2-7 あるエリート候補生の災難(6)
「…そんな深い意味は」
「そういえば、私とドミトリィが、あなたたちに見られちゃったのも、二人で、デート、してる時だったわよね。あなた達、実は、しょっちゅう、二人で出歩いてない?」
「違うだろう?たまたまだ。それに、こっちはいつも、アナベルの用事につき合わされているだけで」
「へえぇえ~。そうなんだ。そういえば、冬休みもバイトは休みの日だっていうのに、二人きり家で、課題やるって約束してたんだっけ?」
…より正確に言うと、二人で何か作って、一緒に食べようかという話だったのだ。それに思い出すまでも無く、冬休み中は、毎晩一緒に出歩いていた、ともいえる。これを口にしたら、ますますとんでもないことになって、収拾がつかなくなることは目に見えていた。
「だから、何が言いたいわけ?ヘンリーとビクトリアの話じゃなかったの?」
「ううん。やつらの事は、正直、どうでもいいのよね、私は」
「やつら、って…」
と、ウォルターが苦い顔をすると、イーシャは身を乗り出すようにして
「ねえ、正直に言いなさいよ。あなた達、本当は、付き合ってるんでしょ?」
「そんな事実はどこにもない」
…残念ながら、とウォルターは心の中で付け加える。
「ふーん、そうなんだ。なら、どうして、ノエルが、あなたに付き合わない?って言ったってのを聞いた時、アナベルはあんなにショックを受けてたのかしら?」
と、うんざりするばかりで、まるきり無防備だったウォルターの下に、かなり強烈な情報が投下された。
「…え!ショック受けてたの?」
確かに月曜日にも、やたらとその事を気にしてはいたが、てっきり仕事の心配なのかと…。仕事のことではなかったのか?
…と、思わず、露骨に反応してしまう。はたと、気がついて、慌てて顔をそむけるが遅かった。イーシャが目を見開いて、ウォルターの横顔を、まじまじと凝視していた。
「ちょっと、今の、何?」
と、イーシャが呆然と呟くと、イーサンが可笑しそうに、声を出さずに肩をゆすって笑い始めた。
「化けの皮が剥がれたな」
と、ウォルターに向かって呟く。ウォルターは横を向いたまま
「うるさいな」
と、ぼやいた。
「ねえ、何よ?今の驚きと喜びに満ちた顔は!?」
と、言いながらイーシャはウォルターの肩を掴んだ。ウォルターは仰天して、思わず振り返った。
「ちょっと…!」
「え、何?嬉しいの?アナベルがショックをうけてたことが?信じられないんだけど?」
「いや、その…」
そんなに露骨に表情に出てたのか?そんなつもりはなかったのだが?
「イーシャ、君、仕事中じゃないの?」
「今日は母さんもいるからいいのよ!え?ウォルター、あんたってそうだったの?」
イーシャの追求がここまで来ると、イーサンの笑い声も次第に遠慮がなくなってくる。が、最初から酔客で一杯だ。周囲は喧騒に満ちていたので、どうということもない。
「喜んでたつもりはない!」
「うっそ!明らかに喜んでましたー。えー、何よもう、早く言いなさいよ」
「…なんで、君に?!」
ウォルターが露骨に嫌そうな顔になるので、イーシャは流石に肩から手を離す。イーサンがとりなすように
「まあ、そう、こいつを苛めるな。お前にばれたらアナベルにもばれる。そう、心配したんだろう」
と、言うと、イーシャは口を尖らせて
「えー、そんな大事なこと、ペラペラしゃべらないわよ」
と、答えるとウォルターの方へと向き直り
「そういうのは、ちゃんと当人の口から言わないと。でしょ?」
と、にっこりした。
…でしょ、と言われても、こっちはまだ、そんなところまでいってないのだが…。
ウォルターは一息ついた。アナベルが言ってたのはこのことだったのか?だったら、ぬか喜びは禁物だ。ノエルの件にしても、アナベルからすると、予想外すぎて驚いただけなのを、イーシャが必要以上に拡大解釈して、アナベルに絡んだだけということもある。
ここで調子に乗って彼女に何か言って、拒絶されたら目も当てられない…。
「盛り上がるのは結構なんだけど…」
と、ウォルターが言いかけると、イーシャの後ろからウバイダが顔を覗かせた。
「そうだね、イーシャ。いつまでここで遊んでるんだ?」
と、首を傾げる。
…また、面倒なのが…。
「うーん、ウォルターにアナベルのこと聞いてたの」
と、イーシャが自分によく似た美貌の兄に向かって、麗しい笑みを向けた。
「へえ、そんな楽しい話をしてたんだ。ずるいな」
と、ウバイダもにっこりと応じる。
「そもそも、君がモタモタしてるから、こっちは余計な気を回さなきゃならない。いい加減片付いてくれないかな?」
「片付くって…」
「煮え切らないんだね…」
と、ウバイダは上から腕組みをして、見下ろしてくる。ウォルターは立ち上がりたくなってきた。
「こっちにだって事情はある。別にしたくてモタモタしてるわけじゃ…」
「あの金髪のことならお前の誤解だろう?」
「…イーサンっ!!」
と、涼しげな顔で、益々事態を混乱させるような発言を、しれっとしてしまう、部分的クラスメイトに、ウォルターは忌々しげな視線を向ける。
「え、何?金髪って?」
「事情って何さ?」
と、予想通り、麗しのアフマディ兄妹がそれぞれで食いついた。
「いや、だから…」
「それとも、ノエル・フェイバリットに乗換えか?確かに悪くはないが、ありゃ、中身は結構、面倒な女だから、お前の手には余るんじゃないか?」
「だから、イーサン…」
「何よ?やっぱりノエルと、そういうことになってるの?」
と、イーシャが声を上げる。
「違う!」
「随分エロい格好で、こいつの手を握ってたって…」
と、イーサンが見てきたような事を言い出したので、ウォルターは仰天した。全く、ロブのせいで、いつもいつも碌な目にあわない。
案の定イーシャの眼差しが、急激に冷ややかになった。
「サイッテーね!」
「…なんでそうなる?」
「では、その件に関しましては、間違いなくアナベルに伝えておきますので」
と、イーシャがすました表情になって、ウォルターを見下ろした。
「ちょ、待って。それは…」
折角、誤解が解けて、この二日間は和やかに過ごせているのだ。毎日、手早く仕事を終えて、一緒に勉強して、ザワークラフトを二人で味見して…。
と、イーシャがにんまりとした表情で向き直る。
「あ、そっ。アナベルに言われたらまずいんだ?え、でも、なんで?」
ウォルターは絶句した。目の前の美人の同級生は、間違いなくウバイダの妹だ。彼女の美貌の兄は、妹同様、仕事そっちのけで、やけに優しい表情でにこやかに見守っている。が、間違いなく内心ではこちらの苦境を嘲笑って、心の底から楽しんでいるのに違いない。
ウォルターは奥歯を噛み締めて、床を睨みつけてしまう。イーサンが
「もう、いいだろう。料理が冷める」
と、呆れたように呟いた。ウォルターは余計な情報を暴露し続けた、対面に座る友人を睨みつけると、顔を上げて、こちらを見下ろす兄妹に向かって
「わかった。イーサンは君にベタ惚れだし、僕はアナベルに夢中だ。こう言えばいいんだろ?」
と、唸るようにして言ったので、イーシャは目を見開いて、何故か拍手をし始め、ウバイダは場違いにも、細くきれいに口笛を鳴らした。イーサンだけが、にやけ面だ。
口に出して言った途端、早くも回収したくなる。ウォルターは一回俯くと
「いや、でも…勘違いかもしれない…」
と、なにやら言い出したので、イーサンが呆れたように
「往生際が悪すぎるだろう…」
と、呟いた。
***
なにやら疲れる夕食を終えて、ウォルターはイーサンと一緒に、アフマディのお店を後にした。ウバイダと一緒に暮らすようになってから、まれにお店に残ることもあるイーサンだったが、今日は先に帰るらしい。店を出るなりウォルターは
「イーサン、さっきのヘンリーの話…」
「ああ」
「ひょっとして、見られたのって、僕と同じ金曜日の夜のこと?」
「そうだ。お前らの方は、まだ常識的な時間だったようだが、ヘンリーの方はそうでもないし、場所も道向こうだ」
「ああ…。僕らを見たのは、女子だね?」
「女の方が目ざとい」
「必ずしもそうとはいえないと思うけど…例のレストランでバイト中ってとこか」
見たのはイルゼ・マスターソンか…。
イルゼはオールドイースターだ。それなりに成績優秀。イーサンと似た嗜好性の頭脳の持ち主なのか、クラス配置が彼に近い。理数系は無問題。文系にやや難有りだ。
彼の兄、ケイン・フィールドはバイオロイドで、イーサンが落第するまでは彼と親しかったと聞いている。もっとも今でも関りはあるのだろう。
彼らは紛れもなく同じ両親を持つ兄妹だ。バイオロイドの適性者同士にはよくある話のようなのだが、適性者同士が知り会いになって、そのうちパートナー同士になる。イルゼとケインの両親の場合もそれで、ケインというバイオロイドを得た後、両親は恋人となり、イルゼを授かった。が、関係は長続きせず、破局を迎える。施設暮らしのケインには最初から関係のない話しだが、親元で生まれたイルゼにとってはそうではない。彼女は今、母方の母親、つまり祖母と二人暮しだ。親はエリートで豊かであっても、彼女自身はさしてその恩恵には預かっていないようだ。
潜在的バイオロイド。イルゼのような存在はそう呼ばれた。ヘンリーにとっての妹、リーゼのようなものだ。もっとも、イルゼやケインと異なり、スタッフォード家は、表向きはいたって円満。リーゼは間違いなく幸福な子供だといえるのだろう。
潜在的バイオロイドは人工子宮を使って生まれなかったというだけで、遺伝的にはバイオロイドと同じだ。ただ、母親の胎内から生まれたというだけで、バイオロイドが受けることの出来る、特権の類は得られない。
もっともそれを特権と捉えるのか、重荷と捉えるのか、馬鹿げた義務と捉えるのかは、人によって異なるだろう。衣食住の心配をする必要のない生活。専門家によって養育を受け、幼少期から高度な教育を受けられる。そして、自分たちは特別な人間なのだと信じ込む。
ウォルターはため息をついた。また、面倒な人間に見られたな、と少し憂鬱になるが、まあ、何事もなく、そのうち落ち着くだろう。
「ヘンリーの件も口止めしておいたのか?」
と、ウォルターが確認をとると、イーサンはにやりと笑った。
「いや、一応、するにはしたが。奴は何にせよ評判が悪い」
「なるほど…」
「お前には恨みはないから、黙っててやるって言ってたが」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
全く、ノエルが迂闊だから…いや、結局、彼女を巻き込んだ自分のせいか…と、思ってからなんとなく腹が立ってくる。…この場合、諸悪の根源はロブだろう。ウォルターはうんざりとしながらマウンテンバイクに跨った。
***
月曜日になると、中期試験の範囲が発表される。
午前の授業が終ったタイミングで、タブレットに各教科の試験範囲が一斉に送信される。ウォルターが席に座ったまま、範囲を確認していると、前に人の気配がした。顔を上げると、イルゼ・マスターソンがひっそりと立っている。目があうと、イルゼは柔らかく微笑んで、ウォルターの席に手をついて、彼のタブレットを覗き込んだ。
「ねえ、ウォルター。私、今日、連絡用のタブレットを持ってくるのを忘れてしまって…。見せてもらってもいいかしら?」
と、ささやくようなか細い声でそう言った。ウォオルターは煩わしさに、一瞬、目を細めるが、木曜日にイーサンに聞いた話からたてた推測が正しいという可能性がある以上、今はイルゼには逆らわない方が無難だろう。
「どうぞ」
ウォルターは無造作に彼女にタブレットを渡した。
「いいの?」
「今、メモを取りたいんなら、待つよ」
と、ウォルターは無愛想にならない程度の愛想を、何とか保持している、といえるぎりぎりの線で答えた。イルゼは嬉しそうに目を細めると、
「ありがとう」
と、言いながら、長いの髪を耳に掛けた。
そのまま、携帯電話を取り出して、ウォルターのタブレットの画面を写した。ピンクがかったようなベージュ色の柔らかそうな長い髪。小さくて白い卵型の顔。女性らしく整った顔立ち。小柄な、ほっそりとしたスタイル。他のバイオロイドたちの例に漏れず、イルゼも十分に美しかった。
優雅な仕草で携帯電話をしまうと、イルゼは顔を上げた。それから、少し顔を傾げてから、「ありがとう」と、か細い声でお礼を言うと、静かに立ち去った。ウォルターはほっとして息をつく。気がつくと、ヨンフォンがそばに立って、彼にしてはややけわしい表情で、イルゼの後姿を見送っていた。
「ヨンフォン」
「ウォルター、お前、目をつけられた?」
と、訝しげに問いかける。ウォルターは答えようがなくて肩を竦めた。何の気無しに、視線を前の方に向けると、ヨンフォンと同じような眼差しでこちらを見つめるノエルの視線とかち合った。が、目があった途端、ノエルは顔をそむけ、そのまま、タブレットを手に、席を立った。昼食を食べに行くのだろう。
「ウォルター、昼食は」
「今からだけど」
「じゃ、一緒に行かないか?」
「マギーはいいのか?」
「今日は友達と約束してるって」
と、ヨンフォンが肩を竦めた。
アナベルは、経済の授業の後の休憩時間に、妙な質問を受けた。彼女の恋敵だったバイオロイドのビクトリアが、同じくバイオロイドのヘンリー・スタンフォードと交際しているというが、それについてどう思うか?である。アナベルは「私には関係ない」と、一言で答えたが、噂がどこからどんな風に広まったのかが、気にかかった。
ランチタイムにイーシャと合流すると、アナベルは早速切り出した。
「あの、ヘンリーとビクトリアのことで、ちょっと経済のクラスの奴に質問されたんだけど…」
「ああ、私も聞いた」
「噂になってるのかな?ひょっとして、私のせい…ってことはないよね…」
先週の月曜日、昼休憩の時に、うっかり二人を見かけた話をここで…大講義室で話してしまい、ノエルとイーシャに、妙に受けていたのを思い出した。ひょっとして、あれからノエルが噂をばらまいているのだろうか?アナベルの懸念に気がついて、イーシャは笑った。
「気にすることないわよ。別にアナベルが言いふらしたわけじゃないでしょ?それに、アナベルとウォルターが見てたってことは、他にもどこかで見てる人がいたのかもよ?全くの事実無根なら、こんなに広まらないって…」
と、いうイーシャの前向きな言葉にアナベルはげっそりとした表情になる。
「いや、そうでもない。面白ければ、事実でなくとも結構広まる」
「あら、アナベルの場合だって、後ろ暗い事実があったわけじゃない?」
と、イーシャが誤解を招くようない言い方をしてくるので、アナベルは余計にげんなりしてしまう。二人で、そんな話をしていると「ハーイ」と、声がかかった。ノエルだった。




