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オールドイースト  作者: よこ
第1章
29/532

1-4 ある苦学生の受難と改心(7)

コーヒーメーカーの仕事ぶりを見張っているのか、アナベルは立ったまま無言でコーヒーメーカーを凝視している。なんとなく機嫌が読めないアナベルの背中に向かって

「その…、今日はごめん」

と、ウォルターはなんとなく謝る。アナベルは驚いたように振り返った。

「なにが!?」

「いや、そのイーサンが態度悪くて…」

「奴の態度が悪いからって、お前が私に謝る必要はない。それに謝られなきゃならならないほど、嫌な態度はとられてない」

確かにその通りだ。が、彼女が知らないことを自分は知っている。イーサンが彼女に対して抱いていたイメージについて、自分に責任があるわけでもないのに、ウォルターはそのイメージが後ろめたい。当然のことながらアナベルに言えるようなことでもない。仕方なく別のことを口にした。


「イーサンはイーシャのことを嫌っているわけじゃない」

「そうなのか?」

「彼女が付き合っている相手のことが嫌いなんだと思う、よくは知らないけど」

ウォルターの言葉にアナベルは頷いた。

「それなら、私もイーサンと同意見だ」

と、意外なことを言ってきた。

「え?」

「私も、イーシャの付き合っている相手のことはよく知らないし、基本的によくわからないから友達の…その、好きな人とかにケチとかつけたくない。けど…」

言いながら、難しい表情をする。ひょっとして自分とは全く関係ないところで、何かもめているのだろうか、とウォルターは思いついた。そういえば、イーシャもアナベルのことを気にしていた。それで機嫌がよくないように見えたのか…。

「けど?」

「イーシャは納得してるようには見えなかったし、だからその…」

ウォルターはなんとなくおかしくなった。アナベルが悩む必要は、なさそうに思えた。

「つまり、君はイーシャに、余計な口出しをしたってこと?」

アナベルは無言で頷いた。なるほど、これはこれで彼女たちには大問題なのだろうが、ウォルターは笑いたくなった。しかし、ここで笑ったら、アナベルに怒られるだろう。

「謝れば?」

「でも、謝るのも変だ」

「でも、余計な口出しだった、って思ってるんだろ?」

「…イーシャが納得してるんだったらいいんだ。私がどう思おうと、関係ないだろ?でも、納得してないから…」

「堂々巡りだね」

「うん…」

「で、君はどうしたいのさ。イーシャに彼氏と別れてもらいたいの?」

「そりゃ、別れたほうがいいと思う。ふざけた野郎だと思うし」

なるほど、イーサンと気が合いそうだ。

「でも、それは私が決めることじゃないだろ。イーシャがそれでもいいってんなら、応援するさ。本当はいやだけど。でも、本人だって納得してないんだ。だったら…って思って…」

「つまり、そう言ってしまった、ってこと?」

「うん、まあ。なんか流れで、つい…」


それはイーシャもたまらないだろう。と、ウォルター思った。自分でわかっていて、それでもどうにもならないでいることを、人に指摘されることほど腹立たしいことはない。…と、何かで読んだ。読んだ上で妙に納得したので覚えている。つまり、アナベルにはそういうところがある。言っていることは正しいのかもしれないが、タイミングが悪いのだ。いや、タイミングがよすぎるのかもしれない。とはいえ、人のことで、そこまでむきになれるのは、一種の才能のようにも思えた。とりあえず、自分にはない面だ。


「言い過ぎた、余計なことを言ったって思ってるんだったら謝れば?それともイーシャの彼氏の問題で、イーシャと喧嘩別れしたいの?」

「…それもなんか腹が立つ」

「一番いいのは、その彼氏の浮気をやめさせることだろ?協力してやれば?」

アナベルは仰天した。思いもよらない発想だったらしい。

「え、そんなこと出来るの?」

「出来るかどうかはあまり問題じゃないだろ。君はイーシャとケンカしたくない。けど、彼氏は最低だ。イーシャは彼氏と別れたくない。でも、浮気はしないで欲しい。だったら、彼氏に浮気をさせなければいい」

と、言いつつも、それらが浮気なのかどうかも、定かではないが。イーサンの話だと、イーシャの彼氏は、付き合っている相手、皆、本命だと思っているらしい。そして、それ自体がイーサンには理解し難く、腹立たしい様子だった。


「出来ないのに出来るように、協力するって言って仲直りすればいいってことか?」

「出来るかどうかはやってみなければわからない。イーサンの話だと、難しそうな感じだけど」

「あいつ、なんて?」

「浮気じゃない、みんなに本気だ、みたいなことかな?」

アナベルは首を振った。全く理解できないのだろう。

「そんなことってあるの?」

「さあ」

自分ではなく、ロブ・スタンリーあたりにでも訊いてくれと言いたくなった。

が、話をしている間に、何か整理がついたのか、アナベルの表情は、先ほどより幾分明るくなっていた。

「わかった、来週もう一回イーシャと話してみる」

言いながら、アナベルは、コーヒーをカップに注ぐと、カップをウォルターの前に置く。それから、ややぶっきらぼうに

「話、聞いてくれてありがとう」

とだけ言った。ウォルターはカップを手にとり、コーヒーを口元に運んだ。

イーサンに聞かせてやりたかった。



週明け、特に動きはないようだった。中期試験の結果も出て、その余韻のようなものも去っていく週。ウォルターは自分で設定したお休み期間を終了すると、勉強を始めることにした。イーサンからもアナベルからも、続報は特になかった。こちらも特に訊かなかった。水曜日のランチタイムに、アナベルとイーシャが連れ立って、ランチタイム用に解放された大講義室に向かう姿を、廊下で見かけた。二人ははしゃいだ声を上げていて、当然のことながらウォルターには気がつかなかった。無事、仲直りはできたらしい。


木曜日のムエタイの稽古の後、イーサンに食事に誘われた。ついに奢ってもらえるのだろうかと期待する。

「まあ、一応報告をだな」

言いながら、いつもの店のいつもの席に座る。注文も、いつもの料理だ。注文を取りにきたイーシャは普段通りの快活さで、イーサンと舌戦を繰り広げた。あまりに過激な内容に、ウォルターは聞いて聞かぬふりをする。

「こりねぇ女だな」

あまりの復活ぶりに、アナベルが妙な励ましでもしたんじゃないだろうかと、ウォルターまで不安になってくる。他人の恋愛に興味はないので、どちらでもいいのだが、もし意見を望まれたなら、自分もイーサンやアナベルと同じことを言いそうだった。幸い誰もこの件に関して彼の意見を求めてこなかったので、余計な爆弾は持たずに済んだわけだが。


 料理がそろったところで、ウォルターの方から切り出した。

「で、どうなった?」

と訊くと、唐突にイーサンが声を出さずに肩だけを揺らして笑い出した。

「やっこさん、週明け俺の顔見るなり、回れ右して逃げやがった」

その光景がよほどおかしかったのだろう、言いながらも、なお、笑い続けている。ウォルターは安堵した。

「なら、よかった」

料理を口に運びながら、呟く。ふと、イーサンが真顔になった。

「お前、なんでやつの弱みが父親だって知ってたんだ?」

「言ったろ、偶然だって」


偶然、…本当にたまたまだ。ロブとの面会日に、スタンフォード一家と遭遇した。

あの完璧に調和した三人の幸せな家族の後を、ついて歩いていたヘンリー。彼は憎悪に満ちた目で、母親の腕に取り付く妹を見ていた。父親に向けられる縋るようなまなざしも、本来なら、自分が目にすることなどなかった筈の光景だ。…思い出すと、痛ましかった。

ヘンリーの傷のことまで、イーサンに告げなければならない必要を、ウォルターは感じなかった。ふと、目を上げる。イーサンの視線は猜疑心に満ちていた。


「どうして俺に手を貸した?」

「そんな、大したこと、僕はしてないだろ?やったことと言えば、端末を貸したくらいのことだ」

「よく言うぜ。お前はヘンリーの弱みを掴んで、的確に急所をついた。しかも情報源はさらさない」

「君だって、全部を僕に告げてるわけじゃないだろう?」

「知りたいのか?」

「いや、僕は恐喝者になる気はない。前にも言ったが、そんな器量がないことは自分が一番よく知っている。小心者なんだ。ヘンリーと同じく」

「よく言うぜ」

もう一度、イーサンは言った。吐き捨てるような言い方だった。


「イーサン、君が、理由は知らないけど金を必要としている、というのは見ていればわかる。僕の近くにも君と似たような人がいるから。僕はその人が、何故そんなにがむしゃらに、金を稼いでいるのか、実はよく知らない。その人は体力だけが自慢だといって、とにかく体を酷使している。四十度を超える熱があっても、仕事に行こうとした。それもただ金のためだけじゃなく、雇ってくれた人の迷惑になりたくないから、という理由で。…君は…もったいないと思った。君ほどの頭脳があれば、もう少しましな稼ぎ方が出来るんじゃないかと思う。ただ、僕には口出しする権利がない、ということもわかっている」

イーサンは横を向いたままだった。

「ましな稼ぎ方って、なんだよ…」

「例えば塾の講師とか家庭教師とか?」

「俺が人に何か教えられる様な人間に見えるのか?」

「いや、言っておいてなんだけど、多分無理だろうね」

「何?」

「君は人に何かを教えるには頭がよすぎる…気がする。まあ、今のは例えだ。ただ、君ならルールの範囲内で、単価の高いバイトがいくらでもこなせそうだと思っただけだ。例えば、今回の件で悪用した技術を有効活用する…とか…」

「ルールの範囲内ねぇ」

シニカルな調子でイーサンは応じた。

「気に入らない?」

「それは結局、有利な立場からルールの範囲中で、狡猾に立ち回っているヘンリーみたいな奴らをのさばらせておくだけの奴隷根性とどう違うんだ?」

「君がこれまでやってきたことだって、彼らの狡猾なやり方の延命というか、手助けみたいに思えるけど」

イーサンは言葉に詰まった。

「…僕は君に、本気でそれを勧めているわけでもない。ただ、君が、何故、僕が君に手を貸したのか、その理由について訊くから理由を話したまでだ。本気で君にルールを守らせたいわけでもない」

イーサンはあきれたようにウォルターを見た。

「じゃ、結局なんなんだ?」

「たまたまかな?ヘンリーの弱みを知らなければ、君の話を聞いても、それで終ってただろう。知っていたから手を貸せそうだと思った。うまくいってもいかなくても、僕には関係ない。そうだろ?」

「お前…」

イーサンは絶句した。


「勝算がありそうだと思ったから手を貸した。とりあえずはうまくいった。それを君は過大評価しているだけだ。僕の野望は、毎日を平穏に暮らすこと、だ」

イーサンは一瞬、あっけにとられたような顔をした。が、すぐに声を出さずに笑い始める。

「お前…」

「なに?」

「さっきの、体力自慢…」

「ああ…」

「名前を伏せとく意味、ないだろ」

確かにそうだ。誰のことを言っているのか、すぐにわかるだろう。

「わかった、しばらくはルールの範囲内で稼ぐよう努力してやろう。だから、今日はここ、お前おごれ」

と、笑いながらイーサンは言った。

結局そうなるのか、とウォルターはあきれたが、仕方がないとすぐにあきらめた。


【ある苦学生の受難と改心;完】


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