2-4 惑星に願いを(1)
十一月も終わりに近いある日、ずっと眠りっぱなしだったルーディアが、久しぶりに目を覚ました。
その日、アナベルが、アルベルトの家に戻ってから、ルーディアのチェックのため地下に下りて、普段通りチェックしていると、ルーディアが突然現われて、ポットの上で、うんと伸びをしていた。
「ルーディア!!?」
アナベルは驚いて、思わず大声を上げた。九月から、起きているルーディアに会うのは、ほぼ、二ヶ月ぶりだ。
「アナベル」
ルーディアはポットの上で、にっこりとした。アナベルはポットへと駆け寄った。
「ルーディア!元気だった?って、訊くのも変だけど」
言いながら、懐かしくて嬉しくて、意味もなく笑ってしまう。
「そういえば、去年も今頃には起きてたね。冬型なの?」
と、アナベルが尋ねる。ルーディアはアナベルの発想が面白かったのか、声を上げて笑った。
「そうか、冬型ね。そうかもしれないわね」
それから首を傾げる。
「そうか、もう十二月なのね…」
「来週には十二月だね」
にこにこしながらアナベルは応じた。と、ふいに真顔になって
「ルーディアその、八月とか、九月にあったこと、覚えてる?」
と、確認してしまう。ルーディアはアナベルの、妙に気を回した雰囲気の訊き方に、苦笑してしまう。
「覚えてるわよ。私が攫われそうになって、アナベルとウォルター君に助けてもらったことでしょ?」
「あ、うん…それもなんだけど…」
アナベルが一番気になっていたのは、ルーディアがルカの事を覚えているかどうか、という点だった。もし忘れていたら、ルカがかわいそうだとアナベルは思っていた。ルーディアも真顔になった。じっと自分の衣装を見ている。
「アナベルが気にしてるのは、ルカのこと?」
「そう…覚えてるんだね」
ルーディアが自分からルカの名前を口にしたので、アナベルはほっとして、息をついた。
「アナベル…。手紙のことで、怒られなかった?」
ルーディアが心配そうに、アナベルを見上げる。アナベルは苦笑した。
「ちょっとね。でも、それほどでもなかったよ。それに…」
「うん」
「ルカ凄く一生懸命、手紙、読んでたよ。受け取っては貰えなかったんだけど、その代わり記憶しておこうって思ってたんじゃないかな?」
「そうなの…」
「うん、でも、受け取らなかったのって、多分、ルーディアの身の安全とか、そういうのの、為だと思う。なんか、ルカって結構、口が堅くってさー」
と、アナベルがぼやくとルーディアはくすくすと笑った。
「あれから、リパウルがルカのこと調べてくれて、詳しいことまでは分からないんだけど、病気がよくなって、特別病棟からも退院したみたいなんだ」
アナベルの情報に、ルーディアは弾かれた様に顔を上げた。
「本当?」
「うーん、ただ、言われた住所にルカはいなくて…本当かどうかは確かめきれてないんだ」
と、申し訳なさそうに、アナベルは続けた。
「そう…」
ルーディアも顔を伏せる。
「でも、ウォルターが言うには多分、その住所はルカと縁があるんだろうし、退院してるのも間違いないんじゃないかって。私には今ひとつわからなかったけど、アルベルトは頷いていたから、私より状況を理解していると思う」
「うん、わかった」
と、ルーディアは微笑んだ。ルーディアがそれきり物思いに沈んでいる様子なので、アナベルは戸惑った。
「その、私が追試になっちゃって、ルカの住所に行くのが遅くなっちゃったから…」
「アナベル?」
「いや、ルーディア、ルカに会いたいんじゃないかなって…」
言うと、ルーディアは静かに首を振る。
「会いたくないの?」
「わからない。ルカが元気になったのなら、もう私は必要ない」
「必要ないって…ルーディア、何言ってるの?」
「本当にそうなの…」
それきり、ルーディアは口を噤んだ。
「ルーディア…」
アナベルは悲しげに顔をしかめた。ルーディアは何を言ってるんだろう?ルカの方は、間違いなく、ルーディアに会いたがっているのに。
考えてみると、ルーディアは人のことは、乱暴なくらい励ますくせに、自分のこととなるとやけに後ろ向きではないか?
アナベルが悄然とした様子になってしまったのに気がつくと、ルーディアは顔を上げた。
「…アナベル少し、かわった?」
と、ルーディアは首を傾げる。
「え?そうかな?別に…なんだろう?髪は、伸びたかな?」
「気のせいかな?前より…大人びて、きれいになったような気がする。けど、話している時は、あまり変わっていないような気もするし…」
ルーディアの言葉にアナベルは、頬を赤らめた。
「そうかな?確かにひとつ年はとったけど」
と、えへへと笑った。
「あ、そうなのね?えーと…」
「十七歳になったよ」
と、少し嬉しそうに、アナベルが答える。
「そう、眠っている間は、時間の経過なんて感じないから…」
ふっと顔を上げ
「おめでとう。遅くなったけど」
と、ルーディアは首を傾げた。アナベルはにっこりとした。
「クリック博士も今年はお祝いを言ってくれたんだ。去年は忘れてたみたいだったけど」
ルーディアは首を振った。
「エナはあなたの誕生日を忘れたりしないわ」
と、やけにはっきりと言った。アナベルは訝しげに眉間にしわを寄せ
「どうかなぁ?」
と、疑わしげだ。ルーディアはそれ以上、なにも言わなかった。
「今年はかなり恵まれた誕生月だったんだ。みんなから嬉しいもの、色々贈ってもらって」
と、嬉しそうに言葉を続ける。こうして話していると、やはり、大人びたというのは気のせいのような気がしてくる。
「何を貰ったの?」
「うんとね、リースから便箋でしょ、リパウルと、アルベルトからステキな服とブーツ、髪飾り。イーシャとその他二名から、姿見を貰って…」
「叔父さんからは?」
と、ルーディアが優しく問いかける。
「カイルからは…ペンダント」
と、複雑な笑みを浮かべながらアナベルは優しく答えた。
「とってもきれいな…カイルからアクセサリーを貰ったのは初めてで、ちょっと…実を言うと複雑なんだ」
「複雑なの?」
「うーん、うまく言えないんだけど…」
と、アナベルは言いよどむ。
「嬉しくないわけじゃないんだ。すごくきれいで、嬉しいんだけど…」
「そう…少しほっとした」
と、何故かルーディアが微笑んだ。
「なんで、ルーディアが?」
「うん、アナベルはきっと、ずっとカイルさんの娘で…子供のままでいたいのよ。だから嬉しいけど複雑。そうなのかなって思って、私は勝手にほっとしたの」
「うん…そうかも…」
「私もそうだから。アナベルにも私と同じような気持ちがあるんだって思ったら、勝手だけど、ほっとしちゃったの」
「そうか、別に、そういうのって悪くないのかな」
「どうかしら?私みたいになっちゃうと、困るかも」
言いながらルーディアが可笑しそうに笑った。アナベルはなんと答えたらいいのかわからない。
「ごめんなさい。こんなこと言われても困っちゃうわよね。アナベル、ウォルター君からは?」
と、話を変えるようにルーディアは何の気なしに言った。と、アナベルが固まってしまった。
「…アナベル?」
「え…ウォルターからは…」
と、妙にぎこちない調子でアナベルが応じる。
「何か貰ったの?」
ルーディアの方が目を丸くして確認してしまう。どんな妙なものを貰ったのだ?アナベルはしばらく俯くと
「持ってきていい?」
と、訊いてきた。
「いいけど…?」
と、ルーディアが首を傾げながら、了解した。
アナベルは踵を返して部屋を出ると、待つほどもなく円柱形のガラスのケースを手に、持って戻って来た。アナベルはルーディアのポットの側に腰を下ろすと、絨毯を敷いた床の上にそのケースを置いた。ルーディアはポットから滑り降りて、床に腰を下ろした。アナベルは倒れないよう、大事そうに円柱形のガラスケースに手を添えている。ガラスの筒の中で謎の球体がゆっくりとまわっていた。
「これ…?」
「人工惑星模型っていうんだって。きれいでしょ」
うっとりと、誇らしげにアナベルが説明した。まだ、貰ったばかりだった。
「これ、ウォルター君から?」
「うん、十一月の間、ずっと作っててくれてたんだ」
説明しながらも、ずっと星を見ていた。うっとりと人工惑星に見とれているアナベルは、先ほどルーディアが感じたように、大人びていてきれいだった。きっと…おそらくアナベル自身、気がついていないのだろう。この星をみつめる自分が、どんな表情をしているのか。
ルーディアは密かにため息をついた。たった二ヶ月、自分が眠っている間に、きっといろいろなことがあったのだろう。
「ルーディアこれ、見たことある?」
「これ?いいえ。初めて」
「そう、私はカディナの町役場にあって、そこで初めて見たんだ。その後、そう、ちょうど一年くらい前、ナイトハルトの家で、やっぱりウォルターが作った惑星模型を見て、それもすごくきれいだった…」
「そう、どんな?」
ためらいながらルーディアは尋ねた。本当にアナベルに聞きたことは別にあったが、それは同じくらいききたくない事だった。
「水色の、ルカの目の色みたいな」
優しく微笑みながら、アナベルはルーディアの方に視線を向ける。
「それはウォルターの家にあるんだ。ルーディアにも見せてあげたいよ」
「そうなの…」
…どこか懐かしい、優しい水色の眼差し…
ルカの目の色に似ていると聞いて、ルーディアは益々複雑な気持ちになった。ルカの目の色の惑星。自分はそれを、見たいだろうか?
「珍しい目の色だよね、水色って」
と、アナベルが宙を見上げるようにして呟いた。
「そう?でも確か他でも見た気がするけど…」
と、ルーディアも記憶を辿る風になる。
「本当に?私、初めてだけど?」
「え、そうなの?あれ、誰だったかしら?」
「えー、また忘れてるの?」
と、アナベルは批難がましい言い方をする。ルーディアはむかっとして
「何よ、そんな、いちいち覚えてなんかいられませんから」
「単なる、記憶力不足?それなんだったら、仕方がないけど」
「もう、バカにして。人を頭からっぽみたいに…」
と、何故か二人は、人工惑星模型を前に、他愛のない口げんかを始めてしまった。そのうちリパウルが地下に下りてきて、起きているルーディアと久闊を叙した。
その日は久しぶりで、ルーディアも混じっての夕食となった。ルーディアは、寝ている時は、寝ている以外の生存に必要な行為は、一切行っていないのに、どうなっているのかアナベルには不思議で仕方がなかった。
夕食を終えて、少し歓談をしてから、大人三人を残して、アナベルとリースは自室に戻る。気がつけば目の前に、学期末試験が控えている。十二月に入ってしばらくしばらくしたら、試験範囲が発表されるだろう。アナベルは部屋に戻ると、机に座った。宅配のバイトは今週の金曜日で終わりになる。十一月はあと少し残っていたが、週払い制なので、試験を見据えて、早めに辞めることにしたのだ。
机に座って、テキストを出したまま、頬杖をついて、ウォルターから貰った、惑星模型を眺める。透明感のある青色と、はっきりとした緑色で構成されたその惑星は、うっすらと、白い大気をまとわせて自転している。アナベルはテキストを前にしたまま、しばらくうっとりと青い惑星を見つめ続ける。それから、ウォルターの家で、途中まで進めていた課題の続きに取り掛かった。学期末試験で、中期試験のような失態を演じて、また、エナに脅されたり、ウォルターにバカ扱いされたくなかった。今回は、彼が頑張って作ってくれた青い星を励みに、アナベルは出来る限り真面目に勉強に取り組んでいた。
次の日の夕方、アナベルは所定の時間にウォルターの家を訪れた。インタフォンを鳴らしてしばらく待つと、何故だかジャケットにパンツ姿のウォルターが、出迎えてくれる。シャツも普段のように洗ったままのものではなく、きちんとプレスされている風だ。その上、細めのネクタイまでしている。ようは一見してそれと分かる程度には、フォーマルな格好をしていた。ただ、ネクタイ以外の全身が、黒尽くめなところが、意味不明だった。
アナベルは一目見るなり仰天して
「お前…」
と、呟いたきり言葉が続かない。ウォルターは見るからに不機嫌そうな仏頂面で、ため息をついた。
「…また、メッセージを見てないね…」
と、玄関先で呟く。
「メッセージ?」
言いながらリュックから携帯電話を取り出そうと、慌ててアナベルはリュックを下ろすと中を探り始めるが、彼女が携帯を見つけるより先に、ウォルターが
「今日、急にロブ・スタンリーの面接日になったから、ハウスキーパーはお休み」
「え、来週の予定じゃ…」
「だから、あっちの都合で…」
「あ、そうだよな。悪い…」
「いや、悪いのはロブだろう」
と、露骨に不機嫌そうに、ウォルターは呟いた。
アナベルは不機嫌そうなウォルターの横顔に向かって恐る恐る
「あの、その格好で行く気なのか?」
と、尋ねてしまう。
「…そうだけど」
「前から気になってたんだけど、なんでお前っていつも黒尽くめなの?」
「面倒だから。ちなみに今日は急に予定が変更になったから、普段着ているものを取りに行く時間がなくて、これになったけど、いつもは一応、違うものを着ている」
「違うものって、何色?」
「グレイかな?」
なら、まだ少しはマシなのか?アナベルにはよくわからない。
「大丈夫か、お前…」
「仕方がないだろう。何かの嫌がらせのつもりなのかもしれないけど、ドレスコードがある店ばっかりに行くから、ジーンズもエヌジーだし、本気でバカバカしくて、つきあいきれない…」
と、かなり真面目に怒っている。と、気がついて
「ごめん、君に言っても仕方がない…。なんで、折角来てもらったのに悪いけど、今日は…」
「うん、こっちこそ、ごめん。じゃ、頑張れよ」
と、言うとアナベルは手を上げて、駐輪スペースへと踵を返した。
大丈夫なのか?と気にはなったが、こればかりはどうしようもない。アナベルはロブ・スタンリーに会ったことが一度もないのだ。ウォルターもスタンリー氏の事は殆ど話題にしなかったので、どんな人間なのかさえ、よくわからない。おまけにこれから先、会う機会があるのかどうかさえ定かではない。
アナベルは軽くため息をつくと、自転車に跨った。




