2-6 聖邪の双子(12)
メッリサの仕事始めは、どうやら明日からになっているらしかった。聞いていたのかもしれないが、よく覚えていない。とりあえず、自分がいない間のセアラの様子を、ずっと同じシフトだったらしい、トニーに聞いてみると、少し大人しいところもあるが、と前置きした上で、奇妙なくらい褒めちぎった。
「とにかく素直で可愛いんだ。色々、教えやすくて助かったよ」
「ああ、そうなんだ」
と、アナベルは面白くなさそうに相槌を打つと、トニーは何に気を使ったのか
「もちろん、君もとってもキュートだ」
と、ウィンクしてくれた。アナベルは、大仰にため息をつくと
「いや、私の事はどっちでもいいよ。じゃ、これといったトラブルなんかは…」
「ああ、小さな失敗はあるけど、客にも素直に謝罪できるし、向いているんじゃないかな?」
向いている云々以前に、トニーは個人的に、セアラに居続けて欲しいだけだろう。セアラが、バイトが終わってから、トニー言うところの“金髪”の弟の方と、何をしていたのか知れば、意見が変わるかもしれないと、アナベルは冷やかに思った。とにかく、彼の意見は主観が入りすぎてて、あまり参考にならないと思いながら、アナベルは、同世代で別の高等校のバイトグループの女子たちにも、それとなく聞いてみる。
彼女らは目を見合わせながら
「要領はあまりよくないけど、素直だし、まあ、一生懸命で、いいんじゃない?」
「まあ、真面目だしね。バイトは初めてだって言ってたけど、時間通りに毎日来てるだけでも、えらいっていうのか」
「ただ、声は小さいかなー」
「あまり話も、しないしね」
「うーん、ウェイトレスやるには、ちょっとシャイ過ぎるかな~」
そうなのか。ならば自分に対しては随分と打ち解けてくれているといえるのではないか?双子を知っているというだけで、セアラにとって自分は、特別なのかもしれない。そう考えて嘆息してしまう。結局、双子が基準になっているのか…。
その日のまかないも、セアラはアナベルと一緒にとりたがったので、セアラにとっては遅い昼食になってしまう。まかないランチを食べながら、高校生グループが見たら驚くほど、セアラはよく喋った。本来、無口な方ではないのだろう。
「それで、学校にも戻ってみようかなって思ってて…」
「そうなんだ」
「うん、そうしたらルカに報告することも出来るでしょう?」
「ここでのバイトのこと、結局ルカには言ってないの?」
と、アナベルが確認をするとセアラは素直に首を振った。
「まだ、内緒なの。バイト代を貰ったら、ルカに何かプレゼントしたいなって。退院祝いをね、まだ、渡せてないの…。きっと驚いて、喜んでくれると思うの」
と、可愛らしい笑顔を、アナベルに見せてくれた。セアラの話すことは呆れるくらいルカのことばかりだ。アナベルは内心、ルカに対して益々イライラしてしまう。
約二週間ぶりで、それほど忙しいわけでもなかったのにも関らず、奇妙に疲れる五時間半、いや、正確には六時間半の時間を終えて、アナベルは一人で更衣室に戻った。自然と今朝の出来事を思い出して、憂鬱になってしまう。あいつら、ここで一体何を…。
思考が堂々巡りに陥りかけていることに気がついて、アナベルは強く首を振った。とにかく帰れば、久しぶりにリパウルや、アルベルトに会える。二人の姿を思い浮かべて、アナベルはほっとした。それに、部屋に戻って掃除もしないと、きっとほこりがたまっているだろう。最初に青い星に挨拶をして…。アナベルは、ロッカーから大きなリュックを引っ張り出しながら、シュライナー家に戻れることを、ようやく実感し始めた。
重いリュックを背負って、アルベルトの家に向かって自転車のペダルを踏みながら、アナベルは今日あった出来事について、ウォルターと相談したいと思っていた。特にサイラスが言っていた、ルカと会える手段について。
何かのたくらみなのだろうか?それともただの気まぐれか?考えてもよく分からなかった。サイラスの言うことが本当なら、チャーチストリートに八時に行けばルカに会えるらしい。バイトの開始時間は十時半なので、十分とはいえないが、往復できない距離と時間ではない。しかし、今、ルカに会うことに意味があるのか、ないのか。その点も、アナベルにはよくわからなかった。
会ってやると、サイラスに宣言した。勿論、その宣言を律儀に守らなければならない、いわれはないのだが…。結局一人で考えていてもよくわからない。アナベルは一旦思考を棚上げして、ペダルを踏むことに集中する。
ひたすらこぐうち、周りの風景が馴染み深い、しかし懐かしいものに変わってくる。この道を曲がれば、アルベルトの家が見えてくる。アナベルは嬉しくなって顔を上げて家が姿を現す方向に視線を向ける。
妙に浮かれながら、いつもの駐輪スペースに自転車を置いて玄関まで小走りに駆けると、インタフォンを鳴らす。が、屋内からは何の反応もない。アナベルは首を傾げた。そういえばアルベルトの車がない。外出しているのかもしれない。そう思って、屋内に入った。
二週間ぶりの家はどこかよそよそしく感じられた。アナベルは思い出して、携帯電話を上着のポケットから取り出すと、心配性のウォルターために、無事アルベルトの家に到着した旨、メッセージを送信した。返事が来るのはどのみち五時以降だろう。アナベルは携帯電話をポケットにしまった。
どうやら、本当にリパウルもアルベルトも外出しているようだった。リースもまだ戻ってきていないようだし…。でも、ルーディアは戻ってきているはずだ。アナベルは地下に下りるべきか、少し逡巡した。と、廊下で迷いながら、実は少し途方にくれていたアナベルの背後から、
「ただいまー」
と、耳慣れた、しかし懐かしい声がした。それから
「アナベル?」
と、問いかけるような声が続いた。アナベルは玄関の方に向き直ると
「リパウル!」
と、声を上げた。
「戻ってたのね。お疲れ様」
「それはこっちの台詞だよ。お帰りリパウル」
たった二週間振りなのに、ひどく懐かしくて、アナベルは自然とリパウルに向かって両手を伸ばしてしまう。
「ただいま。ごめんね、少し買い物に出ていたの」
言いながら、リパウルは、アナベルの背中…にしょったリュックに手を回して、優しくアナベルを抱きしめる。久しぶりに会うリパウルは、去年のリパウルよりも、綺麗で、艶っぽいような気がした。アナベルは、妙に照れくさくなってくる。
「リパウル、あの、新年おめでとう」
「おめでとう、アナベル」
リパウルは柔らかい笑みを浮かべた。
「気のせいかな?なんだかリパウル、去年より、また、一段と綺麗になったみたい」
と、戸惑いながらもアナベルが感じたままを口にすると、リパウルは、彼女の方こそ再会するなりの、アナベルの素直な賞賛の言葉に、顔を赤らめた。
「あら、そうなの?その…ありがとう…。何故かしら…」
と、リパウルが首を傾げていると、荷物を両手に、続けて玄関に入ってきたアルベルトは、玄関先で、二週間ぶりの感動の再会を慶んで、手を取り合うようにして語り合う二人の女性の姿に驚いて、少し身を引いてしまった。
アナベルはアルベルトに気がついて
「アルベルト!お帰りなさい」
と、声を上げた。リパウルもその声につられるようにして振り返る。
「ただいま、アナベル。元気そうで、よかった」
と、にっこりとした。アナベルは威勢良く頷いた。アルベルトには、特にこれといった変化はない。
「うん、全然、元気」
と、言ってからアナベルは、昨夜戻ってから、今まで二人きりだったのかと気がついて
「そうか、二人きりだったんだね。なんか、ごめんね」
と、奇妙な謝罪をしてしまう。アルベルトは苦笑して
「いや、君たちが戻ってくる前にと思って、食材の買出しに行ってたんだ」
と、説明してくれた。
「リパウルが腕を振るいたいらしくて」
と、いうアルベルトの言葉に、リパウルもにっこりとして
「そう、去年は男性陣が頑張ってくれたでしょ?だから今年は私が頑張ろうかと思って」
「そういうことなら、私も手伝うよ」
と、アナベルは請合った。リパウルは笑顔のまま
「勿論、当てにしてた」
と、片目をつぶってみせる。それから
「でも、アナベル、今日、ウォルター君のところのバイトは…」
「うん、月曜日まで、お休みにしてくれたんだ。というより、実は冬休み中はずっと休んでて…」
「そうなの?」
と言うと、リパウルは背後に立つアルベルトに視線を向ける。
「あの、彼も夕食に招待したいなって、アルベルトと話してたんだけど…」
「え!いいの?」
「勿論、ウォルター君の都合がよければ、だけど」
と、リパウルが付け加える。アナベルは
「多分、大丈夫だと思う。明日まで図書館のバイトがあるから、連絡できるのは五時以降になるけど…」
「そうね。あら、ごめんなさい、二人とも!とりあえず、まず、荷物をおかないと…」
と、遅ればせながらリパウルは、慌てたように付け加えた。
アナベルは懐かしい自分の部屋に戻って、とりあえず重いリュックを下ろした。それから、机の上の青い星に挨拶をする。心配していたほど、ほこりは積もっていない。アナベルは、掃除は後回しにして、キッチンへと取って返した。
キッチンへ戻ると、リパウルとアルベルトが流しに並んで、すでに調理を進めている。時折リパウルが笑顔で話しかけて、アルベルトが穏やかに応じている。後ろから見ているだけなのに、アナベルはいたたまれない気分になってくる。人の気配がしたのか、リパウルが、突然振り返った。それから、キッチンの入り口から、覗き込むようにしているアナベルの姿に気がついて
「アナベル、荷物は、大丈夫?」
と、笑みを浮かべたまま声をかけてくれた。
「あ、うん…」
「どうしたの?そんなところで」
と、リパウルは入り口に張りついたままのアナベルに、首を傾げる。
「いや…ちょっと、ひょっとしてお邪魔かなって…」
と、アナベルは正直に答えた。途端にリパウルが赤い顔になって
「は、はい?」
と、珍妙な声を上げた。
アルベルトと恋人同士になって、もう、結構経つ筈なのだが、こういう反応は相変わらずだ。もっとこなれなければ、悠然と対応するリパウルの姿は見られないのかもしれない。
「そ、そんなことないわよ!ね、アルベルト!」
と、リパウルはかたわらで、マイペースに調理を進めるアルベルトにも話を振った。アルベルトは顔を上げると
「そうだね、キャベツの千切りを、手伝って欲しいかな」
と、顔を上げた。彼は彼で、相変わらずだ。アナベルはにっこりすると、キッチンへ入った。
「キャベツたくさんあるんだね」
「郷里の定番、キャベツの酢漬けを作ろうかと思って。日持ちがするし、単純だけど、結構美味いんだよ」
と、アルベルトが説明してくれた。リパウルも、にっこりとして
「私もアルベルトのお姉さんに、作り方を教わってきたの。年末にハインツが作ってくれて、美味しかったから」
と、話しに加わった。二人で何となく微笑みあっている。その光景を見ながら、アナベルは思わずため息をついてしまう。
「いいなぁ、二人は…仲がよくて」
と、思ったまま、アナベルは口に出してしまう。リパウルが慌てて
「何、急に?どうしたの、さっきから…」
と、言いかけて気遣わしげな表情になった。
「ひょっとして、ウォルター君とケンカでもした?」
と、尋ねてくる。今度はアナベルの方が仰天して
「ち、違うよ!てか、どうしてここで、あいつの名前が出てくるの?」
と、声を上げてしまう。リパウルも慌てて
「そうよね、ごめん」
と、謝った。アナベルは
「違うんだ、その、友達が…ちょっと色々あって…」
と、説明した。
「そうなんだ?」
と、リパウルが首を傾げる。
多分、自分は、セアラとサイラス、それにルカのことが気にかかっているのだ。自分が気にしても仕方がないということはよく分かっているのだけど。
アナベルは気持ちを切り替えて、二人を手伝って食事つくりを始めた。作り始めながら、早速、お互い同士で、二週間の出来事の報告が始まる。ルーディアは疲れているのか、今朝戻るなり、ぐっすりと眠り始めたと、リパウルが肩を竦めていた。
アナベルは、ウォルターから聞いた博士の専門分野について、リパウルにきいてみた。リパウルは、アナベルがそのことについて知らなかったのに、またまた驚いてしまった。
「元々、私、臨床医を目指していたの。出来れば内科全般で、町のお医者さんみたいな開業医で…」
「そうなんだ!?」
なんだろう…。こんなお医者さんが近所にいたら確かに嬉しいが、リパウルの開業医姿が全く想像できなかった。繁盛することは間違いない。それは断言できた。…が、それにしても、微妙だ。
リパウルにもアナベルの、意外だという率直な感情が、伝わったのかもしれない。彼女は肩を竦めて
「でも、病院で研修中、指導の医師何人から、研究者の方が向いているって言われて…」
「そうだったんだ」
「うん…」
と、リパウルは顔をしかめた。そんな表情もやけにサマになっている。
「あの、なんで?」
「うん…内科の開業医となると、色々、患者さんとの関わり深くなるし、接触も増える。君にはとても、捌ききれないだろうとか何とか…」
「精神的なこととか?」
と、アナベルは首を傾げる。
「うん、そんなことみたい」
と、リパウルは少し寂しそうに肩を竦めた。
傍らで聞き耳を立てていたアルベルトは内心ため息をついた。初めて彼女からその話を聞いた時にも思ったのだが、医師たちが止めたのはそれだけが理由ではないのだろう。患者の半分は男性だ。リパウルの美貌や医師として患者に向ける優しさが、まっとうな診療の妨げになる例が、研修医時代に実際にあったのだろう。
「それで、技研を目指したんだけど、エナ・クリックは再生医療の専門分野で、臨床の現場でも、その頃から見事な業績を上げていて、その人が所長をつとめてるって、そんなミーハーな理由で技研を目指したの」
と、リパウルは少し照れくさそうに、告白した。
「そうなんだ」
「うん、でも、入所した時は、こんな風に関れるなんて夢にも思ってなかったから、今でも少し不思議な感じ…」
「あの…」
「うん?」
「憧れの人だった…みたいな感じ?」
「まあ、そうかしら?」
「なら、がっかりしなかった?エナって、その…」
と、アナベルが言い難そうに顔をしかめるのでリパウルは笑ってしまった。
「まあ、そうね。予想以上に厳しい人だったかな。でも、やっぱり、尊敬しているの」
と、リパウルは優しく笑った。アナベルは冬休みのエナの課題の件で、愚痴をこぼしにくくなったなと内心、自分の余計な質問を後悔したが、心のどこかで密かにリパウルの言葉を喜んでいる自分に気がついた。それこそ憧れのリパウルが、博士に憧れているのだ。少しだけその娘であることが誇らしかった。
五時を少し回った頃、アナベルは、そろそろウォルターに電話をかけるべきだろうかと迷い始める。と、ジーンズの後ろポケットに用意していた携帯電話が振動し始める。見るとウォルターからだった。連絡するとは言っていたが…。アナベルは携帯電話を取り出して、通話する。
「ウォルター?」
アナベルの声に、リパウルが振り返った。
『アナベル、メッセージを…』
「うん、それで、お前、今日、今から何か予定ある?」
と、アナベルは前置き無しで本題を切り出した。ウォルターは
『え?いや、食材の買出しに行って…』
「予定がないんだったら、こっちに来られないかな?リパウルとアルベルトが招待したいって、言ってくれてるんだけど…」
『え…?』
と、ウォルターが電話の向こうで逡巡する気配が伝わってくる。予想していなかったのだろう。
「今、二人で料理を作ってくれてるんだけど」
『いや、でも、お邪魔じゃないかな?』
「邪魔だったら最初から誘わないと思うけど?」
『えっと、じゃあ何か話が…』
ウォルターの言葉に、アナベルは笑った。
「いや、そんな大袈裟な話じゃない。まあ、行きの会をやったから、帰りの会かな?心配しなくても、今日はナイトハルトも居ないし」
『いや、そこは、別に…』
と、ウォルターはぼやいてから
『わかった、行くよ』と、答えた。
「そうか」
『一回家に戻ってからバスで行くから…』
「うん、わかった。じゃ、待ってるから」
『うん』
「じゃ、切るな」
『うん』
アナベルは通話を切った。リパウルに向かって
「バスで来るって」
と、簡潔に報告する。リパウルはにっこりとして頷いた。
アナベルが電話をしまって、調理の続きに戻ると、ほどなくしてリースが戻ってきた。




