3-5 ウェディング・ブーケ(15)
ルーディアとナイトハルトの間に渦巻く正体不明の険悪な雰囲気を、何とか変えられないものかと、ふと思い出して、気になっていたことを思いつくまま尋ねてしまったアナベルだったが、運転席に座るナイトハルトが、途端に黙りこくってしまった…それも、間違いなく、穏やかな沈黙…とは程遠い、剣呑な沈黙…だったので、アナベルはまたしても(?)…そして、毎度のことだが、遅ればせながら自分の失敗を悟った。悟った上で、素直に反省した。
「あの、ごめん!ナイトハルト…」
「んー?何がだ」
運転席側から戻って来たのは、予想より気の抜けた返答だった。
「いや、だって…嫌なこと訊いたんだろう?その、思い出したくない様な…」
「まあ、そうだな。お前あいつのこと思い出して、楽しい気分になれるか?」
ナイトハルトの質問にアナベルは無言で首を振った。が、ナイトハルトには彼女の返答は見えなかった。
「その…ごめん。言いたくないんなら全然、無理しなくてもいいんだ。ただ、話を聞いてて、どうやって脅したんだろうって…」
ついに、ナイトハルトが、笑い始めた。
「え?ええ、何?」
「いや、お前…本気で謝る気があるのか?」
「え…うん…。悪いこと訊いたなって…。言いたくないに決まってるよね…」
「まあ、そうだな。何といっても“脅しをかけた”んだ。あまり良いことでもない」
言いながらナイトハルトはバッグミラー越しにルーディアに視線を向けた。予想通り目が合った。脅しの内容を思い出すと、流石に後ろめたい…かと、思ったが、そうでもなかった。
「じゃあ、やっぱり脅したんだ!え?なんて?」
…結局、訊くのか!と、ナイトハルトは心の中で突っ込みを入れてしまう。彼は前方に視線を据えたまま、一人でにやりとしてしまう。
「いや、脅しをかけたんだ。言えるわけがないよなぁ。だから、内容まで尋ねるな」
「あ…うん…。そうだよね、やっぱり」
なんとなくがっかりしている様な、アナベルの呟きに、ナイトハルトは屈託なく笑った。
車内の雰囲気が、先ほどより、少しだけましになっていた。
*
空港からの直通便のバスの終着駅は、セントラル駅より西に二駅目の駅だ。ナイトハルトが駐車場に車を停めると、三名はバスの乗降場所へと、足を急がせる。グスタフ・シュライナー氏を乗せたバスは、すでに到着しているとの連絡を、車中にて受けている。ナイトハルト宛にアルベルトからかかってきた電話を、運転中のナイトハルト代わって応対したのはアナベルだ。
…大人しく待つように…
アルベルトは自分の父親に、そう“お願い”したそうなのだが、自分の言うことを素直にきいてくれているかどうか、心もとない…と、きいたアナベルの方こそ心もとなくなるようなことを、電話の向こうで言っていた。
なので、必然的に三人の足は速くなる。もうほとんど、小走り状態になっていた。コンパスの長いナイトハルトとアナベルの、二人にとっての小走りは、ルーディアの全力疾走に匹敵した。基本、深層のご令嬢生活のルーディアは、二人について行くだけで精一杯だ。
「ルーディア、大丈夫?」
「…え?…ええ、…いや…」
心配そうなアナベルの言葉に、ゼィゼィ言いながら、辛うじてルーディアはそう答える。
「ああ、大丈夫…いっそのこと、跳んでいきたいくらいだわ…」
目指す相手もいる場所もすでにわかっているのだからして…。
「止めないぞ」
足を急がせながらナイトハルトは上から、冷静な口調でそう言った。ルーディアは品なく舌打ちした。
バスの停留所は、結構混雑していた。膝に手を置いてゼィゼイと地面に向かって息をついているルーディアの頭上から、ナイトハルトが
「何しについてきたんだ、働けよ」
と、冷たく言い放った。
アナベルが
「…ナイトハルト、いくらなんでも…」
と、苦い顔をすると、ルーディアはふうと大きく息をつき、迷いのない足取りで歩き始めた。
…こんなに大勢の人間が、無秩序に集まっている場所だ。昔の自分だったら、今のこの時点で気を失っていたかもしれない。けれど、今は平気だ。
…見ない・聞かない・感じないというコントロール方法を、ルーディはすでに自分のものにしていた。ここ数年で自分も随分と成長したものだ。
…この年になって…。ふっと、ルーディアは可笑しくなる。いや、そうではない。向いている向きが変わったのだ。だから…。
ルーディアは傍らに立つアナベルのデニムのジャケットの裾を引っ張った。アナベルが顔を寄せてくる。
「あの柱の所、モーニングコートに黒い帽子をかぶったおじいさん、わかる?」
アナベルは呆気にとられた。言われてアナベルは柱の方へと視線を投げる。見ると確かに、ルーディアが伝える通りの出立の紳士がいた。
…飛行機で約七時間、まさかあの格好で移動したのであろうか…。
その紳士は、長時間のフライトを経たとは思えないほど、コーニングコートを隙なく着こなし、柱近くに直立不動で立っていた。二人のやり取りを聞いていたナイトハルトがいち早く動いた。人をかき分けながら、柱の傍に立つ老人に近づくと
《…失礼ですが、グスタフ・シュライナーさんでいらっしゃいますか?》
と、品良い所作と口調で…アナベルには理解出来ない言語で…流暢に声を掛けた。
老人は、突然自分の目の前に現れた美貌を、濃いグレイの双眸で、訝し気に凝視する。
「いかにも私の名は、グスタフ・シュライナーだ。で、君は?」
応じる低音は、少しかすれていたが、アクセントに少し癖の残る発音ながら、共通言語で答えた。ナイトハルトはその返答に笑みを浮かべた。傍で見ていて不思議なほど、それは優しい人懐こい微笑みで、そのおかげで硬質な美貌が、少し人間的に見えた。
「お会い出来て光栄です。私はナイトハルト・ザナーと申します。アルベルトの代理でお迎えに上がりました」
その言葉にグスタフは無言で頷いた。目に見える変化はなかったが、目の前の美貌に秘かに感銘を受けているかもしれない。
「アルベルトから伺っているかもしれませんが、私は彼の学生時代からの友人で、リパウル・ヘインズとは幼馴染に当たります」
と、ナイトハルトは微笑んだまま自己紹介を続けた。グスタフは目を見開いた。
「では、君は…」
「はい、施設育ちです」
と、ナイトハルトは目を細める。
グスタフは何を思ったか、帽子をとると、モーニングコートの胸の前に置いた。帽子をとったグスタフ・シュライナー氏の頭部には、髪の毛はあまりなかったが、ルーディアがアルベルトの家で言った通り、鼻の下と顎周りを覆う白い髭は、奇麗に整っており、きちんと手入れがなされていることが伺われた。
グスタフは帽子をとると、改まった態度でナイトハルトに向かって手を差し出した。
「こちらこそ、お会いできて光栄です。ナイトハルト・ザナーさん。あなたのことはアルベルトから聞いております」
「…良い噂だとよいのですが…」
ナイトハルトはグスタフの手を取ると、握手に応えた。グスタフは頷くと
「とても頭のいい友人で、学生時代から、世話になっていたと。私からもお礼を申し上げます」
言われてナイトハルトは一瞬戸惑った。そういう話か…。だが、まあ…そんなものだろう…。
ナイトハルトの手を離すと、グスタフの目線は彼の背後に立つ黒い髪の女子学生と華やかなワンピースを着用した栗色の髪の少女へと向いた。
真正面から見るグスタフ・シュライナーは、確かにアルベルトにはあまり似ていなかった。
身長はアナベルくらいで、すっきりとした痩身、厳し気な眼差しとしっかりとした眉、やや鷲鼻気味の高い鼻、厳粛に引き結ばれた口元に笑みはない。髪の毛が少ないため頭部の形の良いことがよくわかった。
「君たちは…」
そう問う声は重低音。
…似てないとは聞いていたけど、本当に全然似ていない。…全体的に穏やかで、のんびりとした雰囲気のアルベルトとは異なり、目の間の人物から受ける印象はひたすら厳格だった。
アナベルは全体的に何かに気圧されながらも、
「初めまして、アナベル・ヘイワードです」
と、言いながら手を差し出した。それから
「あの、アルベルトの家に下宿をさせてもらってます。アルベルトには…いつもお世話になってます」
っと、付け加えた。
目の前の視線が気のせいか少し優しくなった…ような気がする…。シュライナー氏は頷くと、アナベルの手を取り握手に応じてくれた。
「では、君はセントラルの学生なのだな」
「はい…」
…どちらかと言えば落ちこぼれですが…と、自虐的に付け加えそうになり…いやいや、今学期はそこまでひどくないだろうと、自分で自分につっこみをいれる。
残るルーディアはグスタフ・シュライナー氏に握手を求めなかった。彼女は後ろ手に組んだまま少しつま先を伸ばし、可憐な笑顔を初老の紳士に向ける。
「ルーディア・ルーデンスです。リパウルの遠縁です」
と、簡潔に自己紹介をした。シュライナー氏は何故か少しだけ頭を下げた。
*
…無事に合流した…
ナイトハルトから連絡を受けたアルベルトは、安堵のため息をついた。
…が、問題はここからだ…
姉のマグリットに父親の無事を伝える連絡を入れながら、アルベルトの意識はすでに切り替わっていた。
…いい年をした大人が…非常識なことをしやがって…
端的に、彼は腹を立てていた。行方不明と言う連絡を受けてからこっち、腹を立てながら父の無事を案じていたのだ。その自分の健気さにも腹が立ってくる。
…どこまでも振り回してくれる…
「アルベルト…」
ふっと、背後を見るとリパウルの心配そうな眼差しが目に入った。
…とにかく落ち着け…父と対峙するのは、式を無事に済ませてからだ。
「ああ、わかってる…」
返答にもならない返答を返すと、アルベルトは携帯電話をポケットにねじ込んだ。
*
シュライナー氏を助手席に乗せて、ナイトハルトは車を走らせる。車内の空気は盛り上がっている…というわけではなかったが、それなりに会話は続いていた。シュライナー氏は驚くほど、息子の話題を出さなかった。いや、…全くと言っていいほど息子の話をしなかった。
「…君は、我々の郷里の言葉をどこで学んだのだ?」
「大学です。第二言語を選択しなくてはならなくて、興味があったし、アルベルトがいるんで、奴に教わればいいと思って、目論見通りに行きました」
「そうか、リパウルも見事な発音だった。やはり、違いますな」
「…リパウルはまあ、必要だったのでしょう」
…わかりやすく下心もありそうではあったが…。
こんな具合で、ナイトハルトは終始笑顔で、対するグスタフはにこりともしない真顔のまま、どうでもいいやり取りを繰り広げていた。後部座席に座るアナベルとルーディアはなんとなく、雑談などしてはならない様な、妙な圧力を感じて二人で静かにおとなしく座っていた。
アルベルトの家に到着する頃には、それなりの時間になっていた。招待状に記載された時間からだいたい三十分前ほど。よい時間と言えば言えた。ナイトハルトは駐車しなれた表の庭に、車を乗りあげる。出迎えてくれたのは花嫁のリパウルだった。
白いドレスを身に纏ったリパウルが、ナイトハルトの車に向かって大きく手を振っている。その姿に、アナベルは思わず後部座席から身を乗り出した。車が停車すると同時にアナベルは車を飛び降りた。
「リパウル…!」
すっごく奇麗だっ…!!そう、伝えたかったのだが、リパウルはそれどころではない調子で、
「アナベル、お疲れさま。車を…」
と、ドレス姿のままで、助手席側へと回り込んだ。
「え…ああ、うん…」
…せっかくのドレス姿なのに、どうにもそれどころではないらしい。かと言って、リパウルとしてもむげには出来ない相手が乗っているのだ。
車に乗っている時は気が付かなかったが、玄関先にアルベルトの姿が見えた。普段穏やかな笑みを浮かべていることが多いアルベルトの、恐ろしいほど無表情にアナベルは思わず息を飲んだ。
…えっと、これは…
*
ふっと、アルベルトはアナベルに…正確には彼女が戸惑っていることに…気がついた。
彼は地面に向かって息を吐くと顔を上げ、そのままリパウルについてナイトハルトの車に歩み寄ると、リパウルの肩に背後から手を掛けて、自分の後ろへと下がらせた。
躊躇うリパウルをアナベルに任せるように預けると、身を屈め、助手席のドアを開いた。
当然のことながら、助手席に座るグスタフと目が合った。が、アルベルトは父には声を掛けず、運転席に座る友人に
「ナイトハルト、すまない。もう少し端の方に駐車してほしいんだが」
と、やけに静かな調子で声を掛けた。ナイトハルトは肩を竦めると、
「わかった」
と、短く応じ、後部座席に座る少女に向かって
「とりあえず降りろ」
と、命じる。ルーディアは素直に車から飛び降りた。アルベルトはここでようやく父を見た。
「父さん…」
「ああ」
彼は父の姿を確認すると
「…いつ着替えたんだ?まさか、家からその格好で?」
「…ああ」
アルベルトはため息をつくと「マグリットが…いや、ゲルダもディアナも心配して…」
「そうか…」
アルベルトは顔をしかめたが、なんとか堪えた。
「とにかく、下りてくれ」
「お前で塞がっているんだろう…?」
…殴りたいっ…!!
…が、父の言う通りではあったので、アルベルトは身を引いた。グスタフ・シュライナーはようやく息子の家の庭に足を下ろした。
*
グスタフは、まず…といった様子で息子が購入した家を見た。なかなか良い家だ、彼は静かにそう思った。それから、息子を無視して、心配そうな眼差しを自分に向ける、息子のパートナーの方へと視線を向ける。
「お父様…今日は、来ていただいて…」
リパウルの言い掛けるセリフを遮りたい衝動を、傍で聞いていたアルベルトは何とか噛み殺した。グスタフは息子の葛藤に気がついているのかいないのか、彼女の姿に目を細め
「いえ、心配をかけてしまったことでしょう」
…そのセリフは、何より最初に姉や、妹たちに言え!
「…申し訳ない…来る、つもりではなかったのです…ですが、どうしても…」
…真面目に殴りたい!!
怒れるアルベルトの隣に、いつの間にかナイトハルトが立ってた。彼の…いや、目の前の展開を面白そうな様子で眺めている。
「ありがとうございます」
「きれいですな…とても…」
…俺もまだ言ってなかったのにっ!!なんでお前が先に言うっ?!と、アルベルトは、そんなことにまで歯軋りをしてしまう。
うっとりとグスタフが呟いた、その称賛の言葉にリパウルは頬を赤らめた。リパウルのドレスは飾り気のない純白のドレスで、少し膨らみが分かり始めているお腹をカヴァーするためか、胸の下にウェストラインを設け、そのまますっきりと膝下までを覆う、シンプルなデザインのドレスだった。
「…ありがとう、ございます…」
「…お礼なら、さっき言っただろうに…」
ナイトハルトが小声で、呆れた様に呟いた。
アルベルトには父に言いたいことが山ほどあった。だが、今言い出すときりがないし、何より式が台無しになってしまう。
「お父様、お疲れでしょう?とりあえずうちに、入って頂いて…」
と、リパウルが優しく促すと
「よろしいのですかな?」
と、グスタフも笑みらしきものを浮かべる。
「勿論ですわ」
リパウルは嬉しそうに微笑んだ。




