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オールドイースト  作者: よこ
第2章
287/532

2-15 フィマオとカフェオレ(5)

ナイトハルトが迎えに来て、ミラルダを伴って帰って行った。アナベルはアルベルトとリパウルの三人で、いつも通り静かに見送った。気のせいかナイトハルトも、普段と違っているように感じられた。


二人の姿が玄関の向こうに消えると、リパウルが少し心配そうに

「気のせいかしら、あいつ、変じゃなかった?」

と、独り言のように呟いた。


…流石はリパウル、見逃さない。


アナベルは少し困って、アルベルトに視線を向けると、アルベルトも困った様な顔をしていた。ナイトハルトから何か話を聞いているのかもしれない。


アルベルトはリパウルの背中に手を添えると

「仕事が忙しいみたいだから、少し疲れているのかもしれないな。週末に呼んでみる?」

と、提案した。リパウルはしぶしぶといった風を装ってから

「まあ、仕方がないわね。ミラルダのことも気になるし」

と、答えた。


アナベルはリパウルの優しいくせに、素直じゃない言い方に、ひそかに微笑んだ。


***


 セアラが眠りにつてからも、アナベルの勉強は続く。疲れていたのか、今日のセアラはすぐに静かな寝息を立て始めた。アナベルは勉強机のあかりから微かに伺える彼女の寝顔を見るともなく眺めた。様々な思いが去来する、が、今やるべきことは他にもあった。時間を確認して携帯電話を手にすると、アナベルはひっそりと地下へと向かった。


 地下室に入ると、天井の灯りが自動で灯る。今は部屋の主がいないその部屋は、天井の電灯以外の灯りが、常にこの部屋を満たしていた頃とは異なり、計器も寝静まりひっそりと静かに薄暗く感じられた。アナベルは室内を静かに眺め、手にしていた携帯電話を操作すると、ハインツの番号をコールした。少しの間待って、あきらめかけた時にハインツが通話に応じた。


『アナベル、こんな時間にどうした』

「うん、ごめん。他に時間がなくて…」

『何かあったのか?』

「ううん、急ぎってわけじゃない。ただ…」


ミラルダがハインツのことを、気にしていたから…。


『ひょっとして、ミラルダとナイトハルトのことか?』

「知ってるの?」

『いや、他に思い当たることがないだけだ』

「そうか…」


自分とハインツ、二人だけで共有していることといえば、ナイトハルトとミラルダのことしかない。それは確かだった。そして二人がそれを知ってしまっているのも、ただの偶然だ。たまたまその場に居合わせたのが自分たち二人だった。それだけなのだが。


「今日、ミラルダから聞いたんだ」


そう切り出すとアナベルはミラルダから聞いた話を、さらに簡潔にまとめて話した。


エレーンという女性の身に起こったこと、彼女が間違いなく、ナイトハルトの卵子提供者であったということ、それを知らないまま、二人が出会ってしまったこと…。


聞き終えてからもしばらく、電話の向こうのハインツは黙っていた。


「ハインツ…」

『…何も、本当のことを告げる必要はなかっただろうに』


電話の向こうの声は不快気にくぐもっていた。


「…うん」


アナベルにもハインツの言いたいことが分かった。間違いなく、元気になり始めていたミラルダの心が、再び、閉ざされてしまっていることを、アナベル自身強く感じていたからだ。けれど…。


「けど、本当のことを言うべきだって、思ったんだと思う。だって、二人とも悪くないだろう?悪い奴がいるとしたら、特別病棟の院長だ。だから、ミラルダだって何も悪くない」

『そういう問題じゃない。あの年ごろの子供は、自分が周りとひどく違っているってこと自体が、堪えるんだ。そういう感情は、ナイトハルトにはわからないのかもしれないが…』


ナイトハルトはバイオロイドだ。最初から周囲と違って、特別であることを、ある意味では義務付けられているのに等しい。


「うん…。でも、ナイトハルトは信じたんだと思う」

『信じた?』

「うん、ミラルダだったら大丈夫だって。それに多分…」

『なんだ?』

「ううん、うまく言えないんだけど、ナイトハルトにはナイトハルトの考えがあるんだと思う。きっと無責任で言ったんじゃないよ」


その言葉に、ハインツは電話越しにもわかるほどはっきりとため息をついた。


『ナイトハルトは、今週はずっと、来てるんだな』

「うん、ちゃんと来てる」

『そうか…』

「ハインツ」

『なんだ?』

「私とハインツが知っちゃたのはさ、その場にいたのが私たちだったからだって、思ってたんだけど…」

『そうだな』

「ミラルダがハインツに言ったのは、自分一人の胸におさめておけなかったからだと思う。でもそれだって、きっと相手がハインツだったからだよ」

『いや…それは』

「今、ハインツが怒ってるのはミラルダのことを思ってるからだよね。だから、ミラルダもハインツには本当のことを伝えておくべきだって思って…だから、私に頼んだんだよ。きっとそうだ」


アナベルがそう言うと、電話の向こうで諦めたようにハインツが息をついた。


『そうか…』

「ナイトハルトも同じだと思う。ミラルダのことが大切だから、本当のことを言ったんじゃないかな?」


電話の向こうで、ハインツは再びため息をつく。余程、納得したくないらしい。


「土曜日にさ、アルベルトがナイトハルを呼ぼうかって言ってたんだけど、ハインツも来る?」

『ああ…そうだな』


…どっちが父親かわからない。


通話を終えながらアナベルは、悲しいような可笑しいような奇妙な気持ちになった。


***


 金曜日、ミラルダは放課後ケアのクラスに行くが、当然のごとくトリクシィはいなかった。てっきりジーンもいないものと思っていたのだが、ジーンの方は、普段通り席に座って、今日、出題された宿題に取り組んでいる様子だった。


ミラルダが教室に入ると、ジーンは机から顔を上げ、ミラルダの顔を凝視する。ミラルダは思わず足を止めてしまう。ジーンは行儀悪く頬杖をついていたが、その腕を机の上に下ろすと、ミラルダに向かって手招きをした。ミラルダは内心恐る恐る、が、はた目には堂々と、ジーンの席に近づいた。トリクシィのことが気になっていたのだ。


 椅子に座るジーンの机の前に立つと、

「何?」

と、ミラルダは簡潔に尋ねた。ジーンはミラルダを見上げると

「昨日言ってたの、本気なの?」

「ええ、トリクシィの気が変わらないんだったら…の話だけど」

ミラルダの返答にジーンはため息をついた。ミラルダは急いで

「まだ、返事はしてないけど」

と、付け加える。


「なんだって、そんな…」

と、ジーンは再びため息をつく。


「トリクシィのことが心配だから。あんただってそうでしょ?」

が、ジーンは不貞腐れたようにそっぽを向いた。


「そんなに気になるんだったら、あんたも参加すればいいじゃない」

「言ったでしょ?私はプリンスには嫌われてるのよ。呼ばれるわけがないわ」

「そうなの?」

「それに、リリィがインチキだって知ってるし」

「そう…」


ジーンがこだわっているのはわかるが、正直ミラルダにとって、リリィが本物か偽物かという問題にはあまり関心がわかなかった。


「それより、トリクシィは…」

「ああ、今日はあいつのパパが病院に行くでしょ。退院手続きだもの。流石に親にやってもらわないと…」

「トリクシィのママって…」

「さあ、私も会ったことがないの。でも、私のママの話だと、お隣でお葬式とか、ずっとなかったって…」

「そうなんだ…」


ならばジーンの言う通り、トリクシィのパパは嘘つきで、彼女のママはどこか遠くで生きているのかもしれない。


 …生きているのならば、その方がいいではないか?


 生きていれば、ママの口から直接事情だって聞けるのだ…。


 そう思ってから、その思いつきが、純粋にトリクシィと彼女のママのことなのか、それとも実は自分のことなのか、ミラルダにはよくわからなくなっていた。


***


 アナベルがミラルダの初等校に迎えに行くと、ミラルダは昨日、病院で見かけたウォルターによく似た同級生と、机を並べて、何やらやりとりをしていた。どうやら一緒に、宿題をやっているようだ。アナベルは声をかけるのにためらいを覚えた。せっかく同世代の友達と一緒に過ごしているのだ。次のバイトの時間まで、まだ少し余裕はあるし…。


アナベルは、教室から少しだけ離れた廊下で、壁に飾られた児童たちの絵を鑑賞し始める。


しばらく見ていると、玄関の方から新たなお迎え人が姿を見せた。その青年は児童の絵を鑑賞するアナベルの姿に足を止めた。アナベルも気が付いて、青年に視線を向ける。とび色の双眸、赤茶けた髪は、癖が強いのか、あちこち好きな方を向いている。大学生くらいだろうか。アナベルと目が合うと、青年は気さくな様子で「ハイ」と、笑顔を向けた。アナベルは無表情のまま「ハイ」と、応じる。


「君も?弟か…妹のお迎え?」


そのセリフで、相手がお仲間だと知れた。アナベルは首を振ると

「私はバイトだ」

「ああ、そうか、チャイルド・サポート?」

「そう」

「こんなところで芸術鑑賞?」


その言葉にアナベルは笑ってしまった。


「いや、ちょっと…そろそろ行こうと思ってた」

「よかった、一緒に行かない?」

「心細かったのか?」


アナベルは思わず微笑みかけてしまう。青年は少しだけ目を細めると

「いや、君が心細そうに見えただけ」

と、妙なことを言い出した。アナベルは笑うと

「そうか、さぼってるようには見えなかったのか。よかった」

と、青年の言葉を聞き流した。青年は肩を竦めたが何も言わなかった。


教室に顔を覗かせると、ミラルダとくだんの同級生は、二人で並んでタブレットを読んでいる。どうやら宿題は終わったのだろう。アナベルは

「ミラルダ」

と、声をかけた。ミラルダはすぐに目線を上げた。すると、アナベルの背後に立っていた青年がヒュっと短く口笛を吹いた。


「君が迎えに来たのって、あの子?凄い美人だね」

「まあね」

と、アナベルは肩を竦めた。ミラルダはそのやり取りには気づかずアナベルに向かって

「すぐに荷物をまとめるね」

と、答えた。すると、隣に座っていたジーンが驚いたように

「エドウィン!」

と、声を上げる。エドウィンと呼ばれた青年はアナベルに向かってウィンクして見せた。


「僕の迎え人は彼女。妹だ」

と、説明してくれた。アナベルは「ああ」と、だけ応じた。妙に馴れ馴れしい…もとい、人懐こい男だな、と思った。ウォルターは…ではなく、ウォルターに似た雰囲気の妹の方は、そう友好的でもなかった気がするのだが…。


 ミラルダに続いてジーンも荷物を片付け始めた。二人で並んでケアスタッフに挨拶すると、二人でそろって迎えに来てくれた学生の元へとやって来る。そのまま四人で並ぶようにして廊下を歩き始める。


「アナベル、時間…」

「うん、ごめんね。時間の方は大丈夫」

と、アナベルはミラルダの気遣いに微笑んだ。その様子を、マクブライド兄妹がそれぞれの表情で眺めていた。アナベルはジーンに気が付くと

「昨日は、どうも」

と、簡単に言葉をかけた。するとジーンは人の悪い笑顔になって

「こちらこそ、どうも。こっちは兄のエドウィン。見知らぬ兄でなくて申し訳ないけど」

と、シニカルな調子で兄を紹介してくれた。アナベルはげっそりと

「初めまして…」

と、あらためてジーンの兄に声をかける。エドウィンは笑顔で「初めまして」と、応じた。


 …皮肉っぽいとこまで、似てやがる…。


 アナベルは、妹にはあまり似ていない兄、エドウィンの笑顔を見つめながら、ジーンの“見知らぬ兄”のことを思い出して、ぎこちない作り笑顔を浮かべた。


***


 ミラルダと二人、自転車でウォルターの家に到着したのは、五時を少し過ぎた頃だった。ウォルターは庭まで出迎えに出てくれていた。


「お前…」


ウォルターの顔を見るなり、挨拶も忘れてアナベルはそう呟く。ウォルターはアナベルの反応を無視して

「まあ、入りなよ」

と、短く告げた。


 通常通り、清掃作業を終えると食事作りだ。アナベルはウォルターの部屋に声をかける。ドアは開いていて、廊下からも丸見えだった。少し覗き込むと、ウォルターは机に座って勉強中で、ミラルダはベッドに腰かけて読書中だ。アナベルが

「掃除、終わったけど、キッチンへ行く?」

と、二人に向かって声をかけると、二人は無言で動き出す。ミラルダを預かるようになって、春からこっち、大体いつもこんな風だった。


 …一時の中断はあったけど…。


 アナベルはまだ完璧とは言えないながら、戻ってきつつある日常に、ひそかに感謝しつつ、先に立ってキッチンへ向かった。


 キッチンでまず、コーヒーメーカーをセットしながら、アナベルはミラルダに向かって

「今日のあの子…」

と、声をかけた。ミラルダはタブレットから目線を上げると

「ジーンのこと?」

「あ、うん…。仲良くなったの?」

と、尋ねた。ウォルターも顔を上げる。ミラルダは真顔で首を振ると

「ううん、ただ、トリクシィのことが気になってたから…」

「トリクシィって、入院してた子?」


「そう、今日、退院ってきいてたから、どうなったかなって。ジーンが、パパが迎えに行くみたいなこと言ってたから」

「そうなんだ、あの子の方はジーンっていうんだ。いつもお兄さんが迎えに来てるの?」

と、アナベルは笑顔になった。ミラルダも少し笑って

「うん、何回か見たけど、そうみたい。私も、お兄さんとお話ししたの、今日が初めてだよ」

「全然、似てないよね」

と、アナベルが笑いながら言うので、ミラルダも笑顔になった。が、ふっと、嫌なことを思いついて、笑顔がしぼんでしまう。


 …ナイトハルトがママの子供ってことは、ナイトハルトは私のパパだけど、お兄さんでもあるのか…。


 そう、思って、ミラルダは深々とため息をついた。アナベルはせっかく浮かんだミラルダの笑顔がしぼんでしまったのを見て、流しに向かってひそかにため息をついた。


ふと、この場にいる無言のもう一人のことが気になって、ウォルターに視線を向ける。見ると彼は見慣れた無表情で、アナベルの方を見ていた。アナベルは、彼に向かって少しだけ首を傾げると

「昨日、オリエに呼ばれて、セントラル病院へ行ったんだ」

と、説明した。


「そうなんだ」

「うん、そしたら、偶然、ミラルダの同級生に会って…」

「ああ…」

と、それだけの説明で納得したのか、ウォルターは手にしていた教科書用タブレットへ視線を落とした。


「そういえば、私が行った時、何の話をしていたの?」


その時のことを思い出して、アナベルはミラルダに訊いてみた。何やら微妙な雰囲気だったのだ。ミラルダは気まずそうに俯いたまま

「あのね、交霊会の話をしていたの?」

「交霊会?」


アナベルの不思議そうな声音に、ミラルダは頷くと

「トリクシィがリリィって子に誘われたらしくって」

「交霊会に?」

「うん、そう。それで、実は私も誘われてるんだって話になって…」

「え?ミラルダが?交霊会ってのに?」

「うん、そう。でも、ジーンは幽霊を信じてないから誘われないだろうって言って…」

「ああ、うん…」


ミラルダは、タブレットに視線を据えたままのウォルターに向かって

「ねえ、ウォルター、交霊会ってどんなことするのか知ってる?」

と、尋ねた。アナベルも交霊会なるものなのが、具体的にどんなものなのか、名称は聞いたことがあるのだが、実際にはよくわからない。


 ウォルターは視線を上げると、少し宙を見上げた。


「その交霊会って、今の話の流れからして、近代に流行した、社交の一種としての交霊会だよね」

「いや、知らん!」


なんだ、その、ややこしい切り返し?と、アナベルは顔を引きつらせる。


ウォルターは首を傾げながら

「多分、霊と交信できるっていう触れ込みの霊媒師と、男女数人が集まって、暗い部屋で円卓を囲って、霊との交信を試みるっていうブルジョワの遊びじゃないかな?」

と、説明した。アナベルは説明のところどころに引っ掛かりを感じつつも、とりあえず頷いた。


「確か参加できる人数にも何か決まりがあった気がする。僕の知識は古い探偵小説とか、その辺のものだから、あまり正確じゃないだろうけど…」

「ミラルダも参加するの?」

と、アナベルはミラルダに尋ねてみる。ミラルダは一瞬息をのんだ…様に見えた。が、真顔で首を振ると

「ううん、なんだかよくわからないから、行かないつもり」

と、答えた。アナベルは「そっか」と、応じると、夕食をつくり始めた。


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