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オールドイースト  作者: よこ
第3章
364/532

3-4 ややもすれば憂鬱な…(8)

 夏休みが終わって二週間が経過した。今日は月曜日で、ウォルターは一人、アナベルとミラルダが作ってくれた夕食を食べ終えて、自室に戻ったところだった。


今学年は高等校最後の一年になる。だからと言って、彼の生活に基本的には何の変化もない。


…ロブ・スタンリーから面会の指示もない…。


本音を言えばウォルターはロブに会いたくはなかった。


ジョンから遺伝上の父親について聞かされた時から、ウォルターはロブのことを、碌でもない人間だと思っていたし、実物に会ってもその印象が深まっただけで、思慕の念など湧く余地もなかった。それでも、面会義務が終了を迎える十八歳までの間、月に一度会う程度なら辛抱出来そうだとは、思っていたのだ。


…マチルダの日記を読むまでは…。


マチルダの日記を読む前の、ウォルターのロブに対する印象が、モラルも節操もない碌でもない中年男性といったものだとして、読んで以降の印象は、最低最悪の下衆野郎…、になってしまった。この印象の変化が、大きいのか小さいのかウォルターにはよくわからない。


一時は、遺伝上の親に対する嫌悪が高じて、自己嫌悪がかつてないほどひどくなり、自分で自分をどこかに閉じ込めたい…と、かなり本気で思ってしまったほどだった。


四月の面会日には、ロブの顔を見るのも嫌だと思っていた。…そんな状態で四月の面接を迎えて、自分がどう振舞ったのか、…振り返ってもまったく覚えていなかった。当然のことながらロブはウォルターの嫌悪感には全く気付かず、普段通り女性を伴い、そして、無駄に饒舌だった。その時ばかりはロブの自分に対する関心の低さが、心底有り難がった。


次に会ったのは五月で、病室でだった。その時のロブは、キダ・ミサキを伴い、驚くほど青い顔をして、別人のように口数が少なかった。ウォルターはウォルターで、ロブに対する嫌悪を凌駕するほど、異常な事態に見舞われ、はては手術を受ける羽目になってしまい…率直に言えばロブのことなどどうでもいいという心境だったのだ。


…それ以来、ロブには会っていない。


可能ならば、このまま会わずに十八歳の誕生日を迎えたいほどだ。…が、ジョンからの課題…のことを考えると、このまま会わないという訳にもいかない…。


 ウォルターは勉強机に頬杖をつき、携帯電話を弄びながらため息をつく。


アナベルがナイトハルトから聞いた話によると、ロブはエナからウォルターがロスアンに帰省していることを聞いて、ナイトハルトに探りを入れた様だ。が、ナイトハルト当人から、ウォルターに何か言ってくることはない。ナイトハルトがウォルターには何も言わず、アナベルにだけそのことを伝えたということが、ロブからの口止めの可能性を推測させた。


ウォルター自身も、ナイトハルトが口にしたという“エナから聞いた”という言葉が、気にかかっていた。ロブはエナから“何”を“どこまで”聞いたのだ?単純にロスアンに帰省する、ということだけを聞いたのか、それとも、ジョンの息子に戻る算段をつけていることまで、エナはロブに話したのか…。エナが全て話すとは思えない。エナは自分の味方ではないが今のところ、敵でもない…と、ウォルターは捉えていた。


さらに言えば、ロブだ…。


ロブは、自分にはさしたる関心を持っていない…と、ウォルターは見做している。初めて会った日こそ大袈裟に喜びを表現したし、以降も意外なほど真面目に、月に一度の面会義務を果たしてはいた。時々気まぐれの様に自分に声を掛けては来る…が、それだけだ。それなのに、何故、自分がロスアンに戻ったからと言って、ナイトハルトに探りを入れるような真似をしたのか…その意図からしてすでによくわからなかったし、何故、五月以降、何の音沙汰も無いのか、その具体的な理由もよくわからなかった。ただ、面会が中止になってしまっている件に関していえば、思うところがないわけでもない。


だが、ひとつだけ思いつく推測は、推測と言うより妄想に近い…事実である可能性は極めて低い気がした。


…自分から動くべきか、それとも向こうの出方を待つべきか…。


面会は子の権利だ。拒絶申請の手続きをロブ・スタンリーが行っていない以上、こちらからアクセスする権利はある。はっきりと気は進まなかったが…。


自分には選択肢など、ないに等しいのだ…。ウォルターは目を瞑ると、携帯電話を弄ぶのを止めた。時刻は九時に近い。電話を掛けるのに非常識な時間帯まで、まだ間があった


 …さほど待つほどもなく相手は通話に応じた。自分からかけておきながらウォルターは少しだけがっかりしてしまう。


『やあ、ウォルター』


相手の声は朗らかだ。まるで数か月の放置などなかったかのように。


「…こんばんは。今、お時間を頂いても差し付かえないでしょうか?」


ウォルターの丁寧な言葉に、ロブ・スタンリーが押し殺したような声で笑った…のが、電話越しにウォルターにも伝わった。


『ああ…まあ、確かに今、私がいるのは開発局の執務室だな。だが、構わない。…それで、用件は?』


…今の時期、開発局は忙しい…のは、アナベルやミラルダ、ナイトハルトを通じて知ってはいる。ウォルターは手短に済ませようと、用件を切り出した。


「今月の面会の件です。少しお話したいことがあるので、何時でもいいのでお時間を取って頂けないかと…」

『ほぉ…』

「今月が無理でしたら来月でも構いません」


ウォルターは急いで付け加えた。


『…珍しいな。お前の方から私に会いたがるとは…』


ロブのセリフを耳にして、ウォルターの背中に悪寒が走る。…いや、言っていることは間違っていない。にも拘らず、お前に会いたくて、こう言っているのではないっ!と、叫びたくなってくる。


「…無理でしたら…」


ウォルターの心は早くも折れかける。脆弱なのにもほどがあった…。


『いや、月末までには仕事も落ち着く予定だ。遠慮することはない。ただ…、そうだな、何か、食べたい物とか、これまで行ったレストランで気に入ったところとか…どこかあるか?』


…デートの誘いかっ!!お前と一緒でなければどこで何を食べようと…と、錯乱したことを考えてから、ウォルターは、落ち着け!と、自分に言い聞かせる。


「…場所は別段問いません。開発局のミーティングルームでも構いませんが…」


…毎週末土曜日に、開発局のミーティングルームを私物化しているウォルターは、ロブに向かってそう言ってから、いっそ今度からそうしてくれればいいのに、と思ってしまう。が、


『なんだってプライベートで職場に行かないといけない…』


ロブからの返事は、分かりやすく、うんざりとした調子を帯びてた。


…プライベートなのか…そう言われれば確かにそうだ…と、一瞬反省してから

「あの、出来れば今回はスタンリーさん一人で、いらしていただけませんか…」

と、とてつもなく言い難いが、大事な一言を付け加える。


同伴女性が一緒では、まともな話など出来ない…正直、二人きりは、かなり嫌だったが。


『なるほど、お前がそう言うのなら、ガールフレンドを連れて行くのはやめておこう。…ただ、そうだな…』

「…なんですか?」

『お前が私を“お父さん”と呼んだら、その願いを受け入れてやろうか?』


…ウォルターは…絶句した。反射的に携帯電話を切りそうになってしまう。…この男は、頭に虫でも湧いているのか?


 黙ってしまったウォルターに何を思ったのか、電話の向こうでロブは楽し気に

『…冗談だ、ウォルター。そこまで嫌がられると、流石の私も傷ついてしまうが…』

と、応じた。


「…え、いえ…」

『日時はそうだな、今月最後の日曜日はどうだ?土曜日はデートの約束があるんだ。女性と一緒は嫌なんだろう?』

「え…はあ…」


…今月末、何かあった様な…と、思ってから思い出す。そうだ、アルベルト・シュライナーとリパウル・ヘインズの結婚式に招待されていた。だが、確か土曜日だった筈だ。


「はい、日曜日は空いてます」

『そうか。それならお互い都合がよかった。ディナーでいいか?』

「え…はい…」


…結局、外食か…だが、あれこれ注文を付けられる立場でもない。


「わかりました。お時間を頂いて…」

『ああ、構わない…』


ロブはややうるさそうに、億劫さのにじみでた声音でウォルターの言葉を遮ると

『私たちは親子じゃないか、ウォルター』

…と、一転、妙に優しい口調で続けた。それから『場所は、また連絡する』と、告げて電話を切った。


ウォルターは携帯を片手に、がっくりと肩を落とす。


…どう話を進めるか…対策を練らなければ…。そう思っているのに、頭の中は一向にまとまる気配を見せなかった。



 九月最後の土曜日、招待された時間より意図的に早い時間に到着したウォルターは、緑に覆われた緩やかな傾斜地をゆっくりと上った。


シュライナー家の正面玄関に面する庭は、普段であれば、自家用車は中央辺りに無造作に駐車してあるのだが、今日その車は片隅に駐車されていた。なにやら控えめに身をひそめているようにも見える。その庭で、玄関に辿り着くより先に、ウォルターはミラルダに捕捉された。家と木々の隙間から飛び出してきたミラルダは、ウォルターの姿に小走りになって駆け寄ってきた。


「ウォルター!!」

「やあ、ミラルダ…」


言いながら彼はミラルダの姿に表情を和らげる。


「似合ってるね、ワンピース」


目に見えるほど表情に変化はなかったが、ウォルターに日常的に接しているミラルダは、その声音に素朴な称賛を聞き取ってはにかんだ笑みを浮かべた。


「…ありがとう…」


そういうウォルターは、グレイのジャケットにただの水色のシャツだ。白いネクタイがなかったので、迷った挙句ノーネクタイにした。


招待されたので来たのだが、そもそも自分が招待された意味が彼にはよくわからない。招待された当人にも、招待された理由がよくわかっていないというふざけた招待客だ。…となれば、手伝いに精を出した方が身の置きどころもあるというものだ。


「何か手伝えることがないかなって、時間より早く来たんだけど…」


さっさと自分をお手伝い要員と定義づけたウォルターは、ミラルダに向かってそう言いながら、アナベルが姿を現すのを待っている自分に、ややげんなりしてしまう。依存症か?彼女に会いに来たわけじゃないだろうに…。


「うん、あるよ。裏庭でね、今、テーブルとかセットしてるの」


…どうやら挙式の会場は、シュライナー家の裏庭らしい。ミラルダは軽快な足取りで踵を返すと、さっそくウォルターを案内してくれた。


前を歩きながら

「でね…そのぅ…」

「うん?」

「アナベルは…ちょっと、今、いないの…」

と、やけに言いにくそうにミラルダがそう言った。



 頑張って手伝っているうちに、気がつくと人が集まってきた。やがて式が始まる…。


 ウォルターはリースと並んで、大きな幌が屋根になっているテントの下で、立食用の食事の給仕を行っていた。ウォルターは給仕に勤しみながら、周囲の様子を見回した。


主役の二人は、旧友たちとの歓談で忙しそうだった。ザナー先生はその集団から、つかず離れずで、こちらも歓談の輪の中だ。エナの秘書、ムラタ氏がホームカメラを手に、式の様子を撮影していた。アナベルは、ネイビーブルーのパンツスーツ姿で、セアラと分担して、飲み物を配っている。


料理の並ぶテントのすぐそば、大きめのパラソルの下、丸テーブルには、ミラルダとハインツ、それにルーディアと、ウォルターが知らない老婦人とモーニングをきっちりと着こなしている初老の紳士が座っていた。


…つい先ほど、所在なさそうな空気を漂わせて、場に佇んでいた紳士に、ハインツ・シュタインベルクが声を掛けている光景を、ウォルターは見るともなしに見ていた。漏れ聞こえてくる会話の中身から類推するに、初老の紳士はアナベルらが迎えに行ったという、シュライナーさんの父親で、老婦人の方はカレン・ワトソンだろう。そう気がついてから、ウォルターは給仕に勤しみつつ意識して聞き耳を立てていた。


…マナー違反ではあったのだが…。


ハインツは丁寧な調子でシュライナー氏に話しかけ、対するシュライナー氏は鷹揚な調子で応答している。学業の話や仕事の話から、ふっと、話題がシュライナー氏自身の若い頃へととんだ。


「…若い頃、こちらにいらしたのでしょう?」


そう、話をふったのは、ルーディアという少女だった。…が、口調がやけに落ち着き払っている。十二歳の少女の話し方ではない。シュライナー氏も違和感を覚えたのか、目を見開いた。


「…よく、ご存知ですな…」

「ええ、伺いましたの。バイオロイドに関心がおありだと…」


ルーディアの物言いに、ハインツが顔をしかめている。カレン・ワトソンの澄んだ声が響いた。


「まあ、そうでしたの?…実は私、バイオロイドなんですよ」

という、笑みを含んだ声音がウォルターの耳にも届いてきて、彼は若干、驚いた。


「…もっとも、私の頃はそういう呼び方はしておりませんでしたが…」


グスタフ・シュライナーは無言だったが、ウォルターの立ち位置からは、彼の表情がよく見えた。彼は無言で目を瞠っている。…当然だ、正確なところはわからないがカレン・ワトソンはどう見てもシュライナー氏より十歳以上は年上だろう。


「…驚かれましたか?ごめんなさいね。そんなややこしいことではありません。私の両親は子供を欲していましたが事情があって、授からなかったの。当時、人工子宮はまだ実用化される前の時期でした。つまり、人工子宮の黎明期…というのかしらねぇ…。つまり、試験的な…そういうことです」

「ああ、そうでしたか」

「そう、私の両親は平均的な人たちでした。だから当然私も、取り立てて優秀という訳でもないの」


言いながらカレンは少し首を傾げた。


「シュライナーさんは、バイオロイドに関心がおありだったの?」


カレンは、ルーディアの言葉を引き取るようにして、言葉を続けた。グスタフ・シュライナーはやはり無言で頷いた。


「まあ、そうでしたか。どのようなきっかけで、お知りになったのかしら?」

「セントラル大学の教授が授業の合間に、話されたのです。それで、二十歳になった時に志願しました」

「まあ、それで?」

「…簡単な選考試験を受けて、あとは相手を探すだけだったのですが、突然休止状態になりまして…」


グスタフの言葉にカレンは頷いた。


「ええ、覚えておりますわ。私が三十代から四十代くらいの時かしら?だいたい十年ほど、バイオロイドシステムは休止しておりました。…方向性を探っていたのと…」

カレンの言葉に今度はグスタフが首を傾げた。


「…随分とお詳しいようですが…」

「ええ、当時私は、技研の所員でしたから」

と、なんでもないことの様にカレンは打ち明けた。


「ああ、そうでしたか!」

と、グスタフ・シュライナーの声音には、感嘆が含まれていた。


「…そうは言っても私はただの一所員でしかありませんでしたから、内部事情にそれほど詳しいわけでもないんですの。その休止期間というのは、バイオロイド専用の施設を設立するにあたって、準備期間が必要だったと…」

「リパウルもそう言っておりましたな」


グスタフは鷹揚に頷いた。ルーディアがふっと、目を細めた。


「…シュライナーさんはそれで、再開の時期をずっと、セントラルシティでお待ちだったの?」

「…そうです。結局、大学で研究を続けながら十年近く。だが、親から戻るように要請があって…」

「お気の毒ですわ…」

「いえ…」


グスタフの面に浮かぶ戸惑いの表情にハインツはため息をつく。気になって隣を見るとミラルダも奇妙な表情をしている。


「…先人が愚かなせいで…つけを支払わされますね…」


ルーディアのシニカルな口調に、カレンが小さく笑い声を上げた。


「ええ、あなたたちの様な若い方に、あまり重荷を背負わせるべきではないわねぇ…」


…“若い方”という部分を意図的に強調しているな…と、耳をそばだてていたウォルターは思った。恐らく、ルーディアという少女に対する牽制だろう。


先ほどから話題に上っている“休止期間”とやらは、表向き、施設設立のための準備期間…ということになっているようだが、本当は別に理由があったのかもしれない。…ルーディアという、少女の様な女性がこだわるような何か…特別な出来事が…。だから、彼女は少女のふりをすることもせず、思わせぶりなセリフを口にしているのだろう…。


丸テーブルが、奇妙な沈黙に支配される。ふっと、影が差した。グスタフが振り返ると、先ほど自分を迎えに来てくれた、背の高い女子学生が笑顔で立っていた。アナベルだ。


「…飲み物、ご入用ですか?」


…ただの偶然なのだろう、だが、アナベルの出現で雰囲気が変わったことにハインツも、そして秘かに聞き耳を立てていたウォルターも、意味が解らないまま安堵した。


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