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オールドイースト  作者: よこ
第2章
281/532

2-14 祝福された子供(7)

また、レオニードが来て鉢合わせしてしまっても、自分には大人の対応は出来そうにない、といういい加減な理由で、ナイトハルトはミラルダを連れて早々に帰ってしまった。


 一人取り残されたリパウルは寂しくて再びため息をついてしまう。体調も落ち着いているし、アルベルトの家に戻りたくてたまらなかった。けれど、ふっと気が付いてしまう。


 ミラルダは、ナイトハルトが迎えに来たので、帰ってしまうだろう。そして、ルーディアも、いまでは技研の地下で眠っているのだ。女性がアナベル一人になるという理由も通じない、今はセアラが彼女の部屋に寝泊まりしているのだ。


…ならば、自分がアルベルトの家に居続けるための理由など、どこにもないではないか?

これまでは、事件の後処理が色々あったから、それでも通じただろう。けれど、退院したら自分は官舎の自分の部屋に戻るべきなのだろう…。だって自分は、ただの恋人でしかなくて…。ただ、恋人である…というだけで、図々しく泊まり続けて…。


リパウルは心細さのあまり泣きたくなってきた。彼に伝えることが出来れば、全部うまくいくと、高をくくって…。


…まったく、あなたは、どうしてアルベルトのこととなると、そーーんなに、ダメダメなの?!


…ルーディア!


彼女がいないとやはり自分はダメなのだろうか?世の中の恋人同士がやっていることすら、自分には普通に出来ない…!


リパウルは、もう我慢するのをやめてしまおうかと思ってしまった。どうせ、誰も来ないのだ。心細くなって、泣いてしまってもいいではないか…。


 と、ノックの後がした。続いて待ち望んでいた声が…。


「リパウル?寝てるかな?」


リパウルはベッドから急いで下りた。急に動いたせいか、ベッドから降りた瞬間、めまいに襲われて、床に膝をついてしまった。おさまっていた筈の吐き気に襲われるが、なんとか堪えた。


「アルベルト!」


気が付いたら声を上げていた。返事をしないとまた置いて帰られるのではないかと不安で仕方がなかった。


「リパウル…」


返事があったからか、やや安堵したような声がして、アルベルトがドアを開いた。開くなり彼の目に飛び込んできたのが、床に座り込むリパウルだったので、慌てて駆け寄って来てくれた。


「リパウル、どう…」


リパウルは首を振った。泣きそうになりながら笑顔を作る。


「ううん、急いで、ちょっとよろけちゃっただけ。平気…」

「ベッドに…」

「うん」

と、呟くとリパウルはアルベルトに向かって両腕を伸ばした。アルベルトは苦笑を浮かべると

「連れていけばいいのか?」

と、確認を取って来る。リパウルは「そう」と、答えると、自分からアルベルトにしがみつく。


こんな風にアルベルトにしがみつくのが随分久しぶりな気がして、リパウルは思わず彼の髪に頬ずりをしてしまう。きっとアルベルトは呆れたような苦笑を浮かべているに違いない。そう思いながらなんとか涙をこらえた。アルベルトは床にへたりこむリパウルを抱き上げると、ベッドまで運んでくれた。


 ベッドに優しく下ろしてもらうと、リパウルは早速アルベルトにお礼のキスをする。軽く優しいキスを受けて、アルベルトはうっとりとリパウルに、恋人同士のキスをした。リパウルも両腕を彼の首に回したまま、そうしてしばらく二人でキスを交わした。顔を離すとリパウルは、自分の額をアルベルトの額に合わせた。


「…せっかく来てくれたのに…朝は嫌な言い方をしてごめんなさい。あなたが、怒って…もう、来てくれないんじゃないかって思ってた…」

と、静かに告げた。アルベルトは彼女の頬を親指でなでながら

「こっちこそごめん。お見舞いに来て仕事なんかして…」

と、優しく応じる。


「いいの…」

と、呟くとリパウルは彼の首から腕を離し、目を伏せた。


「リパウル…?」

「その、病気じゃ…ないから…だから…」


リパウルが精いっぱいの勇気を振り絞ってそう伝えたが、アルベルトは首を傾げた。


「過労だろ?ここのところ色々あったから…」

「そうなんだけど…、あの、看護師さんとかお医者さんから、何も聞いてない?」

「いや、君に説明してるからって…」

「あ、そう…」


この期に及んでもどこかで他力本願なリパウルは、やや悄然と肩を落とした。


「あの、病気じゃないって…」

「うん…」

と、呟くが言葉が続かない。アルベルトの方から気が付いてくれないだろうか…。


 が、基本から朴念仁なのかアルベルトには彼女の言いたいことが一向に分からないらしい。少し困った様に椅子に腰を掛けると、そば机の上のフラワーバスケットと、ふたつのリンゴを眺めた。


「誰か来た?」

その言葉にリパウルは顔を上げた。


「あ、うん。ナイトハルトがミラルダと一緒に」

「そうなんだ」

「ほっとした?」

と、リパウルが笑顔を向けるとアルベルトは

「君の方こそ、随分と気にしてたみたいだけど」

と、笑顔を返した。


リパウルは、ややバツが悪くなって

「あれは…」

と、言い淀む。それから

「仕事の方は、落ち着いた?」

「うん、何とかめどがついた。明日は休めそうだから、君を迎えに来るよ」

と、予想外のことを言い出したのでリパウルは仰天した。


「え、いいのよ、別に…一人で…」

「一人でって、官舎の方に戻るつもりじゃないだろうな?君がいなくて…ルーディアもいないし、みんな寂しがってる」

「でも、いいの…?」


「体調が完全になるまで、いるといい。一人にしたくない」

「そんな…」

「君が嫌じゃないんだったら、ずっといてくれてもいいけど」

と、アルベルトが笑いながらそう言った。リパウルは再び泣きそうになってしまう。


 リパウルの表情をどう解釈したのか、アルベルトは目を逸らすと、

「まあ、技研からは遠くなるから、かえって不便かもしれないけど…」

と、言い訳がましく余計な一言を付け加えた。リパウルは首を振って「そんなこと…」と、曖昧に呟いた。アルベルトは少し困った様子で、周囲を見回し始めた。


「どうかした?」

「いや、せっかくだし、リンゴをむこうかと…」

「果物ナイフ?確かそば机の引き出しの中に…」


言われてアルベルトはそば机の引き出しを引いた。みると果物ナイフが見つかった。


「昨日、みんながお見舞いにフルーツとか、色々持って来てくれたから、食べようかって話になって、看護師さんに借りたままだったの」


リパウルの説明にアルベルトはため息をついた。


「そうか、やはり俺は気が利かないな」

と、呟いた。リパウルは首を振った。昨日レオニードにからかわれたことを、アルベルトは気にしているんだろうか?レオニードは可愛いフラワーバスケットを、リパウルに渡しながら、アルベルトに向かって、君は何を持ってきたんだいと?と、わざわざ確認してから、彼が何も持って来ていないことを知ると、それは気が利いてるなと、冗談めかして笑っていたのだ。


「ううん、そんなことはないわよ。リンゴの皮、むいてくれるんでしょ?」


アルベルトはやはり困った様な笑顔を浮かべ

「まあ、それくらいなら出来るな」

と、請け合った。


 アルベルトは器用な手つきで、リンゴの皮をむいていった。その手際にリパウルは、つい見とれてしまう。


「うまいわね」

「まあ、これくらいは…」

「ナイトハルトにやらせたらひどいことになるわよ。それこそ芯だけになっちゃうかも」

と、リパウルが笑ったので、アルベルトも笑みを浮かべて

「何でもできる奴が意外な弱点だな」

と、応じる。


「知ってるの?」

「酒場でバイトしてるのを見学させてもらってた。グレープフルーツを二つに切ったって威張ってたな」


アルベルトが大学時代のエピソードを披露すると、リパウルが楽しそうに笑ったので、アルベルトもほっとしたような微笑を浮かべた。皮をむくと、何等分かにカットして芯を取り除く。


「紙のお皿しかないけど、確かリンゴは、君が一番好きな果物だよな」

と、アルベルトがさらりと言ったので、リパウルは目を見開いてしまう。


「覚えてたの?」

リパウルのその言葉に、アルベルトの方こそ目を見開いて

「当然だろ?」

と、やや心外そうに応じた。リパウルはにっこりすると

「食べさせて」

と、珍妙な依頼をしてきた。


「食べさせる?」

「そう、あーん」

と、ひな鳥よろしく口を開くと目を閉じた。アルベルトは肩を竦めたが素直に要求に従った。


リパウルの口にリンゴを入れると、彼女はしゃりしゃりといい音をさせながら、リンゴを咀嚼する。一切れ食べ終わると、やはりにっこりとして

「美味しい。もっと、食べたい」

と、言いながら先ほどと同じように口を開いた。


「甘えん坊になってないか?」

苦笑しながらもアルベルトはリパウルに付き合った。リパウルは

「甘えたいんだもの、ダメ?」

と、笑顔を返す。


「いや、まあ具合がよくない時くらい…」

「違うわ。あなたが喜ばせるようなこと言うからよ」


…謎かけみたいだ。…彼女の言葉も態度もアルベルトにはよく理解できない。


リパウルは何切れ目かを食べ終わると、

「あなたも食べてよ」

と、言いだした。


「いや、俺は…自分で食べるが」

「誰も食べさせてあげるなんて言ってません」

「あ、なんだ…」


アルベルトの反応にリパウルは笑うと

「食べさせて欲しいんだったら、食べさせてあげるけど?」

と、首を傾げる。アルベルトは複雑な表情になった。真剣に検討しているんだろうか?


リパウルが面白そうな表情で自分を見ていることに気が付くと、アルベルトは苦笑を浮かべた。

「食欲もあるみたいだ。胃を痛めてたみたいだけど…」

アルベルトの言葉にリパウルは首を振った。


「胃を痛めてたわけじゃないの。つわりなの」

「ああ、つわり…」

と、言いかけて、アルベルトが止まった。


「つわりって…」

「つわり。妊娠初期に訪れる、吐き気や食欲不振、味覚異常、まれに激しいめまいや立ちくらみなど…」

「いや、その説明は…。つまり、病気じゃないって、君…」


リパウルは顔を伏せたまま、淡々と言葉を続ける。


「そう、今ちょうど二ヶ月から三ヶ月の間くらい」


リパウルが顔を上げると、アルベルトは呆然とした様子で椅子に腰を下ろした。


「そうか、迂闊だったな。悪かった」


椅子に座るなり、呆然としたままアルベルトがそう呟く。まさか謝られるとは思ってないかったリパウルは、ふいに不安に襲われた。アルベルトの顔は、どう見ても喜びに溢れている様ではない。


 …迂闊だったって、何?迷惑なの?


 先ほどは家にずっといてもいいって言ってくれて…好きな果物まで覚えててくれて…。


「迷惑なんだったら…」

と、リパウルが俯いてそう言うと、アルベルトが仰天した様子で

「迷惑なのか?」

と、妙な切り返しをしてくる。その言葉にリパウルは顔をあげた。一体どういう耳をしているのか?!が、リパウルの驚愕には気づかず、アルベルトはそのまま

「それは確かに、女性の方が負担は大きいし、その、キャリアの問題とか色々あるだろうけど…けど、最初に言ったように俺は君に…」

と、言葉を続ける。


狼狽えたアルベルトが口走ったその言葉に反応して、リパウルの意識は一瞬で沸点に達してしまう。


…そうだ、確かに初めてのあの時にアルベルトは…。


思い出して動転したリパウルの方が慌てて

「…ち、違うわよ!迷惑だなんて私は一言も言ってないでしょ?あなたが、迷惑なのかって、そう…」

「どうしてそうなる?迷惑なわけがないだろう?」

「だって、迂闊だったって、悪かったって、まるで…」


言われてアルベルトは、狼狽えた。


「いや、違う!あれは、すぐに気が付かなくて悪かったって意味で。君の様子が何か変だとは思っていたんだ、てっきりナイトハルトのことなのかと…」

「違うわよ!あなたがミラルダとあいつのこと気にしてたから、落ち着いたら話そうって、ずっと思ってたから…」

「ああ、なるほど」


…何がなるほどか。リパウルは一気に疲れに襲われた。どうにも自分は、ルーディアとの会話に慣れ過ぎている様だ。見るとアルベルトは、まだ戸惑っている様だったが、間違いなく迷惑そうではない。リパウルはほっとため息をついた。


…が、まだ難関がもう一つ残っているのだ。


「あの、嫌じゃないのね…迷惑とか…」

「いや、最初から言ってる様に、俺は君に、その…つまり、俺の望み通りで申し訳ないくらいで…むしろ言いたいことだけ言って結局全部、君任せにして、今までずっと君にだけ気を使わせて悪かったよ」

「そうね…危険そうな日には薬を飲むようにしてたんだけど…」

「うん、そう言ってたね」

「けど、その、どうしても薬を飲む気になれない日もあって…。その時だと思う。その、相談もしないで勝手に…」


リパウルの言葉にアルベルトは微笑んだ。


「産まれてきたかったんだな、きっと」

「え?」

「子供だよ。何か重要な使命を帯びているのかもしれない」

「まさか…」

と、リパウルは笑った。また、妙なことを…。


けれど、現実主義のくせにロマンチストなアルベルトが、自分を気遣うためにそう言ってくれているのだということは、リパウルにもわかっていた。子供が出来たことを心から喜んでくれていることも…。


 …間違いなく、喜んでくれている。それに自分のことも気遣ってくれて…。が、もうひとつの肝心なことに気が付く気配は一向になかった。


「予定日はいつ頃って?」


なんたることか、生まれてくる日のことまで気にし始めている。リパウルだって嬉しいのは、間違いなくうれしいのだが…。


「予定日は十二月の終わりの頃って…」

「ちょうど慌ただしい時期なんだ」

と、アルベルトはジョークを言うような口調でそう言った。リパウルは

「…気が早いわよ」

と、曖昧に呟いた。


「そうだな、まだ安定してるわけじゃないみたいだし。君のその、つわりの方は…」

「もうそろそろ落ち着くだろうって。入院前よりずいぶんと楽になってるから…」

「そうか、俺が疲れさせて…」

「それは、いいの…それより…」

と、リパウルは口を噤んだ。


本当に嬉しいのかアルベルトはさきほどからずっとにこにこしている。が、リパウルが笑っていないことには気が付く気配がない。


「なんだい?」

「…名前は、どうするの?」

「名前?」


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