2-16 “ユウ・レイズ・ミイ・アップ”(12)
「なんて…」
「それは…」
思い返してみると、ひどい言葉だった。エナ当人に向かって言っていい言葉じゃなかった…。それを、今、ここで、ウォルターに言いたくなかった。
「なんて言ったの?」
が、ウォルターは容赦なかった。
「…博士はマッドサイエンティストで、ルカをモルモットにしてるって…」
「サイラスが君にそう言ったの?」
「うん…。あいつに捕まっている時…セアラの家で…」
ウォルターは険しい表情になった。アナベルが知らない事実を知っている彼は、その言葉がエナに与えた衝撃が、分かるような気がした。
「…それは、ひどいね…」
「うん…」
ウォルターに尋ねられるまま答えながら、アナベルは次第にイライラしてきた。なんだって、こんな尋問みたいな…。自分がウォルターのことばかり考えていた時、彼はずっと、そんなことを気にしていたのか?自分がイルゼにされたことも知らずに…自分の気持ちも、何も知らずに?
「でも、博士だって認めてた。ルカとサイラスは貴重なサンプルだって…そう言ってたんだ」
「エナだったらそれくらい言うだろうね。彼女の正直さは、露悪的なレベルに達している」
「お前、なんだって、そんな、次から次へと!」
「君には不本意かもしれないけど、僕だって当事者の一人だって思ってる。君がどうしても言いたくないっていうんだったら、話は別だけど…」
「当事者?」
「どうしてエナがそんな選択をしたのか。その理由を知ることは僕とっても重要だって…そんな意味だけど」
言葉を切ると顔を上げた。
「さっきも言ったけど、エナの様な人が、ただ確認したいって、そんな曖昧な動機で、バイオロイドを作るとは思えない」
「でも、そんな理由とか…」
「訊けなかったんだ?」
「…思いつきもしなった…」
どうして博士がそんな選択をしたのか…?そんな当たり前の疑問すら、自分は持たなかったのだ…。
「そう…」
ウォルターはアナベルを一瞥すると、テーブルに視線を据えた。
「…で、君は、何にそんなにショックを受けてるの?」
「え?」
「ショックを受けてる。エナが否定しなかったから?」
「それは…」
…そうではない。むしろ、腑に落ちたのだ。それは、何度も自分でそう思った。エナの様な人がハリーを選ぶわけがない…けれど、それが実験だったのなら…。
「否定してほしかったわけじゃない。前に言ったかもしれないけど…むしろ、腑に落ちたんだ。ああ、だからハリーだったんだなって。わざと相性の悪い相手を選んだって、そういうことだろ?」
「エナの時代にはリストはなかったらしいから…。ただ、彼女は立場上、適合率を知ることが出来たんだろうね。だから、そういう意味で言えば、そうなる」
「だから…それがショックだったとか、そういうんじゃないんだ。否定されても、嘘だって思ったと思う」
「なら、どうして、そんな…」
「…そんなに変か?私…」
「そうだね、心ここにあらずというのか…」
「そうか…」
アナベルは息をついた。
「…エナの話を聞いたせいかどうかはわからないんだけど、あれ以来、やたらとハリーのことを思い出すんだ…。それが、嫌だ」
アナベルの言葉にウォルターは気遣わし気に、眉間を寄せる。
「それは…」
「思い出して、ああ、やっぱり、自分はあいつに似ているなって、でも…、そう思いたくないんだ。だから、思い出さないようにしていたかもしれない…」
「アナベル、前に言ったけど…」
「うん…」
「気休めかもしれないけど…」
「気休めだ。お前はあいつがどんな奴だったか、全然知らないんだ」
「うん…」
「あいつのせいで、毎日、嫌で嫌で…」
「うん…」
「カイルが私を連れ出してくれたから、こうして、なんでもないような顔していられるんだ」
「うん…」
「けど、あいつだって被害者だ。エナのくだらない実験に、いい様に利用されてただけで…」
「アナベル…」
「お前はっ…!」
アナベルは立ち上がった。
「どうして、黙って聞いてるんだ?そんなこと僕には関係ないって、嫌な話を聞かせるなって、そう言えよ!」
「…聞くこと以外、僕には出来ない…」
「聞く必要だってないだろ?当事者だって言ったよな?でも、ハリーのことはお前には何の関係もない!」
「関係ないって、君が言うの?」
ウォルターの切り返しに、アナベルは絶句した。アナベルの表情にウォルターは顔を背ける。
「君のそんな顔を見たくない。それは理由にならない?」
「なら、見なければいいじゃないか。いつものように、帰れって言えばいい…!」
「言えるわけないだろ?」
「なんで?」
「…なんでって…」
ウォルターは俯いた。彼の傷ついた表情に、アナベルの方こそ傷ついてしまう。
…私だって、お前のそんな顔は見たくないんだ…。
けど、今彼にそんな顔をさせているのは間違いなく自分の言葉だ…。自分が傷ついているからと言って、ウォルターに甘えて、彼を傷つけてもいいのか?自分が、エナにどんなにひどいことを言っていたのか、ついさっき気がついたばかりだというのに…。
アナベルは大きく息をつくと、再び腰を下ろした。そうだ、これは最初から最後まで、ずっと自分の問題だ。彼には何の関係もない…。
「…ごめん、私が感情的になってた。お前せっかく気を使って…」
「気を使ってるわけじゃない」
その言葉にアナベルはシニカルな笑みを浮かべた。
「使ってるだろ?憐れんでる。お前、ハリーを見たから、私に同情して…」
「そこまでお人よしじゃないつもりだけど?」
「どうだかな…」
結局、そうなのだ。ウォルターが自分に優しいのは、きっと同情してくれてるからなのだ。彼自身が父親との関係に傷ついているから、私のことも放っておけなかっただけで…。
「私が悪かった。お前、せっかく話を聞いてくれたのに…」
「いや、君の気持ちも考えないで…」
「…優しくするなよ」
優しくされると期待したくなる…。期待しても、きっと裏切られるんだ…。それで、ハリーの様に醜くなって、益々嫌われるだけだ…。
だから、彼が好きだというのは、自分の錯覚だ。恋をしなければ、嫌われることもない。
…彼にだけは、ウォルターにだけは、嫌われたくなかった…。
…だから、これは恋じゃない…。
…ずっと、そう思っていたのに…。
作業をして帰ろう…。帰って課題をしないと…。
「夏に…」
「え?」
「ロスアンに帰って、ジョンと話をしようと思ってる」
「あ、うん…」
椅子から立ち上がりかけたアナベルは、ウォルターの静かな口調に再び腰を下ろした。
「話して…可能なら、彼の息子にして貰えないかなって…」
「え?」
ウォルターはテーブルを凝視したまま言葉を続ける。
「リュー家の人間に戻りたい…いや、なりたいんだ。そう、頼もうと思って…」
「お前…そんなこと考えてたのか…」
「うん、エナにはもう話してて」
「え?そうなのか?」
「うん、二つの条件を満たせばエナには異論はないって…」
アナベルは妙な表情になった。
「お前…いつの間に…」
「う…ん、今年の一月の面会の時だったかな?」
「そんな前から?」
「うん、その…、その時はまだどうなるかわからなかったし、君に…ずっと黙ってて…」
「いや、それは、別に…」
言いながらアナベルは妙な具合に動転していた。ウォルターがそんなことを?それを、エナも知っていたのか…。
「二つの条件って?」
「ジョンの同意とロブの同意が得られれば、エナには異論はないって。まあ、当り前の条件だね」
「あ、そうなんだ」
「その条件が満たされれば、エナの名前は僕の出生書類から無くなることになる」
やけに静かの発せられたその言葉に、アナベルは不思議な緊張感を覚えた。それは、つまり…。
「夏に帰る前に、少しでも色々知っておきたくて…その、ジョンと話すにしても、彼が僕を受け入れてくれるって保証はどこにもないし…それで…」
言いながら混乱してきたのか、ウォルターは珍しく焦った様子で、口元を手で覆った。
「つまり、悪かったかなって、君のことなのに、その無理に聞き出すみたいになって…」
「いや…。それは、その、お前に話すって言ったのは私の方だったし…」
言いながらアナベルは俯いた。…期待したくなかった。これ以上…なのに…。
「お前、なんで急にそんなことを?」
「いや、急ってわけじゃないんだ。エナに話して、それからジョンに手紙を書いたんだけど、返事が来たのは春休みになってからで…」
「そうなのか…」
「それも、その件の返事なのかどうか…。ただ、夏に帰れって、それだけで…」
「あ、うん…。そうか…」
聞きながら、アナベルは納得し始めていた。
「お前、ロスアンのお父さんのこと好きだもんな…」
アナベルの言葉に、ウォルターは顔を上げた。曖昧に首を傾げると
「いや…、って言うか…」
と、呟く。
「うん、それに、おじいさんのことも尊敬してたんだろ?つまり、リューの家の人たちが好きなんだな…」
「まあ、そうなるのかな…」
アナベルは目を細めた。
「お前、すごいな…」
「え?何が?」
アナベルは俯くと小さく首を振った。自分がひどく情けない人間に思えた。
「私はザナー院長の話を聞いて、ショックで動転して、エナに腹を立てて、…それだけだった。エナの気持ちなんて…エナがどうしてそんなこと思ったのかなんて全然考えもしなかったし、ずっと、自分に同情して、エナに腹を立ててただけで…」
「それは…」
「けど、お前は、自分がこうしたいって思うことを、ちゃんと実行してる」
「いや、だから…」
そう、思うきっかけを自分に与えてくれた当人から、そう断言されると、ウォルターとしては、ひたすら面はゆい。いや、そんなレベルでなく、罪悪感すら覚えてしまう。
…そんな立派なもんじゃない。ただ単に君と他人になりたいという、むしろ下心満載な動機で…。
「…それを言うなら僕だって、中等校の時にジョンから話を聞いて、初めて事情を知ってからずっと、不貞腐れてただけで…」
「そうなのか?」
「そうだっただろ?ずっと自分を憐れんでただけだ。君の方が余程すごいよ」
「いや、別に…」
「君はずっと人のために動き回ってた。そんな義理はないのに…。こっちの方こそ頭が下がるよ」
「でも、お前の言う通りそれこそ逃避だったのかなって…現にいざ、エナと向き合った時には、頭が空っぽになってた。自分を憐れんでって言うなら、私の方こそそうだ。だから、エナに向かってあんなひどいことが言えたんだって、今ならわかる」
「それは、サイラスのせいだろう…」
「そうなるのか?」
「僕が多少なりとも、ましに見えてるんだとしたら、それは…」
君のおかげで…君がいてくれたから、あきらめずに、挑戦してみようって、そう思えたんだ…。そう、思っているのに…
「何だ?」
「いや、だから時間の経過だろうね。君が事実を知ったのは、ほんの数か月前だ。整理がつく筈もないだろ?」
…結局、無難な方へ逃げてしまう…我ながら臆病にもほどがあるだろうと、ひそかに自己嫌悪に陥った。
アナベルは真顔で頷くと
「でも、少しだけ整理がついた気もする。次の面会は早めにするってエナが言ってたから、そのあたりのことも訊けるようなら聞いてみる」
と、言った。
「いや、無理しなくても…」
「ううん、私が気になるんだ。お前の言う通り、確かにエナらしくないって、そういう気がするんだ」
「そうなんだ?」
「カイルは、エナは不器用な人ってだけかもしれないって言ってた。それに、お前の言う通りエナって正直すぎるだろ?カイルやお前の言う通りなのかもしれない。だから、きっと何か事情があったんだ」
「うん…」
「エナは人格者じゃないけど、仕事に対しては真剣だって思う。そんな命を弄ぶような中途半端な人間に、ルカを治せるわけないもんな」
「うん…」
ウォルターは、頷いた。彼女の強さに、少しだけ参っていた。
「その…八つ当たりして…」
ウォルターの内心も知らずにアナベルは言葉を続けた。
「いや、されてないけど?」
と、ウォルターはとぼけた調子で言葉を返す。その返答に、アナベルは笑ってしまった。
***
週明けからは既に七月で、夏休みが始まっている。アナベルは自転車でバイオロイド育成センターへ向かった。時間は午前九時から午後四時まで。終わったら、サマーキャンプが行われている、キャンプ場までミラルダを迎えに行って、図書館でウォルターと合流する。ウォルターのバイトが五時までだったので、それから移動して七時まで作業。夏休みの平日はこんな感じだった。
昨日、ウォルターと二人で、久しぶりにゆっくり話が出来たせいか、アナベルはそれなりに快調だった。好きとかどうとか、それも、もう、どうでもよくなっていた。どうせ今日から夏休みで、なので当然、学校もお休みなのだ。誰かに悩まされることもない。そう思ってから、我ながら単純だと思ってしまう。
木曜日の件でウォルターが訊いてきたのは、エナとの面会のことだけだった。イルゼとのやり取りは…寝込みを襲われたことも含めて…、ウォルターは気がついてなかったのだと、アナベルは結論付けた。どちらにしても、気にしてないのだ。だったら自分だって気にする必要はない。
自己憐憫に浸るのはよそうと、アナベルは思っていた。エナに向かって傲慢だと自分が言った時、エナはあなたの方が正しいと答えた。エナなりに、自分の傲慢さを悔いているのかもしれない。どう解釈しようと私の自由だとも言っていた。ならば、好きに解釈しよう。言い過ぎたのはお互い様だ。七月の面会の時に、エナに謝って、今度こそちゃんと、事情を聞いてみようと思った。こんな半端な状態で、何かを判断するのは短慮というものだ。
そう考えながら、昨日までの自分の混乱ぶりを思い出して、可笑しくなってくる。…我ながら本当に現金だ。
セントラル病院に到着すると、自転車を駐輪スペースに置く。セアラはカレンの家からバスで病院に通っていると聞いている。事前に渡されていた身分証を用いて、病院内を通過して、育成センターへと向かった。途中、特別病棟を通過しなくてはならないのが、少しばかり苦痛だった。
今日の業務内容は、ベビーシッターの講習だ。二週間、業務時間をフルに用いて講習を受けて、資格を取得する。業務に従事するのはそれからだ。
指定された部屋に赴くと、そこはミーティング用の部屋の様だった。まだ誰もいないその部屋の窓際を陣取ると、アナベルは無造作にリュックを下ろした。テキストなども今日支給されることになっていた。あまり、のんびり出来そうにもない。時間を見ると九時まであと十分はある。ふっと、息をついて窓の外を眺める。
もう一人のバイトの人も、一緒に講習を受けると聞いていたが、どんな人だろうかと、今頃になって考える。
入り口のドアが開く音がして、アナベルは視線を転じた。入ってきた人物の姿に、思わず目を見開いてしまう。相手は屈託なく笑うと
「やあ、流石、早いね」
と、気安く声を掛けてきた。
「ルカ…」
アナベルの声にならない驚愕に気がついていないのか、ルカは当たり前の様な顔をして、アナベルの隣の椅子に腰かけた。そして
「今日からバイト仲間だ。よろしく、アナベル」
と、やけに快活な調子でそう言った。
…聞いてないよーーーっ!!…と、アナベルは誰に向かってか…いや、主にオリエに向かって、心の中で叫んでしまった…。




