1-2 オールドイーストに来た日(6)
謎の家を出ると、歩きながら、リパウルは返信用のメッセージを打ち込んでいた。
【街の案内をしています。三十分後、到着します】
…器用だな。
アナベルは感心した。メッセージがやり取り出来て、持ち運べる電話というのは、ものすごく便利だ。カディナでは一部の人間しかもっていなかった。
リパウルはメッセージを送信すると一仕事終えた後のように安堵のため息をつく。
「エナって…恐いの?」
何の気なしに訊いてしまう。
「うーん、どうかしら…」
と、リパウルが考えながら話そうとしたら、再びメッセージが届いた。リパウルは慌てて確認する。
「“なら、そのまま終業していい”って」
リパウルはそのメッセージに、簡潔な謝罪メッセージを返信すると、アナベルに向き直り
「ごめんなさい、お騒がせしました」
と、アナベルにも謝罪した。
「ううん、それより今の…」
エナのことより、先ほどの少女の方がよほど気になった。
「エナの話?」
「いや、あの女の子…」
アナベルの言葉にリパウルは、ふーと、息をついた。
「ルーディアかぁ…」
***
…ルーディアのことは、外では話せないの。
「だから、少し、別の人の話をしてもいいかしら?」
バス停でバスを待ちながら、リパウルはやや言いにくそうに切り出した。
「うん、いいけど…」
「さっき行った家…アルベルト・シュライナーといって、土壌地質研究所の、研究主任の一人なんだけど…」
「へぇ、偉い人なんだね」
と、相槌を打つ。リパウルは気弱に微笑むと
「その人は、その…アナベルと同じ越境者だった人で、自分に少し余裕が出来てきたから、地方からの留学生や、オールドイーストの遠方から来る苦学生に、無償で自宅を宿として提供してて、食事などを含めた、生活支援をしている人なの」
アナベルは驚いた顔になる。丁度、そのタイミングでバスが到着した。
「それって…」
「そう。そんなにたくさんの人数は面倒を見られないんだけど…先月の七月で、今までいたハインツという大学生が、職を得て官舎に入ってしまったの。で、今、部屋に空きがある状態なの…多分…」
言いながら、リパウルはアナベルを促し、バスに乗車した。
「あの、それ…」
「そう、でも、ごめんなさい。私の一存では決められないの」
アナベルは先ほどの謎のやり取りを思い出した。リパウルは続けて
「ただ…、アルベルト…シュライナー氏は、その…」
と、口にするが、どう言ったらいいか、迷っているようだ。
「変な人なの?」
リパウルの様子にアナベルは首を傾げた。
「違っ!!」
ふいに、リパウルが大きな声を上げかけ、慌てて自分で自分の口をふさぐ。バスの中だった。恥ずかしかったのか、妙に顔が赤い。
「そうだよね。話だけ聞くと立派な人だな、と…」
アナベルも慌てて、自分の発言のフォローをする。
リパウルは赤い顔をしたまま、無言で頷くと
「そう、つまり、あなたのことを知ったら、きっと支援を申し出てくれると思うの…」
最後はため息混じりだ。
「あの、ドクター・ヘインズは、その人のこと…」
「え…?」
「苦手なの?」
リパウルは絶句した。そう見えるのか。いや、どう見えてほしいというのか?
「苦手…ではないわよ。多分…」
いや、ある意味では苦手なのかもしれない。リパウルは妙な具合に納得しかける。
アナベルは尚も聞きたいことがありそうだったが、ためらっている。おそらくルーディアのことだろう。
「だから、あなたとエナさえ構わなければ、よい話だと思うの」
ようやくリパウルは、ここまで言えた。
「私は全然構わないよ。むしろ願ったり適ったりだ」
と、アナベルは勢い込む。
「でも、その、アルベルト…シュライナー氏は男性だし、もう一人の下宿人はリース・ウェルナーといって、あなたより一級上の男子学生よ。その、男性ばかりだけど、大丈夫?」
「だって、その…」
と、言いよどむ。現に地下には、女の子が住んでいる。
「あ、そうね。でも実質的には、その…」
「うん…でも、大丈夫じゃないかな。私、カディナでもカイルと二人暮しだったし」
「でも、叔父さんでしょう?この場合は、ちょっと違うし」
アナベルは少し硬い表情をしてリパウルを見つめる。リパウルは取り繕うように
「もちろん、二人とも紳士よ。あなたが気にならないのなら、大丈夫。おかしなことは起こらないと思うわ」
「おかしなこと…」
「ええ、いいの。ごめんなさい、よけいな気を回しすぎね」
咳き込むような調子で、慌しくリパウルはフォローした。
アナベルはこの手の話題に弱い。苦手だといってもいい。男性に対して、自分が女性であることを、拒絶したい願望がある。が、客観的に見れば、リパウルの懸念は妥当なものなのだろう。アナベルは不自由さにため息をついた。
「もし、その、シュライナーさんに会う機会があって…」
「うん」
「自分が苦手なタイプだったら、あきらめるよ」
「…アナベル」
「ごめん、正直にいうと私、大人の男がちょっと苦手なんだ…」
アナベルは、少しこわばった表情でそう告げた。その横顔を見ながら、リパウルは余計な気を回したことを、後悔した。
タフで聡明で屈託がない…リパウルの抱く、アナベルの印象は、今の時点ではそんなところだ。が、闇がないわけではないのだろう。ざっくりと聞いただけでも、彼女の境遇は明るくはない。そもそも父親がいる筈なのに、彼女が叔父の治療費を工面しなければならないというのは、どうしたわけか。エナの口からも、アナベルの話にも、彼女の父親のことは、ほとんど現れない。亡くなったのだとしたら、そう伝えられているだろう。
「アナベル…私が言うのも変だけど、アルベルトはいい人よ…」
「うん、そうだと思う。ドクター・ヘインズが妙な人を紹介するとも思えないし、あの子も…」と、声を潜める。「そんな変な人のところにいない気がするんだ。その、上手くいえないけど」
「そうね」
と、リパウルは強く頷いた。
***
その日はそのままリパウルの部屋へと戻った。研究所の所員専用の宿舎で、リパウルの言うとおり、なかなか快適だった。
リパウルが、リビングルームのソファの背もたれを倒してベッドにし…そういう仕様なんだそうだ…布団を敷けば、簡易ベッドが出来た。
「友人なんかは、足がはみ出る…って、ぶつぶついうんだけど、アナベルには…かろうじて大丈夫そうかな?」
と、リパウルはベッドとアナベルを見比べながら苦笑する。
アナベルは即席のベッドに感心してしまった。
「アルベルトの家が駄目だったら、うちで暮らせばいいのよ」
いいながら、リパウルは片目を瞑る。
出来れば本当にそうしたいところだが、所員用の宿舎だ。身内や、たまの来客ならともかく、同居となると不可能だろう。第一、母親であるエナがつき離しているというのに、他人のリパウルに、そこまでお世話になるのは流石にためらわれる。
一日で色々ありすぎた。カディナを発ったのが朝のこととは思えない。時差を含めると、一日以上になるのか。初めての場所だったが、アナベルは横になるなり、熟睡してしまった。
翌朝はリパウルの声で、目が覚めた。
「ごめんなさい、疲れているのに。出勤しなくちゃいけないから、あまり長く寝かせてあげられないの」
申し訳なさそうに謝る声と、きれいな顔が一日の始まりというのは、そうとうの贅沢だ。アナベルは起きた瞬間、自分がどこにいるのかすぐに自覚して、跳ね起きた。
「いえ、こちらこそ。寝坊しちゃって」
猛烈に恥ずかしい。
「いいのよ、疲れているに決まっているでしょ」
と、リパウルは気遣うように微笑んだ。
朝食の準備は、すでにリパウルが済ませていた。
昨晩の食事の時も思ったのだが、リパウルには欠点がない。昨晩の食事も、今の朝食もきわめて美味である。リパウルはありあわせで大したものは出来ないというが、謙遜でないとしたら、本気になったらお金が取れるんじゃないだろうか、とアナベルは真剣に考えた。
「ドクター・ヘインズ、彼氏とかいないの?」
思いついたまま、疑問を口にしてしまう。リパウルは、ベーコンをカットしていたナイフを、ガチャンと皿に滑らせる。
「な、な、なんで?」
「あの、ごめんなさい。失礼な質問だった?だって、美人でやさしくて料理も上手で、もったいないなぁって思って…」
余計なお世話だが、自分が男だったら、絶対猛アタックするのになぁと、妙なことを考えてしまう。完璧すぎて近寄りがたいとかなんだろうか。リパウルは苦笑した。
「褒めすぎよ。でも、ありがとう。彼氏は…募集中かな?」
いないのか!!オールドイーストの男どもは何をしているのか!?
アナベルは愕然とした。
***
今日一日をどうするかについては、昨晩打ち合わせしていた。リパウルは、平日はほとんど使っていないというプライベート用の携帯を、アナベルに貸してくれた。少し操作してからアナベルに渡すと
「昨日教えたとおり、私以外からはかからないように、設定してあるから大丈夫。あと、バス用の電子マネーカードね。これがあれば、セントラルシティ内なら、大抵どこへでも行けるわ。裏に路線図があるから、よく見てね」
二つのアイテムを受け取りながらアナベルは頷いた。昨日決めたとおり、まずは図書館に行く予定だ。
「昨日の感じだと、ひょっとしたら、ボスから呼び出しが掛かるかも。どちらにしても、エナを無視して進められないし…」
…大変そうだな、と申し訳なくなる。面倒なことは丸投げしているくせに、決定権はないというのは、とても大変そうだ。
「ごめんなさい…」
「え、やだ、アナベルのせいじゃないわよ。こちらこそごめんね。気にしないで。私、愚痴っぽいの。なかなか直らなくて…」
リパウルは困ったように微笑んだ。なるほど、欠点がないわけではないのか。でも言うほど愚痴っぽい感じもしない。
「ううん、愚痴じゃなくて事実だと思う。でも、私も必要以上に申し訳ないって、言わないようにするよ」
と、アナベルは答えた。リパウルは、彼女にキスしたくなった。
リパウルは、アナベルとバス停で別れた。セントラルシティの中央図書館は九時には開館しているので、丁度よい時間に辿り着くだろう。リパウルは、始業前に研究所の自分用の業務スペースに入り、PCを起動する。朝一番で、昨日の報告と、相談事項をまとめてエナ宛に送信したい。そう思いながらメッセージソフトを開くと、エナからメッセージが届いていた。
【アナベルの件:九時に執務室に来られたし】
朝一番だ。なんとなく、エナはアナベルにはさして興味がないのかと思っていたのだが、そうでもないのか?リパウルは、エナがアナベルの事情を自分に全く伝えていなかったことに、腹を立てていた。
急な予定と重なってしまい、自分もムラタもどうしても外せない。ロブの息子に頼んだが、即座に断られた。申し訳ないがムラタに代わって、寮に案内して、説明会に出席させてくれないか…、伝達事項はその程度だった。
アナベルが言ってくれなければ、今頃彼女は寮で途方にくれていた筈だ。まだ、十五歳で、あんなに色々なものを背負って、それなのに、周囲のことも気遣える。自分が十五歳の頃とは真逆だ。その頃の自分のことを思い出すと、自己嫌悪でへこみそうになる。間違いなく、当時の自分は、世界は自分を中心に回っていると思っていたのだ。
リパウルはため息をついて、時計を見上げた。今、出れば、九時丁度にエナの執務室前だ。リパウルは、自分のスペースを後にした。
「失礼します」
こちらが来るように指示した場合は、いちいち入室指示を待たないこと。時間に貪欲なエナの指令の一つだ。
ノックして一声掛け、そのまま入室する。エナは机上の資料から顔を上げる。
リパウルは指示を待たずに、昨日の報告を済ませる。
「勝手をしてすみません。ですが、彼女の事情を考えると、シュライナー氏にお願いするのが一番よいと判断しました」
「彼と連絡は?」
「いえ、まだです。了承頂ければ、直ちに手配します」
リパウルは質問したいことが山ほどあったが、ボスの言葉を待つ。
「…あの子は、何か批判めいたことを言ってた?」
「いえ、批判めいたことは一切言われませんでした」
思い返してみると、アナベルの口から今回のことで、エナを批判する言葉は一度も吐かれなかった。泣くのを堪える様な表情は、何度か見せたが。
「わかりました。シュライナー氏に連絡を取ってみて。それと、バイトの件だけど、まだ、決まってないようだったら、先ほどあなたが言ったハウスキーパーで、一件、やらせたいところがあります。ルーディアの件も、もう一人の学生とシェアすれば、収入の足しに出来るでしょう」
「ありがとうございます」
リパウルはほっとして、ボスに感謝した。エナは執務机の上を指で軽く叩きながら
「本当は勉強だけに専念させるつもりだったのだけど、あの子の成績は余りにもひどいから」
「…申し訳ありません」
「いえ、あなたが知ればアナベルの意思を尊重しようとするだろう、とは思ったの。そうね、身内が気になって勉強できません、となっても本末転倒ね」
バイオロイドであるエナには、一般的な意味での“身内”はいないのと同じだ。経験や知識から類推出来ても、いまひとつ実感にはならないのかもしれないと、リパウルは思った。
「学業の方も出来る限りサポートするよう努めます」
「よしてちょうだい、時間の無駄よ。あなたには自分の研究があるでしょう。これは、あの子が勝手に選択したこと。条件をクリアできない程度の人材なら不要です」
…やはりエナは厳しい。が、ボスの考えをきいて、リパウルは少しだけ納得した。
「あと、必要なことはメッセージで送るわ。動きがあれば報告を入れて。なければ不要です」
「わかりました」
退室の知らせだ。少しほっとする。
目礼して、部屋を出ようとするリパウルにエナは
「こんなことで時間を使わせてしまって申し訳なく思っているわ。…アナベルのことはムラタが一任することになっていたのだけど、昨日は外せない予定が入ってしまって…」
「いえ、それは…」
「ロブの息子が素直に承諾していれば、あなたを煩わせる必要もなかったのだけど、…まあ最初から、当てにはならないことは分かってはいたのだけど…」
「え?」
最後の方の呟きはぼやきに近かった。リパウルは思わず訊き返してしまう。ぶつぶつ言っていたエナは、リパウルの返しに、目を瞠ってから、にっこりと笑顔を返す。
「いえ、こちらの話です。業務時間中に私の個人的な用事であなたを拘束してしまって、すまなかったわね。ありがとう、リパウル」
と、ねぎらいの言葉を掛けた。
リパウルは少し微笑むと
「いえ」
と短く返し、退室した。
そのまま真っ直ぐ、業務スペースに戻ると、メッセージソフトを立ち上げる。土壌地質研究所のアルベルト・シュライナーに宛てて、メッセージを作成する。あいさつは簡潔に、必要なことだけを。途中、何度も読み返し、納得してから送信した。それから、業務スペースを後にして、研究施設へ向かった。




