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オールドイースト  作者: よこ
第2章
131/532

おまけ:それ以前、最中、そして以降(4)

アナベルとの偽装デートも、予約したレストランでのディナーという華麗なフィナーレを迎え、ウバイダはアナベルと連れ立って、外に出た。外はすでに暗く、町のあちこちには街灯がともされていた。本来なら、彼女を送り届けるべきなのだろう。それが、完璧な終劇のありかただ。が、ウバイダはアナベルにきちんと断ることもせず、イーサンに電話をかけた。


今はレストランから少し離れた場所、街灯の下で二人して、イーサンの迎えを待っている。アナベルは特に抗議もしなかった。今も、イーサンが来る筈の方向に視線をすえて、無言で立っている。それがウバイダにはありがたかった。


 アナベルとのデートは、予想していたほど、面倒でも退屈でもなかった。それなりに楽しんだとさえ言えた。最初から最後まで、彼女は自分の役割を守り通した。彼女の話は、所詮は女の子のおしゃべりで、まともに傾聴に値するようなことは言わなかったが、最後に聞いた、彼女の知人の話だけ、ウバイダの心に深く残った。十年の時間を経て、よりを戻したという、恋人の話だ。


 …十年


十年というのは、イーサンと出会ってずっと今まで、彼と共にいた年月と同じ長さだ。そんなに長く、イーサンの不在に、自分は耐えられるだろうか?


…考えるまでもなかった。この二週間、ウバイダはずっと、イーサンのことばかり求め続けていたのだ。


普段だったらとっくに自分の方から会いに行っていただろう。そうしなかったのは、母が神経質になっているのが分かっていたからだ。けれど、もう我慢の限界だった。今日、無茶な理由をこじつけて、彼に会いに行ったのも、彼の不在に耐えられなくなっていたからだ。今日の正午、イーサンと会って、カフェで別れるまでの間、ウバイダはずっとイーサンの視線を感じ続けていた。自分は彼の方を見ることすら出来ないのに。けれど、その視線に、ウバイダはイーサンも自分と同じ気持ちでいるのだと、確信を持った。


 八歳で初めてイーサンを見たときから、ウバイダは彼に夢中だった。自分とは違う、はっきりと浅黒い肌。幼いながらも、彫りの深い、整った顔立ち。イーサンは最初から、強く聡明で美しかった。


ウバイダはずっと自分の王を探していた。自分が全てをささげる事を許してくれる、自分を支配する絶対者だ。イーサンこそ自分の王に相応しい。八歳のウバイダはそう信じた。


四年ある中等校期間の三年目を迎える夏、イーサンが自分を意識し始めていることに気がついたとき、ウバイダは天にも昇る気持ちだった。このチャンスを決して逃してはならない。日中、彼の父親が不在の夏休み、イーサンら親子が暮らすアパートの一室で、ウバイダはイーサンを手に入れた。夏休みの間中、二人はそこで、互いで深く求め合いむさぼりあった。ずっとそんな風にして、二人は夏休みを過ごした。


 ぼんやりとウバイダが、昔の事を思い出していると、イーサンがミニバイクに乗ってやってきた。


 イーサンと二人、アナベルを見送ると、二人は二週間ぶりでキスを交わした。それからイーサンは、ミニバイクを押して歩き始める。ウバイダの少し前を歩きながら、イーサンが

「この間は悪かった。俺が言いすぎた」

と、謝ってきた。


「イーサン…」

ウバイダは目を見開いた。ケンカして、こんな風に彼が謝ってくるなんて…。そんなことはめったにない。ケンカをしても、いつもウバイダの方からイーサンの元に戻って、有耶無耶の内になかったことになるのに…。


「どうしたの?」

「いや…。お前を、家族から引き離したいと思っているわけじゃないんだ…」

とだけ、イーサンは答えた。

「別に…」

イーサンの言葉にウバイダは、なんと答えたらいいのかわからない。何故だろう?胸の辺りが変な風に痛んだ。不意に泣きたくなる。その想いをかき消すように

「今日、カフェでずっと見てたみたいだけど、どうだった?」

と、ウバイダは話を変える。


「どうって…」

「アナベルを見学に来たんだろ?」

イーサンが見ていたのはアナベルではなく自分だと、気がついた上でウバイダは尋ねた。ウバイダの言葉にイーサンは足を止め、振り向いた。ウバイダと目が合うと、イーサンはふっと目を細め

「俺が…何を見て、何を考えていたかは、部屋に戻ったら教えてやる」

と、だけ答えた。


***


 無事に仲直りを果たした翌朝、ウバイダは通常通り学校へ向かった。今日は一旦家に帰って、母と話をしてみるとだけ、彼は言った。


 夕方、イーサンは昨日の茶番のお礼を言いに、ウォルターの家に行った。その時間帯ならば、昨日の主役の一人、アナベルがいることを知っていた。イーサンは二人に簡単にお礼を言うと、家へ戻った。ウバイダが来るかもしれないと思っていた。途中で、テイクアウト用のデリを購入して、家へと戻る。夜もふけた頃、携帯が鳴った。半ば予想していたが、ウバイダからだった。


『イーサン』

「どうした?」

『今、下にいる。親父さんは?』

「いない」

『わかった』

言うなり通話を切った。イーサンは自分から部屋を出た。玄関の外で待っていると、ウバイダが姿を見せる。


「イーサン…」

イーサンが自分を出迎える為に、部屋から出ているとは、予想していなかったのだろう。ウバイダは驚いた表情を見せた。


「どうした?」

「君こそどうしたの?」

「いや…入るか?」

イーサンの質問に、ウバイダは眉をひそめる。

「当たり前だろ?どうしたの」

イーサンはそれには答えず、ウバイダを招き入れた。


「マミヤムは…」

と切り出すと、ウバイダが笑みを浮かべたまま、妙な具合に顔をしかめた。肩を竦め、手を広げる。

「予想通り。話にならない。あんまりひどいんで、こっちもえげつないこと言い返したら、ひっぱたかれたよ」

そこまでは、なるべく軽くウバイダは言った。が、そこまで言うと、しばらく、少し顔をしかめた。


「今日は、父さんまで…」

「どうした?」

「うん、母さんを傷つけるとわかってて言ったって、少し頭を冷やせってさ…」

ウバイダは、何かを堪えるように下を見てから、目線を上げてイーサンを見た。


「君に追い出されたら、行くところがない。ウォルターの家にでも行こうかな?」

「追い出すわけがないだろう。親父さんは、他には何か言ってなかったのか」

ウバイダは笑みを作る事を諦めて、ため息をついた。


「そんなに君がいいんなら、しばらくうちを出るようにって」

「親父さんが?」

「別に完全に追い出されたってわけじゃない。厨房は手伝いに、平日は毎日来る様に言われたから…」

「そうか…」


イーサンにはなんとなくわかった。モハメドの親父は試しているのだ。ウバイダと、それからイーサンを。イーサンの沈黙をどう受け取ったのか、ウバイダは顔色を伺う様子になった。


「イーサン、その、父さんの許しが出るまで、ここにいても…」

と、自信のない口調で訊いてしまう。こんな風に、困った時に縋って、イーサンにバカにされて突き放されたら、ウバイダはそう怯えていた。が、予想に反して、イーサンはふっと笑顔を浮かべた。ひどく柔らかい笑みだった。


「イーサン?」

「いや、俺がここに帰ったら、お前が…違うか、俺がここに帰って、待ってたらお前が帰ってくるのか。って、そう思って…」

言いながら顔を上げた。

「そんな場合でもないんだが、そう悪くないなと思ってたところだ」

言いながら、イーサンがウバイダを抱き寄せた。

「すまない、俺のせいで…。昨日も言ったが、お前と家族を引き離すつもりはなかったんだが…」

ささやくようにそう言った。

「イーサン」

彼の名を呟きながら、ウバイダはイーサンにしがみついた。


今、気がついた。彼がどれだけ孤独だったのかを。祖父を亡くして、一人でずっと孤独に耐えていたのだ。こんなに近くにいて、今まで自分は彼の孤独に気がつきもしなかったのだ。なんで勝手なことばかり言って、自分を傷つけて楽しいのかとさえ思って、ずっと一方的に彼をなじっていた。彼はいつでも自分の事を考えてくれていたのに…。


イーサンは王なんかではない。唐突にウバイダは、そう思った。彼はただの孤独な人間で、自分が彼を必要としているように、彼にも自分が必要なのだ。イーサンはずっと、家族を欲していたのだ。


「イーサン…」

もう一度、ウバイダは彼の名を呼んだ。

「うん」

「ここにいて、いい?」

ウバイダは顔を上げて、問うた。


「お前がいいのなら。時々、クソ親父が顔を出すと思うが…。実際に家賃を払ってるのは、殆ど俺なんだが…」

何か納得がいかないといった風に、イーサンがぼやいた。ウバイダは彼の腕の中で小さく笑った。


 それから、二人の半同棲生活が始まった。時々衝突はあったが、離れて暮らしていた頃より、二人の関係は安定しているようだった。木曜日には、普段通り、イーサンはアフマディのお店にウォルターと連れ立って、夕食を食べに行った。お店では、今までと同じように、隅の席は空けてあった。


 週末の朝、イーサンは公園に行こうと、早めに目を覚ました。横で寝ていたウバイダが眠そうに目をこすった。

「別に、見学に来なくてもいいぞ」

と、だけイーサンは言った。

「うん…」

と、ウバイダも応じる。そのまま再び眠ったように見えた。そう言いつつも、イーサンは、父親が帰ってきたらと思うと少し落ち着かない。今日帰ったら、部屋の鍵を、今の中からしか鍵を掛けられないタイプのものでなく、外からでも掛けられるものに取り替えようと決意した。


 後ろ髪を引かれながら、イーサンは公園に向かった。アナベルはイーサンを見ると挨拶の声をあげ、それから心配そうに

「あの、イーシャとウォルターから聞いたんだけど、ウバイダ…」

「ああ、うちで寝てるぞ」

と、イーサンがこだわりなく言うと、硬くておくてな上、変に敏感なアナベルは、一瞬たじろいだ様子で、妙な表情になった。


「あ、そう。問題ないんだったら別にいんだけど、結構ひどいけんかだったって聞いて…」

「マミヤムと?」

「私がイーサンの知り合いだったって、お母さんが思い出して、ウバイダはその、凄いこと言ってお母さんに叩かれたって…」

やや、恐る恐るといった風情でアナベルは言葉を続けたが、ウバイダから仔細を聞いていたイーサンは、特にこだわった様子もなく

「ああ、本当のことを言ったまでだ。仕方がない」

と、応じた。


「大丈夫かな。冬休み、ケータリングのバイト、断られるかな…」

何を心配しているのかと思ったら、自分のバイトの心配かとイーサンさんはあきれてしまう。頼もしいといえば言えるし、現金にもほどがあるだろうとも言えた。アナベルも自分の呟きに気がついたのか

「あ、バイトの心配だけしてるってわけじゃなくてね…」

と、言い訳を始めた。イーサンは可笑しくなってきて笑ってしまう。


「いや、もっともな心配だ。妙な事を頼んで悪かった」

「それはいいんだけど…。結局、いい具合にはならなくて…」

「そうでもないぞ、少なくとも、俺は大満足だし、多分、ウバイダもさほど不満じゃないだろう。イーシャは新しい彼氏を親に紹介するんだろう?」

「うん、十二月に試験の後に、招待するって」

「なら、概ねいいんじゃないか?」

「そうかなぁ…」

「お前の方はどうなんだ?」

と、水を向けると、アナベルは何を思ったのか、妙に上ずった調子になった

「別に何もないよ?」


…なるほど、ウォルターよりよほど可愛げがある。同じ質問に似たような答えなのに、こうも受ける印象が違うのか。つまり、微小でも進展があったと解釈しても差し支えはないのだろう。


 雑談はほどほどで切り上げて、トレーニングを開始する。ぼちぼち蹴りを教えてもいいかもしれない。約二時間、体を動かして、水分を補給していたアナベルが

「あ、ウバイダ」

と、声を上げた。アナベルの視線の方向に、イーサンが視線を向けると、ウバイダが公園の西側の入り口から近づいてきて、やけに爽やかな様子で手を上げる。


「やあ、アナベル。先週はありがとう」

と、笑顔で応じた。

「なんだ、来たのか」

「アナベルに会いに来たんだよ。先週のお礼を言ってなかったから」

イーサンの言葉に、ウバイダは微笑んだまま、答える。

「でも、お母さんとケンカになったんだろ?」

「アナベルのせいじゃないよ」

と、ウバイダは優しく答えた。と、イーサンが

「真に受けるなよ、ウバイダ。こいつは自分の冬休みのバイトの心配をしてるだけだ」

と、告げ口した。アナベルは慌てて

「違…。そりゃ、それもあるけど…」

と、正直に白状してしまう。ウバイダは声を殺して笑った。


「それこそ大丈夫だよ。母さんは、木曜日には僕に、今日はうちに泊っていかないかって言ってたくらいだ」

「そうなの?」

「次の日には僕がイーサンと別れて、戻ってくるってふんでたみたいだ。僕が普段と変わらないんで、予想が外れてうろたえている」

「帰らないのか?」

「まあ、まだ認めてもらえてないから。それより、母さんは君のウォルターのこと、イーサンの愛人だと思ってるみたいだよ。だから気を回して、木曜日に家に避難しなくていいのかって僕に訊いてきたんだ」


「えっ!!?」

「イーサンが浮気してるって本気で信じてるみたいだ」

と、ウバイダが首を傾げてみせた。アナベルは見るからにうろたえている。


「え…あの、それ、どうすれば…」

「バカが、真に受けるな」

と、イーサンが呆れたように教えてくれた。見ると、ウバイダが可笑しそうに笑っている。


「わ、わけのわからない嘘をつくな!!」

「まあ、いいじゃないか。それよりウォルターから愛の告白はうけた?」

と、ウバイダが言葉を重ねる。アナベルは真っ赤になった。


「なんで、そんなのうけなきゃならない!お前、こっちが心配してたら、ふざけるのもいいかげんに…!」

「今のはふざけたわけじゃないんだけど。まあ、いいか、それよりアナベル」

「…なんだよ」

まだ、怒りを表情にのこしたままで、それでも律儀にアナベルは応答する。


「イーシャに聞いたんだけど、君、全身を見られる姿見を、持ってないって?」

「あ、うん」

「よかったら、イーシャと僕、あと、イーサンもよければ加えて、君に姿見を贈りたいって思っているんだけど、どうかな?」

ウバイダは優しい微笑を浮かべたまま、すてきな提案をしてきた。


「えっ?いいのか?」

アナベルは先ほどの怒りはどこへやら、現金にも、声が弾んでいる。

「勿論。三人で折半すれば。もともとさほど、高い買い物でもないし」

「そりゃ、嬉しいけど…」

「じゃ、いいね。こっちで勝手に選んでもいいかな?」

と、ウバイダが首を傾げる。


「あ、うん」

「送り先は…」

「あ、ごめん事情があって、住所はちょっと、宅配センターの中央店に送ってもらえれば」

「それでいいの?」

「うん、バイト先なんだ」

「わかった」


ウバイダが終始一貫して、明るくて穏やかだったので、一応真面目に心配していたアナベルは、何か拍子抜けしてしまった。しかし、常に笑顔なのは先週と同じな筈だが、なんとなく雰囲気が先週より穏やかだ。


「なんか、これでも一応、責任感じて気にしてたんだけど、なんか、先週より元気じゃないか?」

「そうかな?」

「イーサンとケンカになったりしないのか?」

「ケンカはするよ、そりゃ」

と、ウバイダはイーサンを一瞥して肩を竦めた。


「でも…」

「なに?」

「愛し合っているからね」


そう言うと、ウバイダはにっこりと、アナベルに向かって首を傾げてみせる。見ているアナベルの方が恥ずかしくなってしまうほど、それはきれいで麗しい笑顔だった。照れくささのあまり、アナベルが思わずイーサンの方を見ると、イーサンはにやりと笑って、アナベルに向かって肩を竦めて見せた。


【それ以前、最中、そして以降;完】

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