おまけ:それ以前、最中、そして以降(3)
イーサンは、自分のミニバイクはジムに置かせてもらうことにして、ウォルターの家までバスで移動した。インタフォンを鳴らして来訪を告げると、待つほどもなく玄関ドアがスライドして、中から家主が現れた。来訪者の顔ぶれを目にすると、家主はうんざりとため息をついた。
「何の用?」
ウォルターの質問に、何故だかウバイダが笑顔で応じる。
「ランチに行かないかと思って」
にっこりとそう告げられて、ウォルターは無愛想に
「せっかく誘って貰ったのに、申し訳ない。昼食なら今すませたところだ。他に用がないんなら…」
と、ウバイダが香りをかぐように目を閉じた。それから目を開くと
「君が作ったの?」
「え?」
「昼食」
ウバイダの質問にウォルターは眉をひそめた。
「他に誰が作るんだ?」
「ふうーん、ちょっと入ってもいい?」
と、言うなり、玄関に陣取るウォルターを無造作に押しのけて、屋内に入った。ウォルターは諦めた様にため息をつくと、まだ、外に立ったままのイーサンに視線を向けた。
「今日、バイトは?」
「休憩だ」
「彼は…」
「付き添いが必要なんだと」
と、イーサンは投げやりに応じる。それから
「邪魔するぞ」
と、断って、ウバイダに続いて入って来た。ウォルターは全体的に何かを諦めて、玄関にロックをかけた。
キッチンまで戻ると、ウバイダがテーブルの上に広げられた料理を検分していた。調理用コンロの上には、見慣れない大きな鍋だかフライパンだか判然としないものがのっていた。テーブルの上には何種類かの料理が、食器や保存用の容器に入れられている。まだ、温かそうで、様々な香りを漂わせていた。
ウバイダは、イーサンの後ろにいるウォルターに視線を据えると
「ランチは済ませたって」
「作り終えたって意味だ。今から食べる準備をする」
「一人で食べるには多くないかな?」
というウバイダの、もっともな質問に、ウォルターはため息をついた。
「今日はハウスキーパーさんが私用でお休みだから、夕食の分もまとめて作ったんだ」
「ああ、なるほど。それはお気の毒に」
と、言いながら、何を思ったのか、ウバイダがにっこりとした。ウバイダの意味不明な微笑みは無視して、
「そういうわけだから、ランチには二人で行ってくれないかな?」
と、ウォルターは再度、ランチの誘いを断った。
「正気?せっかくだからご馳走しようとか、ないの?」
が、ウバイダが料理に向かって片手を広げて、そう言ってくる。
「いや、だから…」
「こっちはいつも、ご馳走してるのに」
「ちゃんと代金を払ってるだろう?」
むっとしたように、ウォルターが反論した。
「なら、次に来たとき僕が君にご馳走するよ」
と、ウバイダが微笑んだ。どうしてもランチをご一緒したいらしい。
「ただの家庭料理だ。君の口には合わないだろう」
と、露骨に突慳貪な口調でウォルターが抵抗する。
「いや、いい匂いだ。アジアでも東方の料理は馴染みが薄い。興味があるね」
「そんな大層なものじゃ…」
尚も抵抗しようとするウォルターの肩を、イーサンが軽く叩いた。
「あきらめろ、俺もあきらめた」
と、首を振りながら降参を勧める。
「連れてきたのは君だろう」
と、ウォルターは苦虫を噛み潰したような表情になった。
自分で食べるつもりで作った、昼食と夕食を、来客用に配膳しながら、ウォルターはむっつりと黙りこくったままだった。ウバイダは物珍しそうにその様子を眺め、キッチンを見回した。
「なかなかいい家だね。うらやましいよ」
「賃貸だけど」
「僕には借りられない」
「借りているのは僕じゃない」
「ああ、君にはスポンサーがいるんだっけ?」
「…寮に入るつもりでいたんだけど…」
と、何かを堪えるような表情でウォルターが応じる。大分イライラしているようだ。ウバイダは肩を竦めて、口を噤んだ。ウォルターが顔を上げた。
「準備できたけど」
と、無愛想に告げると、キッチンを後にした。待つほどもなく戻ってくる。簡易型のパイプ椅子を手にしていた。テーブルの流しの方に、それをもって行くと、その場で広げた。イーサンはいつも自分が陣取る、奥の席へと腰を下ろした。ウバイダはそれを見てから、いつもウォルターが座っている入り口付近の椅子に腰をおろした。
妙な光景だ。ウォルターはまた何かを諦めて、ため息をついた。壁に掛かる時計を見上げると、一時近い。
「ウバイダ、君、待ち合わせは二時なんじゃ」
「ああ、そうだね。急がないと」
と、ウバイダは悠然と告げた。さっそく料理を口に運ぶ。丁寧に咀嚼して
「君…意外と達者だね」
と、感心したように呟いた。
「人に食べさせることになると分かっていたら、もう少し何とかしたんだけど」
と、無表情でウォルターも応じる。イーサンは先ほどからやけに口数が少ない。何を考えているのか、何も考えていないのか。彼は、何度か口にした、ウォルターの料理をさしたる感慨もなさそうに、口に運んでいた。
「ウォルター、君、今日の予定は?」
「家でやることがある」
例の模型か…。と、イーサンには察しが付いた。
「家で?なら、予定はないってことかな?」
「いや、家でやることが…」
「二時に君たちの、学校近くのカフェで、君のところのハウスキーパーさんとデートの待ち合わせだ。それは知っているよね」
「学校近くのカフェ?」
訝しげに眉をひそめ、ウォルターが確認してくる。
「そう、知らなかったの?アナベルから聞いてない?」
「君たちのデートの話は聞いてるけど、彼女からは何も聞いてない」
「へぇ、君に気を使っているのかな?」
「僕は反対したからね」
「そうなんだ」
言いながらウバイダは少し首を傾げ、優しく微笑んだ。思わず見とれそうになる。
「見に来ない?」
「デートを?」
「まさか、待ち合わせをだよ」
「なんだってそんな…」
「提案者のアイーダと僕の兄のアブドウジャも見学に来るよ。君らも来ないとアナベルがかわいそうだ」
「君らもって…」
言いながら、ウォルターはイーサンに視線を向ける。聞いているのかいないのか、やけに熱心にウォルターの作った食事を口にしている。
「元々このデートは、イーシャの新しい彼氏が原因だ。妹が彼と付き合い始めるきっかけを作ったのは君だろ?」
「なんでそうなるんだ?」
「イーシャが言ってたよ。ウォルターにひどいことを言われて、頭にきて見返したくなったんだって」
にこやかにウバイダに告げられて、ウォルターは顔をしかめた。身に覚えがないとは言いにくい。
「妹を誤解しないで欲しいんだけど、そういう言い方をしたからといって、君を悪く思っているわけじゃない。むしろ君には感謝しているんだ。彼女は照れ屋で、そういう言い方しか出来ない」
「そう…」
別に自分が聞いていないところで、イーシャが自分をどう言おうと知ったことではない。ウバイダは料理を食べながら、上目遣いでウォルターを見る。
「イーシャが言うには、君は意外といいやつだったって、アナベルも以前そう言ってたって…」
「え?」
ウォルターは思わず反応してしまって、すぐに顔をしかめた。以前からアナベルのこととなると余裕がなくなってしまう。ウォルターは顔を伏せると
「そう」
と、だけ応じたが、ウバイダは可笑しそうに声を殺して笑っている。
「つまり、そういうことだ。君にはこの茶番劇を見届ける義務があるんじゃないの?」
「どういう理屈だよ」
苦虫を噛み潰したような表情でウォルターは答える。
「通じないかな?」
「イーサンの説明だと、これは君等家族のただの暇つぶしなんだろ?それに、イーシャの新しい彼が原因というなら、責任は僕ではなく、イシュマイルにとらせるべきだ。彼がイーシャに振られた腹いせに、バカげた事をしたせいだろう」
「なるほど、一理あるね。なら彼に着飾ったアナベルを見てもらおうか。その方がいいかな?」
「何言って…」
「アナベルがイーサンに、そう言ってたらしいよ。かなりおしゃれして来てくれるんじゃないかな?」
「アナベルが?」
と、ウォルターは思い切り顔をしかめた。彼にはおしゃれをしたアナベルというのが、全く想像出来ない。しばらくむっつりと黙り込む。
「…待ち合わせは学校近くのカフェって言ってたよね?なんでそこなんだ。アフマディのお店だとばかり」
「彼女が恥ずかしがったらしい」
「なら、どこか、他のカフェでも」
「アイーダがそこを指定したらしいよ」
アナベルのバイト先のカフェで、普段とは異なる格好をしたアナベルが、斜め向かいに座る、この麗しい青年と待ち合わせをして…。一体、どんな話になるのやら。その場に自分がいるのといないのとでは、どんな差が生じるのだろうか?ウォルターはため息をついた。いくら考えても分からなかった。
「わかった、つきあえばいいんだね」
「物分りがよくて助かるよ」
と、ウバイダはにっこりとした。
八つ当たりもいいところだ、とんだとばっちりだ、とウォルターは腹立たしい。今日こそ模型を仕上げようと思っていたのに、いきなり家にまで押しかけられて、夕食用に作った料理まで食べられて、その上、おしゃれしたアナベルがこの性格の捻じ曲がったアラブの王子と待ち合わせをして、連れ立って出て行くのを見届けなければならないなんて、自分が一体どんな悪い事をしたというのか?
ウォルターはやり場のない怒りをぶつけるように、イーサンを睨むが、イーサンは彼の視線には全く頓着せず
「お茶のおかわりはあるか」
と、ウォルターの方にカップを差し出した。
半ば無理やりご一緒したランチタイムをウォルターの家で終えると、三人はそろってバス停へと向かった。バスの時刻表を見ると、待ち合わせにぎりぎり間に合うか、どうかといったところだった。時間通りにバスがやってきて、三名は無言で乗車した。バスの中でもイーサンとウバイダは一言も言葉を交わさなかった。
二人には構わず、ウォルターはつり革を持ったまま、タブレットを眺める。昼食を作り始めるまで、ウォルターは、惑星模型の製作に取り組んでいた。大気の濃度をもう少し薄めにして、星の様子がよく見えるようにするためのやり方を実地で探っている最中だったのだ。惑星作りが煮詰まったので、食事を作り始めたのだが…。
バスの中では実地で試行錯誤することは当然のことながら不可能だったので、データ検索や書籍で情報を収集する。そうこうするうち、学校前の停留所にバスが到着した。三名は無言のまま、連れ立って下りる。
学校前のバス停から、アナベルのバイト先のカフェはすぐそこだ。ウォルターは歩きながら時計を見る。丁度二時くらいにカフェに入れそうだった。
カフェに到着すると、ウバイダが先に立って入った。入り口近くの席にいるアナベルをすぐに見つけて、真っ直ぐ席へと向かった。ウォルターはなんとなくイーサンを誘導して、カウンターの端の席へと移動した。そのまま椅子に座るが、露骨に彼ら二人の方を見るのも、不躾な気がしてウォルターが躊躇っていると
「へえ」
と、イーサンが呟いた。見ると、思いっきり露骨に二人を観察していたので、ウォルターはげんなりしてしまう。
「なかなかいいじゃないか、自慢してただけのことはある」
「自慢?」
言いながら、ウォルターはイーサンの方しか見ることが出来ない。自然にアナベルとウバイダに背中を向けることになる。と、見た記憶のある、短髪のウェイトレスが水とメニューを持ってきた。
「久しぶりね」
よく、覚えているものだと、ウォルターは感心するが、アナベルの知り合いということで、記憶に残ってしまっているのだろう。とはいえ、なんと返していいのかわからない。メリッサはウォルターの戸惑ったような表情に微笑むと
「注文が決まったら呼んで」
と、気安く言うと立ち去った。
「顔なじみか?」
と、イーサンが訊いてくる。
「夏休みに、何度か来てたから」
と、応じると
「へえ」
と、何故だか感心したように頷いた。
「なるほど、それなりには、やってるわけだ」
と、イーサンがにやりと笑う。そう、改めてここで言われると、なんとも自分がバカみたいに思えてきて、ウォルターは顔をしかめた。
「見ないのか?」
ウォルターの複雑な心境には頓着せず、イーサンは笑みを浮かべ、アナベルとウバイダの席に視線を据えたまま、ウォルターにそう訊いた。問われて、つい、見てしまう。見ると、二人して、少し体をふせて、顔を寄せ合い何か話している。見るんじゃなかったと、ウォルターはげっそりしてしまう。が、その短い時間に、ウォルターはアナベルが、深いエンジ色の長いフレアスカートを身に付け、座っている様を見て取った。不思議なほどよく似合っていた。そうして、ただ、静かに座っていたら、どこかのお嬢様だといわれても信じたかもしれない。
思い返してみると、カディナの彼女の家は、それなりに大きなお屋敷だったし、ウォルターと直接まともに応対してくれたのも、家付きの使用人らしき人物だ。彼女の愛するカイル叔父さんも、穏やかで知的な人物だった。カイルは間違いなく、高等教育を受けているだろう。
それに、よく考えてみずとも、ハリー・ヘイワードは、学生の時分、確実にオールドイーストにいたのだ。かなり優秀な人物だったのか、そうでなければ、親が財産家だったのだろう。カディナから学生が、何の力も意思もなく、オールドイーストに来たとは考えにくい。そう考えると、今の彼女からは想像もつかないが、アナベルは、本来裕福な家庭で育っていたのかもしれないのだ。父親があんな風でなければ、少なくとカディナでは、彼女は本当にお嬢様だったのかもしれない。その可能性に、ウォルターはふと思い至った。
ふと横を見ると、イーサンがアナベルに向かって手を上げている。ウォルターはうんざりと
「よくやるね」
と、呟いた。
「外の…オープンテラスに、アブドウジャがいる。一緒にいるのはアイーダだ」
と、イーサンは呟いた。
「ウバイダが言ってた見学者?」
「そうだな」
アナベルとウバイダの、二人が座るテーブルに視線を据えたまま、イーサンが応じる。
「君の方こそ気にしてるみたいだ」
と、ウォルターが呟くと
「ウバイダとまともに会ったのは二週間ぶりだ」
と、呟いた。
「まだ、謝ってなかったのか…」
と、ウォルターがため息をついた。
「いつもだったら、あいつの方が折れる」
「甘えすぎじゃないか?」
と、ウォルターが咎めるようにそう言うと、イーサンは渋い表情になった。
「わかってる」
「今日はなんだってバイトを休んでまで…」
「休んだわけじゃない。お前と似たようなもんだ」
と、いう短い説明で、ウォルターは何となくどんな状況だったのか、理解した。
「つまり、結局、僕もアナベルも、君らのケンカに巻き込まれた…ってことかな?」
と、ウォルターは目を細める。イーサンは何の反応も見せなかった。だんまりを決め込むイーサンに向かって
「結構、怒ってるんじゃないの、ウバイダ?」
それだけ、ウォルターは付け加えた。
気がつくとメリッサが、注文したコーヒーを運んできた。
「今日はなんのイベント?」
と、メリッサは、場の雰囲気には気づかず、屈託なくウォルターに話しかけてくる。
「事情はそっちの彼に聞いてくれる?」
と、ウォルターはイーサンに水を向けた。メリッサはイーサンの方に視線を向けると、首を傾げた。イーサンはメリッサの視線に気がついたが、肩を竦めただけだった。メリッサはすぐに諦めると
「放っておいてよかったの?今、相手してるウェイター、アナベルに気があるのよ」
「そうみたいだね」
見ると、以前見かけたウェイターが、アナベルとウバイダのテーブルに何かを運んでいる。
「別に放っておいたわけじゃない。ここに来るには、時間の都合があわなくなったってだけで、深い意味はないですよ」
と、ウォルターは無愛想にならない程度の口調で応対した。
「ふーん、そういうこと。なら、アナベルの言う通りなのね」
と、メリッサがつまらなそうに呟いたので、ウォルターは呆れてしまった。よほど、メロドラマが好きなのか?身近なところで展開される愛憎劇ほど、第三者に楽しめる娯楽はないのだろう。自分が参加させられるのは、面倒なのだろうが。
立ち去るメリッサの後姿を見送りながら、イーサンが
「物好きだな」
と、呟いた。
「まったくだ」
ウォルターは心の底から同意した。
二人が座るテーブルから…と、いうより、むしろ二週間ぶりだというウバイダの姿から、視線を離す気配がないイーサンは放っておいて、ウォルターはタブレットを見始める。そんなに気になるんだったら、とっとと仲直りすればいいのに…と、余計なお世話だと自分でも思いつつ、タブレットを見ながらウォルターはイライラと考えた。
「出るぞ」
と、イーサンが感情のない声で、そう告げた。ウォルターは顔を上げて、出入り口に向かうウバイダとアナベルを見た。と、彼女と目があった。目が合うと、困ったようにアナベルは視線をそらした。それから、胸元をかざるペンダントをいじり始める。立ち姿も可愛かったので、ウォルターは思わずため息をついてしまう。
仕方がないとはいえ、何もあそこまで女の子らしい可愛い姿にならなくてもいいだろうに、と、わけのわからないクレームを、アナベルに対してつけたくなった。




