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オールドイースト  作者: よこ
第2章
175/532

2-7 あるエリート候補生の災難(3)

月曜日のランチタイム、ノエルは珍しく、昼休憩用に開放された大講義室へと足を運んだ。特定のクラスのない、セントラル高等校では、ランチタイムに食堂だけだと、全ての生徒をさばききれない。大教室や、大講義室を、食堂からあぶれた生徒のために解放していた。ノエルは広講義室内で、目的の人物の姿を見つけると、迷わずそちらに足を向けた。


「アナベル・ヘイワード…」


数学のクラスですでに見慣れた、ショートボブにカットされた黒い頭に声をかける。アナベルは、結構な美人と一緒に話しながら、ランチボックスを食べていたが、ノエルの言葉に振りかえった。それから彼女の顔を見ると

「ああ、数学の…。そういえば、まだ、名前を聞いていなかったな」

と、にっこりとした。ノエルは


「私はノエル・フェイバリット。ここ、座ってもいいかしら?」

と、アナベルと、それから彼女の横に座る、美人にも一応視線を向けながら、確認する。アナベルは美人の友人に向かって、

「いいかな?」

と、首を傾げた。美人の友人はおもしろくなさそうな表情にはなったが、拒絶はしなかった。


不承不承と言った様子で

「どうぞ」

と、ノエルに向かってそう言った。それから

「私はイーシャ・アフマディ」

と、自己紹介をしてくれる。ノエルはせいぜい笑みを浮かべて

「よろしく、ノエルって呼んでくれる?」

と、気安く依頼した、イーシャは少しだけ表情を緩めると

「じゃ、私もイーシャでいいわ」

と、応じた。


 アナベルは、二学期最初の数学の授業の日、自分に話しかけてきたノエルに対して、赤褐色の肌と、少しおずおずとした態度から、冬休み前に知り合いになった、セアラ・アンダーソンに似ているな、という第一印象を抱いた。が、少し話しただけで、その印象はすぐに真逆の方へ修正された。


その女子学生は、最初の一言二言こそ、控えめな風だったが、すぐに、饒舌に毒を吐き始めたからだ。どうやら、セアラのように気が弱いわけではなさそうだと、アナベルはすぐに頼もしく思って可笑しくなった。


 以来、数学の授業で見かけるノエルは、かなり積極的な態度で授業を受けており、教師への応答も質問も、鋭く的確で、隙もなかった。アナベルは、彼女はCから上がってきた生徒なのではなく、いわゆる“転落”組なのかもしれないと思い至った。だとしても、三学期には戻れそうな調子だ。アナベルは少しだけノエルに対して、うらやましいような気分になっていたのだ。


 ノエルは持参したサンドイッチを、包装紙から取り出すと、早速

「私、金曜日にウォルター・リューと会ったんだけど、あなた何か聞いてる?」

と、切り出した。アナベルは…いや、アナベルばかりかイーシャまで驚いて、二人同時に

「えっ?!」

と、声を上げた。予想外の反応にノエルの方こそ驚いてしまう。呆然とするアナベルは放っておいて、何故かイーシャが

「金曜日に会ったって、どういう意味?」

と、鋭く問いただした。


「どういうって、そういう意味だけど?」

と、ノエルが困ったようにそう返すと、イーシャは

「金曜日、何かあったの?」

と、アナベルに尋ねた。アナベルはまだ、ポカンとしていたが、イーシャの言葉に

「え、金曜日はお休みで…」

と、律儀に答えた。


「お休みは木曜日でしょ?」

「いや、あいつの方に用事があって…」

と、妙に呆けた様子でアナベルが答えた。ノエルは

「何の用事か、聞いてる?」

と、重ねて尋ねた。アナベルはポカンとしたまま首を振った。何故だかイーシャの方が忌々しげな表情になって

「何、一体?何しに来たの、あんた?」

と、無遠慮な口のきき方になった。


ノエルは妙な雰囲気になったと、首を傾げながら

「アナベル、あなた、ウォルター・リューの家でハウスキーパーをやってるって…」

「あ、うん」

と、アナベルはゆっくりと一回頷いた。


「聞いてないんならいいの。念のために確認しただけだから」

と、ノエルは言葉を濁した。が、イーシャは納得しない。

「念のためってなんのことよ?」

「妙な話じゃないわ。あなたには関係ないと思うだけど…」

「なんですって?」

と、イーシャがむきになり始めたので、アナベルはようやく、場の状況が飲み込めてきて

「イーシャ、あの、別にそう、何も怒るようなことでもないと思う…んだよ、多分…」

と、何故かとりなし始める。


イーシャは尚も忌々しげな表情をしていたが、ノエルの方は、ウォルターが特に誰かに吹聴した様子もないことに安堵して

「そうよ、別に、あなたたち付き合ってるとかって言うんじゃないんでしょ?」

と、冗談めかして切り返す。と、益々妙な雰囲気になった。


イーシャは、眉間にしわを寄せて、黙り込み、アナベルは、無表情になって、サンドにかじりついた。それから

「イーシャには別に彼氏がいるよ」

と、答えたので、イーシャがあきれて

「誰が私の話をしているのよ?」

と、ぼやいた。アナベルは驚いて、

「え、だって、ノエルは私がハウスキーパーをしてるって、最初に言ったから、残るはイーシャしかいないし…」

と、呟くと、ノエルも頷いて

「それにあいつ、ゲイって噂あるけど、本当なんでしょ?」

と、驚きの新事実を口にした。聞いていた二人にとっては、全くの寝耳に水で、またしても同時に

「えっ?!」

と、声を上げてしまう。


ノエルは慌てて

「え、違うの?金曜の様子からやっぱりそうなんだと…」

「何があったのよ?」

と、今度は間違いなく険を含んだ調子で、イーシャが凄んだ。

「いや、試しに、私と付き合わないか?って言ったら、すごい冷やかな目で睨まれたから、てっきり…」


ノエルの言葉に、アナベルは食べていたサンドイッチを取り落としそうになった。


…試しに、付き合わないって…?…なんのこと?何の“試しに”そんなこと言ったのだ?というか、そんなこと“試しに”言えるものなの?


アナベルがあまりにも呆然としていたので、イーシャばかりか、ノエルまで心配そうな眼差しで、アナベルを観察してしまう。アナベルは二人の視線に気がついて、慌てて手にしていたサンドイッチを口に運んだ。


「てか、あいつ、ゲイって噂あるんだ…初めて知ったよ」

と、口をもぐもぐさせながら、アナベルはなんでもないことのようにそう言った。言いながら、なるほど、それで、ザナー先生で、シュライナーさんで、カイルにもなんだか妙に敬意を払っていて、ウバイダにも嫉妬されて…


「え?あいつって、ゲイだったの?」

と、サンドを食べ終わると、アナベルは唐突に声を上げた。今度は、ノエルとイーシャの方が驚いてしまう。


「違うでしょ…」

と、イーシャが呆れたようにそう言った。アナベルはうろたえながら、イーシャとノエルの顔を見比べる。


「え、だよね…。じゃ、噂って…」

と、ノエルが

「クラスAでは、そう言われてるけど?ゲイなんじゃないかって」

「え、なんで?」

「なんでって、アナベル・ヘイワード、あなたでしょ?去年の特講の講師と出来てるって、噂のあった、それで、ビクトリアに目をつけられて…」

「出来てるって…特講の…?」


 …ああ、ナイトハルトか。


 と、思ってから、アナベルは仰天した顔になった。


 …え、あの噂ってまだ生きてるの?てか、出来てるって、何が?


アナベルが絶句して、ノエルとイーシャの顔を見比べ続けるので、ノエルは呆れたように

「そのあなたが、ハウスキーパーとして、ウォルター・リューの家に毎日通ってるってんで、ヘンリーやボルヘスが、何かあるんじゃないかって、あてこすってたんだけど、ウォルターが何か言ったみたいで、それから、あなたのことは何も言われなくなったんだけど、しばらくして、リューの奴は実はゲイで、…イーサンと、その、出来てるって…」


アナベルは呆然とした。なんだそれ、全然知らないんだけど。というか、そのヘンリーって…


「あの、そのヘンリーって、ビクトリアと一緒にレストランに入ってた男子のこと?」

と、呆然としたまま口にしてしまう。と、アナベルのその言葉に、今度はイーシャとノエルがそろってアナベルの顔を凝視した。


それから、イーシャが

「アナベル?今、何て言ったの?」

と、真顔で聞き返してくる。アナベルは、何か極めてまずい事を言ってしまった様な、嫌な予感に苛まれつつ

「え、だから、ビクトリアと一緒にレストランに…」

「去年って、いつ頃?レストランって?」

と、今度はノエルが畳み掛ける。


「え、えーっと、学期末前かな…駅向こうの、ちょっとおしゃれな…」

アナベルは記憶を振り絞って、お店の名前を口にした。ノエルとイーシャが何故か顔を見合わせた。


「友達同士で何気なく入る…には、ちょっと意味ありげよね」

「高くはないけど安くもない」

「特に、ドレスコードはないけど、普段着ではいかないような…」


アナベルはいたたまれなくなった。そうか、あのお店は学生にとってはそういう位置づけだったのか、全く知らなかった。ただ、予約の要らない美味しいお店だと。夏にイブリンさんと行った時は、Tシャツにジーンズだったけど、なんの問題もなく入れたのだが。けど、あれは一緒にいたのが、イブリンさんだったからなのかもしれない…。


 そんなことも知らず、自分はウォルターを誘っていたのだ。奴が何か、気がついていたら…。


…いや、そんな心配はないか…。


 アナベルは、自分の無用な杞憂の事は、すぐに棚上げにした。それより、自分の迂闊な一言が招いた、目の前の二人の、食いつき振りである。さて、どうしたものか…?アナベルは途方にくれた。


 アナベルの困惑には全く構わず、二人の会話はずんずんと静かに盛り上がっていた。

「あの二人って、付き合ってたの?」

と、ノエルが切り出すと、

「ううん、初耳だわ。第一、ビクトリアは、ザナークラスでなきゃ、自分にはつり合わないって、信じ込んでるバカでしょ?」

と、イーシャは情けも容赦もなく、応じる。

「ヘンリーだって、同級生なんて、ありえないって…」

「でも、手近なところで手をうったとも、考えられるわね」

「ああ、ありそう。プライドだけは高いから、自分たちに恋人がいないとかありえないって」

「うわ~、本当。それだけのことで、付き合いだしちゃいそうよね~」


聞いていてアナベルは恐くなってきた。なんだろう?どんどんそういう事実が成立していってるような…。


「あの、付き合ってるとは限らないんじゃ…一緒にご飯食べに行ってただけとか…」

「ええ、それこそありえないでしょ?」

「そもそも、どんな雰囲気だったの?」

と、二人して身を乗り出してくる。アナベルは慌てて

「いや、こっちも見つかりたくなかったから、すぐに引き返して…でも、仲良さそうって感じでもなかったような…」

「じゃ、やっぱり…」

「見栄よ、見栄!」

「だね~」


…なんだろう、この二人。ものすごく気があってないか?


 アナベルはげっそりと肩を落としてしまった。


 聞きたいことだけ聞き終えて、言いたいことまで言いたい放題に言って、昼食を取り終えると、ノエルは次の授業の準備があるからと、早々に立ち去った。イーシャは手を振って見送りながら、アナベルに向かって

「今の子、誰?」

と、ふいに素に戻ってアナベルに質問した。アナベルは、持参した飲み物を飲みながら

「数学で今学期から一緒のクラスになった子。名前は今日初めて知った」

「そうなの?越境組でクラスAの常連ってところ?」

イーシャの言葉にアナベルは頷いた。


「多分そうだと思う。最初は勝手に、自分と同じように、上がった側だと思ってたんだけど、授業態度とか見てて、あ、逆だなって」

「よね。クラスAのことに詳しかったし。どうりで…」

と、イーシャが嘆息した。


「え?何が?」

「んー、ウバイダがやけにニコニコとウォルターを苛めてるなって、思ってたのよね」

「え?そうなの?」

「何よ、気がついてなかったわけ?」

「いや、やきもちやいてるなってのは知ってたけど…」

「知ってるのかもねぇ、噂のこと。ここの同級生でも、ウバイダの中等校時代の後輩は何人かいるし…」

「え?そうなの?そんな理由?」

「そりゃそうでしょ。はぁ~、ウォルターも気の毒に…」


アナベルもイーシャと一緒に嘆息してしまう。自分のせいで彼に色々な迷惑をかけていることは知っていたが、こんな側面にまで被害が及んでいたとは…。アナベルが微妙にへこんでいると、イーシャがその顔をじっと凝視してくる。流石のアナベルも気になって

「何?…何か言おうとしてる?」

「んー、色々。さっきの話とか…」

「さっきって?」

「まずどこから聞こうかってくらい、あるんだけど」

と、イーシャが頬杖をついたまま、なにやら物憂げに呟いたので、アナベルは恐怖におののいた。


***


 恐怖のランチタイムを終えて、午後からの授業も平和につつがなく終えると、アナベルは少し寄り道をしてから、ウォルターの家に向かった。


 インタフォンを鳴らして、自分のキーを使って家の中に入る。そのまま部屋に向かって一声かけてから、掃除を開始した。いつもながら、掃除の必要性に頭を傾げたくなるほどすっきりと片付いている。水周りの掃除まで終えてから、夕食作りの調理を始めると、そのタイミングでウォルターが部屋から出てきた。珍しく手には何も持ってない。


「お疲れ様…」

「うん…お疲れ様。大丈夫か?」

「うん、ちょっとね…」

と、ウォルターは疲れた様子で腰を下ろした。アナベルは

「コーヒー、いれようか?」

と、首を傾げた。


「うん、ありがとう」

疲れた様子のままウォルターがお礼を言った。アナベルは彼に話したいことがたくさんあった。まず、どれから切り出そうかというくらいだった。


 手早くコーヒーを入れると、アナベルは調理に戻った。スライサーでキャベツの千切りに挑戦していると、ウォルターが背後から

「そういえば、カイルさんから返事は来たの?」

と、質問が来た。それはウォルターに話したいことリストの上位の方になっていたので、アナベルは動転して、スライサーで親指を切ってしまった。慌てて手を上げるが、切れた部分から、血が流れた。


アナベルは声を上げなかったが、ウォルターは敏感に異変に気がついて、慌てて立ち上がった。アナベルはなんでもないように、スライサーで切った親指を自分の口に突っ込んだ。ウォルターの方が仰天してしまう。


「結構、血が出てたけど…」

「ん、スライサーはやっぱ、危ないな」

と、言いながら親指を口から出した。まだ出血は止まっていない。アナベルは再度親指を口に入れた。ふっと視線を上げると、ウォルターが妙に呆然とした表情で、彼女の方を見ていた。


「なんだ?」

と、指を口に入れたまま、アナベルが首を傾げる。ウォルターは慌てて目を逸らすと

「絆創膏を…」

と、言いながら踵を返した。

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