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オールドイースト  作者: よこ
第1章
3/532

1-1 オータムホリデー(2)

玄関先で酒瓶を一つ抱え、寝ぼけ眼のアルベルトが出てくるのを当然のこととして待ち構えていたナイトハルトは、勢いよく飛び出してきた二匹の小ウサギならぬ、リースとアナベルを、当然のことながら受け止め損ねた。


あまりの心細さに錯乱気味であったリースは、ナイトハルトの広い胸に飛び込むつもりが見事に交わされてしまい、勢いよく庭の芝生に顔を埋める羽目になった。困惑しているとはいえ、まだ冷静さを保っていたアナベルは、寸でのところで足を止め、転ぶリースの後姿を痛ましげに見やった。


「なんだ、お前ら、何事だ?」


ナイトハルトは転んだリースが立ち上がるのに手を貸しながら、リースの背中とアナベルの顔を交互に見やった。


アナベルは肩を竦めると

「話せば長い事ながら、簡単に言うと、アルベルトが朝っぱらから結婚して、ルーディアが行方不明なんだよ」

「…は?」


簡潔すぎて、結局はさっぱり分からないアナベルの説明をきいて、ナイトハルトは眉間にしわを寄せ、助け起こしたにも関わらず、未だに芝生にヘたりこんでいるリースに目を向けた。見るとリースは呆然としながら、無言で頷いていた。


***


「なるほど、そんなことがねぇ…」


ナイトハルトはアナベルの入れたコーヒーを飲みながら、アナベルとリースの二重音声による説明で朝からの出来事を聞き終えると、ようやく事態を把握した。


「どうしよう」

「そりゃ、まず、リパウルに連絡だろう」

と、リースの方に顔を向けるとあっさりと言った。


「早いほうがいい、とにかく連絡しろ」


リビングのソファに座ったままリースに命じると、今度はアナベルの方に向き直り

「さて、アルベルトだよなー。どこへ行ったのか…」

「連れて行かれたの間違いじゃ…」

アナベルの呟きにナイトハルトは苦笑すると

「推測にしか過ぎないが、ルーディアはアルベルトについて行ったんじゃないか?なんか、手がかりはないのか?」

というナイトハルトの言葉に、アナベルは「あっ!」と声を上げると、ジーンズのポケットから結婚式の招待状を取り出した。


「これ、なんか手がかりないかな?」


んーと、唸りつつナイトハルトは招待状を手に取った。見ると挙式後のハネムーン先が、きっちり明記してある。ナイトハルトの背後から招待状を覗き込んでいたアナベルは、その場所を読み上げる。


「…コヴェント湖沼?」

「…なんて定番な処へ」

と、ナイトハルトがややげんなりした様にそう呟く。


「そうなの?」

「そうなの」


ナイトハルトは座ったまま首だけアナベルの方へ向けると、短く同意した。


***


 ハネムーンの王道、コヴェント湖沼。


 アナベルら三人が、アルベルトの行方について頭を悩ませていたころ、挙式を終えたばかりの夫婦は、コヴェント湖沼へと向かっていた。


半分寝た様な、というより、現実逃避した状態で、気づけばアルベルトはタキシード姿で教会のヴァージンロードを歩かされていた。…そこまではとりあえず、どうでもいい。


とにかくリディアと落ち着いて話をしないことには始まらないと、アルベルトは彼なりにタイミングを計ってはいたのだが、気がつくと車の中に押し込まれていた。どこに向かうのかよくわからないが、とにかくチャンスはチャンス…の筈だ。普通に考えれば…。が…


「…リディア…」

「なぁに、ダーリン?」

「いや、ダーリンじゃなくて…」

「ん~~、何か言いたい事があるのかな?弟よ」


…事情を聞こうと、リディアに声を掛けるアルベルトの背後から、新婦の親族が彼の肩に腕を乗せ、微笑を含んだ声色できいてくる。


「いや、あのですね…」

「もう、お兄様ったら、ベッドまでついてくる気なんでしょ!」

と、何故だか新婦は自分の兄にまで甘い声の大サービスだ。


…なんでこんなことになっているのだろう。と、アルベルトは途方にくれた。結局、目覚めたからといって、なんら事態の好転を図れていない。多分、だからこんなことになってしまっているのだろう、とは、自分でも何となく分かってはいたのだが…。


 リディアに事情を聞かねばならないことは、わかっている。わかっては、いるのだが…こうなると、何もかもが億劫になってくる。おまけに、この移動する車の振動が…寝不足な体にいかにも心地よい………。


「きゃっ!」


ふいにのしかかる右肩の重みに、仰天した新婦は思わず声を上げてしまう。


「どうしたっ!?」


後部シートのさらにもう一つ後方のシートに座っていたリディアの兄が、妹の悲鳴に驚いて再び身を乗り出す。


なんのことはない、新郎が爆睡してリディアの肩にもたれかかってしまっているだけだった。


「…寝てる…」


勝手に肩を借りられてしまったリディアも、新郎の状態に気がついて、ほっとして目を細めた。兄は若干呆れて

「…こいつ自分の立場が分かってるのか…?」

と、嘆息混じりに呟いた。リディアは一人で微笑むと、眠るアルベルトの前髪に、こっそりと触れた…。


***


…ダーリン、起きて、ダーリン…

覚醒を促す甘い声…だけど、あまり耳に馴染みがない…


…アルベルト…


…自分を呼ぶのが彼女の声だったら、きっとすぐに目が覚める…


ふっと、そんなことを想って、アルベルトは眠ったまま笑みを浮かべた…。と、自分を揺さぶる振動が、いかんともしがたいほど大きくなった。


「うわっ!」


流石のアルベルトも覚醒した。


「目が覚めた?」

と、隣に座る見慣れぬ美人に笑顔で尋ねられる。…が、優しい口調にもかかわらず、何故だか笑顔がとっても恐い…様な気がするのは何故だろうか?


「…ああ…」


どのくらい眠っていたのか、少しだけ頭がしっかりしてきたな…とか、自己診断をしていたら、ガタイのいい兄に、車から引きずり降ろされた。


「…着いたわよ、ダーリン」


車から引きずり降ろされたアルベルトは、目の前の建物に視線を向けた。


視線を向けた先、アルベルトの視界に飛び込んできたのは、明るいピンク色で塗られた壁の、なんとも悩ましいデザインの建物だった。アルベルトは、呆気にとられ、その建物を見上げてしまう。


やや呆けたようなアルベルトの隣に並ぶと、リディアは自然な仕草で彼の腕を組み、体を預けるようにして寄り添った。


***


リースからの報告で、リパウル・ヘインズはとるものもとりあえず、アルベルト・シュライナーの家へ、急ぎ駆けつけた。挨拶もそこそこにリビングに飛び込むなり、まったく想定外の人物の姿を目にし、あからさまに顔をしかめた。


「…ナイトハルト、なんでいるの?」


この家の主よろしく、リビングのソファに腰を下ろしていたナイトハルトは、傷つく風でもなくリパウルに向かって「よお」と、言いながら手を上げる。それから

「アルベルトに資料の催促と、せっかくの日曜日だし、ついでに呑もうかなと」

と、付け加える。ナイトハルトの説明にリパウルは顔を横に向けると

「休日の昼間っから、寝ぼけたことを…。どっちが、ついでなんだか…」

と、毒づいて、リースの方へ向き直ると

「ルーディアがいなくなったって、どういうことなの?」

と、優しい口調でそう尋ねた。


ナイトハルトは二人の様子を面白そうに眺めながら、自分が訊かれたわけでもないのに、先ほどアナベルとリースから聞いたバラバラな話を、わかりやすくまとめて説明した。


ナイトハルトの話を、当初、穏やかな顔で聞いていたリパウルだったが、説明が進むうち、美しい眉間には皺が寄り、さらには目が吊り上がり、挙式の場面では歯軋りを始め、話が終る頃には誰が見てもわかるほど明らかに…要するに怒っていた。


「…ナイトハルト…」

「うん?」

「外にある車、あなたのでしょう?」

「まぁ、そうだな」


リパウルは、のんきに答えるナイトハルトの前にツカツカと歩み寄り、仁王立ちになると

「すぐに車を出して!コヴェント湖沼へ行くのよ!!」

と、声を上げた。


「なんで、俺が?」

「決まってるでしょ!アルベルトを取り返しに…」

と、言いながらナイトハルトにつかみかからんばかりだ。が、ナイトハルトのにやついた表情を見て、はたと我に返り、周囲を見回した。


アナベルもリースも、いつも綺麗で優しいリパウルの、目の前の変貌ぶりについていけない。文字通り口を開けて、この怪現象を眺めていた。


リパウルは慌ててナイトハルトから離れると

「ルーディアがそこにいるのは確実です。生命技研としても、これ以上アルベルト・シュライナー氏に、ご迷惑をおかけするわけにはいきません。迅速にルーディアを確保しないと。なので、お願い、車を貸して」

最後は拝む形になる。


やれやれ…と、呟きながらもナイトハルトは立ち上がる。


「わかったよ、車出してやる」

「え、貸してくれるだけで…」

「今のお前に自分の車を運転させるくらいなら、休日をつぶした方がマシだ」

と、ナイトハルトはリパウルに向かって冷たく言い放つと、まだ、呆然としているアナベルとリースに向かって、

「お前ら、今日もバイトあるんだろ?後のことはこっちにまかせて、とっとと行け」

と、言い捨ててナイトハルトは一人部屋を出る。リパウルも

「あ、そう、ごめんなさい。戸締りだけお願い。夕方には戻れると思うから」

と、言いながら、急ぎ足でナイトハルトについて部屋を出ていった。


部屋に残された二人は、どちらともなく、顔を見合わせた。

「何?今の。どうなってんの?」

と、ほぼ同時に呟いた。


***


 コテージに到着して、リディアのはしゃぎっぷりに、しばし付き合わされた後、アルベルトはやや遅めの昼食を振舞われていた。ここでは、借主のセルフサービスが基本のようで、昼食もオルト兄弟の黒服の一人が作ったもののようだったが、意外に美味だった。


(というか、昨日夕食を食べてからこっち、何も食べてなかったし…)


ほとんど朝まで、資料整理をしていたのだ。その上、朝食も食べてない。つまり、かれこれ十五時間以上、何も食べないで活動していたことになる。…当然、アルベルトはすこぶる飢えていた。今なら、何を食べても食物でありさえすれば美味い状態かもしれない。が、自分が置かれている状況と状態を考えれば、いくら美味い料理でも、のんきに舌鼓を打てるような気分でない…筈なのだが…料理は美味いし、おなかも空いているので、結局のところ、食べ始めると食が進む。その姿に何を思ったのか、アルベルトの隣の席に座って彼を監視…もとい、見守っていた一番大柄な兄弟が、彼の背中を笑いながら二、三度叩いた。


「いやはや、いい食べっぷりですな。そうそう、たくさん食べていただかないと」


…いや、だから、なんで!?と、途端に食欲が減退していく。


向かいの席では、リディアが大人しく、上品に食事をとっている。アルベルトと目が合うと、彼女は媚びた様な笑みを浮かべた。


「さて、食べ終わりましたかな?」


テーブル上の皿が、だいたいきれいになった頃合を見計らって、隣に座ってアルベルトの食べっぷりを喜んでいた兄が、立ち上がる。そして、まだ座ったままのアルベルトの腕をとり、引き上げるようにして立たせると

「では、先ほども見られたと思いますが、スイートルームにご案内致しましょう」

と、サングラス越しにでもわかる満面の笑みでそう言った。


…外はまだ日が高い。


(こんな真昼間から、一体何をやらせようというんだ…)


引きずられるようにして歩きながら、アルベルトは、げんなりしてしまう。…いやもう、げんなりも、うんざりも通りこして、正直失神したくなってきた。


スイートルームなる部屋の前に着くとサングラスは、にやついた笑みを顔に貼り付けたまま「では、あとは二人で…」と、告げると、アルベルトとリディアを部屋の中に押し込んだ。


ようやく二人きりになれた。と、いっても、入り口の外も窓の外にも黒服の兄弟がいるのだろうが。とはいえ、室内までは兄弟たちもさすがに入ってこないだろう。アルベルトは自分に背を向けているリディアに向かって

「リディア・オルト。一体どういうつもりなんだ?」

と、問いかける。出来るだけ威圧感を与えないよう気をつけたつもりだが、いかんせん疲れている。自分でも予想外に、棘を含んだ調子なってしまう。


「…どういうって…」

「君らの地方じゃどうなのか知らないが、ここでは、結婚式を上げたり、一緒に旅行へ行ったりしたからって、結婚したことにはならない。こんなのは単なる茶番だ。一体何がしたいんだ?」


リディアはゆっくりと振り向いた。


「何って、結婚よ。ここの事情なんて知らない」

と言うと、唐突にアルベルトの首に抱きついてきた。全くの不意打ちに、あやうくバランスを崩しそうになるが、何とか踏みとどまった。アルベルトが体勢を立て直すと、すぐそばにリディアの顔があった。


「茶番なんでしょ?あなたもあたしで楽しめばいいのよ」


リディアは、アルベルトが驚くほど低い声でそう言うと、体を離した。それから、腕を後ろ手に組み、しなをつくると元の声に戻って

「ね、せっかくだし、お互い楽しみましょうよ」

と、言うと

「あたし、シャワーをあびてくる」

と言いながら、バスルームへと姿を消した。アルベルトはリディアの変わり身の早さについていけない。


…楽しみましょう…だって?


“あなたもあたしで楽しめばいい”と言われて、はいそうですかとその言葉に乗っかれるような男に見えるのだろうか?


…何がなんだか訳がわからない、が、考えるのも億劫だった。


アルベルトは目の前にあった、あからさまにムード満点なベッドに腰を掛けた。予想よりマットが柔らかく、はからずも、そのままあおむけに倒れてしまう。


(とにかく、彼女がシャワールームから出てきたら、今度こそきちんと話を聞こう)


…結婚なんて、まったく、何を考えているんだか…


考えているつもりが、意識が遠のく。睡魔に足首をつかまれ、そのまま引き摺り下ろされていくような、馴染みの感覚。


…ラ・クルスじゃ、一緒のベッドで眠ったら、それだけで結婚が成立するのかもな…

なかば眠りながら、冗談の延長でふとひらめく。


(あら、面白い。いいセンいってるんじゃないの?それ)

眠りに落ちる寸前、頭の中で声が響く。それは、笑いを含んだ、少女のような澄んだ声だった…。


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