前の、怒れるビクトリアの麗しい面差しに、アナベルはげっそりと肩を落した。



 アナベルに振られてしまったルカは、一人で先に技研に行く気にもなれず、あてどなく校庭に迷い出た。先に行ったところで、アナベルがいなければ地下に下りることは出来ないのだ。以前であれば、授業が終わると同時に、バス停に走っていたルカが、アナベルを誘って学校を出るようになったのはそのためだ。


広い校庭はクラブ活動に勤しむ学生たちで一杯だ。自身はスポーツをしていない様子の女子学生の集団が、なにやら華やかな声を上げている。


…ルカには遠い世界だ…。


運動はずっと制限されていた。今は好きに動いてもいいと言われているが、生きるために動く程度にしか動いてこなかった自分に、自由に動けるだけの筋力も身体能力もセンスも備わってはいない。アナベルとウォルターはキックボクシングを習っていると聞いた。


…羨ましいとは思うが、その荒っぽいスポーツが自分にも出来るとは、ルカには到底思えない。そもそも荒事は苦手だ。もし、生まれた時から丈夫だったとしても、スポーツに関して言えば、今の自分と大差ない人間だったかもしれない。


…生まれた時から丈夫だったら…。


その仮定を、これまで幾度となく繰り返してきた。だが、今はそれにあまり意味がないことを知っている。


…生まれた時から丈夫だったら、恐らく姫と出会うこともなく、彼女に救われることもなかった。そして、彼女に恋をすることもなかったのだろう…。


…それはすでに自分ではない。


日の当たる華やかな校庭を避けるように、ルカは校舎の影へと引き寄せられる。上空から見ると、H型の校舎の足の部分、敷地を囲む塀との間、緩やかな傾斜を描く緑深い場所に誘われるようにルカは彷徨い出る。学校の敷地内にこんな場所があることをルカは今まで知らなかった。見渡すと、ポツリポツリと人がいた。ルカはなんとなく周囲を見渡してしまう。その中の一人、ルカに背を向け、ゆるい傾斜に腰を下ろしていた人物が唐突に振り返った。…昼間見た人物だ。


「ノエル…」


ポツリとルカは呟いていた。ノエルはわかりやすく目を眇め、それから立ち上がると、ズカズカとルカの前までやってくる。


「…何?」

「……いや…」

「昼間のことなら謝らないわよ?」

「…べ、別に…」


言いながらルカは顔を背ける。はっきり言って、ルカはノエルが苦手だ。最初は彼女の見た目が苦手だった。だが、今は内面も苦手だ。だが、“何故?”と、自分に問うたことはない。問うまでもなく、理由ははっきりしていたからだ。


 ルカの露骨な態度に、ノエルはこれ見よがしなため息をつくと、横をすり抜け行こうとする。目の前を行き過ぎようとするノエルの腕をルカは思わず掴んでしまう。ノエルは足を止め、目を見開いて、掴まれた自分の腕に視線を向け、それから、呆れた様にルカを見た。目が合ったルカは、間違って熱いものを掴んでしまった時の様な勢いで、慌てて手を離した。


「あのね……」

「ご!ごめん!掴むつもりじゃ…!」

「じゃ、何?」

「別に、君を探してたわけでも邪魔しようと思った訳でもなくて、目障りなんだったら僕が行くから、何か…その、ここで休んでたんだろ?」

「休んでたって言うか…バイトまで間があるから、時間つぶしに勉強してただけよ。図書室は一杯だし」

「そうなんだ…」

「まあ、周りにいるのもいたり寄ったり」


投げやりにそう言った後、ノエルはにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「まあ、中にはあんたと誰かさんたちみたく、よろしくやってる連中もいるけどね」


あからさまにこちらを揶揄するノエルに、ルカは恨めし気な眼差しを向ける。ノエルはやれやれと肩を竦めた。


「本当のこと言われて怒るくらいなら少しは慎んだら?」

「…君、どうしてそんな、僕を嫌うのさ…?」


ルカの言葉にノエルは目を瞠った。しばし、そのままルカを凝視するが、何故かルカの方が悔し気に歯を食いしばり、目を逸らした。


「…あのね、はっきり言うと、私はあんたのこと、特に何とも思っちゃいないのよ。私があんたを嫌ってるんじゃなくて、あんたが私を嫌ってるの。自覚、ないの?」

「ベ…別に…」


…嫌ってなんかない…は、流石に嘘だ。だが、本当のことでもないのだ…。


 ルカの態度に、ノエルは腕を組み、困った様に眉を寄せた。それから深々と息を吐く。


「…最初、あんたはヘンリーばりのレイシストなんだって、思ってた…」

「え…?」


レイシスト、というのは、人種や肌の色などで、人を蔑む思想の持ち主のことだ。意外な言いがかりにルカは目を瞠る。


「…まあ、でも、すぐにそうじゃないってわかったわよ。あんたの一番の仲良しは、カラードのアナベルだし、アジア系のウォルター・リューとも親し気。肌の色に関わりなく、自分に声かけてくる女子には来るもの拒まずで、お愛想ばかり言って…」

「別に、お愛想を言ってるわけじゃ…」

「自覚がないだけでしょ?…じゃあ、なんで私に対しては明らかに変なのかなって…」

「…あの…」

「誤解されると面倒だから先に言っとくけど、嫉妬とかそういうんじゃないから。授業が終わって、アナベルと話してる。背後から視線を感じて振り返ると、大抵あんたと目が合う。何か言いたそうな恨めし気な目で私を見てるから、てっきりアナベルに用事で私が邪魔なのか、とも思ったけど、違うわよね?」

「…それは…」


「あんたは私に言いたいことがある。けど、あんたとは面識がない。じゃあ、なんだ、ってことになると、思いつく可能性はそれほどない…」

「……」

「一番ありそうなのは、実はどこかで知り合ってて、私が知らない間にあんたに不利益を与えていた…ってとこかしら?けど、あんたはずっと入院してたっていうし、私はセントラルシティに来てから一度も医療関係のお世話になったことはない。…となると、次にありそうなのは…」

「……」

「あんたが見てるのは私じゃない。無論、アナベルでもない。あんたの女の知り合いで、私に似てる誰かがいる。あんたがいつも恨めし気に見てるのは、私じゃなくて、その女の面影。…違う?」


ノエルの言葉にルカは項垂れたまま首を振る。


「…似てないよ。君と彼女は、全然似てない…。確かに最初は似てるって思った…けど、今は全然違うって、わかってる…」

「あ…そう…」

「セアラは…彼女は、親切でおせっかいで心配症で…泣き虫で、弱くて…すごく、優しい…」

「あ、そう…」

「君とは、真逆だ…」

「……」


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