2-15 フィマオとカフェオレ(7)
週末のお休みが明けると、学校が始まる。夏休みまであと少し頑張らなければならない。
カフェテリアに入ると、ミラルダは隣の隣のクラスのテーブルに視線を向ける。見るとトリクシィのほっそりとした姿が目に入った。なにやら彼女と似た雰囲気の生徒と、身を寄せ合うようにして席を探している。その姿にミラルダはほっとして、一人トレイを持って、自分のクラスのテーブルの、端のあたりを確保しようと足を進めた。
ジョゼフの姿が視界の端に入ったが、気にせず端の方の席を確保する。対面を見るとカサンドラたちからも離れている。今日は思ったよりいい場所が確保できたと、ミラルダはほっとした。と、隣に人の気配を感じて、ややうんざりと顔を向けると、そこにはミラルダが予想していたのとは異なる人物の姿があった。
「ジーン」
「隣、いい?」
普段はミラルダ同様、クラスでは一人でいることの多いジーンが何故か隣にやって来た。ミラルダは戸惑いながらも
「あ、うん…」
と、応じる。
「私がいたら、プリンスが近づいてこないと思うけど…」
と、皮肉っぽい口調でジーンは言葉を続けた。ミラルダは、(ボディガードみたい)と、ジーンのセリフを有り難く思ったが、それをそのまま口に出すのは慎み深く差し控えた。適切な配慮といえよう。
ミラルダは肩を竦めると
「そんなことより、あんたはいいの?」
と、切り返した。
「何が?」
「私と一緒に居たら、カサンドラたちに、目をつけられるかもよ?」
ミラルダの想定に、ジーンは軽く肩を竦める。
「今更だわ。私、あいつらと仲良くしているように、見えた?」
「確かにそうね」
納得すると、ミラルダはようやく椅子に座った。後から来たはずのジーンは、既に悠然と椅子に腰かけている。何気なく周囲を伺うと、ジョゼフがこちらを気にしつつも、あきらめた様子で、離れた席に座っているのが目に入る。
食事前の簡単な挨拶を終えると、ランチタイムが始まる。周囲は途端に賑やかになった。
「ジョゼフと、何かあったの?」
ミラルダは隣に座るジーンに向かってそう囁く。先日、会った時から、ジーン自身が口にしていたが、こうして実際に目の当たりにすると、ジョゼフがジーンを苦手としているというのは、どうやらジーンの誇張ではないらしい。
ジーンは食事を口に運びながら
「病院で話したでしょ?トリクシィに対して、あいつがあんまり馬鹿げてるから、ちょっとそれをわからせてあげただけよ。まさか五年になって、同じクラスになるとは思わなかったわ」
と、なんでもないことの様にそう言った。
「それで、カサンドラにも敬遠されてるの?」
カサンドラはクラスの女子のリーダー的存在だ。内心ではともかく女子生徒の多くは、彼女に目をつけられないよう大なり小なり気を使っている様なのだ。そのあたりの事情をよく知らないまま、様々な要因から、気が付けば仲間外れにされていたミラルダとは異なり、ジーンは情報通の様なのに、なぜ彼女も孤立気味なのだろうか?
ミラルダの内心の呟きがジーンに聞こえよう筈もない。ジーンは相変わらずのマイペースで
「さあ、知らないわ。ただ、あんな連中とコミュニケーションを取ることに時間と労力を向けるくらいなら、本でも読んでた方がまだ楽しいってだけ」
と、答えた。
…なるほど。こういう考えで、おそらく、態度を取り繕うこともしないから、ジーンはクラスでは浮いた存在にされているのだろう。が、そう言いきれてしまうジーンの強さが、今のミラルダには少しだけ羨ましかった。ミラルダ自身は出来れば、クラスメイトとは普通に友人付き合いがしたかったのだ。
「そんなことより、交霊会のことだけど…」
と、ジーンが囁きながらミラルダの方に身を乗り出す。ミラルダはため息をついた。
「あんた…。あんたの方こそ実は、参加したいんじゃないの?」
ミラルダは呆れて、はっきりと口に出してしまう。図星をつかれたのか、ジーンはあからさまに顔をしかめた。
「だから…言ったでしょ。呼ばれないって」
「呼ばれたら行きたいみたいじゃない」
「まあ、そうね…。興味はあるっていうのか…」
「幽霊なんて信じてないんじゃなかったの?」
ジーンの関心が、どこにあるのか…。嫌われていると言いつつ、誘われないと拗ねている。本当は、ジーンの方こそ、ジョゼフに気があるのではないだろうか?ふと、ミラルダはそんな風に疑ってしまった。が、続くジーンの口吻で、その疑いは消し飛んでしまった。
「まるきり信じてないってわけでもないわ。いるんだったら、この目で見たいけど、でも、どれもこれも大抵インチキじゃない?誰も幽霊の実在を証明できなんだもの。けど、だからって頭ごなしに否定してるんでもないわよ?だって、そうでしょう。幽霊がいるってことは魂なるものが実在するってことだわ。人間の精神は脳が、つまり身体の一部が生み出すものだって私は思っているんだけど、魂があるってことは精神と身体は分離可能ってことよ?だったら、精神って一体なんなの?ってことにならない?」
ミラルダは呆気にとられた。ジーンはどうやら…それこそ、ママのことを知りたいと素朴に願うトリクシィや、話が出来るのだったらママの幽霊に聞いてみたことがある…という自分、などより、余程純粋に、交霊会なるものに、いや幽霊に関心を持っている様だ。
「あ、そうなの…」
と、ミラルダはやや押され気味になりながら、そう応じる。ミラルダの態度に、ジーンも自分の場違いな興奮に気が付いたのか、静かに俯いた。
「けど、まあ、リリィはインチキなんだけどね」
と、取り繕うようにジーンは醒めた口調で付け加えた。ミラルダはなんだか可笑しくなってきた。
ランチタイムを終えると、ミラルダは普段通り図書室へと向かう。気が付くと今日はジーンがついて来ていた。
「あんたは図書室に行くんでしょ?」
「ええ、そうだけど…」
ジーンの質問にミラルダは曖昧に答えを返す。
「一緒に行ってもいい?トリクシィもいると思うんだけど」
その言葉に驚いて、ミラルダは目を見開くと無言で頷いた。
ジーンと並んで歩きながら、ミラルダは奇妙な安堵感と、不可解な不安を同時に味わっていた。
ジーンは確かに変わり者だったが、顔色を伺わなくてもよかったし、無駄にご機嫌を取る必要もなさそうだった。トリクシィに対する態度を見ても、彼女なりに、友達を大事にする人間なのだということもわかっていた。むやみに友人を増やそうとはしないが、大事だと思う人間のことは大事にする。そういうタイプなのだろう。
トリクシィと仲良くなれたら…自分がそう思っていることを、ミラルダは知っていたが、どうやら今の自分は、ジーンに対しても同じ様に思っているようだと気が付いた。
個性的…過ぎる気もしたが、すくなくともジーンは嘘つきではなかったし、一緒にいて退屈だということもない。彼女に対して、変に自分を取り繕う必要もなさそうだった。けれど、それはミラルダが一方的に、そう思っているだけで、今のジーンが自分を構うのは、トリクシィと交霊会のことが気にかかっているから、ただそれだけのことなのだろう。
そう思って、ミラルダは何となく虚しくなって、ひそかにため息をついた。
図書館に入ると、トリクシィが書架の前に、先ほどカフェテリアにいる時に見かけた、大人しそうな少女と並んで立っていた。トリクシィは、ジーンと、幼馴染の背後にいるミラルダに気が付いたのか、笑顔を向けた。
「ジーン、それにミラルダも…」
「調子はどうなの?」
まるで姉の様な口調で、ミラルダは訊いてしまう。近くで見るトリクシィが、ママにはさほど似ていなかったのにもかかわらず、ミラルダは彼女の体調が気になって仕方がない。
トリクシィはおっとりと
「うん、もう全然、元気」
と、微笑んだ。ミラルダはほっとした。
ジーンは醒めた目つきで二人の様子を見ていたが、傍らに立つトリクシィのクラスメイトに視線を向けると
「ジョアンナ、あんたもリリィに誘われてるの?」
と、前置きなしで切り出した。ジョアンナと呼ばれた少女は、少し怯えたように肩を竦ませたが、「う、うん…」と、二、三度頷いた。
「へぇ~え、あ、っそう…」
と、何やら面白くなさそうな顔になって、ジーンが頷いた。幼馴染の表情に、トリクシィが苦笑を浮かべた。
「でも、ジョアンナは断ろうかって悩んでるんだよね?」
と、トリクシィはクラスメイトに向かって首を傾げた。ジョアンナは
「ええ、そう!けど…」
と、曖昧な表情になった。
ジーンとトリクシィは一瞬、周囲に視線を走らせた。トリクシィが
「校庭へ行かない?」
と、切り出した。ジーンは頷くと、ミラルダに向かって
「あんたも来る?」
と、首を傾げた。ミラルダは、図書館で交霊会の話をするわけにはいかないのだと気がついて、無言で頷いた。
図書室を出ると、ジーンとトリクシィは、迷うことなく移動した。ミラルダはジョアンナなる初対面の生徒と並んでついて行った。並んで歩きながら、気のせいでなく、ジョアンナがチラチラと、こちらの方を盗み見していた。ミラルダは、もっと堂々と見ればいいのにと、無茶なことを考えて、若干の疲労を覚えた。
校庭に出ると二人は、校庭を囲うフェンス側、用具入れの傍の木陰までまっすぐ進んだ。校庭では生徒たちが昼休憩を利用して、様々な遊びに興じている。校庭の隅のこの場所は、幼馴染の二人組にとってはおなじみの場所なのだろう。
ミラルダは、なるほど、校庭の隅っこならば遊ぶ生徒もいやしないし、内緒話にはうってつけだと、感心した。
木陰まで来ると、ジーンは後ろに付いて来ていたミラルダとジョアンナの方へ向き直った。ジーンはジョアンナに、やや据わったような眼差しを向けると
「で、さっきの話の続きなんだけど、ジョアンナ、あんたは結局、どうするの?」
と、質問を繰り返した。
ジョアンナは、ややおずおずと
「ゆ、幽霊とか怖いから、出たくないんだけど…でも…」
と、呟く。
トリクシィは曖昧な笑みを浮かべると
「あのね、ジョアンナはジョゼフが本当に来るかどうかは気になっているの」
と、クラスメイトに変わって説明した。
トリクシィの言葉にジョアンナは俯いたが、それでも、思い出したように上目遣いでミラルダの方へ、チラリと視線を向ける。ミラルダはジョアンナのことはあまり気にしないことにして、ジーンとトリクシィに向かって
「一体、今、どういう話になってるの?」
と、尋ねる。ジーンは器用に片眉を上げると、手を広げて見せた。
トリクシィが
「あのね、今日のリリィの話だと、場所は大体決めてるんだけど、人数がどうなるかわからないから、まだ日にちが決められないって言ってた。でも、夏休みに入る前には決行したいから、今のところ、今週末、金曜日か土曜日にする予定だって」
と、説明した。
ジーンが解説者の様に
「リリィはトリクシィとジョアンナと同じクラスなの」
と、付け加える。ミラルダは頷くと
「人数って、確か決まりが何かあるのよね?」
と、先週ウォルターに聞いた知識を披露した。
ジーンが
「よく知ってるわね。そうよ、男女同数で合計十二名以下ってのが普通みたい。女子の参加者は、今はっきりしてるだけで、リリィを除くと四人になるけど、多分四人ってことはないわね」
と、白けた様子で首を傾げる。
ミラルダは頭の中で数えてから、
「違うわ、三人でしょ?トリクシィにジョアンナに私。でも、行くかどうかははっきりしてないから…」
と、ジーンの勘違いを訂正した。が、ジーンははっきりと
「カサンドラがいるでしょ?それに最低でも、取り巻き二名は連れていくんじゃない?」
と、バカにしたような口調でそう言った。
「カサンドラ?なんで彼女が?」
「そりゃ、言い出しっぺがカサンドラだからよ」
「ジョゼフじゃないの?」
「ジョゼフがそういうことに興味を持っているのを知って、カサンドラがリリィに命令したんでしょ。リリィはカサンドラの命令通り、あんたやトリクシィに声をかけてる。参加者までジョゼフがカサンドラに指示してるのか、それとも、あんたたち二人が参加すれば、ジョゼフの気が変わることもないだろうって、あんたたちを餌にするつもりで、カサンドラが自発的に声をかけてるのかまではわからないけど。まあ、それだけで済めばいいんだけどね」
「どういうこと?」
「自虐的すぎるでしょ?だから逆に何か企んでるんじゃないかって気がするの」
ジーンの決めつけに、トリクシィは笑顔になると
「それはジーンの考えすぎだと思うな」
と、告げた。それから
「ジョゼフが交霊会に興味を持ったのって、私のせいかもしれない」
と、笑顔のままで、妙なことを言い出した。
ジーンは眉間に皺を寄せると
「何、それ?」
と、幼馴染に向かって問いただした。
トリクシィは
「うーん、五月ごろの話よ?いつだったか、ジョゼフが私のクラスに来て、また将来の話をし始めたことがあって、それで、何か欲しいものとか叶えたいこととかある?って訊かれたから、天国にいるママと話がしたいなって言ったの。それで…」
と、なんでもないことのようにそう言った。
ジーンは呆気に取られて、口をあんぐりとさせた。
「あんた…何を言って…」
「だって、しつこいんだもん…」
その言葉に、今度はミラルダが呆気にとられた。思わずジョアンナの顔を伺ってしまう。見ると、トリクシィの大人しいクラスメイトも、目をパチパチさせていた。
ミラルダは、トリクシィその言葉にふと閃いて
「ジーンの言う通りかもしれない」
と、言い出した。が、同意を得たジーン当人は、ミラルダの唐突な言葉に「何が?」と、首を傾げた。
「そういう事情なんだったら、確かにカサンドラの嫌がらせの可能性はあるかもって意味」
ジーンは深々とため息をつくと、「でしょ?」と、頷いて見せる。が、肝心のトリクシィだけが分からない様子で「どうして?」と、首を傾げている。その様子は可愛い子ぶって、わざとわからないふりをしているという感じでもない。本当にわかってない様子だった。
「どうしてって…」と、ミラルダは絶句してしまう。
はた目にはひたすら頼りなげで女の子らしいトリクシィが、どうしてジーンの様な個性の強い、少し変わった女の子と気が合うのか、ひそかに不思議だったミラルダだったが、なんとなく納得してしまった。
トリクシィもジーンとは別の意味で、何か少し風変わりだった。ようは、トリクシィは、見た目ほど女の子っぽくはないのだ。かと言って、男の子っぽいというわけでもない。
ロントの街にいる頃、周囲の友達に、“ミラルダは、さっぱりとした男の子っぽい性格で、そこがいい”などと言われていたミラルダだったが、それはあくまで、女の子にしてはという前提付きの話だ。さらに言えば、トリクシィの場合、男の子っぽいというのとも違っている気がした。が、なんと表現したらいいのかよくわからない。
ミラルダの戸惑いを察したのか、ジーンは腕組みをして、苦々しげな表情を浮かべると
「仕方がないわ。トリクシィはパパに育てられたから…」
と、言い出した。
「どういう意味?」
「さあ、私にもよくわからないけど、ママが時々そんなことを…男親が育てた女の子だから仕方がないとかって言ってたから…」
ならば自分が女性特有と思っている、ニュアンスを読み取る能力も、案外、日々の学習により強化されるものなのかもしれない。と、ミラルダは自分なりの言葉でそんな風に思ってみた。
ミラルダの内心の納得など知りようもないトリクシィは、ジーンの言葉に、口をへの字にすると「仕方がなくはないわ」と、抗議した。
ジーンはため息をつくと、トリクシィのことを一旦置いておくことにした。彼女はジョアンナの方を向き直ると
「そういうことだから、ジョゼフが来るって言うのは間違いないと思うけど、あんたどうする?」
と、単刀直入に質問した。
ジョアンナはトリクシィとミラルダを見比べると
「…私、やっぱりやめておくわ」
と、言い出した。
さきほどのトリクシィの暴露により、どう逆立ちしても望みは薄いとあきらめがついてしまったのか、それとも、このままトリクシィと仲良くしていたらカサンドラに目をつけられる可能性があることに、今更ながら気が付いたのか、はたまた、バイオロイド・プリンスの新しいお気に入りの噂が、隣の隣のクラスにまで、届いているのか…ミラルダには知りようもなかった。
ジョアンナの言葉に、頷くとジーンは手を腰に当てて、彼女を見据える。
「あ、そう!ならリリィに、はっきりそう言うことね。でも、親とか先生には言わない方がいいと思うわよ」
「わ、わかったわ…」
「あと、ここで聞いたことをリリィに告げ口したら、どうなるかも、わかってるわよね?」
と、ジーンは念を押した。ジョアンナは無言で二、三度、激しく頷いた。
ジョアンナの返事を確認すると、ジーンはトリクシィの方を向き直る。
「で、結局あんたはどうするの?」
「だから、私はママのことが知りたいだけよ」
「だったら、あんたのパパに聞くのが一番、確実で、てっとり早い方法じゃないの?」
「パパに聞いても、天に召されたって言うだけなんだもの…」
「それでも、もし、天に召されてませんってなったら、パパは嘘をついてるって、あんたパパにそう言えるの?」
「それは…」
二人の話を聞きながら、ミラルダにはなんとなく事情が分かって来る。
「別に…だからって、あんたのパパがあんたに嘘をついてるってことには、ならないんじゃないの?」
思わずそう、口を挟んでしまう。「えっ?!」と、二人は一斉にミラルダの方に顔を向けた。




