1-6 カディナに帰る(2)
今回の面会は、チャイナ風レストランだった。ヨーロッパスタイルを好むロブには珍しい。その上、女性を伴っていなかった。どちらも、異例のことだ。
「このレストランは、ある女性のお気に入りだった場所だ」
「そうですか…」
声色にため息が混じらないようにするのに、苦労する。同伴女性の不在が、恨めしかった。
「そういえば、ウォルター。お前、幾つになる?」
知らないわけはないだろうに、あえて訊くことの意図が見えない。なんとなく、嫌な予感がした。
「今年の一月で、十六になりました」
「そうか、付き合っている女性はいないのか?」
こんな環境でどうやって女性と付き合えるというのか。ウォルターはまたしてもため息を押し殺す。アナベルを家に入れることで、行動に制約をかけているのは、ロブとエナだろうに。
「いえ、いません」
「私が初めて、女性と真面目に付き合ったのは、十五の頃だったな…」
と、何やら懐かしそうに、爽やかな笑みを浮かべ、ロブが昔話を披露した。
特にこれといった相槌も打たず、ウォルターは黙って聞きながら…真面目に…というのはこの場合、どういう意味なのだ?と、秘かに嘆息してしまう。…普通に聞けば、真剣な交際という意味なのだろうが、相手はロブだ。どういうつもりでその言葉を使っているのか、ウォルターには計り難かった。もっとも、ただの自慢話なら、それはそれで、一向に構わなかったが。
「エナの娘とは上手くやっているのか?」
「普通です。彼女は毎日、真面目に、掃除と調理をこなしています」
唐突に話題が変わったが、嫌な感じは続いている。いや、むしろ嫌な感じが強まってきた。ロブ・スタンリーが、どこに話を持っていく気なのか、皆目、見当がつかない…ふりをする。
「この間、偶然、職場の方で見かけたんだが…」
やはりそうか…これで何度目か、再度ため息を押し殺す。アナベルに聞いた風貌から、予測はついた。心構えが出来ていたおかげで、過度に驚かずにすんだのが、ありがたかった。
アナベルはその時見た男性がロブ・スタンリーだとは、思いもしなかったようだ。当たり前だ。自分にロブと似たところなど一つもない。アナベルがエナとは全く似ていないのと同様に。
「そうですか」
「あの娘はナイトハルトとも面識があるようだな」
「そうなんですか」
こちらは知っている必要はないだろう。関心があるふりをする必要もない。
「随分、親しげだったが」
相槌のネタもつきてくるが、無言というわけにもいかない。
「知りませんでした」
親しいかどうか、見たことがないのでわからない。が、彼女の口調から推測は出来る。
「画像でしか見たことがなかったので、最初は気がつかなかったが、ナイトハルトが知っていて…」
ウォルターは舌打ちしたくなった。余計なことを…。いや、この場合、悪いのは、あちこちウロウロしているアナベルの方だろう。
「画像で見た時は、エナの娘とは思えない、垢抜けしない子供だと思ったが、やはり女性は実物を見ないとわからないな。意外にチャーミングだった」
と、妙ににこやかに告げた。
…意外にチャーミング?ウォルターは顔を引きつらせないよう、意志の力を総動員した。ロブの”女性“という言い方にも、悪寒がした。先ほどまで”エナの娘“と言ってなかったか?
どちらにせよ、彼の口からこれ以上、アナベルの話を聞きたくなかった。
「お前に関しては、私は学業の方は殆ど心配していない」
「ですが、今回…」
「ケアレスミスなど誰にでもある。今学期に持ち直せればいいだろう」
「申し訳ないです」
「学業以外にも、色々と学ぶべきことはあるだろう。特に男には」
学業以外で何を学ぶことを、推奨しているのだろうか。特に男性が学ばなければならないこととは、一体何なんだ?女性との“真面目な”付き合い方か?なんにせよ、学校理事の言葉とも思えない。こればかりは、なんと答えたらいいのかわからない。
ウォルターが無言でいると、ロブは重ねてこう尋ねた。
「…アナベルという女学生は、毎日お前の家に来ているのだろう?」
ロブの口から彼女の名前を出されるのが、これほど不快だとは思いもよらなかった。女学生という言い方すら、不愉快だ。毎日来ているから、何だというのか?さらに些末なことを言えば、毎日来ているわけではない。木曜日は休みにしていたし、そのことはロブにも伝わっている筈だが、基本的にロブが自分に関心がないのはわかっていたのでその点に関しては、ウォルターは訂正しないで聞き流した。…が、無言でいるわけにもいかない。
ウォルターは嫌悪感を表に出さないよう、またしても全力で取り組まなければならなくなった。ロブの問いに対して
「はい…」
と、かろうじて、それだけ答える。
「毎日一体、何をしているんだ?」
「先ほど、言いました」
「なるほど。で、お前はその間、何をしている?」
「勉強をしています」
「ほう、勉強を…。部屋にこもって?一人で?他にすることはないのか」
「他に何を?」
ロブは肩をすくめ、両手を広げて見せた。おどけているつもりなのかもしれない。
「さあ、何かな?」
「…勉強に集中できるよう、彼女に、家事など、身の回りのことをやってもらっているのだと、思っていました。そういう風に聞いていましたが」
「そう、勉強に集中できるように、身の回りのことをやってもらうんだ。確かに私は、そういった」
「…はい」
一体、何が言いたいんだ?さっきから堂々巡りだ。
「それでお前は…、不自由していることは特にないのか?」
「意味がよくわかりません」
「身の回りの不自由なことといえば、お前位の年頃なら、色々とあるだろう?同じ年の魅力的な女性に、毎日来てもらっているのに、お前は一人で部屋にこもって勉強か?もったいないとは思わないのか?お前たちくらいの年なら、二人でもっとやるべきことがあるだろう?」
…お前たちくらいの年?…一体、何が言いたいのだ?何が、どうもったいないのか?二人で何をしろとほのめかしているのだ…!ロブの意図するところが、あまりにもあからさまな上、発想が下劣過ぎたので、ウォルターは、内心の苛立ちを隠すのが苦痛になってきた。
…が、ウォルターの内心の苛立ちなど気づく気配もなく、ロブは楽し気に言葉を続ける。
「…どうせなら、仲良くやった方がいいんじゃないか?そのアナベルと一緒にベッドで…」
「彼女がすべきことは、掃除と調理と洗濯です。そういう契約です」
我慢できなくて、口を挟んでしまう。こんな話題で、彼女の名前を、二度とロブに呼ばせたくなかった。
アナベルは、契約に基づき、ハウスキーパーに来ているのだ。それ以上でもそれ以下でもない。もっとも実際には洗濯は自分でやっていたし、他のことも自分で十分出来るのだが。
結局のところロブは、開発局でアナベルを目にして、思いもかけず彼女が魅力的だったので、はしゃいでいるのだろう。勉強ばかりで面白味に欠ける”息子”に、魅力的な娘をけしかける行為を楽しんでいるだけで、本来ならば、本気で構える必要などなかったのかもしれない。が、ウォルターにとって、彼女は、そんな風に扱える存在ではなかった。
「そうか、契約か…」
ふいに、ロブは声のトーンを落とした。
「雇い主は、あなたですが」
ウォルターは顔を伏せたまま、そう応じる。
「なるほど…」
何が可笑しいのか、ロブは声を出さずに笑い始めた。
「…それで、お前は、本当に特に、何も不自由はないのだな?」
「全く困ってはいません」
「そうか、ならいい」
ようやく終った。ロブが何をどう解釈したのか、知ったことではなかった。
ウォルターは、この時ばかりは安堵のため息を、隠すことが出来なかった。
***
面会日の翌朝、ウォルターは悪夢と共に目覚めた。
夢の中で彼は、今、自分がいるベッドに、アナベルと一緒にいた。
夢の中のアナベルは、現実の彼女からは考えられないほど素直で、ウォルターの言うこと全てに従順だった。ウォルターは自分で自分に吐き気がした。これならば自分よりロブの方が、自分に嘘がないだけましだ、とすら思った。今日は火曜日で、夕方には彼女がここに来る。どんな顔をして彼女に会えばいいのか、わからなかった。
学校を終えて、帰宅する。アナベルが来る五時半直前まで、ウォルターは彼女に、今日は休みにする、という内容のメッセージを送るか否か迷い続けた。迷っているうちに、彼女がやってくる。アナベルは、いつものようにインタフォンから来訪を告げた。
ウォルターは、彼女を屋内に入れると、部屋にこもることに決めた。
「ごめん、ちょっと頭が痛くて」
「大丈夫か?」
「熱とかではないから、平気」
彼女の、心配そうな眼差しすら、うとましかった。近づいて欲しくなかったし、こちらを見て欲しくもなかった。
「ひょっとして、昨日の面接…面会で、何か嫌なことでもあったのか?」
鈍感で無神経で、デリカシーがない…ウォルターは長らくアナベルのことをそう思っていた。けれどもそれは表面的な部分のことで、本来の彼女は、鈍感でも無神経でもないことを今のウォルターはよく知っていた。ウォルターは彼女の気遣いに便乗した。
「うん、ごめん。君が悪いわけじゃないんだけど、今日はこもってていいかな?」
「わかった。無理するなよ」
彼女の好意に甘えて、ウォルターは部屋に閉じこもった。次の日もそうしてやり過ごした。
が、彼女を避け続ける、ウォルターの努力をあざ笑うかのように、夢の内容は次第に強烈さを増していく。覚醒している間は、自分の意識や感情を何とかコントロールできても、眠っている間まではどうにも出来ない。
自分が彼女を避けて、部屋に閉じこもる行為が、彼女を傷つけることを、ウォルターは知っていた。出来ればこの手はあまり使いたくない。幸い木曜日はジムに行く日だ。ムエタイのジムで、思い切り体を動かすと、気分が少し楽になったように思えた。
おかげで、次の金曜日には精神状態が、幾分ましになっていた。夢のことと、それに付随する後ろめたさは、一旦棚上げすることに決める。ウォルターはアナベルの作業が終った頃合を見計らって、部屋から出てみた。
ウォルターの姿を目にするとアナベルはキッチンテーブルの椅子から少し腰を浮かせ
「大丈夫か?」
と、顔色を伺うような調子で声をかけてきた。テーブルの上に教科書用のタブレットが置いてある。一通り作業が終ったので、少し目を通していたといった風だ。
「悪い…」
言いながらアナベルは、急いでタブレットを片付けようとする。
「いつも言ってるけど、別にいいよ。作業はすんでるんだろ?」
思ったより普段通りの声が出せた。ウォルターは内心、安堵する。
「あ、一応」
単なる意識過剰か、彼女の応答にも安堵が含まれているように、ウォルターには思われた。
「何、見てたの?」
覗くと、来週から行われる特別講義のテキストだった。テキストは受講しない生徒にも希望すれば送信配布される。
「特講のテキスト?来週からだね。結局、受講するの?」
「いや、どんな内容なのかなって…」
「これ、大本は使い回しらしいよ。データだけ最新にしたらしいけど」
「そうなんだ」
大陸における現状の汚染状況や、インフラ整備など、様々なデータが盛りこまれている。
「お前、いつもこういうの受けてるのか?」
「そのあたりは去年、終ってるね」
「明日も、開発局に行くのか?」
「明日と来週は、特講の関係でお休みなんだ」
「そうか…」
久しぶりで間近に、アナベルの横顔があった。ウォルターは彼女に聞きたいことが山ほどあることに気がつく。例えば、どうしてそんなにお金が必要なのか、とか、ナイトハルト・ザナーとはどういう関係なのかとか。でも、聞けなかったし訊かなかった。ウォルターは、これ以上アナベルに、近づきたくなかったのだ。
ウォルターが黙っていると、アナベルがデータ上の地図の一箇所を指で示した。
「ここ、私の郷里なんだ。インフラ整備、遅れてるなぁ」
と、しみじみと呟いた。彼女の郷里は、ウォルターが驚くほど遠かった。
ふと、顔を上げると、彼女の横顔に、いつかみた、やさしい表情が浮かんでいた。夢見るような僅かな微笑。ウォルターは目をそらす。
「帰りたいの?」
気がつくと、訊いていた。
その言葉に顔を上げると、アナベルは嬉しそうに、にっこりとした。
「夏には帰れるんだ。ようやく帰省費用が貯まったから」
ウォルターは彼女の言葉の内容が、あまり明確に耳に入らなかった。目の前の、突然の笑顔に、心底驚いたからだ。
アナベルはあまり笑わない。ここにいる時は、仕事をしているか勉強をしているかのどちらかだったので、当然なのかもしれないが。
…珍しく目にするアナベルの優しい笑顔は、ウォルターを動転させるほど可愛かった。
アナベルとは逆に、ウォルターは、反射的に顔を俯けてしまう。
「そうなんだ、よかったね」
答える声が、妙にそっけなくなる。自制心を保つので、精一杯だった。
ウォルターの態度に、アナベルは訝しげに眉をひそめる。笑顔が消えたことは、気配でわかった。
「お前は…」
と、アナベルはウォルターに向かって、何かを言いかけたが
「いや、なんでもない」
と、自分から打ち消した。
「今日、数学があったけど課題は?大丈夫?」
と、ウォルターは唐突に話題を変えた。アナベルもほっとしたように
「あ、うん。結構厳しい…」
と、言いながら、顔をしかめた。いつもの表情だ。ウォルターもほっとした。
ウォルターとてアナベルと、気まずくなりたいわけではなかった。




