2-6 聖邪の双子(9)
アフマディのお店に二人で自転車をこいで向かう。お店に到着すると、店内はすでに普段通りに込み合っていた。世間もそろそろ冬休み開けのようだった。数時間前までいたお店の、店内の奥に入り込むと、いつもの隅の席にイーサンが当たり前のような顔をして座っている。彼は二人の姿を認めると、手を上げた。
「イーサン、久しぶり」
アナベルが懐かしそうに声を上げると、イーサンは
「よう、元気そうだな。さぼらず筋トレしてるのか?」
と、頬杖をついて、笑ったまま尋ねてくる。アナベルも笑いながら、イーサンの斜めの席に腰を下ろした。
「当たり前だろ?毎日サボらずにやっている。トレーニングの再開は、二学期が始まって最初の週末からだよな」
と、確認をとった。イーサンは
「ああ、今週末はまだのんびり出来るな。お前、課題は?」
「今日すんだよ」
と、アナベルは不敵な笑みとともに報告した。ウォルターはアナベルが座ったのを見届けるようにしてイーサンの対面、いつもの席に腰を下ろした。イーサンはいつも通りのにやついた笑みを浮かべ
「お前は全然、久しぶりな感じがしないな」
と、言った。
「先週、会ったきりだけど…」
「なんだ、寂しかったのか?言えば手伝わせてやったのに」
「いや…遠慮しとく…」
誰が、イーサンとウバイダの同居ならぬ同棲している住居になど、行きたいものか。と、ウォルターの思考を読んだかのように、ウバイダが厨房から、彼らの座るテーブルに姿を見せる。
ウバイダはアナベルの背後に静かに立つと、少しかがんで
「アナベル、いつもありがとう」
と、背後から小声で言った。アナベルは飛び上がりそうになるほど驚いた。
「お、お前、いつの間に…」
慌てて振り返ると目の前にウバイダの顔があったので、アナベルは余計に慌ててしまう。ウバイダはアナベルの戸惑いには構わず、麗しく微笑むと
「ん?さっきからいるよ」
と、答えた。
「そうなんだ?…てか、お前、なんか近くないか?」
「ん、気にしなくてもいいよ」
と、何故か妙に色気のある微笑を浮かべてウバイダが答えるので、アナベルは
「いや、だから私が気になるんだけど…」
と、ぼやいた。と、イーシャがメニューを片手にやってきて、ウバイダの背後から肩を掴んで、後ろに引っ張った。
「はいはい、ウバイダ、挨拶はいいから、注文きいたの?」
と、看板娘らしい気配りを見せる。アナベルはほっとしてイーシャを見上げる。
「経済学のレポート、出来たよ」
と、アナベルはイーシャに向かってにっこりして見せた。イーシャも笑うと片目をつぶった。イーシャは、ウバイダとアナベルの間に割って入るようにして身を入れると、無造作にメニューをテーブルの上に置いた。
「イーサンは、いつもの?」
と、何故か横柄にイーシャが確認する。
「いや、今日は違うのにしてみるか…」
と、何故かイーサンがメニューを見ようとする。アナベルがテーブルに視線を戻すと、ウォルターが普段以上の仏頂面で、あらぬ方を見ていたので、少し驚いて
「お前、なんか変なものでも食ったのか?」
と、意味不明な確認をしてしまった。
すると、アナベルの視界の隅で、ウバイダが、声を出さずに肩をゆすって笑いだした。アナベルがウバイダに視線を向けると、彼は笑みを浮かべて少しだけ首を傾げた。
「心配しなくても、妙なものは出さないよ。支払いも気にしないで、食べたいもの、なんでも頼んでよ。今日は僕がご馳走するからね」
と、にっこりとした。その言葉に、何故かウォルターの仏頂面が、ますますひどくなった。
ウバイダの料理は、どれもとても美味しかった。食べるのが好きなアナベルは、素直に感嘆の声を上げた。
「お前、プロになれるんじゃ」
と、みょうちきりんな事を言い出したので、客の感想を聞きに厨房から出ていたウバイダは、肩を竦めて
「まあ、一応目指しているから、お褒めに預かり光栄だけど」
と、苦笑した。
ウォルターは終始一貫して、難しい表情でひたすら食べているし、イーサンも黙々と食事に集中している。アナベルは、ウバイダに
「あの、この二人っていつもこんなだっけ?」
確か以前三人で食べた時は、もう少し会話があったような…。
「さあ、こんなもんじゃない?」
と、ウバイダがにっこりとしたので、アナベルもつられて苦笑してしまった。
ウバイダが厨房に戻ったので、アナベルは恐る恐る
「あの、お前何か機嫌が悪いのか?」
と、ウォルターに声をかけてしまう。続けて
「料理、口に合わないとか…?」
と、言うとウォルターは顔を上げて
「いや、旨いよ」
と、無愛想に言った。それから
「君も満足しているようで、よかったよ」
と、言葉と不釣合いな口調でそう言った。
アナベルが途方にくれているとイーサンが
「妬いてるんだ。勝手にやらせてやれ」
と、妙に爽やかな笑顔でそう言ったので、アナベルは首を傾げてしまう
「なんで…?」
「さあな」
と、イーサンがにっこりするので、アナベルは、今度は反対側に首を傾げてしまった。
美味しい料理を食べ終わると、流石にウォルターとイーサンも言葉を交わし始めた。アナベルには理解できないシステムの話題で、アナベルはデザートを追加して一人で楽しんだ。それから、二人はイーサンを残して、先に席を立つ。イーシャとウバイダが二人を笑顔で見送ってくれた。
「明日、残り一日、よろしくね~」
と、イーシャがアナベルに手を振った。アナベルも自転車に跨ったまま手を振り返す。
そんなにのんびりしていたつもりはないが、結構いい時間だ。まだ、エナの住居にいるので門限はないが、門限を守ることが習慣になっているので、アナベルは少し落ち着かない。並んで自転車をこぎながらウォルターが
「君、アフマディのお店でのバイトは明日までなんだよね」
と、確認してきた。
「そう、土日はカフェのバイト。久しぶりだ」
と、なにやら懐かしそうにアナベルが呟くので、ウォルターはため息をつく。
「大丈夫なの?」
「何が?まあ、確かにセアラが大丈夫か、心配だな…」
と、アナベルが本当に心配そうな口調で、そう言ったので、ウォルターはあきれてしまう。
「セアラ・アンダーソンのことは…」
「だって、本当にサイラスが毎日来てたら、面倒じゃないか?」
「余計なお世話だろう」
と、ウォルターはやや強い口調でそう言った。
「余計なお世話って…セアラは、根はいい人だけど、気が強いとは言えない。サイラスは押しが強そうだったし、おまけにルカと同じ顔だ。心配にもなるだろう」
「何の心配をしてるの」
と、ウォルターが前を向いたまま突き放すようにそう言った。
「それは…」
「僕はそれを余計なお世話だって、言ってるつもりなんだけど?」
「セアラがサイラスにどうにかされても、知ったことではないってこと?」
「全くその気がなければ、どうしようもないだろ?付け込まれるのは隙があるからだよ。全く…」
と、何に腹を立てているのか、やけにイライラした口調でそう言った。アナベルは呆れて
「お前、何をむきになっているんだ?」
と、尋ねてしまう。ウォルターは前を見たまま
「さあ、少なくとも、セアラ・アンダーソンの恋の行方に関心がないのは確かだけど」
「恋の行方って…」
「君が心配してるのは、そのことだろ?」
言われてみれば確かにそういうことになるのだろうが、そうあからさまに言われると少し違う気もするのだが…。
「いや、そうだけど…それだけじゃなくて、あいつ、たちが悪そうだから…」
「えらく、感情移入してるんだね。セアラ・アンダーソンに」
「そりゃ、結構、サイラスに同情的だったから…。気になるだろ?その、セアラがサイラスの手駒…?みたいになったら、こっちだって困るし…」
「今だって半分はそうなんじゃない?どちらにせよ、極力関らないようにするしかないね。ひょっとして君、これからは同じバイト仲間だし、彼女と友達になりとたいとか、おめでたいことを考えてるんじゃないだろうね?」
ウォルターにバカにしたように言われて、アナベルは
「いや、仲良くなれそうかなって、ちょっと思ってたんだけど…」
と、答えた。
ウォルターはアナベルの正気を疑うような眼差しで、彼女を一瞥すると
「夏にあったこと忘れたの?セアラ・アナダーソンは気が弱い上、善良ともいえないんじゃない?」
「なんで、そうなる?」
「確かに彼女はルカに夢中だったけど、君の話を聞くとサイラスのことも憎からず思っているようだし。結局、どちらにもいい顔をしているように思えるんだけど?」
「お前…なんでそんなにセアラにきついんだ?」
「そりゃ…」
アナベルの近くにいて、ルカとサイラス、状況次第でどちらの側にもつく不安定な存在だ。目障りで仕方がない。ウォルターからすると、アナベルの甘さの方が信じがたかった。
「サイラスはどうせそろそろルイスシティ…だっけ、に戻るんだろ?そんなにピリピリしなくても、こっちは、安全じゃないか。リパウルとアルベルトも戻ってくるし、リースや、ナイトハルトだって…」
アナベルがウォルターの神経質な態度に少し呆れながら、そう呟くと
「ザナー先生が、何の関係があるんだ?」
と、また妙なところでウォルターが、噛み付いてくる。
「いや、ついでに思い出しただけで…」
「ついでって…」
「…つまり!心配しなくても、何もなかったじゃないか!エナの課題をどうするかの方がよほどの難問だ」
ウォルターも自分が空回りしていることにやや疲れてきて、話題の転換に乗った。それでも、アナベルの暢気さにまだ少し、イラついていた。
「そうなんだ。続けてやる気?」
「うん、解答貰ったし、やれるだけはやりたいんだけど…」
アナベルは安堵のため息をつきながら、そう答える。
「エナが言うのは、五年分全部やってみるかってことじゃないのかな?」
と、ウォルターが淡々と、とんでもない事をいいだしたので、アナベルは仰天した。
「え!なんで?」
「なんでって、君がやる気を示せば残りの三年分を渡すつもりなのかなって、そう思ってたんだけど」
「だから、なんで?」
「いや、やる気がないんだったら気にしなくても…」
「いや、待て。確かにそうかもしれない…」
言うなりアナベルは自転車をこぎながら考え込む表情になる。しばらく静かに自転車をこいでいたがアナベルが急に
「なあ、お前、エナの専門って何か知ってる?」
と、言い出した。ウォルターは横に並んだまま
「再生医療だよ。図書館に論文が何点かあって…」
と、あっさりと教えてくれた。
「お前、読んだの?」
「まあ、一応。一本だけね。難しくてよく分からなかったけど…」
「再生医療って、移植とかの…」
「そう、研究と臨床と、両方だね。事故などの後天的な理由で内臓の組織を失った場合の再生技術は、それほど問題はないけど、遺伝的な問題をかかえた臓器の再生に対して、ゲノム内にある発生に関わるDNAのネガティブな発現をどう阻害するかとか、最近だと、臓器の生成過程におけるバグの問題とか…そういう研究を専門にしているみたい」
「はああ?」
「うーん、説明が下手で申し訳ないんだけど…」
「いや、お前の問題じゃない。そうか…」
そう言うと、アナベルはため息をついた。
「お前、そういえばアルベルトの論文も読んでたな」
「まあ、読もうと思えばセントラル図書館で読めるから。ただ読むだけなら誰でも出来るし、理解できるかどうかは、また、別の問題だけど」
…ゲノムのネガティブな発現…
アナベルはエナが言っていた、ゲノムで全てが決まる、という考え方の事を思い出していた。エナ自身は、全面肯定はしていなかったその考え方を、アナベルは肯定しているのだと…ただ、自覚をしていないだけで…。
無論、アナベルにはそんな思想はなかった。アナベルは、自分が出来ないことの言い訳に“生まれつき”という言葉を使っていただけで…。それを見越した上で、エナは彼女の半端な考えを突き詰めさせたのだろう。遺伝の問題と、ずっと真摯に向き合い、闘い続けているのは、エナの方なのだ。
アナベルはため息をついた。
「お前、やっぱり凄いな」
「何が?」
ウォルターは、何を褒められたのかよく分からなくて首を傾げた。
「だって、私はエナの専門が何なのかなんて、全然知らなかったし、今まで興味をもったこともない。論文を読もうなんて、思いつきもしなかった…」
「いや、それは環境の問題じゃないかな?僕だって図書館でバイトさせてもらえてるから、読めただけで…」
「いや…」
と、言いかけて、ここでお前は頭がいいからとか言い出すと、エナと話す前の自分と全く同じだ。ウォルターは決して肯定しないだろうし、自覚もしていないようだが、彼が努力家であることは確かなようにアナベルは思えた。
「私は、少し、素直にお前を見習うよ」
「へ?」
と、ウォルターが珍しく珍妙な声を上げた。
「なんだよ。お前は凄いって思ったから…、そんなに変な事は言ってない」
「いや…」
と言うと、ウォルターは顔をそむけた。そのまま黙り込む。
ひょっとして照れているのか?
アナベルは自転車をこぎながら彼の横顔を凝視してしまう。暗くてよく見えないのが残念だ。
ウォルターはアナベルの視線にたまりかねて
「アナベル!頼むから前を見てくれ。危なくて仕方がない!」
と、しごくもっともな事を言った。




