3-6 記念日(4)
父の予定というのは、彼がオールドイーストにいた頃、親しくしていた友人宅を訪ねることだった。旧友はセントラルシティの郊外に住んでいるらしく、グスタフは郷里にいるうちに連絡を取り合って、現在の所在も把握していた。
出勤の予定を入れてなかったアルベルトだったが、出勤することを理由に、父の予定に合わせて、車で送ると言い張った。当然、グスタフは頑なに断った。車という密室の中で息子と二人きりにされて、さらに言えば、昨日の今日で、一体何を話せというのか?だが、結局リパウルのとりなしもあり、息子のお節介を受け入れた。
…そして、グスタフの予想通り、車内は居心地の悪い沈黙に支配されっぱなしだった…。
要するに、息子は父親を信用していない。送ると言い張ったのも、気遣いというより、半分くらいは監視が目的なのだろう…とは、グスタフにも推測出来た。
グスタフの推測通り、目的地に到着して彼を車から降ろす際に息子が発したセリフは、
「帰る前に、連絡をくれないか?」
であった。
「…迎えなどいらん」
父の言葉に息子は彼の方を見向きもせず、これ見よがしにため息をついた。
「…なら、迎えには来ない。ただ、連絡だけは入れてくれ」
窓の方を向いたまま、息子はそう言った。グスタフはアルベルトを無視して、無言で助手席から出て行った。
父の姿が、赤い屋根の邸宅の玄関に消えるまで見送ってからアルベルトはハンドルを叩いた。「あんの…クソッ親父!」忌々し気にそう…悪態をつくと、今度こそ本当に、アルベルトは彼の勤務先である地研へと、車を走らせた。
***
夕方を迎える頃、仕事を切り上げてアルベルトは帰路につく。地研の駐車場でアルベルトは父の携帯に連絡を入れてみたが、通信不可とのメッセージが返ってきた。
…充電が切れたのかもしれない…。
あきらめて自宅に戻ったアルベルトを迎えに出て来たのは、意外なことにアナベルだった。いつも、八時になるまで戻らないイメージがある下宿生の姿に、アルベルトは帰宅の挨拶を述べながら首を傾げた。
アナベルは何でもないことの様に
「今日はハウスキーパーの仕事が休みなんだ」
と、あっさり教えてくれた。
予想通り、グスタフ・シュライナーはまだ戻っていなかった。シュライナー家には珍しく、普段より早めの夕食の配膳を行いながら、アナベルがグスタフの予定を尋ねてくる。
「明日の正午の便で戻る予定になっているそうだ」
「え?そうなの?来たばっかりなのに?…航空チケット代が、勿体なくない?」
アルベルトは苦笑を浮かべると、軽く肩を竦めた。
…アナベルに言っても仕方がないが、当初の予定…アルベルトがゲルダに送った家族全員分の航空チケット…であれば、滞在期間は一週間になる筈だった。ホテル代は流石に二日分を除いて、姉妹に負担をしてもらう予定になっていた。要は、姉妹らは姉妹らで、身内の挙式に便乗して、ちゃっかり旅行を楽しむ目算でいたのだ。
「父はまだ働いているからね。あまり長くも休めなかったんだろう」
と、アルベルトは笑みと共にごまかした。
…そもそも、父がどういうつもりだったのか、アルベルトにもわからないのだ。自分の不快を差し置いて、娘たちが楽しそうに旅行プランなどを練っていたのが、不愉快だったのかもしれない…。もしそうだとしたら、男として親として、という以前に、人として、あまりにも情けないのだが…。
「お父様のお帰りを…待った方がよくないかしら?」
ほぼ、配膳準備が整ってから、リパウルが気遣わし気にそう言った。その、彼女の心配そうな表情が、アルベルトの癇に障った。…無論、リパウルに対して、イライラするのではなく、彼女に無用な気苦労をさせ、こんな表情をさせる父親に対して、腹が立っているのだ。
「いや、連絡しろとは言ってあるんだ。何も言ってこない親父が悪い。君がそんな風に気に病むことはない」
「でも…」
「そうだよ、アルベルト。アルベルトとリパウルじゃ、立場が違うんだからね」
と、何故かアナベルまでが加勢した。
「…なら、待った方がいいのか…?」
「こっちから連絡ってとれないの?」
「ああ、地研を出る前、連絡を入れたんだが、通信できないってメッセージがアナウンスされて…」
「大丈夫なの…?」
アナベルの言葉にアルベルトは思わず目を眇めた。…彼女に当たっても仕方がないし、当たるつもりもなかったが、どこまでも“自業自得だ”としか、言いようがない。
アルベルトのその表情にアナベルは目を見開いたが、すぐに笑顔になった。
「…アルベルトでもそういう顔、するんだね」
言われてアルベルトは顔をしかめた。思わずリパウルの方へ視線を向けてしまう。リパウルは優しく微笑むと、自分の眉間に指を置いた。
「…ここ、皺になってるわよ」
アルベルトはその優しい笑みに、顔を背ける。気のせいでなく彼の目の下は少し赤くなっていた。
…何故、照れる…。横で見ていたアナベルは、やや呆れてしまった…。
「…わかった、普段の時間…この家の門限までは待とう。でも、八時を過ぎても戻らなかったら、先に夕食にする。それで、いいね?」
「ええ、そうね…」
リパウルはしっかり頷いた。
*
グスタフが戻って来たのは九時も半ばを過ぎた時間だった。シュライナー家のキッチンテーブルは既にきれいに片付いていた。
アルベルトは戻って来た父に開口一番
「親父、携帯電話の充電が切れてるんじゃないのか?」
と、尋ねた。問われたグスタフは目を見開いたが、何も言わずに階段へ向かう。その背中に追い打ちをかけるように
「ひょっとして、充電器を忘れたのか?」
と、アルベルトは言葉を続けた。リパウルが少し驚いて
「あなた、それ、本当?」
と、尋ねた。が、父は無言で階段の向こうへと姿を消した。
その背中を睨みつつ、アルベルトはげんなりした表情で
「…親父に訊いてくれ。それと…」
と、呟く。
「何?」
「シャワー、今日は先に浴びてもいいかな」
と、普段は人に譲ることが多いアルベルトだったが、珍しく早めにシャワーを浴びたがった。
*
翌日の月曜日、朝食の席でも小さなバトルが勃発した。日曜出勤をしたアルベルトが、午前休を取得しているので、車でグスタフを空港まで送るというのを、グスタフが頑なに断ったからだ。押し問答の末、アルベルトが椅子から立ち上がりかかったが、全員で止めに入る。
身重のリパウルまでが、自分の肩を押さえようとしているのに気がついて、アルベルトは「…親父が素直に言うことを聞かないから…!リパウルに何かあったらどうするんだ?」
と、グスタフに向かって声を上げた。
「…アルベルト…」
それに対して、グスタフではなく何故かリースがそう呟いて、そのまま絶句した。
「アルベルト、あなた…、そういう言い方はないわ…」
「そうだよ、そういう時は“お父さんに何かあったら大変だから送りたい”とかじゃない?」
あまりにもあからさまに“他人事”な、アナベルの発言に、グスタフが一瞬苦笑を浮かべた。
リパウルは義父の表情の変化を見逃さず、確実にその隙に付け入った。
「…お父様、いらして下さって、私、本当に嬉しかったんです。アルベルトは…アルベルトの方こそ、素直になれてないだけで、内心ではとても喜んでるんです。式の日だって、お父様から連絡が入るまで、ずっと、心配して…」
と、切々と訴え始めた。
…こんな可憐な表情で、清楚なしぐさで、よくもまあそんなデタラメを…と、傍で聞いていたアルベルトは、パートナーの麗しい横顔に慨嘆してしまう。が、図らずも息がピッタリな様子のアナベルとリパウルにこの場は任せて、自分は口を噤んだ方がよさそうだ、と、遅ればせながらここにきて、賢明な判断を下すと、黙って父の言葉を待つことにする。
…結局グスタフは折れた…。どこまでもリパウルに弱い…という点に関してのみ、この親子は気が合うようだった…。
*
アルベルトが運転席に座ると、グスタフは当然の様に…後部座席に乗り込んだ。…言いご身分だなと、早速アルベルトはイライラし始める。車をスタートさせ、バックミラーに自宅が映らなくなるまで車を走らせてから、アルベルトはようやく口を開いた。
「親父、携帯の充電は…」
「…昨晩リパウルに頼んだ。無用な心配だ」
「……」
父の言葉にアルベルトは思わずバックミラーを見てしまう。ミラーの端には父が映っていて、鏡の中で父と目が合ってしまう。…ニヤリ…と、グスタフが笑った…。
アルベルトは、呆れて…深々とため息をつく。
「…なら、いい」
「お前に言われたと、リパウルは言っていたが…?」
「ああ、まあ、そうなるのか…」
そういうつもりではかったのだが、…昨日の父の態度を思い出して、アルベルトは、軽い怒りを覚えるが、息を吐くと、意識して怒りを散らす。
「帰ったら、マグリットや、ディアナに…」
…ちゃんと謝罪して…と、続けるつもりが
「ああ!お前に言われずとも、わかっておる!」
と、グスタフの強い口調に遮られる。
…もう、いい加減、腹を立てるのにも飽きてきた。
「…親父は、自分は変わってないつもりなのかもしれないけど、…変わらないものなんてないんだ…。俺やゲルダはまだいいけどマグリットやディアナは、本当に親父のことを心配してるんだ。だから…」
が、アルベルトの言葉にグスタフは歪んだ笑みを浮かべた。
「…そう、私もそろそろ老人だ。だから、空港まで送ろうと、そういう訳だな、アルベルト?」
「…父さん…」
という呟きは、我ながらげんなりと苦い。
「親子の縁を切ると言ったのはお前だろう?縁を切るというのであれば、何故、こんな手間をかける。相変わらずお前は口先ばかりだな。挙式の次の日に出勤して今日の送迎のために仕事の都合をつけてまで…。今更。恩でも売るつもりか?」
「…親父が俺たちの子供に固執し続けるつもりなら、最終的にはそうするしかないって話だ。…親父が納得してくれるんだったら、それは…」
「…お前が反故にしたんだ。自分の都合でな。それなのに、縁を切るだと?」
アルベルトは舌打ちしたくなった。自分が口にした脅しを、父がそこまで気にしているとは思いもよらなかった。
「…あれは、言い過ぎた。けど、口先だけのつもりはない。…リパウルは子供を授かったことを心から喜んでいるんだ。彼女が悲しむと分かっていることを、するつもりは絶対にないし、口にする気も全くない。論外だ」
「…そうか…」
父の返事は曖昧で、何の意味もなかった。アルベルトはやや強引に話を戻した。
「…親父がゆっくり出来てなかったことは見ていればわかる。それで、今から七時間もかけて飛行機で帰るんだ。送迎くらい…」
「…お前は、ハネムーンまで省略するつもりか?」
「…親父…」
またか…一体、何が気にいらないのか…。
「リパウルの体調を考えてるんだ。…それとも、まだ、説教し足りないのか?」
「……」
「そんなに気に入らないんだったら、来る必要はなかっただろう?それとも、自分は認めていないと…それを言うためだけに、わざわざ来たのか?」
「…何故来たのか、私に訊かねばお前にはわからないのか?」
「ああ、わからないね。せっかく送ったチケットを払い戻したくせに、なんだってこんな強行軍で…。理解出来ない」
「そうか…」
「説明する気はないのか?」
「…マグリットに聞けばいい…」
それだけ言うと、グスタフは顔を背け、車窓を眺めはじめる。それから
「お前は、ローゼから…」
「え?」
唐突に出現した母の名にアルベルトは首を傾げる。
「…いや、聞いてないのなら別にいい」
そう言ったきりグスタフは口を噤んだ。アルベルトは父の発した曖昧な言葉の意味を考えるが、何のことやらさっぱりわからなかった。
そのまま、しばらく車内を沈黙が覆った。
「…そういうお前は、何故、家族の分のチケットを用意したのだ?」
と、唐突にグスタフが話を蒸し返す。アルベルトは、ぐったりとため息をつく。
「…何を言い出すかと思えば…。招待する側が移動費用を負担するのは一般常識だろう?」
「一律にそうとも言えまい…。お前はリパウルと、これから生まれてくる子供のことを、第一に考えている…そうだな、アルベルト?」
何を今更…。アルベルトは父の言葉に訝し気に顔をしかめ、ミラー越しに視線を投げる。グスタフは構わず言葉を続けた。
「…先日の式にかかった費用と、我々が出させるはずだったチケット代金や宿泊費用、下手をすると、我々を招待するためにかかる費用の方が、式より多くかかっていたのではないか?」
言われてアルベルトは絶句する。…確かに、父の言う通りだった…。息子の沈黙を肯定と受け取ったのか、グスタフは構わず言葉を続ける。
「…だからお前は口先だけだというのだ。今更だな、アルベルト。金は最も強い力の一つだ。それを、無駄に配分するような愚を、お前は平気でおかす。お前がその力を割り当てるべきは、我々ではない。…お前の妻と、これから生まれてくる子に対してだろう」
「それは…」
「それを、お前とゲルダで勝手に話を進めおって。あれは…、ゲルダは、自分が遊びに来たかっただけだろうが?違うか?」
後半は愚痴めいた口調になっていた。そんな場合でもないのだが、アルベルトの口元には、脱力しきった苦笑が浮かんでしまう。
「いや…」
と、笑うと、アルベルトはふっと息をついた。
「…確かに五人分の往復チケットと宿泊費用は、馬鹿にはならなかった…。正直、払い戻しで戻って来て、資金面ではずいぶん楽になったのは確かだ。けど、俺は…」
「なんだ?」
「いや…、親父や姉さんや、義兄さん、それにゲルダやディアナに…祝って貰いたかったんだ。俺の家族を彼女の家族に紹介したかったし…。だから、親父の言う通りバカげた無理だとわかっていたけど、押し通した。リパウルも反対はしなかったし…」
何か言われるかと思って、早々に口を噤んで身構えた。だが、勝ち誇った父からの居丈高な反論は返ってこない。アルベルトは再びミラーを見てしまう。そして、またしてもミラー越しにグスタフと目が合った。目が合うと父は不愛想な表情になった。
「…それは、来たのが私一人で、…不本意だった…という意味か…?」
父の返事にアルベルトは笑った。…目が合う一瞬前に見た、父の…意表をつかれた…という表情を思い出して、父のひねくれた物言いに腹が立たなくなっていた。
「…いや、リパウルも言っていただろう?やきもきさせられて、腹がたったのは本当だ。けど、来てくれて感謝してる。…何より彼女が嬉しそうだった」
息子の返答に、父はどう思ったのか、バックミラーで見る限りグスタフの表情は白々としていた。
「…そうか…」
「ああ、ありがとう」
「礼などいらん。来年の春かあるいは夏にでも、家族でこっちに来るつもりでいたのだからな」
…初耳だ…
「そうなのか?」
「ああ、そうだ。…お前は、少しは素直に人の言うことを聞けんのか?なんでもかんでも疑いおって…!」
「…!親父が、そういう態度だからだろう?」
「お前の方こそ!そもそもお前は子供の頃から、親に対する敬意というものが欠けておるのだ!」
「子供の頃って…」
父親には殴られていた記憶しかないのだが、そんなに生意気だったのか?
「ローゼはお前を溺愛していた。それをいいことにお前は、乱暴をしてはあれを心配させて泣かせてばかりだった。…今はうまく猫をかぶっているようだが私の眼はごまかせん」
「いや、そんなこと…」
…と、ふっと、泣いている母の姿が記憶の底から浮かび上がる。あれは、自分が泣かせていたのか?
「お前が何をしてもローゼはお前をかばった。碌な大人にはならないと…」
と、流石に言い過ぎたと思ったのかグスタフは口を噤んだ。
だが、アルベルトは父の酷い言い草より、彼の口調の方が気になった。
…ひょっとして、妬いてたのか…?
…いや、まさか。こんな憎らしいじじぃに、そんな可愛げがあってたまるか…。
とめる人間がいないので、言い争いは際限なく拡大するかと思われたが、自分で言っただけのことはある。流石に二人とも、一応は大人だ。どちらともなく矛先を治めた。いや、そうではなく、亡き母が二人を諫めてくれたのかもしれない…。
ふっとアルベルトは肩の力を抜いた。
「それなら、来年みんなが訪ねて来るのを、楽しみに待ってるか…」
「…最初から素直にそう言えばいいのだ…」
グスタフの返答に、アルベルトはやれやれと、シニカルな表情を浮かべた。
*
グスタフの姿が搭乗口の向こうに消えるのを確実に見送ってからアルベルトは踵を返す。
ノースノウ空港の施設で昼食をとってもよかったが、どこのレストランも人であふれている。アルベルトは、ランチはセントラルシティの慣れた場所でとることにしようと早々に結論を出すと、駐車場まで戻った。
運転席に腰を落ち着かせると、携帯電話を取り出した。
…向こうはちょうど夕方頃か。かけても迷惑にはならないだろう…。
車のフロントガラスから見るともなしに飛び立つ飛行機の姿を数える。電話をかけると、相手が出るまで無意識に飛行機の数を数え続けてしまう。
『…はい、マグリット…』
「マグリット、アルベルトだけど…」
数えるのを止めてアルベルトは意識を電話に向けた。
『ええ…無事に帰路についたようね。ついさっき、父さんからも連絡があったわよ。飛行機に乗ったら電源を落とすからって…』
…父が真っ先に姉に連絡を入れていたということが、アルベルトには少しだけ意外だった。が、そう驚くことでもないのかもしれない。
『謝ってたわよ。心配かけたなって…例によって、わかりにくいんだけどねぇ…』
姉の言葉にアルベルトもふっと笑った。言葉だけ聞くと殊勝そうでも口調は傲慢…。どっちが本音なのだと突っかかりたくなってしまう父の態度は、どうやら自分限定という訳でもないらしい。




