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オールドイースト  作者: よこ
第3章
403/532

3-7 執着(14)

「アナベル…」

「は、はい?」

「ごめん…」

「え…」


絞り出すようにして発せられたウォルターの、かすれた声と、その意外な言葉に、アナベルの緊張が少しだけ遠のく…。彼の声はひどく辛そうだったのだ…。


「なんで、お前が謝る…」

「うん…僕が、もっとうまくイルゼの事、何とか出来てたら…君、巻き込まれなくて済んだのかなって…」

「な、に…バカなこと…」

「だって、せっかく…、あの時の傷もきれいに消えてた…なのに…」


髪を撫でる手が、流れて首筋に触れる。アナベルの体がぎくりと震えた。ウォルターは腕から伝わる彼女の怯えに気がついたのか、少しだけ顔を上げ

「ここ…何かされた?」

と、囁くような声で尋ねる。アナベルは彼の腕の中で俯くと

「さっき、あの大学生に、スタンガンで…」

「うん…」

そう呟くと、ウォルターは自分の大きな手を、アナベルの首筋にしっかりと添えた。手当をする様に…。


添えられた手の平から伝わるぬくもりに、アナベルは先ほど感じた恐怖と緊張が、ほどけていくのを感じる。


…この腕の中は、とても安心できた…。


「…恐かった…だろう…」

「…うん…どうかな…」

「ごめん、バカなこと訊いた。恐くないわけがない…」


そう呟くと、ウォルターは手をアナベルの背中に回し、額を彼女の肩に乗せた。先ほどまで手の平のあった首筋に、彼のこめかみの髪の毛がふわりと触れる。…ぞくりと…恐怖とも緊張とも異なる種類のしびれが全身を走った。…それが、なんなのか、彼女にはわからない。


「…お前の方が恐がってるみたいだ…」


おさまっていた筈の動悸に再び支配され、それを持て余しながら、震える声でアナベルは呟いた。アナベルの内心の動揺の意味に気付けないウォルターは、

「…そうかも…」

と、額をアナベルの肩に預けたままかすれた声で同意する。


「恐かったのか?」

「…情けない?」


…アナベルは自分も自転車を止めておけばよかったと思った。そうしていたら、自分だって彼のことをもっとうまく慰められた…。


「…お前の言うの、少しだけわかった…」

「え?」


ウォルターがようやく顔を上げた。彼の、情けないほど傷ついた表情と目があう。アナベルは彼に向かって柔らかい笑みを浮かべて見せた。


「前、お前が怪我をさせられた時、私は自分が悪いってそう言ったけど、お前はそんなことないって、困ってた…」

「それは…その通りだろ?」

「今回のことだってお前のせいじゃない。お前もイーサンも私に忠告してくれてた。イルゼを…あの人を放っておけなかったのは、私自身なんだ。お前が責任を感じる必要はない…」


ウォルターはアナベルの笑顔を見つめながら、顔を顰めた。そのまま再び彼女の頭を自分の胸の中に閉じ込める。


「頼むから…こんな無茶、二度としないでくれって…言いたいんだけど…」


アナベルは、自転車のことを忘れることにした。彼女は両手をウォルターの背中に回すと、二、三度、軽く叩いた。


「…言えよ。言うだけなら無料(ただ)だ…」

「…きくかどうかの保証はしてくれないんだろう?」

「私がまた、危ない目にあったら、お前、助けてくれるんだろ?」


そんな図々しいセリフを、朗らかにアナベルは言った。ウォルターは少し体を離すと、腕の中のアナベルを睨みつけた。


「…僕の方こそ君を監禁したいよ」

「このタイミングでそれを言うのか?冗談にしても質が悪いだろう?」

「君に言われたくないんだけど?」

「お前が言うと、冗談にも聞こえないし…」

「それを言うなら、君の方こそ、言うだけなら無料(ただ)って…無料(ただ)ならいいってその発想はどうにかならないの?」

「そこにこだわるのか?」


…夜の郊外の住宅地の歩道で意味不明にも、ほとんど抱き合ったまま、妙な言い争いをし始めてしまった二人だったが、歩いて来た方角から響くけたたましいサイレンの音で、自分達のバカっぷりにはたと気がついた。


慌ててウォルターから離れたアナベルは、当然の結果として、体で支えていた自分の自転車を反対向きに倒してしまい、ついでに自分も倒れそうになって、危ういところでウォルターに腕を掴んでもらいバランスを立て直した。そうして、自分の無様さと、転倒する自転車の立てる派手な音に、うんざりと顔を顰める結果となってしまったのだった…。


***


 翌日の学校で、アナベルはイルゼの姿を見かけた。気のせいでなく頬が少し腫れていた。彼女はアナベルに気がついて、シニカルな笑みを浮かべて見せたが、近寄ってこようとはしなかった。アナベルは軽く手を上げてイルゼの笑みに応じる。


アナベルは遅くなった帰宅と両腕の傷の説明のため、リパウルとアルベルトに起ったことを伝えた。…ダニエルを見逃した部分に関しては、二人は顔をしかめたが、アナベルを非難することはなかった。リパウルは目を赤くしながら、アナベルの手首と足首の手当てをしてくれたが、もう少し自分を大事にするようにと、少しだけ叱った。アルベルトは、門限以降の外出を一週間だけ禁じた。


金曜日にはエナとの面会があった。アナベルは、イルゼの誘拐に巻き込まれた週末の件が何らかの形でエナの耳にも入っていたらどうしようかと慄きながら面会に挑んだが、その件に関しては特に何も言われなかった。試験の出来映えに関して控えめな、だが、エナ基準で言えば、かなり手放しな褒め言葉を賜り、さらに、アナベルが予想もしていなかったような、意外なバイトを言い出された。


…簡単に言うと、リパウルが産休に入っている間の一時期、ルーディアのバイタルチェックをするというものだ。内容は至って単純。その割に時給はかなりいい。


他のバイトとの兼ね合いもあるので、その有り難くもおいしい申し出に対する返事は、その場では留保してもらったが、心の中では引き受ける気満々であった。


…そんな風に、週末の事件の反動の様に、奇妙に平穏な一週間を過ごし、無事に週末を迎えた。


 明けて週末の土曜日、前の週はお休みだった、イーサンのトレーニングは当たり前にあった。アナベルが普段通りの時間に公園につくと、何故かイーサンではなくウォルターがそこにいた。早朝の公園で彼に会うのは久しぶりだ。アナベルは昨日の夕方も間違いなく見たばかりの顔に向かって、指を突き立て開口一番

「お前、何?」

と、言ってしまった。…案の定、指をさされたウォルターは露骨に顔をしかめた。


「…何って…何?」


…僕はウォルターですが?と、名乗ってやろうかとウォルターは思った。ついでに、僕にも僕自身が何者なのか、よく分かってはいないのです…とかなんとか…思春期真っ盛りの戯言も、おまけとして付け加えたくなってくる。


 流石のアナベルも自分のセリフは変だったな、と思ったのか

「いや、すまん。いるとは思わなくってだな…」

と、言い訳しつつ謝った。


「僕はイーサンに呼ばれたんだ。っても、無理ならいいとは言われてたけど…」

「練習台?」

「まさか」


そう答えるウォルターは、普段通りの無表情だ。にも拘らず、アナベルはなんとなく彼の横顔を見つめてしまう。


…最近どうにも、自分が変だった。


 あまりまじまじと見つめていて、ウォルターにこちらを向かれても困るので、アナベルもウォルターの見ている方に視線を向けた。見ていると、先週の日曜日、あの場にいた黒髪の青年とイーサンが、並んでこちらに向かっていた。


「よお」


見慣れた…どこか不敵に見える笑顔を浮かべ、歩きながらイーサンは二人に向かって手を上げた。



「…スムーズに自白したそうだ…」

「…そうなんだ」


あの日、イルゼとケインを見送ってから、アナベルを除く残った三名は、少し打ち合わせをしてウォルターの意見に改良を加えていた。


…イルゼが意図的にダニエルを見逃すのだということを、彼に伝えた上で、彼の拘束を解く。イーサンとアベルはダニエルの知り合いで、彼がアパートメントを引き払ったことを知って、彼の自宅の方を訪問し、彼の祖母の死を知った…。という形にした。その上で、彼が自分の犯罪行為を警察に自白するかどうかを彼の良心に委ねる…。


「…イルゼが彼を信じて、見逃したんだって伝えたのがよかったかな?」

「そう信じたいところだな…」

「まあ、大体お前らの読み通りだろう。思い余っての初犯ということになるのか?未然に防げたのはよかったのかもしれない」

「そうだね、これが成功して、本物になられてた可能性だってあったわけだ…」

「…お前ら何を物騒な…」


聞いていてアナベルは顔を引きつらせてしまう。…慣れていなことは自分を拘束する時、彼の手が震えていたことからもわかってはいた。そうは言っても、ダニエル・カーソンをかばうつもりは全くない。拘束した自分を見下ろす彼の眼差しは、間違いなく冷ややかで、そのくせ妙な高揚を孕んでいて…正直、思い出すと寒気がするので、あまり思い出したくはない。


 イーサンは、アナベルの嫌そうな顔に、面白そうな視線を向けると

「お前にのされたのが、効いたんじゃないのか?」

と、言い出した。


「…は?」

「奴が言うには、買い出しから帰って、食事の前にイルゼの様子を見に屋根裏部屋に上がって、ドアを開けた途端、お前に蹴られて…気がついたら、ペットの鎖で繋がれて…で、全部自分の夢だったのか、一瞬そう思って安心したとかなんとか…」

「…あのな、目覚めて屋根裏で縛られてって、…どんな日常だよ?」

「違いない!」


アナベルの言葉に、イーサンは遠慮せずに吹き出した。


「…そこも含めて全部夢だった…って願望だろ?」

と、ウォルターがため息交じりに口を挟んだ。


「ダニエル・カーソンはイルゼの見立て通り、真正の小心者だった、ということだろう」

と、アベルが結論を下すようにそう言い切った。


「あれ、でも、そいつが自白したってことは、イルゼは…」

と、いうアナベルの呟きに、アベルが頷く。


「ああ、警察から呼び出しを受けた。保護者代理として俺が同行して…」


アベルの言葉の途中から、イーサンが肩を揺すって笑い出す。落ち着きのない奴だな…と、アナベルは眉を寄せた。


「…なんだよ…」

「ああ?あの女、プレイの一点張りで通したって、こいつから聞いて…」


と、言いながらイーサンは、親指でアベルの方を指し示す。


…プレイ…?意味が解らなくてアナベルは首を傾げた。アベルとウォルターがそろってうんざりとしたため息をつく。


「イルゼはあの時宣言した通り、ダニエルをかばったんだ。誘拐も監禁もなかったことにした…」

「え…そうなの?」

「そういうことですよね?」

と、ウォルターがアベルの確認を取るとアベルは真顔で頷いた。


「…少し喧嘩になって、それで、ダニエルからお仕置きプレイ…を受けた、というストーリーで押し通した。プレイだったから拘束も甘かった。だから、ダニエルが不在の間に、自力で勝手に逃げたと」


「…らしい入れ知恵だな…」

と、イーサンが笑えば、

「…最悪だな…」

と、苦々し気にアベルが応じた。


 …どうやら原作者付きの筋立てらしい。…アナベルにはストーリーの内容が、部分的に理解できないのだが…。


「あれ?自力で脱出って…」

「ああ、お前はあの場には存在していなかったことになっている。残念だったな。せっかくの大活躍が、なかったことにされて…」

「彼らなりに君を巻き込むまいとした…のだろう…」


アベルに重々しく告げられても、アナベルとしては首を傾げざるを得ない。…彼らって、誰と誰…?


それは置くとしても、そもそも、アナベル自身は今でもこの対処の仕方に納得してなかったし、聞けば聞くほど納得できなくなっている。


「まあ、ようするに、お前が警察に呼び出される心配は、今のところないってことだ」

と、イーサンが市民の義務を全うしなくてもよくなったことを、ねぎらうような口調で説明してくれる。


「いや、だから、別に私は…」

と、言い掛けて、けれど今回のこの件がエナにばれたら少しまずいな…と保身の気持ちが顔を覗かせる。


 何やら不快気に仏頂面になったアナベルを横目に見ながらウォルターがため息をつく。


「君だって被害者だ。納得出来ないのはわかるけど…」

「いや、被害者だからとかどうっていうんじゃなくて…それもあるけど…」

「仮に今から君が、彼の犯罪を警察に訴え出たとしても、彼はそれを素直に認めるかな?」

「え?だって…」

「彼は、イルゼに対してはいい意味でも悪い意味でも思い入れがあるんだろうけど…、君に対して、彼が罪を悔いたり認めたりしてくれると思う?」

「いや、そっちのがまずいだろ?つまり本当は全然反省してないってことじゃないか?」

「それはそうだろう。でも、そうなると、君もあまり有利とはいえない」

「何がだよ?気絶させたことなら…」

「いや、不法侵入だよ」

「は?」

「君に対しては反省しない彼が、君の不法侵入を言い訳にして、自衛手段に出ただけだ、…と主張したらどうなるかな?そうなると君の側には、相手の過剰防衛を証明する必要が出て来る。…ようするに…泥沼だね…」


…アナベルは、「い…」と、呟くなり絶句した。


「お前…よくそんな嫌なこと思いつくな…」


ウォルターは肩を竦めた。


「そうだね…小心者同士、通じるところがあるってことかな…?」


アナベルはげっそりとして、この場では抵抗することを諦めた。


「…そんな奴、本当に、無罪放免にして、大丈夫なのかよ…」

「案外あの女の狙いは、その辺りにあるのかもな…」

と、イーサンが妙に醒めた口調でそう応じる。


「…どういう意味だよ?」

「トラブルの種みたいなものを、完全になくさずにどこかに残しておく…」

「なんでそんなことを?ってか、イーサン、一体、誰の事言ってるの?」


アナベルが訝し気に眉を顰めるのに倣うように、アベルも眉間に皺を寄せる。

「イルゼに決まっている」

イーサンはバカにした様な眼差しで、あっさりと答えを言った。


「イルゼが?わざとトラブルになりそうにしてるってこと?」

「わざとというほど意識的でも意図的でもない…。無意識でやってるんじゃないかって…そういう意味だろう、イーサン」

ウォルターの確認に、イーサンは肩を竦めた。


「…なんで、そんなことするんだ?」

「それは…」

「あいつが“構われたがり”のガキだからだ。しかも、自覚がないときている」

「そんな…。だって、今度のことだって結構、危なかっただろう?自分からそんな…」

「今更だな。まあ、ここまで発展したのは流石に初めてだが…本気で懲りたかどうかは、今後のあの女の態度を見てみないことには、結論が出せないな」


そういうイーサンの口元には笑みが浮かんでいたが、目は全く笑っていなかった。


 ふと、アナベルはイーシャに聞いた話を思い出した。…あの話が本当なんだとしたら…そして多分、本当なのだろうし…そう考えれば、イーサンの言い方がイルゼに対して冷ややかだったとしても、仕方がないのかもしれない…。


イーサンは自分などよりずっと長くイルゼと関わってきているのだ。イルゼがなにか問題を起こす度、周囲はこんな風にフォローしていたのかもしれない。そしてウバイダはずっと、責任を感じてイルゼの行状に胸を痛めていたのかもしれないのだ…。


イーサンの立場からすれば、イルゼに安易に同情など出来なくても当然なのかもしれない…。


 そう思ってからアナベルは深々と息を吐く。それでも自分は又似たことが起これば見過ごせずに首を突っ込んでしまうのだろうが…。そう思ってから、顔を上げると視線の先にアベル・ベイガーの精悍な横顔が見えた。


普段通り無表情なウォルターや、シニカルな笑みを口元に乗せたイーサンとは異なり、アベルの横顔はひどく苦し気だった。



***


ダニエルの父親が雇った弁護士からイルゼの下に面会の依頼が届いたのは事件があってから数日後のことだった。


勾留期間を終えたダニエルは、父親の下に身を寄せることになったようだ。すでに新しいパートナーと家族の居る父親との暮らしは彼にとって居心地がいいとは言えないものだっただろう。それでも彼には他に頼る相手もいなかったのだろう。


ダニエルからの申し入れにアベルは積極的な態度を示さなかったが、イルゼは彼に会う決意をする。弁護士事務所の小さな応接室で、イルゼはダニエルと二人で会うことになった。


「…コロンが、死んでたんだ…」

「コロン?」


ダニエルは斜めに顔を上げた。目が合うと弱々しく笑った。


「…飼ってた犬だよ。犬種も曖昧な小型犬…もう年寄りだったから」

「そう…」

「母が友人からもらって来てくれた。母が亡くなってからもずっと僕を支えてくれてた。…親友だったんだ。祖母は彼女の面倒を見るのを嫌がってた。コロンも祖母には懐かなくて…」


…そんなに大事な存在だったのなら、一緒に連れて出ればよかったのだ…。彼の言葉を聞きながらイルゼは冷ややかな気持ちになってしまう。恐らくダニエルは、弱っていく愛犬の姿を見たくなかったのだ。大嫌いな祖母と共にいることも、大好きな親友が年老いて弱っていくことも…それらに耐えられらなくて、結局、彼は逃げたのだ…。


「家に帰ったら、コロンが死んでて…。壊れた電化製品みたいに廊下に投げられたままになってた。祖母は汚くて触れないっていうんだ…。だから、どうでもいいって思った。僕は彼女を庭に埋葬して…。それでも僕は祖母の世話をしていた。けど、夜中に呼ばれて…僕はいかなかった。寝ているふりをしたんだ…」

「朝起きたら冷たくなっていて……誰かに…君に…君ならきっとわかってくれるんじゃないかって、なんとか…して…」


言いながらダニエルは顔を覆った。イルゼは彼の涙を冷ややかに見つめたが、彼の言葉に心を動かされている自分を意識していた。


 …誰かに助けてほしかった…この人なら、自分を救ってくれるんじゃないかって…


「分かるわよ、ダニエル」

「イルゼ…」

「…それは幻想なの…私も何度もそう思って、何度も人に縋った…けど、恵まれた人たちはこちらには何も恵んでくれないのよ。奪っていくだけ…それに気がついて私が逃げると、今度は怒りだすの。もっとよこせってね…」

「イルゼ…」


「最初はあなたもそうなんだって思ってた。お金に不自由してなさそうなお坊ちゃんで、なんでも持っている人…けど、違ってたわね…」

「……」

「…ダニエル」

「……」

「あなたと同じ側にいる私が、あなたを救えるはずがないでしょう?」


イルゼの言葉にダニエルは激しく頭を振った。


「違うだろう、同じだからわかりあえる…理解しあえるんだ、そうだろうイルゼ?」

「…私もそう思っていた。けど、ダニエル、私気がついたの…」

「…何に?」

「一人で立つことが出来ない人間が愛されたいと人に縋っても、結局見透かされて、利用されるだけだって。ずっとずっと、ありのままの私を愛してくれる人を探してた。けど、そんな人いないのよ。…そんな都合のいい人間なんて存在しないの…」

「だから自立した大人になれるように、努力しろって、僕にそう言いたいの?努力したら、愛してやるって…」

が、イルゼは首を振った。


「まさか、私だってそんな努力したくないもの、あなたにそんなお説教するわけがないでしょう?」

「じゃあ、どういう…」

「諦めたのよ、ダニエル。もう、誰のことも求めない…一人でいればいいの…ずっと、このまま…」

「イルゼ…」

「ね、そうしましょう。あなたも私も出来損ない同士、これからずっと一人でいれば、いいじゃないの…」


イルゼの優しい微笑みに呆然とした眼差しを返しながら、ダニエルは俯いたままゆっくりと首を振った。イルゼは小さくため息をつくと、彼の顔を覗き込む。


「…ひどいことをたくさん言ったわ、私、あなたに…」

「イルゼ…」

「あなたはずっと優しかったのにね…」

「イルゼ、僕は…」

「今度こそ、本当に、さようなら、ダニエル。今までありがとう」


イルゼは可憐な笑みを浮かべ、別れの言葉を告げた…。


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