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オールドイースト  作者: よこ
第2章
172/532

2-6 聖邪の双子(15)

「ルカ、どうして…いつからそのことを知ってたの?」

「退院して少ししてから。春に初めて君に会った時も…九月に再会した時も、全然知らなかった」

「じゃ、なんで…」


「……クリック博士は、僕に今の心臓を作ってくれた人だ。だから知ってる」


アナベルは目を見開いた。そうだ、ウォルターが言っていた、リパウルも教えてくれた。エナの専門は再生医療だって。エナが言っていた、挑戦って、こういうことなのか?ルカのような病気を完璧に治すこと…。


 目の前で実際にエナの仕事の、その現実を目の当たりにして、アナベルは畏れに似た感情を抱いた。それから、アナベルはゆっくりと、息をついた。ここで驚いて、思考停止に陥ってはいけない。この程度のことなら予測していて、当然でないとならない。


「…博士から私の事を訊いたの?」

と、アナベルは続けて尋ねる。自分でも意外なほど声がかすれていた。ルカはそれには気づかず

「ううん、博士じゃない。僕が今、お世話になっている人が教えてくれた」

「お世話になっている人って?」

と、続けてアナベルは尋ねる。しかしルカは宙を見上げたきり、口を噤んだ。


彼が何も言わない…それについてはこれ以上、話す気がない事を見て取ると、アナベルは諦めて彼の視線を辿った。ルカの視線は先ほど、彼が出てきたばかりの建物に向けられていた。アナベルは質問を変えた。


「じゃあ、彼女の事は?ルカは、彼女のこと、病院で知ったの?」

「そう…僕は彼女に命を救われた」

「命を…?」

「僕は本当ならこの世に居ない筈の人間なんだ。少なくとも二回は死んでいる」

「二…何言って…」

「本当の話なんだ。一回目の事は僕も覚えていない。けど、二回目の事は覚えている。アナベル、笑うかな?僕は彼女と初めて会った時、本当に天使だと思ったんだ…」

「天使…」

呟いて、アナベルは首を振った。彼女は自分が初めてルーディアに出会った時の事を思い出した。


「笑わない」

「ありがとう、アナベル。…僕は五歳で、その時のこと以外、五歳の頃の記憶なんて、殆ど残っていないのに、彼女の事ははっきりと覚えているんだ」

アナベルはルーディアの言葉を思い出す。 


 …彼が元気になったのなら、もう、自分は必要ない…。


「アナベル、天使とか、神様って本当にいると思う?」

不意にルカが不思議な事を訊いてきた。アナベルは顔をしかめて首を傾げる。

「よくわからない。いるのかなって思うときもあるし、やっぱりいないんだって思う時もある」

「そうだね、僕にもよく分からない。でも、いるって思っている人にはいるし、いないって思っている人にはいないんだ」

「…それは、そうだね…」


「昔、遠い場所で、やっぱり、こんな風に祈りをささげる場所で、人が大勢殺されたんだ」

「祈りをささげる場所って、こういう場所のこと?」

「そうだよ。どうして、そんなひどいことが出来るんだろうね?僕は初めてその話を聞いた時、とても恐くなって…眠れなくなった。今でも思い出すと眠れなくなる」

「ルカ…」

「その人たちはきっと、生まれた時から当たり前に丈夫な体を持っていたんだ。けれど、僕のように治す為の環境には恵まれていなかった…。だから、そんなひどいことが出来たんだ…」


ルカの言葉にアナベルは俯いた。世界はひどい出来事で溢れている。ルカが聞いた話も、その中の一つに過ぎない…。そんな暴言が違和感なく発せられるほど、今では残酷さが世界を覆っている。


「ルカ…」

「変な話をして、ごめん。時々こんな風に、いろんなことが嫌になるんだ。けど、これは彼女が救ってくれた命で、だから今も彼女に繋がっているって、信じているから…」


だから、こんな世界でも、なんとか生きていける。口に出来ないルカの、そんな想いが聞こえてくるような気がした。アナベルは、ため息をついた。


「ルカは、彼女に…その、成長して…」

周囲に聞いている人間がいるとは思えなかったけど、それでも明言はし難かった。アナベルが言い淀んでいるとルカは、微笑んだ。


「そう…そう願ってる。けど、それは、僕の、僕だけが一方的にそう願っているだけの…」

「そうなんだ…」


やはり、ルカはルーディアが成長しない少女だという事を知っている。五歳の時に初めてルーディアと出会って、そして命を救われた。だから、知っていても当然なのだ。だからこそ、ルーディアはルカに自分を忘れろといい、ルカはそれを拒絶するのだ。


ルーディア自らが、成長を拒絶しているのか、それとも、彼女自身の意思とは関係なく、成長することが出来ないのか、アナベルには当然、わかる筈もなかった。ただ、これから先、成長することがあるのかどうか、それは誰にも分からないのだ。


「ルカ…私、ルカの気持ちは大事だと思うんだ。ルカに彼女のこと忘れて欲しくないって、すごく勝手だけど、私もそう思っているんだ。だけど、セアラのことも、…それにサイラスのことも、忘れないで…その…」

「サイラスも?」

と、ルカは複雑な表情になる。


「アナベル、でも、セアラを追い詰めているのはサイラスだ。理由まではわからないし、分かりたいとも思わない。…君まで、彼に同情するの?」

「君までって…」

「セアラにも、そういうところがあるから…」


言いながらルカは、何かを堪えるような、険しい表情をして、横を向いた。アナベルは、やはり、中途半端に口を挟むべきではなかったと、後悔した。


セアラにはセアラの思いがあるように、サイラスにも何か思惑がある。そしてルカだって、ただ、ルーディアのことばかり考えているわけでもないのかもしれない。たまたま自分はルカとルーディアの事を知ってしまっているせいで、その側面しか見えていなかっただけなのだろう。


「そうか…そんなつもりはなかったけど、少し同情しているのかもしれない」

「アナベルまでそんな…。気をつけないと、サイラスは女性に対して、特別な力を持ってるんだ」

と、不快げな表情で、やけに断定的にルカが言ったので、アナベルは思わず

「え…。それはルカだって…そうじゃない?」

と、妙な言いがかりをつけてしまう。言われてルカは驚いたように目を見開いた。


「僕が?いや、そんなことはないと思うけど?」

と、言った。それから

「もし、そんな力があるんだったら、こんな苦労をしなくても、彼女に自由に会えている気がする」

と、ため息をついた。

「こんな苦労って?」

「いや、なんでもない」

と、ルカは口元を手で覆った。それから、ふっと視線を上げると、何かに目をとめた。


「あ、まずい…」

と、宙を仰ぐ。

「どうしたの?」

「迎えの車だ。行かないと」

具体的な“まずい”理由は口にせず、必要最低限だけを述べると、ルカは行く体勢になった。


「アナベル、その…今日は会えて嬉しかった」

「うん、私もだけど…」

「今度はカフェに行くよ。許可が出れば、だけど」

と、ルカはどこか困ったような、コミカルな笑みを浮かべると肩を竦めて見せた。それから

「じゃ」

と、手を上げて踵を返すと、建物の先、車道の脇に停車する車に向かって、軽い足取りで走り去った。


 取り残されたアナベルは車が走り出すまでその姿に視線を据える。それから腕時計を見て時間を確認した。リミットぎりぎりだった。


 アナベルは建物の駐輪スペースに置いていた自転車を引っ張り出すと、今度はカフェに向かって自転車をこぎだした。ウォルターに言うべきことがたくさんある。忘れないように頭の中で整理を付けておかないと。信号待ちの短い時間を利用して、アナベルは、ウォルターにあてて、とりあえず無事会えたとだけ書いて文面を作成すると、メッセージを送信した。あとはそのまま道を急いだ。


 遅刻、ぎりぎりの時間に、何とかカフェに到着したアナベルは更衣室に走りこむと、大急ぎでカフェの制服に着替えた。ホールに出て時計を見上げると、五分の遅刻だった。二週間ぶりのメリッサがアナベルの姿を認めると近づいてきた。


「久しぶり」

「メリッサ、新年おめでとう」

「おめでとう。珍しいわね、五分遅刻」

「ごめん」

アナベルは首を竦めた。メリッサは

「あの、去年冬休み募集に応じて入ってきた子…」

「セアラ?」

「そう、昨日まで凄く真面目に来てたって…」

「そう、え?今日は?」

「んー、なんか体調悪くってお休みだって、継続の話とか今月のシフトの話とか、今日する予定だったみたいで、チーフが少し困ってる」

「あの、それ、彼女は…」

「そりゃ、知ってるでしょ。まあ、体調不良じゃ仕方がないけど」

と、メリッサは肩を竦めた。


確かに彼女の言う通りだ。慣れないバイトに二週間、週に一日に休みがあるとはいえ、ずっと真面目に来ていたのだ。体調を崩しても仕方がないのかもしれない。そうは言ってもなんとなく、アナベルは絡みたくなってしまった。サイラスが通ってこなくなったから、休んだんじゃないのか?そう、思って自分の発想の底意地の悪さに自分で辟易としてしまう。


 ホールスタッフは一人足りないが、メリッサが戻ったので、さほど問題はないだろう。アナベルはつい先ほどまで、ルカと会っていたと教えたら、メリッサは驚くだろうかと、ふと、思いついてしまった。それから、ルカの“女性に対する特別な力”なる発言を思い出して、少し可笑しくなってしまった。


***


 通常のランチタイムより一時間遅い午後一時、ウォルターは図書館のカフェで、昼休憩を取っていた。注文を頼んでから、彼には珍しく何も読まない状態で、カフェの入り口を見守り続けていた。見ていると、細いがしっかりとした体つきの、日に焼けた肌色の彫りの深い端正な顔立ちの青年が入ってくる。ウォルターは安堵して手を上げた。


「わざわざ、ごめん」

「いや、図書館にこんな小じゃれた店があるとはな」

と、言いながら珍しいものを見る目で周囲を見回す。イーサンはウォルターの前の席に腰を下ろすと。メニューを持ってきたウェイトレスに、すぐさま“本日のランチプレート”を注文した。


「面倒な事を頼んで…」

「そうだな。まあ、あまり気にするな。本当に面倒だったら断っている。暇つぶしに丁度いい散歩にはなったかな」

と、イーサンはこともなげにそう言った。


ウォルターは昨晩、アナベルから相談を受けて、彼女がルカに会いに行く事を止めないことに決めはしたが、それでもやはり何かの罠の可能性がゼロではない以上、一人でいかせるわけには行かないと思っていた。かといって自分がついていくことは、明確に拒絶された。


そうなると、誰かに彼女の身の安全を見守ってもらわなければならない。ウォルターはアナベルと分かれて、バスに乗車してからイーサンに連絡を入れた。彼に断られたら、バイトを遅刻しようが後で怒鳴られようが自分がついていくつもりでいた。


が、イーサンは、冬休み前にきたプログラミング関係のバイトの方は丁度その日で片がついたらしく、どうせ明日は暇だからと言って、詳しい理由も聞かずに、簡単に引き受けてくれた。


さして腕がたつわけでもない上、オールドイーストの地理に明るいわけでもない自分が行くより、イーサンがアナベルについていてくれる方が、よほど頼りになる。ウォルターはイーサンの友情に心から感謝した。


「この埋め合わせは…」

と、言いかけるがイーサンはにやりと笑って

「あまり安請け合いするな」

と、ウォルターの言葉を遮った。それから

「まあ、個人的に、アナベルの片思いの相手というのにも興味があったし」

と、品のよくない笑みを浮かべた。ウォルターはため息をついた。


「じゃ、やっぱり、何の問題もなく会えたんだ…」

「浮気の心配じゃないのか?お前も大概悪趣味だと思ったが」

「君にそう言われると、こちらとしても複雑なんだけど…」

ウォルターのため息交じりの言葉に、イーサンは面白そうに片眉を上げて見せる。


「とにかく浮気とか、そういうんじゃないんだ…。それで、どんな感じだった」

「そうじゃないと言いながらも、きくわけか…」

イーサンは呆れたように肩を竦めた。


そういわれれば確かにそうだ。何の問題もなかった、ということは、朝に入っていたアナベルからのメッセージで分かっている。彼女が無事で、何も問題がないなら、それで以上聞くことなんて何もない筈なのに。ウォルターがうなだれたのを横目に見ながら、イーサンは言葉を続けた。


「相手の風貌は、大体お前から聞いていた通りだった。遠目だったが、確かに女が好きそうな優男だったな」

「…そうだね」

君のウバイダだって相当だ、とウォルターは心の中で付け加える。イーサンは続けて

「会話までは聞こえなかったが、あいつ、アナベルに手を出そうとしてたぞ」

と、微笑んだまま、イーサンが教えてくれる。ウォルターは驚いて

「え?」

と、目を見開いた。手を出すって、どうやって?イーサンが可笑しそうに、声を出さずに笑った。


「安心しろ、アナベルはちゃんと逃げてた。あいつがあの、金髪に気があるってのは、お前の勘違いじゃないのか?」

「逃げてた?」

「かわしてたというべきか。毎度のことながら、なかなかいい動きをする」

と、イーサンは何に感心したのか、妙な注釈までつけてきた。


「それ以降は普通に話して…そのうち金髪が、車道に止まる車に乗って立ち去った。どこのボンボンだ?」

「それは、よくわかっていない」

「まあ、お前が言っていたような危険の類は何もなかった。アナベルと金髪も普通に立ち話していただけだ。安心したか」

「そうだね…」

言いながらウォルターは大きく息をついた。何に安心したのか自分でもよく分からない。


「その、バカバカしいことを頼んで…」

「いや、何もなかったからそう言えるだけだ。あいつが俺に、急にムエタイを教えろといってきたのと、何か関係があるんだろ?」

イーサンがなんの遠慮もなく、核心をついてきたので、ウォルターはまたしてもため息をつく羽目に陥った。


「そうだね」

「で、詳しいことは説明できないと…」

「ごめん」

「ふうーん、まあ、いいけどな」

「そのうち…」

「またか、安請け合いするな。こういうのは、ギブアンドテイクって言うんだろ?」

と、イーサンはにっこりしてみせた。


「聞かせてくれるんなら、聞くけどな。“そのうち”ってのを気長に待っててやらなくもない」

「それは…、申し訳ない」

「で、当然、ここのランチはお前の奢りだな。お前にご馳走になるのも随分久しぶりだな」

「確かにそうだけど、そんなことを懐かしがられても…」

「あと、心配しなくてもウバイダにもちゃんと詳しく報告しておいた」

「…まあ、そうだろうね」

ウォルターはイーサンの笑顔に、げっそりと肩を落とした。


イーサンの話を聞くと、ルカとアナベルが会ったことに複雑な裏はないようだった。アナベルの勘が正しかったということになるのか…。


結局のところ、サイラスという青年が何をもくろんでいるのか、あるいはたくらみなど何もないのか、今のところ分からずじまいなのだ。…と、現時点での結論として、さほどありがたくもない結論を下すと、ウォルターはなんとなく天井を見上げ、深々とため息をついた。


【聖邪の双子;完】

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