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オールドイースト  作者: よこ
第2章
174/532

2-7 あるエリート候補生の災難(2)

すっと、目当ての人物の姿が視界に入った。ウォルターは迅速に立ち上がると、ロブ・スタンリーの方へ回りこみ

「すみませんが、先に失礼させていただいても…」

と、彼の耳元でささやいた。

「今からが本番だろう?」

ウォルターの言葉に、ロブは露骨に眉をひそめた。


「いえ、偶然、知り合いに会いまして。今日は貴重な経験をさせていただいて、お気持ち、ありがたく、受け取らせていただきます」

と、ロブの耳元に早口でそう告げると、急いでその場を離れた。


そのまま、えらく場に馴染んだ着こなしの、同級生の背後に近づいた。そのまま肘を取ると、耳元で

「こんなところで、誰かとデート?お互い意外なところで会うね」

と、無表情で告げた。相手は仰天した様子で

「ちょっと…」

と、言いかけるが、

「悪いようにはしないから、出口まで付き合ってくれないかな?コートを受け取ったら、何も言わずに退散する」

と、嘆願すると、相手は口を噤んだ。

「ありがとう」

ウォルターは相手の理解の速さに素直に感謝した。


 クロークでコートを受け取ると、ウォルターは改めて安堵の吐息をついた。

女性を伴って、退出したのだ。ロブなりに彼の面子がつぶれない方向で、満足のいく理由付けをして、周囲に勝手に説明するだろう。もし、あの綺麗な女性の臨時収入を無しにしてしまったのならば、その点だけは申し訳ないが、どちらにしても、自分にどうにか出来る問題でもない。


 ウォルターは突如現われた救世主に

「君の席は…」

と、尋ねた。相手は仏頂面で、

「あの、奥だけど、それに、私ももう帰るところだったんだけど…」

「そうなんだ。邪魔をして…」

と、言いながらコートを着終えたウォルターは既に撤退体勢だ。同級生は、ウォルターのコートの腰の辺りを掴むと、自分の方へと引っ張った。


「自分だけ帰るつもり?」

「終バスの時間までにはここを離れたいんだけど…」

と、いうより一秒でも早く、この場を離れたい。

「まだ、時間があるでしょう?」

「そう、あったかな?」

と、ウォルターは首を傾げる。同級生は舌打ちして

「外で待ってなさい。いいわね、逃げるんじゃないわよ」

と、脅しをかけると、そのまま踵を返した。


どうやら、ロブの居るあたりではなく、入り口から入ってすぐの通路から、自分が居た場所に戻っていく様子なのを見て、ウォルターは、安心してとりあえず店から外へ出た。


 外に出ると、あたりは人で溢れていた。みなそれぞれで楽しそうだった。ウォルターは首を縮めて、自分の吐く息の白さを観察する。待つほどもなく、お店のドアが開いて、ファーのついた、高そうなコートを身に纏った同級生が、出てきた。


 同級生は出てくるなり、ウォルターを睨みつけてくる。ウォルターは目の前の救世主の名前を思い出そうと、一応は努力をしてみるが、一向に思い出す気配がない。


「あらためて、助かったよ、えーっと…」

ウォルターの現時点での悩みをすでに見抜いていたのか、同級生は

「ノエル・フェイバリットよ、ウォルター・リュー。一年以上ほぼ、同じクラスの筈だし、編入生の説明会でも、一緒だった筈だけど?」

と、にこりともしないで、そう告げた。


「あ、そうそう、ノエル…」

「最初からどうでもいいくせに、思い出したふりなんかしないでよ」

横目で睨んだまま、ノエルが決め付けた。


「ごめん」

「演技が下手なくせに、小芝居とかしてくる奴って最低ね」

と、ノエルは不快気に顔を強張らせる。ウォルターはげっそりしてしまった。


ここまで無情な悪態を聞かされるとは…。これならあの綺麗なお姉さんと、どうにかなっていた方がよっぽどよかったような気がしてきた。


 そうは言っても助けてもらったのはこちらの方だ。ウォルターは一息つくと仕切り直しを図った。

「君の方は、出てきてよかったの?」

「ええ、どうせそろそろ時間だったから」

「バイト?」

と、問い直したのに、深い意味は無い。が、ノエルはウォルターを一瞥すると

「少し、付き合いなさいよ」

と、言うと、先に立って歩き始めた。ウォルターはため息をついて腕時計を見る。終バスに間に合う時間に、終わってくれればいいのだが…。


 飲み屋がひしめく繁華街を抜けて、道路を一つ隔てると、少し穏健な商業区域に入ってくる。ノエルは二十四時間営業の、一般向けレストランに入る。金曜日の夜だったが、それほど待つこともなく、二人がけの席に案内された。周囲は学生のグループやカップルで賑わっていた。ちらほらと家族らしきグループもいた。


ドレスアップしたノエルと、コートを着たままのウォルターは、場に馴染んでいるとは言いがたかった。椅子に座るとノエルは無造作にコートを脱いで、椅子の背に掛けた。肌の露出したベージュのドレスは、はっきりいって悪目立ちすることこの上なかった。もう少し深夜の時間帯だったら、そうでもなかったのかもしれないのだが…。


 ノエルは、胸のラインを隠す気もないのか、前かがみの体勢で両肘を突くと、開いた両手に小さな顔を乗せた。そのまま

「ちょっと話があるんだけど」

と、切り出した。


ウォルターはコートを着たまま、居心地が悪そうに、横向きに椅子に座っていた。正直、広々とした快適空間とは言いがたい。ウェイトレスがメニューを持って来てくれたので、ウォルターは即座に

「コーヒーを」

と、お願いした。ノエルはメニューを手に取りかけるが、ウォルターの言葉に顔をしかめ

「同じものを…」

と、半端な笑顔でウェイトレスにお願いした。


 ウェイトレスが立ち去ると、ウォルターは彼女がもって来てくれた、水を一口飲んだ。さて、今度はどうやってこの場を切り抜けようかと、とりあえず相手の出方を待つ。


「…あんなところで、何をやっていたの?優等生のあなたが?」

そのセリフをそっくりそのまま返したい。ウォルターの記憶に間違いがなければ、目の前のこの女子学生は、越境組の学生の中でも、一、二を争う成績優秀者の筈だ。越境組の女子学生で唯一彼女だけが、どの教科でも“転落”を経験していなかった筈…。と思いかけて、今学期の数学で、Bに落ちたのだったか…と、思い出す。


 ウォルターは記憶を辿る旅から帰還することにして、ノエルの質問に

「知り合いに連れて行かれたんだ」

と、簡潔に答えた。続けて

「君は?確か寮生はバイト禁止だった筈だよね?」

と、切り返す。途端、ノエルの表情が苦々しげなものに変わった。


「賃貸暮らしは気楽なご身分ね。そうよ、バイトは禁止。今日の私はセントラルの友人の家に外泊していることになっている」

「…助けてもらってありがたかったし、だから、こんな言い方が礼儀に反することは分かっているんだけど、君の事情には興味がないんだ。あまり手に余る事と関りたいとも思わない。心配しなくても吹聴しようとも思わない」

と、ウォルターは、彼女の言葉を遮った。そのまま横を向いてコーヒーを待つ姿勢になる。


書籍用のタブレットが、手元にないのが残念だった。ノエルはウォルターの態度に、益々忌々しげな表情になる。


「だったら、どうして訊くのよ?」

「確かにそうだ。まあ、君が訊いたからお返しに、礼儀というか習慣の範囲だ。本気で訊きたいわけじゃないから、君も余計な事は…」

「なんなの、本当に?むかつく男ね」

と、唐突にノエルが切れた。ウォルターは本気で面倒になってくる。


「つまり君は訊いて貰いたいんだね?」

「誰がそんなこと言ってるのよ?」

「なら、もういいだろうに…」

ウォルターはそのまま頬杖をついて、黙り込んだ。そうこうしていると、注文したコーヒーが二つ、静かに運ばれた。ウォルターは一息つくと、早速コーヒーを飲み始める。


ノエルは目の前で、なんの表情も浮かべずにコーヒーを飲んでいるウォルターに向かって

「アナベル・ヘイワードって、確かあなたのところのハウスキーパーよね?」

と、唐突に、思いがけない名前を口にした。ウォルターは仰天して顔を上げ、まじまじとノエルの顔を見つめてしまう。が、すぐに気がついて、再びすっと無表情になった。


「それが?」

と、訊きながらすぐに思い至る、そうだ、アナベルも数学はBクラスだった。

「彼女もお金が必要みたいだけど、寮には入ってない…。ねえ、おかしいと思わない?」

「…何が?」

「寮の規則よ。先からセントラルにいるオールドイースターや、政府が面倒を見ているバイオロイドにはお咎め無しで…」

「施設に入っているバイオロイドの規則は寮とほぼ同じな筈だ」

と、ウォルターは、偏見のあまり間違っているノエルの知識を訂正した。ノエルは、顔をしかめた。


「どうせ、連中にはバイトの必要なんてないでしょ?」

「寮だって、バイトを全面禁止しているわけじゃないだろ?家庭教師や子供向けの塾の講師なんかは、許可されている筈だ」

ウォルターの言葉にノエルは肩を竦めた。


「ええ、学業に関係があると見做されれば。図書館業務もオーケーだったわね?まあ、寮生以外には関係ない規則、だ・け・ど」

と、必要以上に嫌味っぽく、ノエルが確認をしてくる。ウォルターは舌打ちしたくなった。


ノエルは夏休みの図書館のバイト募集に応募して、面接の結果不採用になっている。無論、ウォルターがその事実を知るよしもないのだが。


「詭弁もいいところだわ。初等校生や中等校生の勉強を見たからって、なんで今更自分の学業の役に立つのよ?足元を見られて、結局、金持ちのオールドイースターに安く使われるのが落ちじゃない。拘束時間は長い割りに、時間単価は低い。けど、それ以外は認められていないから、それで我慢するしかない。それにしたって、そんなに働き口があるわけじゃない。バカにしているわ」

「仕方がないだろ。越境編入自体が特権なんだ。ここで教育が受けられるだけでも相当にありがたいこと、の筈だろ?」

「それこそが不公平だって言っているのよ!クラスAにオールドイースターが、どれくらいいるっていうのよ?」

ウォルターは肩を竦めた。


「それで、賢い君は、手っ取り早く時間単価のいいバイトに従事しているってわけだ。どういうバイト?」

ウォルターの質問にノエルは黙りこんだ。


「人材派遣かな?衣装もレンタル?」

と、ウォルターは淡々と言葉を続ける。ノエルは目を眇めた。


「ねえ…。あなたのとこのハウスキーパーさんだって同じな筈でしょ?寮には入ってないけど、彼女なら、私の意見に賛同してくれると思うんだけど」

「彼女はお金を稼ぐ為に、あえて寮には入らなかったんだ。君とは違うだろう」

と、ウォルターは必要以上に冷やかな口調で言った。ノエルは顎を引いて不貞腐れたような表情になる。


「なら、活動でも起こそうかしら?寮の規則を変えて行こうって。あなた、協力してくれない?」

「勝算が低い賭けに乗れるほど、余裕があるわけじゃない。君の活動とやらの結果、今、許可されているバイトや、寮生以外のバイトまで全面禁止されるかもしれない。学業の妨げになるという理由さえ付ければ、大抵なんでも通るんだから。誰が寮生の…越境編入生のためにしかならない“活動”とやらに、協力してくれるっていうんだ?」


ウォルターは横を向いたまま、淡々と言葉を続ける。ノエルは、目を眇めると、肩を寄せるようにして、身を乗り出した。それから、テーブルの上に無造作に置かれた、ウォルターの手の上に、自分の手を重ねる。


「ねえ、だったら、あなた、私と付き合わない?実は私、前からあなたのこと、いいなって思ってたの」

と、唐突に攻略法を変えてきた。ウォルターはうんざりして、彼女の手の下から、自分の手を引っこ抜いた。それから、彼女の方に視線を向ける。


ノエルははっきりとした胸のラインを見せ付けるように身を乗り出し、顔には媚びた様な笑みを浮かべて、首を傾げている。


 一晩で二名の魅力的な女性からこんな形でアプローチを受ける日が、自分に巡ってこようとは…。両名とも、彼のことなどなんとも思っていないのだが。


ノエルのスタイルは確かに魅力的ではあった。アナベルが同じ衣装で、同じポーズをしたところで…いや、頑張って、寄せて上げたとしても、このラインは描き出せないだろう。


「付き合うって、どこに?いつ、付き合えばいいの?」


自分の胸元を見下ろす、ウォルターの冷やかな眼差しに、ノエルは舌打ちした。彼女の反応に、ウォルターはため息をつく。


「最初に言ったけど、言いふらすつもりは全くない。こっちだって、今日、君と会ったことは、人にあまり知られたいわけじゃない」

「あら、そうなの?」

「そう、だから納得してくれないかな?」

「ふーん、そう…」

「君が誰にも言わない限り、僕も誰にも言いわない。けど、君が無関係の第三者に、弁明が必要になるような事を言うようなら、その限りじゃない」


ノエルが横を向いたまま返事をしないので、ウォルターは空になったコーヒーカップをソーサーの上に置いた。


「話しは終わり、でいいかな?助けてくれたお礼にしては、手軽で申し訳ないけど、ここの支払いは僕がもたせてもらうよ」

それだけ言うと、ウォルターはテーブル上の支払い表を手に持って、ノエルを置いてそのまま出口に向かった。

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