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オールドイースト  作者: よこ
第1章
30/532

1-5 月夜の邂逅(1)

その日のリパウル・ヘインズは、周囲の誰もが驚くほど、はっきり激しくわかりやすく、落ち込んでいた。


 ハウスキーパーのバイトを終えて、帰路に着いたアナベルは、真っ先に地下へと下りた。地下に眠る少女、ルーディアのバイタルチェックを済ませれば、今日のバイトは全て完了である。学校の課題は、ハウスキーパー先の家主、ウォルターの好意で、彼の家で終らせていた。時間に余裕があるようだったら、復習をすることを勧められた。これ以上ないくらい、適切なアドバイスである。


ウォルターに勉強を見てもらうようになって、少しだけ成績に余裕が出来た。一学期は、このままだと何教科かで、F評価判定になるのではないかと、本気で不安だったが、二学期の成績ならば、その心配はない。もっとも未だに下から数えた方が早いのには、変わりはないが。


 そんな感じで、アナベル自身は、まあまあよい機嫌だったのだ。地下へと続く階段を下りて、勢いよくドアを開き、中央に位置するルーディア用のスリープポットに、縋りつくようにして床に腰を下ろしているリパウルと、彼女の傍らにたたずみ、なにやら励ましの言葉をかけているルーディアの姿を目にするまでは。


「どうしたの?!」

具合でも悪くなったのかと不安になり、リュックを投げ捨ててリパウルの元に駆け寄った。

「あ、アナベル。おかえり」

アナベルの声に反応して、リパウルは顔を上げた。弱々しい口調ではあったが、一応意識はある。

「大丈夫?病院行く?」

というアナベルの不安そうな声にリパウルは首を振った。

「落ち込んでるのよ」

と、どこかあきれたような口調でルーディアが応じた。

「落ち込んでるの?」

「そう、体調がどうとかじゃなくて、落ち込んでるの」

「そうなんだ。早くアルベルトが帰ってくるといんだけど」

と、アナベルが言ったのには深い意味はない。ただ、アルベルトに会えばリパウルも元気になるだろうと素朴に思っただけだ。が、アナベルのその言葉に、リパウルは突然立ち上がった。


「帰らないと」

「え?」

「アルベルトにあわせる顔がない…」

一体何があったんだ?アナベルの方がうろたえてしまう。

「大袈裟ねぇ、少し落ち着きなさいよ」

ルーディアがますますあきれたような声を上げる。

「だって…」

リパウルに訊くより、ルーディアに訊いたほうが早いと悟ったアナベルは、ルーディアを見上げると

「何があったの?」

と、尋ねた。ルーディアは肩をすくめると

「エナに注意されたのよ。仕事のことで」

と、言った。

「エナに?仕事のことで??それって、アルベルトに関係あるの?」

と、首を傾げる。

「アルベルトは関係ないわよ。リパウルが一人で勝手にへこんでいるだけ」

「でも、あわせる顔がないって…」


立ちつくしたままのリパウルを、アナベルが見上げると、見る間に顔が赤くなっている。そのまま両手で頬を覆った。

「どうかしてたのよ!!」

と、突然叫ぶ。

「あ、あの?」

「そうねぇ、どうかしてるわねぇ」

ルーディアが腕を組んだまま、一人で頷いている。

「あ、あなたが、あなたが原因だったんじゃないの?」

「だから…、そうかもしれないけど、その原因はあなたにあるわけだからぁ、…多分」

話が見えない。アナベルは途方にくれた。


「あの、リパウルが大丈夫なんだったら、チェック早く済ませた方がいいのかな?アルベルトが帰ってきちゃうし」

「ああ、いいわよ。今日のチェックはもう、完了してるから」

と、何故か当のルーディアが答える。

「ええ?」

「ここのバイトは、元々この人のわがままから始まったようなもんなんだから、きまじめに対応することはないのよ。あとは技研からの口止め料みたいなもの」

口止め料というのはなんとなく、察しがついていたが、リパウルのわがままとは…。


「この人、ここに来たくないって一時期、散々、駄々コネまくってたから。そのくせ、別の人が担当になるのは嫌って、本当に、全く、困った人なの」

腕を組み、視線をリパウルに固定したまま、容赦なくルーディは言葉を続けた。リパウルは無言でうなだれている。

「えっと…」

「ここに来たばかりの頃、知り合いの女の人が来たとかって、めちゃくちゃへこんじゃって、それで、なるべくアルベルトに会いたくないって、下宿生に私の管理作業の一端を担わせたってわけ。自分の研究がどうとか、口止め料がどうとかって、エナを丸め込んでね」

そうだったのか。女の人の話はリパウルに直接聞いたことがあるので知ってはいたが、そんなに大変な話だったとは思いもよらなかった。


「あ、でも、私は助かってるし、たぶんリースも助かってるし…」

おずおずとアナベルが告げた。リパウルは再び腰を下ろした。

「ごめんなさい、アナベル」

と、何故かアナベルにまで謝罪する。

「結局、誤解だったんでしょ。本当にバカなんだから」

「誤解だったの?」

「友達が調べてくれたんだって。その人、とうの昔に郷里に帰ってたそうよ。一年前くらい?」

「それで、落ち込んでてあわせる顔がないの?」

「違うわよ、それ自体は、とっくに知ってたの。今は別件でへこんでるよ。まったく次から次へと…」


どうも今日のルーディアは相当に攻撃的だ。励ましてるように見えたのは目の錯覚で、リパウルを、ぼこぼこにやっつけていたのだろうか?この二人は、関係からいうと、観察者あるいは監督者対被験者、のようなものの筈だが、今この場面だけ見ていると、勉強は出来るが恋愛はからきし駄目なふがいない優等生タイプの妹に、あれこれ口出しする姉、のように見えなくもない。ルーディアの年齢を倍にしたところで、リパウルの年齢には届かないほどの、年齢差があるはずだったが。


***


 話を、さかのぼること約二ヶ月半。年明け、ボスの執務室にリパウルは呼び出された。

「十一月のルーディアの脱走の件だけど」

「はい」

「あれを一昨年の脱走の件と比較して、解析して欲しいの」

一昨年、というと、自分がルーディアの担当引継ぎをしている間の脱走劇のことだ。去年の件とは個別に、解析データをまとめてある。

「わかりました」

ためらいつつも引き受ける。ボスからの命令だ、否も応もない。

「そんなには急がないから、あなたの研究の合間に進めるようにして」

エナ・クリックはリパウルの反応を観察しながら、穏やかに命じた。

「…わかりました」

「気が進まないの?」

「いえ…」

ボスが欲しているのが、リパウル自身が設定する提出期限なのだ、ということは察しがついた。が、二重、三重の意味で気が進まない。

エナはあきらめたようにため息をついた。

「では、お願いね」

リパウルは目礼すると、執務室を後にした。


 なんのかんの言っても、エナ・クリックはルーディアのことを気にかけている。業務のことでルーディアが絡んでいない時に、ボスから直接、執務室に呼ばれることはない。ルーディアの存在は技研内部でも公然の秘密…という体裁をとっていたので、当然といえば当然なのかもしれないが。


 リパウルはため息をついた。正直に言うと、気が進まない。エナの意図はわかるのだが、今のリパウルには、ルーディアを被験体として見ること自体が難しかった。例の脱走劇に関しては、個別とはいえすでにデータの解析も済ませているし、自分自身が深く関わっている。客観的に事象を見ること自体が負担だ。考えただけでも憂鬱になる。


が、担当である以上、ボスの命令には逆らえない。ここで断ったら、別の人間がやるだけだ。そして自分はルーディア関係の情報からシャットアウトされ、

『アルベルトの家に、新しく担当になった人が通うようになる…』

考えただけでも、頭に血が上る。以前ほど気持ちに余裕がないわけではないが、それでも、そんな事態を受け入れられるほど、余裕があるわけでもない。


 仕方がなく、自分の研究の合間に、作業を進めることことにした。考えてみると、以前、提出した報告書は、録画された記録映像と数値化されたデータを解析しただけのものだったので、肝心な部分が穴だらけなのは事実だった。技研での作業終了後、アルベルトの家へ向かう、のはいつものことだった。今ではアルベルトを避ける必要もないので、時間を気にすることもない。ここのところルーディアは活動的だったので、話も聞きやすかった。


「///

で、十一月の件で、報告を再度、まとめるように言われてて」

「ああ、あなたが大騒ぎした、アルベルトの結婚騒動のことね」

リパウルは奥歯を噛み締めた。謝るべきか、反論すべきか悩んだ挙句、聞き流すことにした。


「あなたあの時、コヴェントまで跳んだの?」

「いいえ、朝、うるさいなーと思って、で、起きたらあの騒ぎでしょ。アルベルトの意識を辿って、オルト一族の誰かの車に乗ってたの。乗ってからは大体寝てたけど、大勢乗ってたし、一応隠れてたから、誰にも気がつかれなかったわよ」

「なんだってそんな…」

「アルベルトが助けを求めてたから?かしら。知ってるでしょ、彼は男性にしては、そこそこ見える方なの。あの時はアルベルトも、仕事疲れと寝不足で普段よりよく見えたし」

「そうね…」

ため息混じりに呟いた。


ルーディアには精神感応の能力があったが、万能ではない。よく見える人間、普通に見える人間、全く見えない人間といるらしい。また、普段見えない人間でも、強い感情の動きは、意識せずとも時折見えたりするらしい。その違いが何を基準にしているのかは、不明なのだが、男性の方が「見えない」場合が多いようだ。ちなみにリパウルのことは「凄くよく見える」のだそうだ。エナは、脳波のパターンが近い者ほど、見えやすいのではないか、という仮説を立てているが、ルーディア自身は否定している。よく見えていたのに見えなくなることがあるから、というのがその理由だ。


「あの、アルベルト…なんて…」

「気になるの?そんな、あなたみたいになんでも丸見えってほどには見えないって、以前にも言ったでしょ。せこい手使わないで、訊きたいことがあるんなら、直接訊きなさいよ」

「そうね…」

それにこの聞き取りは業務の一環だ。脱線している場合ではない。

「で、コヴェントに着いてからは」

「大体、アルベルトの意識が届くところにいたかな?」

「そう、そのあたりのデータがないのよね」

「それは仕方がないわ、そんなことまで考えて動いてるわけじゃないもの」


ルーディアは肩をすくめた。そうなると、ルーディアが戻ってからの動きということになるが、今度は記録映像が消えている。リパウルはため息をついた。


「そういえば、オルトの親族って…彼ら結構来てたの?」

気がつくと結局、脱線している。

「そうね、物見遊山もかねてたのかしら?半分寝ながら聞いてた話だと、彼らの狙いはリディアのパトロンだったみたいね」

「パトロン?」


「うーん、ラ・クルスでのリディアのオールドイーストの愛人?なんて言えばいいのかしら??その伝手を頼りにオールドイーストに移住しようとしてたようね。でも、一族の当主であるリディアの父親は、反対してたみたい。娘をそんな風に利用するのも嫌だったみたいね。でも、自分は病で先がないから」


「そうだったんだ…」

「リディアはそれならアルベルトがいいって、言い張ったみたいよ。ずっとオールドイーストにいることになるんなら、自分の好きにさせろって。元々彼女が作った伝手だし、親族も強くいえなかったんじゃないかしら?ただ、父親は先祖伝来の土地を自分の代で捨てるのは嫌だったみたいだし、アルベルトがなびかないって確信があったんじゃないかって気がする。リディアはリディアで多分…」

「多分?」

「駄目もとで、アルベルトと結婚式を挙げたかっただけなんじゃないかしら?思い出作りってとこ?」

リパウルはため息をついた。


 生粋のオールドイースターで、バイオロイドでもあるリパウルには、家族や土地に対する執着の感情は、よく理解できない。アルベルトの方が、オルト家の人々のことを理解できるだろう。

そういう意味では、オルト一族の方が、リパウルよりもアルベルトに近いといえるかもしれない。彼女はアルベルトから、彼の家族に関する話を、殆ど聞いたことがない。


リディアは、親族の期待と父親との意思の間で板ばさみになったあげく、自身の希望を優先させただけなのかもしれない。リパウルはなんとなく複雑な気持ちになった。どちらにしても、リディアの気持ちが痛ましかった。


「アルベルトも罪よねぇ」

「仕方がないわ…」

リパウルは力なく呟いた。あの時の自分の、むき出しの嫉妬を思い出すと、いたたまれなくて、どこかに隠れてしまいたくなる。


「まあ、たまにはいいんじゃないの?避けられてた頃よりは、嫉妬むき出しの方が、アルベルトにもよかったんじゃない?」

「そうかしら?」

「対応しようがないじゃない。逃げてばっかりじゃ」

「…そうね」


何の話をしているのか、段々わからなくなってきた。ルーディアはリパウルが言葉に出さずに、思っているだけのことにまでコメントしてくるので…しかもリパウルはすでに、それに慣れてしまっているので、益々わけがわからないことになっていくのだったが。


 とりあえず、らちがあかないので、聞き取りは切り上げることにして、データから再度、解析を進めることにする。


アナベルやリース、ナイトハルトから聞いた話では、自分がアルベルトと地下にいた時、ルーディアは宙に浮かび、見えない力でアナベルの体を弾き飛ばしたらしいのだ。ルーディアの能力で、今まで確認されているのは、指向性のあるテレパシー能力と、瞬間移動の力だけだ。それも、過去の記録では、半径百メートルにも満たない飛距離だった。壁抜けのようなものと捉える研究者もいたようだ。


それが、昨年の十一月には、車移動で二、三時間はかかろうという距離を瞬間移動している。さらに記録データの異常もある。映像データに干渉が可能だとすれば、機械に影響を及ぼす能力もあることになる。幸いなことに、アルベルトの家の中での出来事なら、脳波やバイタル系のデータは残っている。カメラによる記録は地下限定だが、アナベルらの話と照合していき、さらに一昨年のデータと照らし合わせれば、能力発現時のパターンがデータからある程度可視化出来るかもしれない。


そうと決まれば、あとは作業を進めるだけである。リパウルは気を取り直して、報告書をまとめていった。

そうしてある程度、形にしたものを、満足とは言い難いながらも、ボスに提出したのだ。



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