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オールドイースト  作者: よこ
第2章
315/532

2-16 “ユウ・レイズ・ミイ・アップ”(15)

アナベルはオリエと一緒に廊下に出ると、意識的に少しミーティングルームから距離を取った。


「で、何?話って」

「うーん、まあ、色々あるんだけど…」

「もう一人のバイトが、ルカだってことを言わなかったことだったら…」

「まあ、それもあるね…」

と、アナベルが渋い顔になると、オリエは俯いて微笑んだ。


「言えばあなたが、引き受けてくれないんじゃないかと思って…」

と、自ら白状した。


「じゃ、やっぱり、わざと内緒にしてたの?」

「まあ、そうね」

「なんだよ、一体…」

「ランチは誰と?ひょっとしてセアラ?」

「なんで、知ってるの?ひょっとして監視でもしてるの?」

「まさか」

と、悪びれずオリエは笑ったが、応とも否とも言わなかった。


「セアラには、なんて?」

「言えるわけがないだろう?適当にごまかした」

「賢明ね」


言われてアナベルは複雑な表情になった。


「…やっぱり、そうなの?まだ…言わない方がいい?」

「どうかしらねぇ…」

「また、そんな…。ルカの方は…どのくらい知ってるの、その…セアラが…」

「ほとんど伝えてないわね。ルカは箱入りですから」


すました調子でオリエは言うが、箱に入れているのは、オリエではないのか?と、アナベルとしては突っ込みたくなってしまう。


「話というのはそのこと?今のところあなたの判断は、妥当だと思うけど?」

「まあ、それも聞きたかったんだけど、その…」


アナベルはオリエの笑顔を一瞥すると

「オリエは知ってるの?その、なんで私が作られたか、とかの話…」

と、尋ねてしまった。


オリエはエナの上司だったのだから、当然自分が生まれる前からエナを知っていたのだろう。ギュンター・ザナーでさえ、自分が生まれた経緯を知っていたのだ。

オリエが知っていたとしてもおかしくないだろう。


「ええ、勿論」

と、こだわりなくオリエは頷いた。


アナベルは、前回の面会でエナが言っていた言葉を思い出しながら、

「じゃあ、あのさ、私を作るのに反対したのって、ひょっとしてオリエ?」


アナベルの言葉にオリエは首を傾げた。


「反対?いいえ、してないわよ」

「あ、そうなんだ…」

「誰からそれを?」

「エナからだよ。六月の面会で…。反対っていうか、あ、そう、忠告してくれる人がいたとかなんとか…」


アナベルの説明にオリエは頷くと

「それは、きっとカレンのことでしょう。カレンとエナは母娘ほど年が離れていたけど、仲が良くて、個人的な相談などもしていたようだから」

と、言った。


「え?そうなの?」


意外だった…。前にカレンの家を訪ねた時に、エナの話題もでたが、カレンはそんなことは一言も言わなかった。


アナベルの驚きにオリエは楽しそうに微笑んだ。


「ああ、見えて、エナは悩み多き乙女なのよ」

「乙女って…」


そんな年齢でもないだろう…。


「気になるのだったら、カレンに聞いてみたら?」

「また…、カレンには私に聞けって言って、私にはカレンに聞けばっていうし、オリエはちょっと手抜きじゃない?」


意外な非難にオリエは目を丸くした。


「私が知らないことを、どうやってあなたに説明しろというの?」

「あ、そうだね…」


確かにその通りだ。アナベルは肩を竦めた。


***


 夏休みに入っても、衰えることのないイルゼの攻撃に、ウォルターはややうんざりし始めていた。夕方になるとイルゼは図書館に出没する。どうやらバイトに行く前の暇つぶし…ルーティンとなっているようだ。


「君も暇人だね、課題は済んだの?」

「そうね、レポートが手つかず。課題図書を読むのが面倒で…」


自習スペースで何故だかイルゼと並んで座って、声を潜めて言葉を交わす。イルゼの返答にウォルターはため息をつく。早くアナベルとミラルダと合流したい…。


「それで、なんでこんなところで無駄に時間をつぶせるのか、理解出来ないよ…」

「確かにそうね?ねぇ、ウォルター。あなた、文系の科目得意じゃない?手伝ってくれない?」

「…さっき言ったこと、聞いてた?」


自習スペースでそんな会話を交わしていると、入り口の方向からアナベルが見えた。今日も見事な仏頂面だ。イルゼが気づいて、笑顔になった。ウォルターは秘かにため息をつく。


 …正直、今のイルゼの狙いは、自分ではなくアナベルに絡むことなんじゃないだろうか…。


 アナベルは二人が座るスペースまで来ると、机に手をついて、身を屈めた。


「何、仲良さげに私語してんだ?」

「仲がいいんですもの、仕方がないわ」


どこかで聞いたようなその返答に、アナベルは顔をひきつらせると、何故だかウォルターを睨みつけた。


「おい、図書館員。バイトとはいえ、自習スペースでひそひそと…」

「だったら、君、彼女を連れ出してよ」

「なんで、お前…」

「廊下になんか連れ出したら、何をされるか…」


ウォルターがタブレットに視線を据えたまま、ぼそりとそう呟くと、アナベルは眉間に皺を寄せた。


「おい、あなた…」


アナベルの乱暴な呼びかけに、イルゼは何故かにっこりとした。


「なぁに、廊下に連れ出して、何をしてくれるの?」

「な、何って…」


喧嘩を売っておきながら、毎度毎度、負けているのはアナベルの方に見える。ウォルターはまたしても一人静かに息を吐いた。


 …と、夏休みが始まってからも、毎度こんな風だったのだが、木曜日には、アナベルの仕事はお休みだ。自習スペースで待つ必要もない。その日のウォルターは、業務を終えると、迅速に図書館から退室した。駐輪スペースに向かって足を急がせていると、携帯電話が呼び出し音を鳴らした。見るとイーサンからだった。


「はい」

『バイトは終わったか?』

「今日もつつがなく…どこかで見てたみたいなタイミングの良さだね」

『今日はアナベルは来ない日だろ?お前、ちょっと出てこられないか?』

「出るって…どこに…?」

『まあ、とりあえず、駅向こうのカフェあたりで、どうだ?』


ウォルターは携帯電話に向かって顔をしかめてしまう。


「構わないけど…何?」


電話の向こうで微かな笑い声が聞こえた。


『気持ちはわかるが、そう、警戒するな。別に妙な話じゃない』

「…君が気持ちをわかってくれてるって時点で、僕にとってはすでに妙だけど?」

『お前、三年のタブレットを借りただろう』

「ああ、君からね」

『その件だ。借りっぱなしも、なんだろう?』


…つまり貸してくれた相手、タブレットの持ち主に会わせようということか…確かに筋は通っている…。


「わかった。今から向かうから…」

『ああ、三十分くらいか?』

「そうだね」


通話を終えると、ウォルターは携帯電話をカバンに突っ込んで、マウンテンバイクに跨ると、駅向こうに向かって漕ぎ始めた。


 大方、予想通りの時間に、待ち合わせ場所に到着すると、イーサンはすでに待っていた。


イーサンはウォルターの姿を認めると、時間を確認した。そろそろ六時を回ろうという時間だ。イーサンはウォルターに目配せすると、無言で踵をかえした。ウォルターも黙ってついて歩く。


「どこかで待ち合わせ?」

「ああ、飯をおごる約束になってる」


言われてウォルターは渋い表情になった。


「…それで僕を呼んだのか…」


イーサンは声を立てずに笑うと

「…まあ、そればっかりでもない」

と、応じた。


 繁華街の内の内、小さな路地に入り込んで、古めかしい店構えの…あまり小奇麗とも小洒落たとも言えない建物の中に、イーサンは案内してくれた。どこか肩を竦めるような格好で、ウォルターも後に続いた。店内はすでに雑然としており、客の賑わいでごったがえしている。アフマディのお店に雰囲気が似ているなと、ウォルターは思った。


 ウォルターが見るともなしに店内を観察していると、イーサンが先客に向かって手を上げた。どうやら待たせていたらしい。


 イーサンは空いている席に腰かけると

「待たせたか?」

と、二名の先客に声をかけた。ウォルターも隣の空席に腰を下ろす。


「いや、つい先ほど来たばかりだよ」


答える声は澄んでいて、クリアだった。ピンクがかったようなベージュ色の珍しい髪の色。どこか黒真珠を思わせる、濃いグレイの双眸。小さな卵型の、優しい端正な顔立ち。こんな場所に似つかわしくないエレガントな雰囲気…。


 自己紹介されずとも、誰なのかわかってしまった。最近ではすでに見飽きたとも言えるその顔は、イルゼによく似ていた。


 ウォルターは不躾にならない程度に、イルゼの兄…ケイン・フィールドに視線を向けてから、彼の傍らに座る男を盗み見た。


 どこか中性的なケインとは対照的に、男性的で精悍な顔立ちの男だった。体つきもしっかりとしている。黒い髪に黒い目。その黒髪の男は、盗み見しているウォルターに鋭い一瞥を向けた。ウォルターは思わず背筋を伸ばしてしまった。


「初めまして、私は、アベル・ベイガー。君は…」


目があった途端自己紹介をされてしまう。ウォルターは、咄嗟に息をのんだ。傍らに座る、ケインが

「アベル…彼が驚いている。すまないね、君…。アベルは気が短くて…」

「名を知りたかったら、先に名乗るのが礼儀だろう?」

「知っているくせに、悪趣味だね」


にっこりと、ケインは笑みを浮かべる。笑い方まで妹に似ていた。


「ごめんね、ウォルター。僕が誰かは…わかるよね?」

「ケイン・フィールドさん…ですか?」

「そう、正解。まあ、簡単すぎるクイズだったね」


言いながら麗しい笑みを浮かべて、ケインは首を傾げた。ウォルターは短く息をついた。


…ケインとアベルが一緒に居るのか…一体、何の冗談なんだろうか?


「僕はウォルター・リューと言います。その…初めまして」

と、今更ながら名乗りを上げた。


「僕に、テキストを貸して下さったのは…」


ケインはアベルを一瞥した。その目配せすら、どこか艶っぽい。


「アベルだよ」

「そうですか、その、助かりました。ありがとうございます」


ウォルターの返答にアベルは何故か目を眇めた。それから、ふっと息をつくと

「いや…。私も施設の先輩に、毎回お世話になっていたから、受けた恩はこういう形で返していくものなんだろう」

と、生真面目な答えを返してきた。


…施設ということは、バイオロイドか。こんな真面目なバイオロイドもいるのか…と、ウォルターは、ある意味、失礼な感慨にふけってしまう。


アベルの態度に、ケインが肩を竦めた。


「驚くだろ、ウォルター。アベルは無駄に真面目なんだ」

「あ、いえ…その…」


むしろ、アベルの生真面目さが、ウォルターには心地よかった。黒い髪に黒い目、それに加えてこの生真面目さ…名前もどこか、彼のハウスキーパーに似ているように思えてくる。


「真面目なことに、無駄も何もないだろう?」

と、無駄に真面目にアベルが応じた。この手の言いがかりに慣れているようだ。


「その発想からして無駄だね。無駄って言葉の意味、考えたことあるの?」

「…お前が言うのは、どういう意味だ?」

「インフレーションだよ」


ケインが楽し気に笑った。そして

「ね、イーサン」

と、イーサンに同意を求める。イーサンは肩を竦めた。


「さあ、共通言語に秀でてないんだ。そこの眼鏡にきいてくれ」


…そこの、眼鏡?ウォルターは、咄嗟に絶句してしまう。


「どう思う?ウォルター?」


何故だかケインが本当に訊いてきた。


「いえ、無駄というのは役に立たないという意味ですから…」

「そう、アベルはなんにつけ、過剰だろ?だからインフレーション」

「…文学的表現…ですね」

「当り前じゃないか」


何故だか楽しそうにケインが笑うので、ついていけなくてウォルターは、無表情になってしまった。顔立ちだけじゃなく、独特のペースも妹と同じだな…と、無用な感想まで抱いてしまった。



 食事…を終えて、店の外に出る頃には、街の様相は、入って来た時と随分変わっていた。あちこちに灯るあざといライトが、酔客を誘蛾灯のように誘惑している。


「今日は、わざわざすまなかった」


店の外で、生真面目に話しかけてきたのは、やはりアベルだった。ウォルター以外の三名は皆、飲酒可能年齢に達している。三名は当然の様に飲んでいた。


「いえ…」

「君一人未成年で、退屈だっただろう?」

「そうでもないです。お話し、興味深かったです」


パーフェクトな余所行き仕様で、ウォルターもアベルに張り合う真面目さで、そう答えた。エナが見ていたら“好青年ごっこ”と、言われそうだ…。


「そうか…君は、進路の方は?」

「まだ、決めかねてます」


ウォルターの返答にアベルは目を細めた。


「そうか、ならそれはケインには言わない方がいいな」

「…そうですか…」

「ああ、君はケインの好みにあいそうだ。彼は自分があんな人間なせいか、堅実なタイプを好む…」


なるほど…例えば今、自分の目の前にいるような人間を好みとしているのか…。


「…バイオロイドシステムは、このままだといずれ立ち行かなくなるだろう」


それは先ほどまで、店内で話題になっていた件だ。言い足りなかったのだろうか?


「そう…ですか…」


そんなことを真剣に考えたことがないウォルターとしては、こう返すより他ない。けれど、目の前の人物が、そのことを真剣に考え続けているのだということも、先ほどからのやり取りですでに知っていた。


「…センターの教育方針ですか?」

「ああ、教育…というより、程普度の低い洗脳だな。もっとも教育とは大なり小なり洗脳行為に該当するのだろうけどね」

「…そうかもしれません」

「それを踏まえた上で、少しでも、ましなものに近づけるよりないのだろうが、だが、その方向は、一人一人ばらばらときている…。難儀なものだな」

「…アベルさんは、やはり教育の方へ?」

「ああ、出来れば。だが、正直、自分に向いているとは思えないんだが…」

「施設をなくすという手段は?無理ですか?」

「いや…ずっと昔は施設などなかったと聞く。だが…」


ウォルターの思い付きの様な言葉にも、アベルは真面目に考え込む。イーサンとケインが、ようやく店から出てきた。


 店の外で待っていた、二人の姿にケインが声を上げた。


「アーベッル!ウォルターに、言いたいことがあったんじゃなかったっけ?」


ウォルターが見たところ、ケインは結構な量を飲んでいた筈だったし、友人に対する呼びかけ方も羽目を外し気味だ。にもかかわらずその声音は、どこか優雅だった。


 アベルは道の端を見つめしばらく黙っていた。


「…イルゼが、君に迷惑をかけていると…」


予想外の名前が予想もしなかった人の口から発せられた。ウォルターは驚いて目を見開いた。


「え…いえ…」

「…普段の彼女の行状はよく知っている。その、申し訳ない…」

「だから、どうしてそこでアベルが先に謝るかな?僕が困るだろ?」

と、ケインが抗議したが、

「お前は…いつでも彼女を、けしかけているだけだ」

と、アベルは冷淡に応じた。


ケインが助けを求めるようにイーサンに視線を向けるが、イーサンは例によってにやにやしているだけだった。


 アベルはウォルターの方に体を向けると

「だが、君は、今まで彼女が欲しがってきた男とは違っている。君には今、決まった相手がいないんだろう?」


「まあ…いませんね…」


「それなら、イルゼとのことを前向きに考えることは…出来ないだろうか?」


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