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オールドイースト  作者: よこ
第2章
242/532

2-11 傷のあと(11)

ミラルダと連れ立って、病室を抜け出すと、ウォルターの病室へ向かった。ミラルダはウォルターが取り返してくれた通学用のカバンを肩掛けにかけていた。どちらともなく手を繋ぐ。きっと二人とも少しだけ不安で、少しだけ安心していたのだろう。


 ウォルターの病室まで戻ると、ちょうど点滴の最中だった。ウォルターはすぐにミラルダに気が付いて

「あれ、ミラルダ…」

と、呟いた。


「ウォルター!」

と、言いながら、ミラルダは小走りでウォルターのベッドに近づくと、興味深そうに点滴の様子を観察し始めた。ミラルダの表情に看護師さんが優しい笑みを浮かべる。


処置を終えると、看護師さんは二言三言伝言を残して、立ち去った。


ウォルターは改めてミラルダに視線を向けると、少し表情を緩め

「大丈夫?どこか…」

と、ミラルダに言葉をかける。ミラルダは首を振った。彼女は昨日連れ去られた時の格好のままだった。


「私は平気。ウォルターはどうしたの?」

「うーん、胃をちょっとやられたんだ。けど、治してもらったから大丈夫」

「胃を?治したの?」

「手術したんで、今はまだ痛いかな。でも、あとは治るだけだ」

「そうなんだ」

と、ミラルダは首を傾げた。


ウォルターは苦笑を浮かべると

「ザナー先生は…」

と、言いかける。と、ミラルダが顔を強張らせた。ウォルターは敏感に彼女の顔色の変化に気が付いて、口を噤んだ。それから

「ミラルダ、朝食は?もう、食べたの?」

と、質問を切り替える。ミラルダはこわばった表情のまま首を振った。

「みんな、そう訊くのね。食欲なんかわかないもの…」



「まあ、そうかな?僕もそうだ。みんなひどい目にあったし」

ひどい目にはあったが、特に食欲が減退しなかったアナベルは多少、後ろめたい様な気分になった。ウォルターはアナベルの表情に気が付いて

「まあ、食べられる人は食べたほうがいいし…」

と、肩を竦める。


アナベルは

「悪かったな」

と、ぼやいた。ウォルターは表情を変えずに

「君も相当ひどい目にあったわけだけど、ずっと、なにがしか働いてるし、食欲があるのは悪いことじゃない」

と、言葉をつづけた。


「お前、自分が食べられないからって、八つ当たりしてないか?」

「なんでそうとるかな?素直に感心してるんだけど…」

「嘘だろ。食い意地だけは健在だって、バカにしてないか?」

「いや?ただ、後から、反動が来ないといいけど、とは少し思ってる」

「また…」


アナベルはしかめっ面になってしまう。元に戻ったのはいいが、やはり嫌な奴だなと、げっそりしてしまう。


「アナベル、ずっと働いてるの?ずっと縛られてたのに…。大丈夫?」

と、ミラルダが心配そうになった。改めてアナベルの手首の包帯に視線を向ける。


「大丈夫だよ。こんなのなんでもない」

と、アナベルは笑顔で請け合った。ふと、ミサキに聞いた言葉を思い出す。


「ミラルダの方こそ、大丈夫だった。サイラスにひどいこととかされなかった?」

「サイラスって、あのきれいなお兄さんのこと?金髪の、灰色の目の…」

と、顔をしかめながらミラルダは首を傾げた。


「そう…だね」

確かに見た目だけなら、サイラスは立派に“きれいなお兄さん”だ。と、アナベルは首を傾げた。


「あいつ、目の色灰色だったっけ?」

「違った?」


だが、そう言われてみれば夏に会った時に比べると、色が濃くなって光の加減によったら、灰色に見えなくもなかった。


「まあ、目の色は成長するにつれて変わることがあるらしいし…」

と、ウォルターは何でもないことのようにそう言って、ふいに、顔色を変えた。アナベルは、ウォルターの方に視線を向けて、その表情の変化に気が付いた。


「…どうした?具合でも悪いのか?」

心配になって、顔を覗き込んでしまう。ウォルターは少し慌てて、顔を上げた。


「え…いや…」

と、不明瞭な言葉を返す。


「お前、顔色が…」

「うん、なんでもない。僕よりミラルダの話だろ?」

「あ、うん…」

ミラルダもウォルターの様子を気にしつつ、首を振ると

「私は平気…でも、あいつ、セアラにひどいことばっかりして…」

と、悔しそうに唇を噛みしめる。


「うん…」

「あいつ、大っ嫌い。セアラがいなかったら、きっと私も殴られてたと思う」

と、呟くとふと顔を上げた。


「そういえばセアラは?」

と、ミラルダは首を傾げる。アナベルは悲し気に顔をしかめた。


ミサキの言う通りだった、セアラはずっとミラルダをかばって…。サイラスにひどい脅され方をされていたのに、セアラなりにミラルダを守ろうと、してくれていたのだ…。


「セアラは、今、どこにいるのか、わからないんだ…」


アナベルは沈痛な表情になって、そう呟いた。ミラルダは顔をしかめた。


「行方不明なの?」

「うん…」


場が、重い空気に支配される。ウォルターはふっと息をついた。


「昼食の時間が過ぎたら…」

と、切り出す。


「え?」

「着替えの用意とか、頼みたいんだけど、いいかな?」

「ああ、うん。午後でいいのか?」

「うん、まあ特に急ぐ必要もないし…」

と、ウォルターは呟いた。二人のやり取りを聞いて、ミラルダがため息をついた。


「アナベル、外に行っちゃうの?私はいつまでここにいればいいんだろ?」

と、拗ねた様子で口を尖らせる。


「そうだね…。看護師さんに訊いてみようか?私と一緒にいれば大丈夫なんだし…」

「そっちの方がいいな。病院、嫌いなの…」


…もっと嫌いになりそう…と、ミラルダは独り言のように言葉を続ける。無理もない、とアナベルは嘆息した。ウォルターが

「ムラタさんの話だと、そのうちエナも来るんだろ?動いてもいいのか確認してみよう」

と、提案した。


ウォルターが何の気になしに口にした“エナ”という名前に、アナベルは顔を強張らせる。昨日訊いたばかりの話が、頭の中に無造作に放り込まれたままで、全くの未整理状態なのだ。


 …意図的に遺伝適合率が低い人間を選んで…。


 …“遺伝適合率”ってなんだ?


 アナベルは一人顔をしかめていたが、視線を感じて顔を上げるとウォルターと目が合った。


「なんだよ?」

「いや、別に…」

「別にって…」


絶対何か訊きたそうだ。


「お前、前からずーっと、思ってたけど…」

「訊きたいことがあるんなら、勿体つけずに、すぐに訊け?で、訊いたとして、君、スムーズに説明してくれるの?」


ウォルターの確認にアナベルは苦い顔になる。


「別に君だけのことじゃない。すぐに消化して口にできる問題と、そうはいかない問題がある。僕だって春休みの課題をずっと棚上げだ」

「あっと…」


つまり、ゴタゴタしたので、なんとなく元の彼に戻ってはいるが、彼の問題は、別段、解決したわけではない、ということだ…。


「わかったよ。私がつっかかってた!いや、つっかかりそうになってました!!」

「いつものことだ。もう慣れたよ」

と、ウォルターが肩を竦める。アナベルは相手が怪我人なのも忘れて、頭をはたきたくなってきた。


 …私がこいつを好きだなんて、絶対何かの勘違いだ!


 アナベルは渋い表情になって、胸の奥で、一人でそう呟いた。


***


 ウォルターの病室を後にしたオリエは、まっすぐルカの病室へ足を進める。途中で携帯電話に連絡が入った。育成センターにいるエナからだ。短い連絡を受け取ると、オリエは通話を終える。ルカの病室のドアをノックすると中から「どうぞ」と、返答があった。


ドアを開いて室内の様子を一瞥してからオリエは病室に入った。室内の様子は、アナベルと二人で出て行った時とは、若干異なっていた。


中央のベッドで眠っていたルカはすでに目を覚ましており、ベッドの上半身側が斜めに起こされていた。部屋を出た時には壁際の中央におかれていた椅子が、今は隅の方に寄せられている。そこに座って眠っていたはずのルーディアにかわって、背の高い白い影のような男が、やや俯き加減の態勢で、腰を下ろしている。


ルカは、はっきりとした眼差しを、室内に入ってきたオリエの方に向けた。ルカに合わせるように、入り口に背を向けて、ベッドの傍らに立っていたルーディアも、オリエの方を振り向いた。


彼女は、たっぷりとした癖のある栗色の髪を、二本の三つ編みにして前に垂らし、青色がかったグレイのノースリーブのワンピースの上に、やさしい水色の七分丈の薄手のカーディガンを羽織っていた。


「ムラタ博士」

と、応じたリパウルだけが、オリエがこの部屋を出た数時間前と、変わらぬ様子だった。


「先ほど、ミサキさんが来られて、博士の所在を訊かれたのですが…」

と、伝えた。オリエはリパウルに向かって頷くと

「食堂の方で会えました。今、外出しています」

と、答える。


「そう」

と、リパウルは頷いた。オリエは黙ってルカへと視線を向けた。


「体調はどう?」

「そう…、悪くもありません…」

「よかったわ」

と、オリエは短く応じた。それから

「ルーディア」

と、ベッドの傍らに立つ少女に声をかけた。ルーディアは少し目線を上げるとオリエの顔を直視しながら

「何?」

と、首を傾げた。


「エナから連絡が入ったの。あなた今から育成センターの方へ私と一緒に行ける?」

と、尋ねる。


「育成センターに?どうして?」

「試したいことがあるから。気が乗らないのなら無理強いはしないわ」

「気が乗らないってことはないけど…要件次第ね。秘密主義は勘弁してほしいわ」

「今、かつてあなたたちがいた部屋で、サイラスを眠らせてるの」

「え?」


その言葉にルーディアは顔をしかめた。見るとルカも似たような表情になっている。


「眠らせてるって…」

「ほかにしようがありません」

と、オリエはため息をついた。続けて

「先ほど覚醒の兆候が見られたので、睡眠導入剤を投与したの。だから、今は再び、深い睡眠状態に入っている」

「それって…」

と、ルーディアはますます厳しい表情になった。が、オリエは無視すると

「私は今から育成センターに行くけど、どうする?」


「だから、目的は何なのよ?」

「仮説の検証よ。サイラスとあなたの脳波を比較して、連動しているのかどうかを見たいの」


オリエの言葉にルーディアは慎重な表情になった。無意識なのかルカの方へと視線を向ける。目が合うとルカは無言で頷いた。


「行くべきだって、思ってる?」

「見えないの?」

「ええ、ごちゃごちゃしてる…」


ルーディアの返事にルカはため息をついた。


「行ってほしくないけど、彼のことを見てきてほしいような。けど、近づいてほしくない…って思ってる。そうだね、確かに、ごちゃごちゃしてる」


ルカの言葉に、その場にいた二人の大人は苦笑を浮かべる。えらく正直だ。が、隠したところで仕方がないことは、この場にいる全員が分かっていた。ルーディア一人が真面目な表情のまま頷いた。


「行くわ」

「そう」

ルーディアの短い了解の言葉にオリエも短く応じる。顔を上げると

「あなたにも、頼みたいことがあるのだけど…」

と、オリエはリパウルに向かって切り出した。



 ルカの病室から出ると、オリエとルーディアは連れ立って歩く。小柄なオリエはルーディアとさほどの身長差もない。二人は無言で歩きながら、特別病棟経由で、育成センターを目指す。歩くと結構な距離になる。育成センターの敷地内に入るとルーディアが息をついた。


「懐かしい?」

と、オリエが目を眇める。ルーディアは肩を竦めた。


「そうでもないわ。碌な思い出がないし。もっとも今の特別病棟を歩くよりは、こっちの方がましな気分だけど」

「ギュンターはどうだった?」

「なんでそんな、やなこと訊くのよ?前以上にむかつく…気色の悪い奴になってたわよ」

「そうね。年を取るということは、一歩間違えると、醜悪になっていくという、今のギュンターは、その好例になってしまってるわね」


「好例って…、やな方に開き直ったってこと?」

「そう…以前はもっとうまく隠していたけど、死の方を意識し始めたのか、彼の中では自分の嗜好を隠す意味がなくなってきているようね」


「気持ち悪い…」

「そうなると、社会的地位を高めにしているのが、悪い方に効果を発揮し始めるわね」

「どういう意味?」


「以前はそれを意識して、自分を客観視したうえでふるまっていたものが、悪用し始めるようになった。以前は、社会的地位に伴う外部の目が抑止効果を持っていたのが、隠れ蓑として使えるという風に思考を切り替え始めた…そんなところかしら」


「前は外面ばっかり気にしてたのが、年取ってどうせ先に待つのは死だからって、恥も外聞もなくなっちゃてるってこと?」


ルーディアの露骨な言い方にオリエは苦笑した。


「まあ、そうね」

「全くいい加減にしてほしいわ」

「そうね、こんな事件をおこした以上、このままの地位に留めておくことは出来ないでしょうね…」

「抑止効果もなくなってるし?」


オリエは深々とため息をついた。


「頭脳だけなら、間違いなく優秀な男なのですが…」

「どこがよ?人間、ハートが大事よ!」


ルーディアの確固たる主張に、オリエは笑うと、

「そういえば、カレンと話しました。電話で…」

と、話題を変えた。


「え?カレンって、あのカレン?嘘?なんで?」

と、ルーディアが顔を上げた。オリエは頷くと

「私も意外でした。アナベルの友人だと…」

「アナベルの?」

「そう、病院のバイト中に知り合ったと」


「偶然?」

「きっかけはそのようね。でも、カレンです。きっかけはともかく、後は知ったうえでのことでしょう」

「そう…」

「昨晩の事件前まで、カレンがセアラの身柄を保護していたようなの。セアラがおとなしくカレンの庇護下にいれば、こんなことにはならなかったでしょうに…」


オリエの言葉にルーディアは顔をしかめた。…セアラ・アンダーソン。名前とイメージしか知らないその少女のことが、今のルーディアにとって、一番気がかりな存在になっていた。


 サイラスの眠る一角に到着すると、室内にはセンターの職員が数名ほどいた。今朝がたオリエが急遽招集をかけて配置したスタッフで、春にルーディアの健診を行っている職員たちだ。


オリエは、モニターを監視するエナのそばに、無言で近づいた。

「エナ、そろそろ休憩を…」

「わかってます」


エナは疲れたため息をつく。オリエは入り口で立ち止まったままのルーディアに声をかけた。


「ルーディア、そのままサイラスのポットに近づいてくれる?」

ルーディアは足音を立てないように、静かにサイラスの眠るポットに近づいた。オリエはモニターに視線を戻した。顕著な反応は見られない。


「ルーディア、そこからここに跳ぶことは出来る?」

「出来るわよ?」

「なら、跳んで来て」


オリエのその言葉に呼応するように、各々で作業に従事していたスタッフたちが、こっそりと顔を上げた。距離にして本の数メートル。歩いたところで大差はない。が、ルーディアは素直に跳んだ。


「出ました」

「連動してるわね…」


二人の博士はモニターを凝視しながら、頷いた。言いつけに素直に従ったルーディアも、モニターを見ようと背伸びをした。


「睡眠の波形は…」

「若干、変化がみられるわね」

「干渉を受けてる?」


オリエは深々とため息をついた。


「ここにはしばらく、私がついています。あなたはアナベルとウォルターに会ってきなさい」


オリエの言葉にエナはじっとモニターを凝視し続ける。


「一時間後に始めましょう。あなたは…ルーディアを、連れていく?」

と、返事をしないエナに向かって、オリエはシニカルな調子で言葉を続ける。エナは気分を害した様子でオリエを一瞥すると

「一人で行けます」

と、応じる。オリエは微笑むと

「そう、なら、一時間後にここで会いましょう」

「わかったわ」

それだけ言うと、エナは立ち上がり部屋から出て行った。


ルーディアは気遣わし気な眼差しで、エナの後姿を見送った。


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