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オールドイースト  作者: よこ
第2章
134/532

2-4 惑星に願いを(3)

宅配のバイトが最後の日、アナベルはワトソン女史の家に封書を届けた。ワトソン女史に、今日が宅配の仕事の最後の日なのだと伝えると、それなら、仕事ではなく遊びにいらっしゃいと、誘われたので、アナベルは快くその誘いに応じて、来週の木曜日、早速ワトソン女史の家を訪問することが決まった。


その日、夕食を終えて部屋に戻ったアナベルは、自分のクローゼットを覗き込む。彼女は未だに、春秋用のジーンズ地の上着で通していたのだが、流石にそろそろ肌寒い。来週、ワトソン女史の家に伺うのに、別段めかしこむ必要もないが、あらためて自分の姿を見返してみると、ウォルターに服の事を、とやかく言える立場でないことに気がついてしまった。とりあえず彼女はなけなしの衣装ボックスから、冬物の衣服を引っ張り出し始めた。


***


 オールドイーストに来て以来、ずっとお世話になっていた宅配の仕事を辞め、十二月を迎える。いつもの通りウォルターの家での作業を終えると、アナベルは勉強道具をリュックから取り出しながら、

「お前、日曜日、時間空いてる?」

と、切り出した。


「多分…、特に予定はないと思うけど」

と、ウォルターが例によってタブレットを片手に答える。

「買い物、付き合ってくれないかな?カフェのバイトのシフトが入ってないんだ。先週、冬物の確認をしたんだけど、上着がもう小さくなってて、随分着てるし、ずっと、新調しないとって思ってたんだ」

「…別に構わないけど…なんで、僕なの?」

と、微妙に不満そうに、ウォルターが応じる。


「なんだよ、嫌なのか?そりゃ、私だって、イーシャとかリパウルの方が助かるけど、イーシャは日曜日はダンスのレッスン日だろ。リパウルだって貴重なお休みで、アルベルトとデートだってしたいだろうし。リースは日曜日はレストランのバイトで、他に知り合いって言ったら…」

「うん…」

「まあ、一人で行ってもいいんだけど、どうせならと思って。ウバイダに頼むってわけにもいかないし…」

「え?」

思わぬ名前にウォルターの方が仰天してしまう。


「なんで、ウバイダ?」

「なんで、って頼むわけにもいかないしって…あいつ、女の子の買い物に付き合うの結構好きだみたいなこと言ってたから、思い出しただけで…」

「行くよ」

「へ?」

「日曜日、付き合う」

「いや、そんな無理やり…。だから、頼むわけにはいかないって、言ったんだけど…」

と、アナベルが意味不明な言い訳をし始めるが、ウォルターはタブレットに視線を据えて、無言になった。


特に深い意味は無かった。買い物に付き合ってくれそうな知り合いの名前をあげただけで。ウバイダはたまたま思いついただけで…。


「お前、ウバイダのこと嫌いなのか?」

というアナベルの問いに、ウォルターは顔も上げずに

「僕が彼を嫌ってるんじゃない、彼が僕を嫌ってるんだ」

と、断言した。アナベルはため息をついた。

「ウバイダはお前を嫌ってるわけじゃなくて、単に妬いているだけだろう」

「なんで?」

「なんでって、そりゃ…。あ、私がこう言ってたって、イーサンには言うなよ?」

と、アナベルが気を回すと、ウォルターはなんでもないことのように

「イーサンは気がついてると思うけど?それに、ウバイダも隠すつもりもないだろう。どの道、今の二人は円満そのものだ」

と、応じた。


「なんだよ、知ってるんなら、訊いてくるなよ…」

と、アナベルが抗議すると、ウォルターが顔を上げた。

「ウバイダが僕にやきもちを妬いていいんだったら、僕だって、妬いたっていいだろ?」

と、意味不明な事を言い出した。

「なんで、そうなるんだ?」

と、アナベルが途方にくれると、ウォルターは目を伏せて

「そうだね。ごめん」

と、すぐに引き下がった。


途端、アナベルは不愉快になった。

…なぜそこで、もう少し言い張らない?


「お前、どっちなんだよ?」

「どっち…て、何が?」

「妬いているのか、妬いていないのか?」

「え、別に…妬く権利があるわけじゃないし…」

「権利?やきもち妬くのに権利がどうとか、何の関係があるんだ?」

「それは、つまり…」

「お前、ウバイダがイーサンと付き合ってるんで、やきもち妬いてるのか?」

と、アナベルがテーブルに手をついた。

「何、わけのわからないこと…」

ウォルターは絶句した。アナベルも自分が意味不明なことで単にウォルターに絡んでいるだけになっていることに気がついて、椅子に座りなおした。


「お前先週、スタンリー氏に着ている物のことで、あれこれ言われたって、愚痴ってたから、お前も何か新調すればいいのかなって思ったんだ」

「そんなに愚痴ってた?」

「服のことというより、スタンリー氏に押し付けられた本のことで愚痴ってたかな?あと、以前、今度おごってくれって言ってたけど、そのままになってたから」

「そんなこと言ったっけ?」

と、ウォルターは訝しげに眉を寄せた。


「覚えてないのかよ?こっちは結構気にしてたのに。それに、お前にはここのところ、何かとお世話になってるし、そのお礼も兼ねてランチでもご馳走しようかなって、宅配のバイト代、まだ、とってるんだ」

「そんな、気にしなくても…」

言いながらウォルターは思い出した。確かにそんな事を言ったが、本気で彼女におごらせようと思っていたわけではない。と、アナベルは仏頂面になった。

「なんだよ、私から施しを受けるのは嫌なのかよ」

「それ、僕がそのとき言った…」

「いやならいいんだ。一人でも行けるし」

言いながらアナベルは俯いてしまった。


自分は、何を意固地になっているのだろうか?


「いやじゃないし、一緒に行きたいよ。僕が悪かった、ごめん」

と、何故だかウォルターの方が謝ってきたのでアナベルはうろたえてしまった。


しかも一緒に行きたいって…。

そう言われて、よろこんでいる自分が後ろめたい。


つまり自分は、最初からそんな風に言ってほしかったのか?


「なんで、お前が謝る?絡んでるのは、私のほうだろ?」

「だって、最初から素直に行くって答えればすんだ話だ。いちいち説明させてごめんよ」

そういうと、ウォルターはやけに優しい表情になった。本心を見透かされたようで、アナベルは余計にうろたえてしまう。


それをいうなら自分だって、最初からウォルターを誘おうと思った理由を言えば済んだだけの話で、他の人を引き合いに出してごまかそう、などとわけのわからないことをせねばよかっただけのことだ。


「えっと、なら、私がランチをご馳走するで、いいんだな?」

アナベルは、ごまかしついでとばかりに、確認をとってしまう。ウォルターは苦笑した。

「いいよ」

「なら、夏にイブリンさんと行ったお店。あそこ、お前、結局コーヒーしか飲めなかっただろ?あそこだったら予約も要らないらしいし、美味しかったし、どうかな?」

「うん、わかった」

と、ウォルターが普段の調子で応じてくれたので、アナベルはなんとなく嬉しくなった。にっこりすると

「よし、試験も近いし、勉強しよう!」

と、張り切り始めた。ウォルターもほっとして、タブレットに視線をおとした。


***


木曜日、アナベルは授業を終えて、駅向こうへ通じる道に向かって、自転車を押して歩いていた。ワトソンさんの家は駅向こうの郊外、住宅地のさらに外れにあったからだ。今日はハウスキーパーのバイトもないので時間を気にする必要もない。バス停に向かう人並みを横切ると、アナベルはほっと、息をついた。


線路の下を通る地下道を抜けると、少し人通りが増えた。アナベルは、そのまましばらく、人通りが少なくなるあたりまで、自転車を押して歩いた。それから自転車に乗ると、記憶にある家へ向かってペダルを漕ぎはじめた。最初の頃に比べると自転車にも随分慣れてきて、今では移動時間も以前より早くなっている。


 見晴らしのいい広い庭と大きな邸宅が連なる、格子状に区画整備された郊外の住宅地の、間を走る広い道を抜けると、緩やかに曲がった緩やかな勾配の坂道を上がる。


周囲は木々に囲まれて、ちょっとした森のように見えなくもない。坂道を登りきったそこに、カレン・ワトソンの家はあった。敷地を囲う塀はレンガでしっかりと周囲の木々とは隔てられとおり、庭の内側には草木が生い茂っていた。そのため、他の住宅地とは異なり、邸宅はその外観すら、外からは窺えない。


アナベルは宅配の仕事で、ここを訪れるたび、邸宅の様子に好奇心を抱いていた。今日はようやく、敷地の内側に入ることが出来るのだ。邸宅入り口に対する正面の囲いは、レンガ塀から木柵へと変化している。アナベルは自転車を木製の柵の付近に置くと、入り口の横の呼び鈴を鳴らして、来訪を告げた。


『はぁーい』

と、インタフォンから、ワトソン女史の声が聞こえてきた。待つほどもなくワトソン女史が姿を見せる。

「よく来てくれたわね、アナベル」

と、ワトソン女史はにっこりとした。

「うん、お言葉に甘えて、遠慮なく来たよ」

と、アナベも微笑む。

「試験勉強はどう?はかどっている」

「…いきなりだね」

さっそく痛いところをつかれて、アナベルは顔をしかめてしまう。


「あら、だって、そのために宅配のバイトを辞めたんでしょう?」

「まあ、そうなんだけど…」

「あらあら、ひょっとして、また悩み事じゃないでしょうね?」

「そりゃ…悩みはいつでも、たくさんあるけど…」

「例えば?」

「例えば?って」

訊かれてアナベルは考え込む。ワトソン女史はその様子を見ながら、ふっと目を細めた。


「そうね、今日はうちに遊びに来たんですもの。立ち話をすることはないわね」

言いながら、木製の柵を手前に引き寄せた。

「どうぞ、アナベル。ようこそ、我が家へ」

と、ワトソン女史が優雅に告げた。


「あ、うん」

何ゆえか、いくばくかの緊張と共に、アナベルはその謎の家の敷地に入った。木々の生い茂る敷地の内側にはいると、雑然とした樹木に迎えられる。家までの道には、四角く白い石が並んでいて、そこだけは木々に侵食されていなかった。と、足元から、にゃあ、という鳴き声がした。


「あら、猫さん、来ていたの?」

と、ワトソン女史が、突然、木々の隙間から姿を現した、黄色い目をした黒い猫に話しかけた。

「猫、飼ってるんですか?」

と、アナベルが尋ねると、ワトソン女史は迅速に否定した。


「いいえ、飼ってなどいません。ここは彼女の縄張りで、いつも巡回に来ているのです。彼女は時々、食事を欲しがりますが、こちらが餌付けしたがっているのを分かっていて、そんな人間の下心を、うまく利用しているのよ」

見ると猫は自分の額をワトソン女史の足に擦り付けている。確かに何かをあげたくなる。


「ほら、こうして匂いをつけているの。人間にはわからないこの匂いは、魔法の一種です。こうされると、何か食べるものをあげたくなるでしょう?」

「確かにそうだね」

と、アナベルは笑った。すると、ワトソン女史のいうところの猫さんは、今度はアナベルに目をつけたのか、彼女の方にも寄って来て、同じように足に額を擦り付ける。アナベルは目を細めた。


アナベルと目があうと、猫さんは、にゃあ、と鳴いた。それで挨拶は十分だと思ったのか、猫さんは再びワトソン女史の足元に戻った。ワトソン女史は猫さんと一緒に歩き始める。見ると、目の前に木造の家が現れた。壁の色は素朴なピンクがかった白っぽい色で、切妻屋根は落ち着いた赤色に塗られていた。配色はワトソン女史の趣味だろうか?


「いい家だね。この庭にあってる」

「あら、アナベル、なかなか言うわね」

「…生意気だった?」

と、アナベルは首を縮めた。


「いいえ、お褒めに預かり光栄ですよ。皮肉ではなくて、自慢の我が家なの。中古物件ですが、かなりの掘り出し物と自負しています」

「うん、そうだね」

アナベルはほっとしながら答えた。何よりここは、ワトソン女史と黒い猫にとても似合っているように、アナベルには思えた。


「では、おうちの方へ」

と、言いながらワトソン女史は家の中にアナベルを招き入れた。

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