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オールドイースト  作者: よこ
第1章
34/532

1-5 月夜の邂逅(5)

病院でのバイト、二日目。アナベルはリュックに課題用のタブレットを入れた。お昼の休憩時間に、少しでも進めておこうと思ったのだ。ウォルターの指導の賜物か、以前よりは分かるようになっている…筈だ。出来るところまでは自力でやろうと決意を新たにする。


 午前の作業を終えてお昼休憩の時間になると、アナベルは、昨日見つけた木陰へと足を向ける。太陽は頭上にあって、目にまぶしかった。小さな木陰を作ってくれる、大きな木の下の方から、ちぃーちぃーという小さいがよく通る鳴き声が響いた。ふと視線を据えると、目的の木陰に、先客がいるのに気づく。アナベルは足を止め、その様子を見るともなしに見てしまう。


 入院患者だろうか。年のころは自分と同じくらいか、もっと下か。顎の辺りまである白っぽい金色の髪の毛先が、顔の周辺を無秩序に覆っていて、はっきりと顔は伺えない。薄いピンク色のカーディガンを羽織り、やはり薄めの水色ストライプ地のパジャマを着ている。

その子は胸の前で、手をひしゃくのように合わせ、木を見上げていた。木の上の何が気になるのだろうか。


アナベルがその様子を見つめ続けていると、ふと、その子は、両手を合わせたままで木に向かって上げた。見るともなしに、いや、ひき寄せられる様に、アナベルはその光景を見つめてしまう。


金髪の子は、両腕を上げたまま背伸びをした。ふっと手を開くと、ちぃーちぃーという鳴き声が鋭く響く。と、その子の手の中から、毛のない小鳥がふわりと姿を見せ、吸い込まれるように、木の枝の中に消えた。…と、再びちぃーちぃーと賑やかな声が響く。金髪の子は木を見上げたまま、ふっと微笑んだ。


アナベルはその場で、呆然と木陰をつくる大きな木を見つめた。いつの間にか鳥が巣をつくっていたのか…呆然としたまま視線を戻すと、ピンク色のカーディガンを着た子と目が合った。アナベルに気がつくと、その子はにこりとした。


「こんにちは」

と、言う声は優しいアルト。少年だろうか。こうして見ていても、いまひとつ判別がつかない。それに、さきほどの光景は一体なんだ?少年の手の中の雛が、一瞬、宙に浮いて、枝の中の巣に戻っていったような…。あれはアナベルの目の錯覚だろうか。

自分は、ルーディアの影響で不思議な出来事に、ある意味で慣れすぎている。頭が勝手にそういう風に見せたのかもしれない。いろんな意味で、訝しい。


そんな気持ちがアナベルの表情に出ていたのだろう。その子は困ったように、微笑むと

「えっと、僕はルカ。君は、入院患者…じゃないよね?」

と、問うてきた。アナベルは自分の失礼な態度に気がついて、慌てて

「うん、私はアナベル。今ここの病院でバイトしてるんだ」

と、名乗った。ルカと名乗る少年はアナベルの声を聞いて安心したのか、嬉しそうに笑うと

「そうだよね、君は元気そうだ」

と、請け負った。


「おま…ルカは入院してるんだよね」

パジャマのままで病院の敷地内にいるのだ。我ながら、間の抜けた質問だった。

「うん。アナベルは、バイトって、ここで何をしてるの」

「掃除とか、シーツを交換したりとか」

「へえ、そうか、トイレとかで見たことがあるよ。掃除してる人」

掃除している人間が珍しいのか、とあきれてしまうが、嫌な感じはしない。


「今は、ここを掃除するの?」

「まさか、こんな広いところ。今は休憩中で、ランチを食べに来たんだ。食堂は人が多いし」

「あ、ひょっとして邪魔してた?」

と、やけに申し訳なさそうに、首をすくめた。

「いや、別に邪魔は…」

と、言いながら腕時計を見る。思ったより時間がたっている。アナベルはルカに構わず、木陰に腰を下ろすと、リュックからランチボックスを取り出した。何故かルカも横に座る。アナベルがランチボックスの蓋を開けると、珍しそうに、覗き込んだ。


アナベルはなんとなく申し訳なくなって

「食べる?」

と訊いてしまう。ルカは驚いたように視線を上げると

「ううん、僕はもう、昼食の時間は終ってるんだ。いつも食べ切れなくて怒られる」

と、答えた。

「面白いね、これ。こういう風にして外で食べたら、もっと食べられそうだね」

と、にこりとした。どうやらランチボックスが珍しいらしい。


「そうだな、こんないい天気の日には外で食べる方が、食が進むよね、きっと」

と、アナベルも同意した。が、のんびりもしていられなくて、サンドイッチをほおばって、水筒のお茶を流し込む。

「アナベルは僕と同じくらいなのに、もうお仕事してるんだ。えらいんだね」

立て膝を手で組んで、その上に顔を乗せると、アナベルの方に顔を向けたまま、ルカが呟いた。


どこか懐かしい、薄い水色の双眸。こうしてみると、柔らかいが、整った顔立ちをしている。少年なのだと思うが、少女のようにも見えたのは、顔立ちのせいもあるかもしれない。こんな風に人に真っ直ぐ見られることはあまりないので、アナベルはなんとなく、そわそわしてしまう。


「別に偉くなんか…普段は学校へ行っているし、今はお休みだから」

「学校も行ってて、お仕事もしてるなんて、余計偉いじゃないか。僕なんて学校にも行ってないよ」

「そうなんだ…」

そんなに悪いのだろうか。確かにルカは、驚くほど肌は白く、きゃしゃな印象だった。


「闘病してるんだろ?ルカだって偉いと思うよ」

「偉いのはお医者さんだよ…」

「そんなことないよ。私の叔父さんも病気なんだけど、毎日闘ってた。私にはまねできない。きっとすぐに泣いて逃げちゃうと思う」

アナベルは断言した。アナベルの言葉にルカは微笑んだ。


「叔父さんは、元気になったの?」

アナベルは首を振る。

「わからない、遠くにいて、もうずっと会ってないんだ…」

言いながら、自分が泣きそうな気分になっているのに気がついた。


…もう九ヶ月も会っていない。手紙はくる。いつも同じような内容で、こちらは元気だから心配しないで、アナベルの方こそ、無理し過ぎないように。

自分の方がよほど大変なくせに、いつもカイルはこちらを気遣ってばかりだ。


ここでの生活が嫌なわけじゃない。会う人は大抵、皆いい人ばかりだし、大好きな人もたくさんいる。それでも、心の片隅でいつも小さくない不安が居座っていて、思い出したように悲鳴を上げるのだ。


カイルに会いたいと思う。気がつくと、会ってたくさん話しがしたいと思ってしまうのだ。ここで会う人たちが、いい人であればあるだけ、そのことを直接会って、カイルに話したいと思ってしまう。手紙では伝え切れないのだ。


 ルカは何も言わなかった。ただ、黙って優しい目で、アナベルの横顔を見つめていた。泣かないようにアナベルは、残りのサンドイッチを急いでほおばった。



 午後からの作業は長期入院患者の、病室の清掃とシーツ交換だ。アナベルはなんとなく、病室の外に貼ってあるネームプレートに、「ルカ」という名前がないか、探してしまう。予想通り「ルカ」という名前はなかった。アナベルが担当する階で目にする患者さんは、なんとなく年配の人が多いように思われた。


 病院でのバイトが終ると、ハウスキーパーの仕事だ。アナベルは急いでバスに飛び乗った。丁度いい時間に到着できそうだった。ウォルターはここのところずっと忙しそうだ。イーサンと二人、部屋にこもっていることが多い。それでも一度は、顔を出すのだが。


ハウスキーパーの仕事を始めた頃のウォルターは、ずっとこもりっきりで、全く姿を見せなかった。鍵は開けてもらえるので在宅していることは、確かだったのだが、アナベルは、ウォルターが本当に家にいるのだろうかと、疑ってしまうほどだった。なんとなくそのころのことを思い出す。今はその頃に比べると、ずっとコミュニケーションが取れている。ふと、課題が未だにほとんど手付かずなのを思い出す。明日こそ、きちんと進めなければと、移動中のバスの中で一人、ため息をついた。


その日もウォルターは忙しそうだった。アナベルは清掃と、食事の支度を済ませると、挨拶だけして、アルベルトの家に帰った。


次の日のお昼には、決意を新たにして、ここ二日間お世話になっている木陰に急ぐと、サンドイッチを片手に、課題用のタブレットを取り出し、食べながら課題に取り組んだ。ふと、目の前に影が差す。顔を上げると、昨日出会った少年、ルカがタブレットを覗きこんでいた。手に何か持っている。アナベルは慌ててタブレットをしまった。


「こんにちは」

サンドイッチをほおばったまま、アナベルはもごもごと挨拶をする。ルカはくすりと笑うと、

「こんにちは」

と、挨拶をする。それから、

「邪魔じゃない?」

と、訊かれたので、アナベルが

「うん、邪魔じゃないよ」

と答えると、何故だかルカは、アナベルの横に座った。両手を挙げて、うんと伸びをする。

「今日もいい天気だね」

「うん…」


一体なんなんだろうか?やけに人懐こい少年だ。

「今日の昼食は?」

と、例のごとくアナベルのランチボックスを覗き込んでくる。

「え、昨日と同じ…」

「自分で作るの?」

「うん、そう…」

「へえ、アナベルって本当に、何でも出来るんだね」

「え…」

いや、それはないだろう。いくらなんでも、過大評価もいいところだ。


「こんなの、ブレットに適当な野菜やハムをはさむだけだ。ルカだって作れる」

「そうかな?」

と、首を傾げる。口元には面白そうな笑みが浮かんでいる。何を聞いても楽しそうだった。

「学校がある時には、土日にカフェでバイトしてるんだけど…」

「うん」

「そこのランチプレートは本当にこってて、味付けとかも色々工夫してるし、いろどりとかにもこだわってて…」

「へえ、すごいや。美味しいんだろうね…。僕なんて年がら年中病院食で…」

と、ルカは立てた膝に顎をうずめて、つまらなそうに呟いた。アナベルはルカが気の毒になった。もう少し自分の料理の腕がよければ…。


「よかったら、食べる?その、今日は駄目だけど、明日もう少しちゃんとしたサンドイッチを作って…」

「え?」

アナベルの言葉にルカが、はじかれたように顔を上げた。それから、ふっと微笑んだ。

「アナベルは優しいね」

「え??」

真正面から、そう言われて、アナベルの方がたじろいでしまう。何故だろう、頭に血が上った。


「いや、別に…」

「君の方が大変だ。土日もバイトなんだね」

「いや、大変ってことは…」

「君のサンドイッチも食べてみたいけど、病院の昼食は早いんだよね。食べないと怒られるし…。それより実は…」

と、言いながらルカは、手にしていた包装紙を開いた。包装紙の中からチョコレート色の焼き菓子が出てくる。


「よかったら、半分こしない?」

言いながら、二つに分けた。が、どう見ても半分ことは言えない。ルカは一つまみ分の焼き菓子を手にすると、残りのほとんどを、包装紙ごとアナベルの方に差し出した。


「お見舞いで貰うんだけど、食べきれなくて。アナベルは体力使うから、もうちょっと食べた方がいいんじゃないかと思って持ってきたんだ。嫌いじゃなかったら食べてよ」

「嫌いじゃないけど…」

いいんだろうか、ほとんど全部を貰ってないか?アナベルはためらった。

「嫌いだった?」

「ううん、でも、こんなに貰っちゃ…」

「遠慮しないでよ。勉強もするんだったら、甘いものは頭使う時、いいって聞いたよ」

アナベルは遠慮しながらも受け取った。チョコレート色の焼き菓子は、ほんのり苦くて香ばしく、少し甘かった。



 病院でのバイトを終えて、今日もバスに乗る。結局あれからルカとおしゃべりをしてしまい、課題は進められず仕舞いだった。なんとなく、カイルの話になって、気がつけばたくさん話をしていた。


カイルの話はオールドイーストに来てから、リパウルにしたくらいで、誰にも話していない。アルベルトは事情を知っているのだろうが、自分から話したことはない。リパウルに対しても必要がなければ、話すことはなかっただろう。なのに、どうしてルカになら話せるのか、アナベルは不思議だったが、きっと、境遇が似ているからなのだろうと結論付ける。


そんなことをぼんやり考えている間に、ウォルターの家の、最寄のバス停に到着した。今日も昨日のようにこもっているのだろうな、と思うとなんとなく侘しかった。


次の日も、中庭の木陰に腰を下ろし、サンドイッチを食べる。食べ終わったら取り掛かるつもりで、課題用のタブレットは、腰の横、芝生の茂る地面の上に置いていた。急いでサンドイッチを食べていると、またしても、ルカがやってきた。口元に、楽しそうな笑みが浮かんでいるのを見て、アナベルもつられて笑ってしまう。


「こんにちは。今日も隣…いいかな?」

「どうぞ」

と、アナベルは笑ったまま答えた。ルカは気安くアナベルの横に腰を下ろす。それから、彼女の膝にあるランチボックスを昨日と同じようにして覗き込む。

「まだ、食べ終わってないんだ」

「うん、ごめん…」

アナベルは残りのサンドイッチを急いでほおばった。ルカは驚いて

「いや…別に急がなくても…」

「あ…うん…」

そう言われてみれば確かにそうだ。だが、何か急がなければならない様な気分になってしまって…。


ルカは目を細めて笑うと、昨日と同じくお菓子の包み紙を取り出した。

「ひょっとして、これを待ってたんでしょ」

やけに、にこにこしながら、ルカがお菓子を二つに分けた。いつもと同じく不均等な分け方だった。今日はチーズタルトだ。大きい方をアナベルに渡す。アナベルは、大きく首を振った。アナベルの反応にルカは驚いて目を見開く。


「嫌いだった?」

「ううん、嫌いじゃない!そうじゃなくて…お菓子を目当にして、急いで食べたんじゃないって、そう言いたかっただけで…」

アナベルの剣幕に、ルカは肩をよせて笑った。それから

「よかったら、食べてよ。お菓子は好きなんだ。食べたいんだけど、全部は食べられなくて、協力してもらえると助かるんだ」

と、楽しげな笑顔をアナベルに向けて、そう言った。


「…う、うん」

アナベルは、自分の言い訳ぶりが、何やら恥ずかしくなってきたが、結局、受け取ってしまう。

「やっぱり、こうして二人で分けて、外で食べる方が、美味しい」

にっこりと、ルカはそう言った。アナベルは遠慮するのをやめて、チーズタルトを口に入れた。


ルカが分ける時にこぼしたタルトのかけらを、カーディガンから払い落とすと、木の上にいた小鳥が下りてきて、芝生の中を突付き始める。ルカは面白そうにその光景を眺めていた。

「鳥には甘すぎないかな?虫歯にならない?」

「いや、そもそも鳥には歯がないんじゃないかな?」

「そっか、そうだね。なら、虫歯の心配はないね」

言いながら、ルカは笑った。


小鳥の姿を眺めて微笑むルカを見ていて、アナベルは、昔、カイルに読んでもらった童話を思い出す。タイトルは確か…。

 自覚のないまま、ぼんやりと、アナベルはルカの横顔を眺めていた。ルカがアナベルの視線に気がついて「何?」と、首を傾げる。アナベルは慌てて

「あ、あの…。いつも、ありがたいんだけど、いいの…。その、お菓子…。もらっちゃって…」

と言った。ルカは

「うん、食べないとかえって心配されるから。痩せすぎだって…」

と、肩を竦めてみせた。アナベルはルカの言葉に頷いてしまう。

「そりゃ…そうだ…。確かに痩せてるもの。…あの、こんなこと訊いたら…」

「何?」

「いや、どこがよくないのかなって…」

アナベルの質問にルカは笑顔になった。


「…さあ、どこだろう?いいところを探した方が早いかな…」

予想外の言葉にアナベルは目を丸くした。

「え?そりゃ、そうだね」

アナベルの返答にルカは可笑しそうに、身を屈めて、笑い出した。

「え?あの…」

「怒らないんだね、アナベル。ふざけてるのっ!…て」

「…いや、ふざけてたんだろ?だって…」

アナベルは表情の選択に困ってしまう。ルカは笑顔のままでアナベルに顔を向けた。


「うん、ごめん」

「いや、謝らなくても…」

…上手く煙に巻かれたな…と、アナベルはあきらめた。言いたくないのかもしれない。それに…。

「まあ、確かに、よくないところより、いいところを探す方がずっといい。それは確かだし…」

言いながらふっと、視線が腰の横に置いたままの課題用のタブレットに落ちる。

…確かにそうだ。ここで、私は頭がいいよと切り返せたら…と、しょうもないことを思いついて、ルカには気づかれないよう、ひそかにため息をついてしまう…。


アナベルの返答にルカは意外そうな、面白そうな表情になった。そのまま、彼女の横顔をじっと見つめる。アナベルは極まりが悪くなってきて

「あの、何?」

と、聞き返してしまう。ルカは笑顔のまま

「ううん、アナベルって、いいな…って、そう思っただけだよ」

と、悪びれずに答えた。

「いいな…って…」

なんという馴れ馴れしさか?だが、普段の彼女ならば渋面になる筈が、何故かルカの笑顔から目を逸らし、そのまま俯いてしまった。


…どうにも、調子が狂う…。アナベルは混乱したまま心の中でそう呟いた。


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