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オールドイースト  作者: よこ
第2章
210/532

2-9 欠けたモノ(8)

「リパウル」

慌てたようにアルベルトが、手を上げた。が、リパウルは彼に向かって首を振った。


「少し頭を冷やしたいだけ」

「送って…」

「いいの、今日はバスで帰るわ」


それだけ言うと、やけに硬い表情のナイトハルトに向かって

「ミラルダちゃん、だっけ?名乗ってもらえなかったけど、宜しく伝えて。失礼な態度をとって悪かったわ」

と、冷やかな笑みを浮かべてそう告げると、荷物を取る為に、アルベルトの家へと戻った。


残された二人は、じっとりと見詰め合う。先に切り出したのは、ナイトハルトの方だった。


「お前…」

「いや、何も言うな」

アルベルトの返答に、ナイトハルトはため息をついた。そして、彼の言葉を無視して

「すまない」

と、短く謝罪の言葉を口にした。


「いや、俺が悪かった」

と、何故かアルベルトの方こそ謝罪の言葉を口にしてから、ナイトハルトを一瞥すると、「入るぞ」

と、彼に声をかけた。


 家に入ると、丁度上の階から、リパウルが旅行用のスーツケースを持ってゆっくりと階段を下りている最中だった。アルベルトは隣にいるナイトハルトに「しばらく留守にする。悪い」と、短く謝ると、返事を待たずにリパウルの方へと足を急がせる。ナイトハルトは友人の背中に手を上げると、一人で娘と下宿生らの待つリビングに入った。



 リパウルは自分の方に向かってくる、アルベルトに気がついたが、すぐに俯いた。


「持つよ」

と、無造作にスーツケースをとられてしまう。

「別に…」

と、言いかける、リパウルの手を、アルベルトは問答無用で握ると

「官舎まで送る」

と、有無を言わせぬ口調でそう告げた。リパウルはなんとも答えられない。


リビングの手前で足を止めると、アルベルトはリパウルを送って行くと短く報告して、彼女とスーツケースと共に、自分の車へと向かった。


アルベルトはスーツケースを車のトランクに入れると、車の側で佇むリパウルに、短く「乗って」

と、告げた。リパウルは冴えない表情のまま、助手席に座り込んだ。


せっかく久しぶりで皆に会えたのに…。


 シートベルトをすると、アルベルトは慣れた様子で車を発車させる。ハンドルを回しながら開口一番「ごめん」と、また謝った。リパウルはため息をついた。


「さっき、言ったわ。別にあなたに謝ってほしいわけじゃ…」

「でも、もう少し詳しく説明しておけば、君だって違う心構えでいられた筈だ。驚いたんだろう?」

「そうね…」

「思いもよらなかった?」

と、少し緊張が解けたような口調になってアルベルトが言葉を続ける。リパウルは首を振った。


「ううん、ひょっとしたらって、思ってた。けど、そうじゃないといいなって…」

言いながら自嘲の笑みを浮かべ、前髪をかきあげた。


「さっき、あなたに当り散らしたのに…私の方こそごめんなさい…」

「いや、どうして?」

「ううん。なんでも…、言える事ばかりじゃないわよね…」


リパウルの少し荒んだ言い方に、アルベルトは顔をしかめた。リパウルはアルベルトの表情には気がついたが、構わずに言葉を続けた。


「ねえ、言える範囲でいいの。あの子の、ミラルダの母親って、どういう人だったの?」

「どういうって…」

と、呟いたきり、アルベルトの言葉が途切れてしまう。アルベルトがどう言おうかと逡巡している様を横目で見てから、リパウルは

「その人、エレーンって人?」

と、前を向いたまま静かに尋ねる。アルベルトがふっと息をつくのがリパウルにも分かった。


「…そうだ」

「ひょっとして、あいつが週末に来なくなったのって…」

「ああ、入院している彼女に会うため、週末ごとに飛行機で移動していた」

「飛行機…」


流石にそこまでは想像していなかった。


「その、二人の関係がどんな風だったのか、俺もそこまで詳しくは知らないんだ。エレーンさんは、高等校の卒業に合わせるようにして姿を消したんだ。あいつはずっと行方を捜してた」

「…そう、なんだ…」


意外だった。隠し子がいる、という以上に、ナイトハルトがそこまで一途に一人の女性を想い続けていたということの方が、リパウルにとっては、圧倒的に意外だった。が…


「でも、ずっと探してたって、あいつ、私が知る限りでは、いつでも大抵、ガールフレンドがいたような気がするんだけど…」

と、感動しかける自分を制するかのように、意図的に邪険な口調で言ってみる。リパウルの言葉にアルベルトも苦笑を浮かべる。


「まあ、その点に関しては、俺もどういう神経をしてるんだろうって、思ってはいたけど、あいつが本気だったのは、エレーンさんだけだったんだろう」

「そうなんだ…」


それならば、大学時代の一時期、ナイトハルトと恋人もどきだった頃、彼に対して自分が感じていた印象は、あながち的外れでもなかったのだろう。ナイトハルトは心に大きな空洞のようなものを抱えていて、それは自分ごときには埋められないものなのだと…。


「君は知ってたんだろ?」

と、不意にアルベルトが意味の判らない事を言い出した。


「え?何を?何も知らないけど…」

「けど、知ってた。理由こそ知らなかったけど、あいつがひどく傷ついていることは、君も気づいていた」


言われて、絶句する。そう、確かにそのことならば、知っていた。自分では、どうしたって癒せないほど、ナイトハルトが傷ついている事を…。


リパウルの呆然とした表情を、横目で見ながら、アルベルトはシニカルな笑みを浮かべる。


「君があいつに会い続けている事を、他ならぬあいつから聞くたび、いつも嫉妬してた」

「アルベルト…」

「情けないだろ?なかなか勇気が出せなくて…」

と、肩を竦める。リパウルは無言で首を振った。頭が…心が混乱して、上手く言葉がまとまらなかった。


「色々言い訳をつけて、先延ばしにしてた。リストが来たら、就職できたら、親父を説得できたら、あいつの問題にどんな形でもいいから、解決のめどがついたら…」

「アルベルト…もう、いいの。ごめんなさい」


リパウルの言葉に、アルベルトは少し困ったような笑みを浮かべると

「うん…愚痴をこぼすのはやめる」

アルベルトは前を向いたまま、やけにさっぱりとした口調でそう言った。それから

「そういえば、ルーディアは、いつ頃戻ってくる予定になってるんだ?」

と、思い出したようにそう言った。


どこからどう連想したのか、分かるような気がして、リパウルは小さく微笑んだ。


***


 アルベルトが、階段にいるリパウルの元に近づくのを見届けると、ナイトハルトはリビングに入った。入るなりリースが

「この子、ナイトハルトにそっくりだね!」

と、声を上げる。ナイトハルトは苦笑した。当のミラルダは口をあけて何故かハインツを見上げている。


「ナイトハルト、この人すごく大きくない?」

と、呆気に取られたように呟いた。こちらにもナイトハルトは苦笑を浮かべる。と、アルベルトが顔を覗かせて、リパウルを送ると短く伝言を残すと、顔をひっこめた。ミラルダが面白くなさそうな顔になった。ナイトハルトは娘に一言、言ってやらねば、と思いながら口を開くが、もう一人の下宿生の姿が見えないのに気がついた。


「アナベルは?」

「ああ、荷物を置きに部屋に戻ってるよ。それから飲み物持って来るってさ」

「ああ」と、呟くとナイトハルトはキッチンへと向かった。


 ナイトハルトがキッチンへ入ると、アナベルは七人分の飲み物を用意している最中だった。


「あ、ナイトハルト。リパウルは…」

「ああ、帰った。アルベルトが送ってる。なんで、飲み物はそんなにいらない」

「ええ!そうなの?せっかく久しぶりで会えたのに…」


「そうか、悪かった」

と、ナイトハルトは全く悪びれずにそう言った。アナベルはうんざりしたような表情になって、

「いや、気にしてないんだったら、別にいいよ」

と、曖昧な返答をしておく。それから

「その、ミラルダ、どうだったの?一週間、ウォルターがみてた時…」

「なんだ、気になるのか?初等校生相手に妬かなくても…」


ナイトハルトが当たり前のようにそう言いだしたので、アナベルは呆れたように、ため息をつく。


「誰がそんな話してるんだよ。つまり、そのミラルダはお母さんを亡くしたばかりなんだろ?だから、何か気にかけた方がいいこととか、あるんじゃないかって、そう思ったんだ」


とアナベルはやや厳しい調子でそう言った。見るとナイトハルトが呆気に取られたような顔になっている。


「その、私は親との縁が薄いから、そういうのよくわからなくって…だから、無神経なこととか言って、傷つけたらいけないなって…」

と、言葉を続ける。


ナイトハルトは密かに感心した。先ほど、自分にだってわかる、とほざいていたリパウルに聞かせてやりたい、と咄嗟に思ってから、流石に反省した。自分が偉そうに言える立場ではない。


「いや、そんな気にしなくても、普通にしてれば…」

「お前、またそんな簡単に…」


アナベルは難しい表情になったが、ナイトハルトは構わず

「親との縁がどうとかいうんなら、俺だって似たようなもんだし。お前にいうにもなんだが、そもそも俺には母親がいないから…」

と、ナイトハルトが言いかけるのを、アナベルは呆れたように遮った。


「そのことなら去年の十二月に、聞いたよ。出生書類に名前がなくて、面会もしたことがないんだろう?」

「ああ、そうか」

「それで、リパウルが」


…お前を励ましてくれたって…


と、アナベルが不満そうな顔になる。


「ミラルダのことにしたって、お前がリパウルに直接話していれば…」

と、言いかけて、口を噤んだ。詳しい事情も知らないで偉そうなことを言って…。カディナで反省したばかりではないか。


 余計なことは口にすまい、と、アナベルは思い返した。


「…ミラルダのお母さんって、いつ頃亡くなったんだ?」

と、アナベルは質問を切り替えた。そのくらいのことは知っておきたかった。


「ああ、丁度一か月前くらいか?それで、俺が引き取ることになったんだが、どうせ転校するんだったら新学期からの方がいいかと思って、それまでトリオールの親戚の家にお世話になってたんだ」


…一か月前って…。


と、言いかけて、アナベルは約一月前、ナイトハルトと会った時のことを思い出した。


今まで、ミラルダはともかく、ナイトハルトが普段と変わらない様子なのが、アナベルにはどうにも不可解で、一体ミラルダの母親という人はナイトハルトにとってなんだったのだ?と、違和感を覚えまくっていたのだが、ふいに腑に落ちた。


「あの、よかったのか?その、転校させるとか…」

アナベルはそこには触れずに別のことを訊いてみる。ナイトハルトは「ああ」と、短く答えると

「俺もミラルダをここに連れてくるまでは、結構悩んでたんだが、連れてきてから、かえってよかったのかもしれない、と思うようになった」

「そうなんだ?」


「もともとその親戚の家に住んでいたわけじゃなくて、母親が病気になった都合でまあ仮住まいさせてもらってたようなもんだったんだ。ミラルダからしてみれば、母親の入院とその場所が結びついてしまっていたのかもしれない。トリオールにいたころより、セントラルに連れて来てからの方が、表情をだすようになってきてるから…」


「トリオールにいるころは、もっと元気がなかったのか?」

「まあ、そうだな。くってかかることもなくなってて…。もともと母親はセントラルシティ生まれで、育ったのもここだったから、ミラルダも母親から、色々ここの話を聞いていたらしくて…」

と、言うとナイトハルトは少し笑って

「春休み中、ウォルターなんかは、毎日のようにセントラル図書館に連れて行ってたらしい」


「本好きなの?」

「ああ、それもあって、ミラルダにしてはウォルターに打ち解けるのが早かったのかもな。エレーンも仕事が休みの日には、いつも図書館に行って…」

と、ナイトハルトが、見たこともないほど、優しい笑みを浮かべた。


見ているアナベルの方が、なにやら恥ずかしくなってくる。ナイトハルトも自分が締まりなく微笑んでいることに気づいたのか、ふいに真顔に戻って

「まあ、だから、困ったら本がたくさんあるところにでも放り込んでおきゃ問題ない」

「…放り込むって…」


全く、いいかげんな話だ。結局、そうなるのか、とアナベルは嘆息した。


 飲み物をリビングに運んだアナベルは、妙にハインツに懐いているミラルダの様子を見ながら、ナイトハルトやリースと休み中の情報交換を進める。時間を見はからって、下宿生の二人は進んでキッチンへと向かうと、夕食の準備を始めた。


その後、夕食の準備が殆ど整った頃に、アルベルトが戻って来た。六人でキッチンテーブルを占拠して、夕食を食べることになった。アナベルは、ナイトハルトがキッチンテーブルで酒も飲まずに、食事を取る姿というのも、思えば相当に珍しい姿だ。と、思ってしまったのだった。


***


 夕食後、ナイトハルトはミラルダを伴って、家に向かって車を走らせる。運転しながら、ナイトハルトはエレーンの事を思い出していた。…思い出していた、と改まる必要もない。特に考えるべきことがない時は、いつでも彼女の事を考えているのだから。ミラルダが来てから、あきらかにその傾向が強くなった。


 車内は静かな音楽の音に支配されていた。助手席に座るミラルダが

「ナイトハルト…」

と、妙に重々しい口調で話しかけてくる。


「なんだ?」

「パパは…あのリパウルって人と、ママと、どっちが美人だと思う?」


ミラルダの突拍子も無い質問に、ナイトハルトは運転中なのにもかかわらず、思わず娘の顔を凝視してしまう。なんの脈絡もない、その乱暴な質問は、子供ならではと、いえば言えた。


おまけに、今、ミラルダは自分の事を“パパ”と、呼ばなかったか?


「おい…」

「何よ」


先ほど確認した。間違いなく娘は、仏頂面をしてその質問を発したのだ。


「お前、今なんで俺のこと、“パパ”って呼んだ?」


ミラルダは口を尖らせたままナイトハルトを睨んだ。


「何?答えられないから、いいのがれしようとか思ってるんでしょ?」

「お前こそなんだ?“パパ”なんて普段は呼ばないくせに」

「なによ、悪かったわね。そんなに嫌なら呼ばないわよ!」


…いや、嫌なわけではないのだが…


「“パパ”なんて呼ばれたら、どうしたって、“ママが一番”って、答えざるを得ないだろう。お前、計算して…」

「違うわよ!もう、自分でも、自覚してなかったの!」


ナイトハルトは娘の返答を無視した。車内は再び音楽の支配下に陥った。


「…で、どっちなの?」

ミラルダは諦めず、質問を繰り返す。


「エレーンだな」

やけにあっさりと、ナイトハルトが答えた。ミラルダは、前のめりになって

「また、ご機嫌とろうとかって、思って!」

「お前、どっちだよ?お前の方こそ、ママが負けてるかもとかって、思ってるんじゃないだろうな?」


その言葉に、ミラルダはぐっと、詰まったようになった。ナイトハルトは、少し呆れて、娘の表情を一瞥する。


「美人とか綺麗とか、ようは好みの問題だろう?俺の主観で正直に答えたぞ」

「だって、あの人…すごい美人じゃない」

「俺の方が美人だ」


父の台詞にミラルダは絶句した。誰が自分と比べろと…。


「まあ、人間見た目じゃないんだろ?…と、言いたいところだが、それはやっぱり綺麗ごとだな」

「どういう意味よ」

と、言うミラルダの言葉に何故かナイトハルトは笑顔になった。


「俺も学生の頃、エレーンの見た目がどうでも、好きになったとかって、思おうとしてた頃があったが…」

「そうなの?」

「ああ、まあな。けど、それはやっぱり嘘だったな、と今は思ってる」

「でも、ママは見た目だけじゃないもの!」


娘の抗議に父は苦笑した。そう思うのならば、愚かな質問などする必要はないだろうに。


「そう、あの人は、一見凄く儚くて、庇護欲をかきたてられる…そういう雰囲気だけは、十分に持ってる人だったんだが…。実際は、逆で、実は結構、強かった。今考えてみると、俺の方が彼女に守られてたな」


懐かしそうに、いとおしむように、言われたその言葉に、しかし、ミラルダは反論したくなる。


 …でも、ママはずっとパパが自分を守ってくれてたって、それが凄く嬉しかったって…。


 が、ミラルダがそのことをいう前に、ナイトハルトは、言葉を続ける。


「リパウルは、それこそ、その逆だ。あいつは一見強そうに見せてるけど、強いのは気だけで、中身は結構グダグダだ。まあ、ようは見掛け倒しって奴だな」

と、楽しそうにそう言った。


ミラルダは猛烈に、面白くなかった。気がつくと、口がへの字になってしまった。先ほどまでは、ミラルダなりに、リパウルともっと打ち解けられるよう、努力すべきなのだろうかという躊躇いがあったのだが、ナイトハルトのその言葉のせいで、すっかりその気がなくなってしまった。


…言っていることは、確かに悪口だ。でも、なんでそんなに楽しそうなの?


…ママが強くて、あの人は弱いって…。


…仕方がないわよ。


後部シートにママがいて、そう言いながら苦笑しているような気がした。そんなだから、ナイトハルトに“強い”とか、一方的な事を言われてしまうのだ。と、ミラルダはママの幽霊に文句を言いたくなった。

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